第34話 第4章エピローグ
あれから時は経ち、俺は二十五歳、エリカは二十四歳になった。
そして今、俺たちは病院にいる。
「はぁ、来る⋯⋯来る⋯⋯痛い⋯⋯痛い!」
エリカは繰り返し襲ってくる陣痛に耐えていた。
その表情は苦痛に歪み、額には汗が滲んでいる。
「エリカ⋯⋯」
こんな時、男はなんて無力なんだ。
俺は黙ってエリカの腰をさすることしかできない。
できることなら代わってやりたいが、そんなことを軽々しく口に出来るような痛みではないことが俺にも分かる。
「今のうちに食事をとっといてね。体力残しとかないと後半きついわよ」
時々様子を見に来てくれている助産師さんがアドバイスをくれる。
「え? まだ前半なんですか?」
「え? まだ前半なんですか?」
エリカと反応が被る。
「ふふっ。そうね⋯⋯早くて夕方、日を跨がないといいわね。食べた方がお産が進むから、がんばって!」
現在時刻は朝の6時。
助産師さんの言葉にエリカの表情が一気に曇る。
こんなことは慣れっこなのだろう。
助産師さんは微笑みながら部屋を出ていった。
「エリカ、これなら食べられそうか?」
この日のためにエリカが用意していた、高カロリーのビスケットがあったので、それをカバンから取り出して見せた。
「うーん。ごめん、ちょっと無理かも。見るのもきつい」
エリカは手で目を覆いながら言った。
「あぁ、悪い」
俺はすぐにビスケットをしまった。
「どうしよう。でも何か食べなきゃ。ゼリー飲もうかな」
その言葉を聞いた俺は、カバンからゼリー飲料を取り出してキャップを開けてエリカに手渡した。
エリカは少し口にしたものの、また次の波が来た。
「あぁ⋯⋯来る⋯⋯あぁ! 痛い!」
俺はすぐにエリカの腰をさする。
エリカはすでに何時間もこの状態だ。
エリカのお腹にはモニターがついている。
赤ちゃんの元気な心臓の音がモニターから聞こえてくる。
助産師さんは何度もエリカの様子を見に来てくれているし、順調だと言ってもらっている。
大丈夫だ。絶対に大丈夫だ。
俺が不安そうな顔をするわけにはいかない。
そう何度も自分に言い聞かせながら、ひたすらエリカの腰をさすった。
「はぁ⋯⋯きつ⋯⋯こっからまだ酷くなんの?」
エリカはぐったりとした表情でつぶやいた。
夕方になり、助産師さんの予言通りに、エリカの痛みは強くなってきていた。
ほとんど悲鳴に近い声を上げて苦しそうにしている。
「全開だね。先生呼んできて! もうすぐ赤ちゃんに会えるよ!」
助産師さんの一声でバタバタと準備が始まった。
別の助産師さんに呼ばれた産科の先生はすぐに来てくれた。
助産師さんがエリカにいきみ方を説明している。
汗だくになり体力の限界が近そうなエリカは、痛みに耐えながら必死にうなづいている。
「はい! いきんで!」
助産師さんが合図を出した。
エリカは先程までとは変わって、静かに力を入れている。
「上手上手! 今は息止めないよ!」
助産師さんの声かけにエリカは一生懸命ついていく。
「はい来たね! いきんで!」
何度目かのいきみのあと、ついにその時はやってきた。
「出てくるよ! 力抜いて〜短く息して〜」
次の瞬間、ずるりと赤ちゃんが取り出された。
赤ちゃんは驚いたように手足をバタバタさせながら、大きな産声を上げた。
「おめでとうございます!」
助産師さんや先生がお祝いの言葉をかけてくれた。
「エリカ! ありがとう⋯⋯ありがとう⋯⋯よくがんばったな。ありがとうな」
俺はエリカに駆け寄り、何度もお礼を言った。
気づいたら俺は涙を流していた。
「元気な女の子です〜!」
助産師さんは赤ちゃんの健康状態を確認した後、身体をきれいにしてタオルで包んでくれていた。
「抱っこはパパからだったね?」
助産師さんは俺の方に赤ちゃんを連れてきてくれた。
どうやらエリカが事前アンケートにそういう回答をしていたらしい。
「いや、エリカが先に⋯⋯」
「レン、いいから! 早く抱っこしてあげて?」
エリカにそう言われて赤ちゃんを抱かせてもらう。
赤くて、しわくちゃで、小さくて、柔らかくて⋯⋯
簡単に壊れてしまいそうだった。
でもしっかりと自分で呼吸して、小さい手を動かして、口元をもごもごと動かしている。
俺がこの子を守っていくんだ。
そう固く誓った。
娘の名前はサクラにした。
春生まれなのと、誰にとっても身近な存在で、みんなに愛されて欲しいからそう名付けた。
エリカは今のところ過剰な出血などの異常もないため、病室に移動することになった。
今晩は助産師さんがサクラを預かってくれるそうだ。
エリカの荷物をロッカーに片付けたり、テーブルの上に並べたりしていると、ベッドに横になるエリカが話し始めた。
「つわりはきつかったし、お産も痛すぎるし、今もあちこち痛いし⋯⋯お母さんもこんな思いをして産んでくれたのかな。私はずっとお母さんのことを許せなかった。もちろん今も許してない。私に全部押し付けて、自分だけ逃げて、私のこと大事じゃないの?って思ってた。でもまぁこうやって産んでくれたことには感謝したいかな」
俺は返事の代わりにエリカの手を握った。
エリカは俺の手を握り返してくれた。
約一週間の入院のあと、エリカとサクラは無事に退院することができた。
俺たちはエリカの家に帰って来た。
「おかえりなさいませ⋯⋯」
サルビアが出迎えて入院カバンを持ってくれる。
「ハハッ! 人間の赤子なんて見るのはファンツが転生した時以来だなぁ!」
サフランはまるで俺の親目線だ。
「これがエリカちゃんの子孫⋯⋯欲しい」
ジギタリスは俺たちの隣に浮かびながら言った。
「あんた、うちの子にちょっかい出したらただじゃおかないわよ! 私は今、気が立ってるんだから!」
エリカはジギタリスを指さしながら怒っている。
エリカは出産のダメージや睡眠不足など、色々な要因で疲れている。
退院したとは言え、まだまだ安静が必要だ。
「お前はこんな時までエリカに負担をかけるな。あと、俺!の!子孫でもあるんだからな」
大事なことなので強調しておいた。
ジギタリスは発言こそ危ういものの、もう俺たちに手を出す気がないことは、ここ数年のあいつの行動から分かっている。
しかし、まだ正式に出禁が解かれたわけではない。
いつかサクラに物心がついたら、こいつらとの共同生活をどう説明すればいいのか⋯⋯頭を悩ませる部分ではある。
それでも俺たちはこいつらの力を借りたかった。
結婚するから出て行ってくれなんて軽々しく言えなかった。
エリカやサクラを危険に晒すわけにはいかないし、エリカの持つ強大な力を誰にも渡すわけにはいかないからだ。
それからさらに1ヵ月後、母子ともに経過は順調とのことで、俺たちは車でお祖父さんのもとに向かった。
「あぁ⋯⋯可愛いのぅ。可愛いのぅ」
お祖父さんはサクラを抱きながら何度も言ってくれた。
お祖父さんは徐々に足腰が立たなくなり、今はベッドの上が生活の場になっている。
最初は家を改修し、そのまま可能な限り家で一緒に過ごせたらいいと俺たちは考えていた。
当時、表向きはお祖父さんと俺たち夫婦の三人暮らしだったが、幸い人手⋯⋯悪魔手もある状況ではあった。
でもお祖父さんはエリカには絶対に介護をさせられないと言い、この施設に入居した。
施設の周囲は自然に囲まれて、建物自体もまだ新しい。
お祖父さんはここでの暮らしも悪くないと言ってくれている。
スタッフの人も良くしてくれているようだ。
面会時間が終わり、帰路につく。
チャイルドシートに座るサクラは、まだまだ身体はふにゃふにゃだが、時々俺たちの顔を見て、笑顔を見せるようになってきた。
少ししっかりしてきた顔立ちは、エリカによく似て可愛らしい。
「私、子供を産んでから分かった。どんだけお世話が忙しくても、なかなか手を抜く気にならないわ。むしろひと手間加えたくなっちゃうのよね。悪魔像の身体拭きのお湯に香り付け出したの誰?とか思ってたけど、私だってサクラの身体に何度も保湿剤とか塗ってあげたいと思うもん」
後部座席に座るエリカは、隣にいるサクラの顔を優しい眼差しで見つめている。
「エリカは悪魔像に魅了されなかったんだもんな」
俺は疑問に思っていた。
「そうね。私とお母さんは魅了されなかった。それはストロファンツスがレンに⋯⋯人間に生まれ変わったから⋯⋯じゃないかなと思ってる。もうすぐ会えるっていう予兆だったのかも。なんかその方がロマンチックでしょ?」
エリカは笑いながら言った。
「そうだな。俺もその説がいいと思うな」
俺もエリカに同意した。
「これからますます楽しみ」
「あぁ、幸せになろうな」
愛する人が自分の子供を産んでくれたこと、そして二人を一番側で守る役目を俺に任せてくれること。
男にとってこれ以上幸せなことはあるんだろうか。
俺はそう思った。
この子はエリカの血を引いている。
光の巫女の力が覚醒するかまでは分からない。
もし覚醒したとしても必ず守る。
俺たちにはそれができるはずだ。
【レン&エリカ編 完結】
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