第33話 番外編③ 離れた街で生まれた二人
あれから時は経ち、社会人になった俺は、市役所の仕事にも慣れてきた頃、エリカに正式にプロポーズをした。
ありがたいことにエリカは、喜んでそれを受け入れてくれた。
その後、エリカのお祖父さんにも改めてご挨拶し、祝福してもらえた。
そして、今からエリカは俺の家族に会ってくれることになっている。
俺の実家は、エリカの家から電車を2回乗り換える必要がある。
所要時間は2時間弱だ。
今日のエリカは明るいグレーのワンピースを、俺はスーツをそれぞれ着用している。
親には挨拶の日程を約束する時に初めて、結婚したい人がいると伝えた。
ここ数年間で数えるくらいしか実家に帰っていなかった俺だが、エリカの存在は親にもはっきり話して来なかった。
それは照れがあったのももちろんだが、うっかり自分とエリカの秘密を話してしまうリスクがある事が大きかった。
今日の挨拶でも、もちろん俺たちの秘密を言うつもりはない。
ただ、結婚するから挨拶に行くというだけだ。
俺は四人家族で、父は食品メーカー勤務。母はパートでスーパーのレジ打ちをしていて、妹は俺より二歳下の大学生だ。
エリカは緊張しているんだろうか、道中ずっと静かにしている。
俺の親は緊張しなければいけないような相手ではないが、そうも行かないのだろう。
話は俺から切り出すとして、俺の家族は確実にエリカに話を振るだろう。
無事に終えられる事を願った。
最寄り駅から歩くこと十分、俺の家に到着した。
ごく普通の二階建ての一軒家だ。
エリカに目配せをしてうなづき合ったあと、俺は玄関を開けた。
「ただいま」
「いらっしゃい〜!」
中に入ると、三人が一階のダイニングから出てきた。
この三人に一言目を喋らせるとペースが乱されるので、間髪入れずにエリカを紹介する。
「こちらが、サイジョウ エリカさんだ」
「初めまして、本日はありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします」
エリカは緊張した様子で会釈をした。
「え、超可愛い⋯⋯」
妹のアオイは信じられないものでも見たかのように、自分の目をこすっている。
「幻? そこのお兄ちゃんの彼女さん⋯⋯なんですよね?」
「おい! お前はいきなり失礼なことを言うなよ」
そこからは完全にこの人たちのペースだった。
「エリカちゃん、よく来てくれたわね〜レンがお世話になっております〜! ささ! 上がって上がって。お食事にしましょう!」
母さんはエリカの手を引いて、中に招き入れようとする。
「あの、まだ靴が⋯⋯」
エリカは母さんの勢いに押されて戸惑っている。
脱いだ自分の靴を揃えたいようだ。
「いいから! レンあんたがやってあげなさい」
母さんはそう言い残しエリカをダイニングに連れて行った。
「はぁ⋯⋯」
俺はため息をついた。
何でこんな大事な日までこの人たちは騒がしいのだろうか。
頭を抱えていると、肩に手を置かれた。
「レン、でかした。どんな手を使ったのかは知らないが父さんは誇らしい。じっくり話を聞かせてもらおう」
父さんは小声で言ったあと、俺をダイニングに連行したのだった。
ダイニングに入ると、さっそくエリカは席に座らされていた。
俺とエリカが隣同士で、父さんがお誕生日席に座るようだ。
三人がガチャガチャと準備しているのにいたたまれなくなったのか、エリカは立ち上がった。
「いいから! 座っててよ〜。レン、あんたエリカちゃんが待ってる間、退屈しないように何か話しなさい」
何なんだこの無茶振りは。
「あれが父さんだ、あれが母さんだ、あれが妹のアオイ。エリカの一つ年下だ」
俺は三人を順番に指さしながら言った。
家族紹介の滑り出しは雑になってしまった。
「エリカちゃん、料理人さんなんでしょ〜? 何だか緊張するわね〜美味しいといいんだけど⋯⋯」
母さんはエリカの前に食事を並べた。
「いえいえ、そんな。こんなご馳走をありがとうございます」
エリカはお礼を言いながら、肩を縮めて小さくなって恐縮している。
ふと視線を感じ、母さんを見るとすごい形相で俺を睨んでいた。
「エリカ、そんな遠慮するもんじゃない。それに母さんの料理だってすごく美味しいんだ。これなんかいつも出汁が効いてて⋯⋯」
俺はすぐにエリカの緊張をほぐそうと話しかける。
確認の意味でもう一度ちらっと母さんを見ると、にっこりと笑っていた。
俺は物心ついた時からずっとこの母親にレディファーストを叩き込まれてきた。
エリカが初めて来たこの家で快適に過ごせるように気を配るのは俺の役目だ。
この人たちのいつものペースに飲み込まれるわけにはいかない。
たぶん母さんはそう言いたかったんだろう。
母さんの料理はいつも通り美味しかった。
味が濃くなくて、油っこさもなくて食べやすい。
実家に帰って来たという実感が湧いて、懐かしさと安心感があった。
エリカはというと、母さんの料理をきれいに食べていた。
特に、お吸い物の隠し味に興味を持ったのか母さんに色々聞いて、調味料のパッケージを見せてもらっていた。
食事が終わった後、母さんは事前に準備していたのかアルバムを出してきた。
みんなでリビングのカーペットの上に座り、アルバムを覗き込む。
「可愛い⋯⋯」
エリカは俺が幼稚園児の時の写真を見て呟いた。
写真の中の俺は、嬉しそうに撮影者の父さんを見上げながら笑っていた。
「レンにもこんなに可愛い頃があったのよ〜ほらこっちの遊園地の時は着ぐるみが怖いって泣いててね⋯⋯こっちは海に行ったときで、これも波が怖いって泣いててね⋯⋯」
「ふふっ」
「おい、恥ずかしい話ばっかりやめてくれよ」
こうして俺の歴史がエリカに晒されることになったが、どうにか小学生までで勘弁してもらった。
「さて、そろそろ質問コーナー⋯⋯ということでいいのだろうか」
父さんが切り出してきた。
「はいはい! 告白したのはどちらからですか!」
アオイはさっそく乗って来た。
突然始まったこのコーナー⋯⋯黙秘権はないのか?
「あぁ、俺からだ」
「ひぇー!」
アオイは俺が話した瞬間、大げさに悲鳴を上げた。
「何でそんな嫌そうな声出すんだよ」
「だってあのお兄ちゃんが! ふふふっ」
俺は完全におもちゃにされている。
「はい! エリカさんはお兄ちゃんのどこが気に入ったんですか!」
アオイは今度はエリカに質問した。
エリカは少し顔を赤くしてうつむいている。
これは助け舟を出したほうがいいやつなのだろうか?
でも俺も聞きたい。
「優しくて、男らしいところです⋯⋯」
エリカは控えめに言った。
これは可愛すぎる⋯⋯
「男らしいとは具体的にどういうことなのだろうか?」
父さんが深掘りしようとする。
「そこはもういいだろう!」
俺も口ではそう言いつつ、やはりエリカの口から聞いてみたい気がする。
「⋯⋯以前、私が怪しい人に絡まれそうになっていた時に、すぐに後ろに庇って守ってくれました。他にも、私が困っていたら走って助けに来てくれたり、変な人を追い払ってくれたりしました」
状況はぼかしているが、主にサフランの時とヤマカワの時のことだろうか。
悪魔やら妖怪の話は出来ないからサフランは変質者設定なのだろう。
「お兄ちゃん、いいところあるじゃん」
アオイは意外にも茶化さなかった。
「そうか、お前も立派な男になったんだな⋯⋯」
父さんは遠い目をしている。
「レンがエリカちゃんを守ったのね。レンは心配性だし、臆病だし、かといえば意外と無鉄砲なところもあるし、気は利かないし⋯⋯でも、親が言うのもなんだけど、本当に優しくて正義感も強い、いい子だと思ってます」
母さんも褒めてくれた。
騒がしかった室内が一時静寂に包まれる。
このタイミングでエリカは話し出した。
「私の家族は今は祖父だけです。両親は健在のようですが、一度も会ったことがありません。それに、家業の都合で学歴は中卒です。モリミヤ家の皆さんにこのような生い立ちの方はいらっしゃらないとレンさんからお聞きしました。本来は、私ではレンさんとは釣り合わないかもしれません。もしかしたら私の生い立ちのことで皆さんもご不安に思われたり、何かご迷惑をおかけしたりすることもあるかもしれません。ですが、レンさんへの思いは絶対に誰にも負けないつもりです。ご迷惑をおかけしないように精一杯努めます。これからは私がレンさんのこと幸せにできるよう努力いたします。どうかレンさんとの結婚をお許しいただけないでしょうか」
エリカは深く頭を下げた。
「エリカ、そんな。大丈夫だから」
俺はエリカの両肩に手を置いた。
事前にエリカとしていた打ち合わせでは、結婚の挨拶は俺から切り出すことになっていた。
しかし、俺と結婚するにあたって、エリカは自分の生い立ちや学歴のことを特に気にしていて、その部分だけは自分の口から俺の家族に説明したいと、言ってくれていた。
「エリカちゃん、レンを選んでくれてありがとうね」
母さんはエリカの肩に手を置いた。
「言い辛いこと言わせちゃったわね。でも私たちはそういうの全く関係ないと思ってるから。二人が幸せならそれでいいのよ。結婚ってそういうものだから」
母さんの言葉にエリカは涙を流し、何度もうなづいていた。
「あと、レン! あんた、こんな大事なことをエリカちゃんに言わせて。泣かせたわね! どういうつもり!」
母さんは怒り出した。
エリカは母さんを止めようとする。
「エリカ、本当に申し訳ない。俺がなかなか切り出さないから、エリカに全部言わせてしまった」
俺はエリカに向き直って頭を下げた。
「いや、私が勝手に全部話しちゃった。ごめんなさい」
それぞれの謝り合いが続いた後、俺は三人の方に向き直った。
「俺が必ずエリカを幸せにします。これからは夫婦共々よろしくお願いします」
俺は三人に頭を下げた。
しばらくして顔を上げたら、みんな優しい表情をして頷いてくれていた。
こうして俺たち二人の結婚は無事に双方の家族公認のものとなった。
エリカはゲームが得意だと俺が言うと、アオイはテレビゲームを引っ張り出してきた。
それから何回か三人でレースゲームをやった。
「ねぇ、エリカちゃんて呼んでいい?」
「はい」
「もう、タメ口で話そ?」
「じゃあ⋯⋯うん」
「やったー!」
アオイもエリカに懐いたようだ。
挨拶を終えた俺たちは実家を出て、駅までの道を並んで歩いた。
エリカが俺の育った街を見たいと言ってくれたので、少し遠回りコースだ。
目の前に俺が通っていた小学校が見えてきた。
「レンはここに通ってたの?」
「あぁ、俺の時はあっちの校舎はまだなかったけどな」
エリカは校庭を見つめている。
休日だから学童の子どもたちだろうか。
見守りの大人と一緒にボール遊びをしている。
「レンのご家族、すごくいい人たちだったね。どうしてレンがこんなに優しいのか分かった気がする」
エリカに家族を褒められると、なんだかくすぐったい気分だが嬉しかった。
「エリカのお祖父さんもすごくいい人だ。エリカがなんでこんなに優しいか分かる」
俺はそう返した。
しばらく沈黙が続いた後⋯⋯
「こんなに遠く離れた街で生まれたレンが私を見つけに来てくれたなんて奇跡ね。ありがとう」
エリカは俺の手を握った。
「ここまで来るとやっぱり運命かもな。これから先も何度でも見つけに行くから」
俺もエリカの手を握り返しながら言った。
「産卵シーンは覗かないでよね」
エリカはいたずらっ子のように笑っている。
「当たり前だ。他のオスに取られるところなんて、見てられるわけないだろう」
俺も笑いながら答えた。
品のない奇妙な会話だが、俺たちにとってはこれが最上級の愛の言葉だった。
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