第39話 代償

 アキトの車の中で眠ってしまった私は、目が覚めると見慣れない部屋にいた。

 どうやらベッドに寝かされているみたいだ。

 手足はしびれたように動かない。


 たぶんまだ何もされていない。

 これから何をされるのかはわからない。



「意識が戻ったか」


 アキトの声がした。

 ベッドのそばにある椅子に座っていたようだ。


「何か薬を使ったんですか? これはさすがに犯罪です」


 言葉を話せた。

 口は動かせるみたいだ。


「俺もできれば穏便に⋯⋯と思ったんだがな。どうしても俺では無理か?」


 アキトは冷たい目でこちらを見下ろしている。

 よくわからないけど、これが最後のチャンスらしい。

 ここを切り抜けるためには、やっぱり好きになりましたとか言った方がいい?

 

「はっ、残念」


 私の思考が読まれているのだろうか。

 アキトはすぐに鼻で笑った。



「あんまり女の子に乱暴したくはないんだが。魅了が効かないからなぁ」


 アキトはつぶやいた。


「あなた⋯⋯悪魔なの?」


 私の言葉にアキトは笑みを浮かべた。


「さすがに気が付かなかっただろ?」


 アキトの身体にもやがかかった。

 しばらくしてもやが晴れるとアキトの姿が変わっていた。

 赤褐色の長髪をサイドで結んで下ろしている。

 頭からは二本の角が生えていて、背中には羽根が見える。



「いつからアキトと入れ替わっていたの? 本物のアキトはどうなったの?」


 看護師として一緒に仕事をする中で、医師としてのアキトの行動に違和感を覚えることはなかった。

 アキトは私が入職した時には既にあの病院で働いていたし、私よりもっと昔からあそこで働いているスタッフだって大勢いる。

 その人達を騙すのは容易ではないはずだ。


「入れ替わったのは、君があの病院に出入りするようになってからだ。頻繁に力を使った形跡を見つけたからな。本物がどうなったかって? 擬態中はオリジナルを生かしておく必要があるが、もうその必要はないな」


 そんな⋯⋯

 私があの病院で力を使ってしまったから、悪魔に目をつけられてしまったから、本物のアキトはこれから処分されてしまう。

 

「私の目的は君の力だ。しかし私は君の知り合いの悪魔たちみたいに優しくはない。君を生かしたまま従えて力を使わせるなんて、煩わしいことはやめにした」 


 多くの悪魔は私たちに対して友好的ではないのだろう。それは分かっている。

 私の周りの悪魔がたまたまみんな優しいだけだ。


「あなたはどうするつもりなの? 私を殺して力を奪うの?」


「厳密に言えば力を奪うことはできない。私に差し出すんだ。契約という形で」


 ストロファンツスが私たちのご先祖様に力を授けたとき、契約を結んだと言っていた。

 これから私がこの悪魔に力を差し出して、この悪魔も私に対価を差し出せばそれで契約が成立してしまう。

 そうなれば私は力を失い、この悪魔は私の意思や寿命に一切縛られることなく、この力を自由にできる。


 

「あなたは私に何を差し出すの?」

「そうだな⋯⋯それなりの対価が必要だ。君は仕事熱心だからアキトの医学の知識をあげようか」

「それはあなたのモノじゃないでしょ? それに私はどうせ無事では済まないだろうから、使い道がないのに」

「それもそうか。残念だったな」


 悪魔に微笑みかけられ虫唾が走る。


「ちなみに私の力はどう有効活用してもらえるの?」

「私は全てを従えて自由に生きる。まずは人間の世界を征服した後、悪魔たちと戦でもしようか」


 一番恐れていたことが起こってしまった。

 お母さんもご先祖様も力を隠して生きることで、この世界を守ってきたというのに。

 私が力を使ったから。

 どれだけの人が、悪魔が犠牲になってしまうのか⋯⋯

 ごめんなさい。

 私が間違ってた。



「では契約を」


 悪魔は紙を取り出して広げた。

 その紙は薄く、向こう側が透けて見える。

 悪魔が目を閉じて、呪文のようなものを唱え始めると、契約書に文字が浮かび上がっていく。

 これが契約の儀式なのだろう。


 これから私は何らかの方法で脅されて、強制的にこの契約に合意させられてしまうんだろう。

 だから口だけは動くようにしてあるんだ。

 結界を使えば攻撃は防げる。でも、心理操作や呪いの類は防げない。

 何をされたとしても、私が合意せずに粘れば、この世界を危険にさらさずに済むんだろうか。

 悪魔相手に抵抗するなんてことが、私に出来るんだろうか。

 恐怖で身体が震える。

 誰か助けて⋯⋯そう願った瞬間



――ガシャン


 窓ガラスが割れる音がした。


「ガルルルル」


 何?

 窓の外から大きくて真っ白なオオカミが入ってきた。

 オオカミは悪魔を鋭い目で睨みつけながら、唸っている。

 すぐにオオカミは悪魔に飛びかかり、その身体を押し倒した後、そのまま首元に噛みついた。


「うわぁぁぁ!!」


 悪魔は首元を手で押さえながら、床の上をのたうち回っている。


「トウキ! 貴様! 裏切ったな!」


 悪魔は血走った目でオオカミを睨みながら叫ぶ。

 そしてオオカミの身体を片手で掴み、威圧で吹き飛ばした。



――ガシャン

  

 オオカミの身体は次々と家具をなぎ倒しながら壁にぶつかる。

 オオカミは立ち上がるもふらついていて、真っ白な身体の一部が赤く染まっている。

 

「大丈夫!? こっちに来て!」


 私はとっさに叫んでいた。


 オオカミは後ろ足を引きずりながら、こちらに歩いて来る。

 私は自分の周囲に結界を張った。

 結界の中に入り黄色い光に包まれたオオカミの身体は徐々に回復し、傷が癒えていく。

 まだ不完全ながらも動ける程度に回復したのか、オオカミはすぐに結界の外に出て、もう何度か悪魔の首元に噛みついた。


「う⋯⋯あ⋯⋯」


 悪魔はしばらく抵抗を続けていたものの、最後は事切れ、その体は急速に朽ちていった。



 よくわからないけど助かった。

 このオオカミはどこから来たんだろう。

 どうして私を助けてくれたんだろう。

 私の言葉がわかるみたいだった。


 疑問は次々に浮かんでくるけど、まずはオオカミの怪我をもっとちゃんと治してあげないと。

 そう思った私はオオカミに声をかける。


「あの⋯⋯助けてくれてありがとう。怪我を治すからもう一度こっちに来て?」


 けれどもオオカミは私の言葉には反応を示さず、窓から走って逃げていった。


 


「サクラちゃん! 大丈夫?」


 声の方を見るとジギタリスが徐々に空気中に姿を現した。


「ジグさん! 助けに来てくれたの? さっきのオオカミはジグさんが連れてきてくれたの?」


 見慣れた顔を見て、一気に緊張が緩む。


「遅くなってごめんね。詳しくは後で説明するから。とにかく今は帰ろう」


 こうして私は無事に救出された。



 ジギタリスの話によると、私が居たのはアキトの別荘で、本物のアキトも同じ建物内で発見されたそうだ。

 その後アキトは事故にあって記憶を部分的に失ったという設定で、アカマツ病院とは別の近隣の病院に入院したとのことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る