第29話 ストロファンツス 前編

※ ※ ※


 レンは妖怪の攻撃から私を庇い、代わりに呪われてしまった。


 布団に寝かされているレンは、意識を失っている。

 心臓や肺は動いているけど、周期的に激しい痛みが来るのか、苦しそうにうなされている。

 私の結界で回復を試みるも、手応えは感じなかった。


「ねぇ! 何か助ける方法はないの?」


 私はサルビアとサフランに助けを求めた。


「ご存命の頃、ファンツス様は呪いの特効薬を調合できました。当時のファンツス様にとっても、呪いの能力者は天敵でしたので、熱心に研究しておられました⋯⋯」

「サルビアは作り方を知らないの?」

「はい。残念なことに⋯⋯」


 そんな⋯⋯

 屋敷のどこかにメモは残されていないのかな。

 レンの意識が一時的にでも戻れば、聞き出せるのかな⋯⋯


「ならば過去に戻ればいいではないか」


 サフランがさも当たり前のことのように言う。


「そんなことできるの?」

「これを使えばいい」


 サフランがどこからか取り出してきたのは、地球儀の周りを時計の文字盤がぐるっと囲っているような不思議な形の球体だ。

 過去のストロファンツスに助けを求める⋯⋯

 そんなことは果たして上手く行くんだろうか。


「過去に戻ったら制限時間は24時間だ。過去のファンツに薬を作らせ、持ち帰ること。それがエリカの役目だ」


 サフランが説明してくれるけど、私は戸惑う。


「え? 二人は来てくれないの? 悪魔の世界のことを何も知らないのに、私一人でできるわけ⋯⋯」


「私たちが行けば、過去の自分と遭遇してしまうではないか。行くのはエリカだけだ」


 そんな⋯⋯

 今まで聞いた話だと、悪魔の世界は危険で溢れている。

 知識も何もない私がいきなり行っても、生き残れるとは到底思えない。

 たった今、私の力では退けられない脅威があることを知ったばかりだ。

 でも、レンを助けるためには私が行ってくるしかない⋯⋯


「わかった。悩んでる時間もないわよね。行ってくる」


 私は覚悟を決めた。


「お嬢様⋯⋯決して私やファンツス様の目を見てはいけません。過去の我々が、あなたがファンツス様を救いに来たことを理解できる可能性は極めて低いです。我々との交渉では、あなたが優位に立つ必要があります。繰り返しますが、決して我々に魅了されないよう、ご注意ください⋯⋯」


 サルビアは続ける。


「あと、ファンツス様の指輪はここにありますね? それを身につけて行ってください。交渉の成功確率が格段に上がるかと⋯⋯」


 指輪はある。悪魔像の側に供えられていた。

 台座の部分が大きくて平坦なシグネットリング。

 中央にはペリドットが埋め込まれていて、宝石の周りには、植物のツルのような紋章が刻印されている。

 私はそれを落とさないように人差し指にはめた。


「頼んだぞ、エリカ」


 サフランの声が聞こえるのと同時に、目の前が真っ暗になった。




 飛ばされた先は、薄暗い場所だった。

 徐々に目が慣れてくると、左右に牢屋がずらりと並んでいる通路に、自分が立っていることがわかった。

 見える範囲の牢屋の中には誰も囚われていないみたいだ。


 右も左も同じような景色が続いている。

 どちらに行けばいいのか分からない。


 でも、さっきから耳がおかしい。

 きっとサルビアが近くにいる。


 静かに耳を澄ませていると、遠くから誰かの話し声が聞こえてきた。

 私は声のする方に向かうことにした。



 姿勢を低くし、音を立てないようにゆっくりと近づく。

 壁に背を当てそっと覗き込むと、一つの牢屋の中で男たちが話をしていた。



 ⋯⋯いた。


 一人はサルビア、一人は知らない男の悪魔、そしてサルビアの隣にいるのが⋯⋯


 この指輪の宝石のように、黄緑がかった金色の長髪。

 透き通るような白い肌。

 息を呑むほど美しく、儚げな横顔⋯⋯

 あれがストロファンツス⋯⋯レンの前世の姿だ。

 白くて長いマントを羽織っている。

 マントの両肩部分には金色の装飾がついている。




「あぁ⋯⋯サルビア様、どうかお許しください。お願いですから、もう一度だけあなたに触れさせてください⋯⋯」

 

 男の悪魔が顔をぐしゃぐしゃにしながら泣いている。

 男は両膝をついた状態で両手を拘束され、壁に繋がれている。

 その手を必死にサルビアの方に伸ばそうとしながら、サルビアに触れたいと懇願している。

 まるで命乞いでもするかのように切実に。


「許可できませんね。誰の命令でファンツス様のお命を狙ったのか、まずは説明して頂かないと⋯⋯」


 サルビアは男の側にしゃがみ、その瞳を覗き込みながら冷たい声で言う。

 男はサルビアが近づくだけでうっとりとした表情を浮かべ、その声を聞くと顔を赤くし、身をよじった。


「どうか、そのまま触れては頂けませんか? 話しますから⋯⋯話しますから⋯⋯」



 ⋯⋯⋯⋯何あれ?

 あれがサルビアの力?

 想像以上だ。

 あんな状態にされてしまえば、まともに会話できるわけがない。

 普段は手加減してくれていたのかな。

 それとも、ストロファンツスがサルビアの力を増幅させているのかな。


 いつも一緒にいるレンとサルビアのこと、よく知った気になっていた。

 私は二人に対して初めて恐怖心を抱いた。



「うっ」

 

 目の前の恐ろしい光景に、思わず声が漏れそうになり、慌てて自分の口を両手で塞ぐ。

 サルビアの目を見てしまったからか、めまいと頭痛がする。

 目線は合っていないはず。

 こんなに遠くから、しかも斜め後ろから見ていただけなのに。


「壊さないようにな」

「はい。心得ております⋯⋯」


 ストロファンツスはサルビアに一言指示をし、歩き出した。


 どうしよう。このままだと見つかる。

 離れないと。でも身体は石みたいに固まって動かない。


 足音が段々こちらに近づいて来る。


 サルビアの能力のせいで、耳がおかしい。

 耳の奥まで狂ったみたい。

 平衡感覚がなくなっていく。

 目がぐるぐる回って吐きそう⋯⋯


 私はそのまま意識を失った――

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