第30話 ストロファンツス 後編

 気がつくと、私はベッドの上に寝かされていた。

 どこかの王様が使うんじゃないかっていうくらい広いベッドだ。


 直ぐ側に気配を感じ、そっと視線を動かすと⋯⋯

 まずい⋯⋯⋯⋯いる。


 ストロファンツスが私の手を持ち上げながら指輪を触っている。

 じっくりと観察しているんだ。


 サルビアはこの指輪が切り札のようなことを言っていた。

 お願い。助けて⋯⋯



「目が覚めたのか」


 ストロファンツスの声だ。


 どうしよう。

 まずは、目を見ないようにしないと。

 上手く全部説明しないと⋯⋯


「あなたの来世が呪われています。サルビアとサフランの協力を得て、会いに来ました。あなたの作る薬が欲しいです」 


 怖い。震えが止まらない。

 それでも何とか声を絞り出した。


「ほう」


 顔を覗き込まれるが必死に目をそらす。

 あと、なぜか指輪も見られているみたい。


「名前は」


 ストロファンツスに問われる。


「エリカです」

「そうか、エリカか。私の指輪だが随分と年季が入っている。これを君が持っているということは、君が未来から来たのは間違いなさそうだ」


 ストロファンツスの指をそっと盗み見る。

 私と同じ指輪をしている。

 でも、私の指輪と比べると、リングの部分が輝いている。

 元々はあんなにきれいな金色だったんだ。


「それに、この指輪は使用者が嘘をつくと宝石の色が濁る。それが君の言うことが正しいことを裏付けている」 


 この指輪にそんな力があったなんて。

 だからサルビアはこれが使えると考えたんだ。

 


 それからストロファンツスは私の言葉を信じて、レンの呪いを解く薬を調合してくれた。

 

 ストロファンツスは、私がいる世界の状況が気になるようで、色々と質問してきた。


「私の来世はレンと言うのか。人間なんだな」


「はい。途中、他にも色々と転生してたみたいですけど⋯⋯」


「そうか。エリカとレンの時代は平和か?」


「個人同士の争いもありますし、もっと大規模な争いもあります。例えば⋯⋯」


 私は自分の世界の現状をいくつか例に挙げて話した。

 

「⋯⋯そうか。悪魔の世界は、誰が強いか、誰を従えるか⋯⋯そんなことばかりだ。私は平和が好きだ。血が流れるのは望まない。皆が平和に生きるためには全てを従え、統一するしかないのかもしれない。しかし、結局のところは世界を統一するためにも争いが避けられない。私の正義を貫き通すために犠牲が必要ならば、それは正義とは言えない⋯⋯」


 ストロファンツスは静かに語った。


「エリカは私と同じ力を持っているんだな」


「はい。私の先祖があなたに授けて頂いたと聞いています。この力を狙って来る悪魔や妖怪がいるので、そういう意味でも、私の周りは平和ではないかもしれません。レンやサルビアたちが守ってくれなければ、今ごろ力は奪われていました」


「⋯⋯⋯⋯そうか。私の周囲も、この力を欲する者たちであふれ返っている。彼らは私が隙を見せるのを、今か今かと狙っている。私は、この力は平和を守るためにあると考えている。弱き者を守り、傷ついた者を癒し、弱き者が悪しき者に立ち向かう力を与える⋯⋯しかし、悪しき者の手に渡れば取り返しがつかない地獄が訪れる。力は正義でもあり、悪でもある。どうすれば争いはなくなるのだろうな」


 ストロファンツスの言葉は、私の心に静かに響いた。


 平和を強く願うストロファンツスが、継承前の完全な状態のこの力をもってしても、その願いを叶えられずにいる。

 じゃあ、人間である私はこの力をいったいどう扱うべきなのか⋯⋯そう問いかけられているように感じた。



 その後、サルビアが合流し、私たちに紅茶を淹れてくれた。

 カップからは爽やかな柑橘系の香りが漂ってくる。

 紅茶が出てきたのに現れないという事は、おそらくサフランは不在なんだろう。


 これ、飲んでも安全なのかな?

 さっきの悪魔は大丈夫だろうか。

 ⋯⋯思い出したら気分が悪くなるから忘れよう。


 ストロファンツスは落ち着いた様子で紅茶を飲んでいる⋯⋯

 よし。喉の渇きが限界だった私は思い切って一気に飲み干した。


「ふっ、お転婆な娘のようですね⋯⋯」

 

 サルビアが笑っている。

 つい、いつもの調子で顔を見て何か言ってしまいそうになるけど、俯いて耐えた。



 それからサルビアが、ストロファンツスとの出会いについて語ってくれた。

 昔、サルビアが重傷を負い、動けなくなっていたところをストロファンツスに助けられて以来、恩を返すために自ら強引に仕えているとのこと。 


 ストロファンツスはサルビアの能力を気に入っていて、彼の能力があれば、血を流さずに世界を統一できるのではないかと考えているそうだ。

 ただ、サルビアの能力にも弱点が存在するため、結果と過程の両方を重視するストロファンツスの理想を叶えるのは、容易ではないとのことだった。



 ストロファンツスは自分の命と引き換えに私の先祖を助けてくれた。

 その時に光の巫女の力を授けられた。

 それから私たちは契約を守るために一日中、悪魔像に尽くして来た。

 でも、目の前のストロファンツスは、自分が命の恩人だからといって、他人を縛り付けて従えるような悪魔には見えなかった。



 それからも、私が覚醒した時の状況やレンの暮らしぶりなど、質問されたことに答えていった。

 



 夜、あっと言う間に元いた世界に帰る時間が近づいてきた。

 後はその時が来れば自動的に帰れるはず。


 私は、ストロファンツスと最後のお別れをするために、二人きりで話をしていた。

 


「あの⋯⋯ありがとうございました。私のことを信じてくれて。最初は怖い悪魔かと思ってました。いい悪魔なんですね」


「感謝するのはこちらの方だ。レンのことを頼んだぞ」


 ストロファンツスは私の頭を撫でながら言った。


「それにしても、エリカはこの後すぐにレンに会えるのだろう? だが私は数百年もエリカに会えないなんて、心が痛むな」


 少し辛そうな声が聞こえ、そっと抱きしめられる。


「最後に顔をよく見せてくれないか?」


 そのままの体勢で顔を覗き込もうとしてくる。

 近い。危ない。私はすぐに目を逸らした。



「はぁ⋯⋯なんだか切ないな。⋯⋯っ⋯⋯っ」


 ⋯⋯え?

 ストロファンツスが泣き出した。

 ひどく傷ついたような声だった。

 この悪魔が芯の強さと繊細さを持ち合わせているというのは、話をしていてなんとなく分かった。

 そんな彼の目には、まるで私が彼を信用していないように映ったのかもしれない。

 でも、だからって泣くことないじゃない⋯⋯



「あの⋯⋯ごめんなさい。そんなつもりじゃ⋯⋯」


 私は彼の顔を見ながら謝った。

 でも、彼は泣いてなどいなかった。

 そして⋯⋯⋯⋯目が合ってしまった。

 

「ふっ。だまされた⋯⋯」


 ストロファンツスは囁いた。


「⋯⋯はぁ?」


 こいつはただのいい人じゃなかった。

 やはりその正体は悪魔だった。



 彼の灰色の瞳はまるで星屑を散りばめたように輝いて見える。

 なんてきれいなんだろう。

 瞳の奥はどこまでも深い黒⋯⋯



 まるで吸い寄せられるように、その瞳を夢中になって見つめている内に、気づいたらベッドに押し倒されていた。

 ストロファンツスが私を見下ろしている。

 妖艶な笑みを浮かべて。

 

 金色のきれいな髪がさらりと垂れてきて、私の顔を撫でる。


「さて、これからどうしようか?」

 

 ストロファンツスが優しい声で聞いてくる。


「いやいや、何もしません!」


 そう答えたものの、実際は、身体が急速に火照ってきて、苦しいくらいに鼓動が速くなっている。

 目の前の美しい悪魔に触れたくて、思わず手を伸ばしてしまいそうになる。


「それは、なぜ? どうして?」


 そっと頬を撫でられる。

 白くて細長い指で、優しく⋯⋯

 たったそれだけのことなのに、身体が小さくはねる。

  

「なっ⋯⋯私にはレンがいますから! おかしな力を使ったって、あなたの好きにはさせませんから!」


 私はストロファンツスの顔を指さしながら言った。


「そうか、おかしな力か⋯⋯でも、それは理由にならないな。レンは私の未来の姿、私はレンの過去の姿だ。私の魂と記憶がレンに引き継がれているんだ。レンと君が恋人同士なら、私と君も恋人同士ということになるだろ?」


 ストロファンツスは少しからかうようにクスクスと笑った。

 愛おしそうな目で見つめられながら、髪を撫でられると、自分がまるでこの悪魔の宝物であるかのような錯覚を起こす。


「それともまだレンとは結ばれていないから、遠慮しているとでも言うのか?」

「教えません! 知りません!」

「嘘をついた。指輪の色が濁った」

「ちょっと! 見ないでよ!」


 そんな風にじゃれ合っていると、ストロファンツスが甘く囁いた。


「悪魔だった頃のレンがどんなふうに君を抱くのか⋯⋯本当に興味はないのか? これが最後のチャンスなんだぞ?」


 耳元で囁かれると、脳に直接語りかけられているような、心をくすぐられているような不思議な感覚がした。

 文字通り、悪魔の囁きだった。


 微笑むストロファンツスからレンの面影を感じる。

 姿形は違うけど、私を見つめる温かい眼差しも、優しい声もレンと同じだった。


「⋯⋯いやです」

「また嘘をついた」


 そのまましばらく見つめ合う。

 そして⋯⋯優しいキスが降ってきた。


 悪魔だった頃のレンがどんなふうに私を抱くのか⋯⋯

 痛いことや怖いことは何もなかった。

 

 静かで優しい夜だった。

 





 現世に帰ってきた私は、横たわるレンの上体を抱え起こし、薬を飲ませた。

 すぐに薬は効き始めたようで、レンの表情は穏やかになった。


「ハハッ! エリカ、お手柄だ! 気を失った時はもう駄目かと思ったぞ!」


 サフランは私の頭を撫でてくれた。


「お嬢様のご活躍により、我が主は救われました⋯⋯心より感謝申し上げます⋯⋯」


 サルビアはひざまずき、私の手の甲にキスをした。


「てか、昔のあんたはどうなってんの? エグすぎでしょ!」


 私はサルビアを指さした。


「しかしあの悪魔はファンツス様のお命を狙った不届き者。本来であれば万死に値するかと⋯⋯ファンツス様の慈悲深さに感謝すべきでしょう⋯⋯」


 確かに本来ならああいう場面では、身体を痛めつけるやり方をするんだろう。

 けど、血が流れるのを嫌うストロファンツスは、代わりにサルビアの力を使ったんだ。



「⋯⋯⋯⋯って、ちょっと待って? あんたたち、まるで全部見ていたように言うじゃない」


「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」


「生前のファンツス様の神々しいお姿⋯⋯しかとこの目に焼き付けることができました。眼福の極みでした⋯⋯」


 サルビアは目を輝かせ、まるで夢を見ているようだ。

 いつも冷静で、他人の心を操る側のサルビアが、こんなにも心酔しているなんて。

 きっとサルビアも本当はストロファンツスに会いたかったはずだ。

 

 それに、サフランだってストロファンツスの転生先をずっと追って来たくらいだから、会いたかったんだろう。



「⋯⋯⋯⋯じゃなくて! その⋯⋯見てたの⋯⋯?」



「ハッハッハッ!」


 レンの側に座っているサフランは腕を組み、目を閉じながら思い出し笑いを始めた。


「以前にも申し上げましたように、私は主のプライベートを覗くことは致しません⋯⋯それに私は⋯⋯何度もご忠告申し上げましたので⋯⋯」


 サルビアは片手をおでこに当てて、やれやれとでも言いたげだ。


「じゃあやっぱり、途中まではのぞいてたわけ!? 変態なの? 薬はちゃんと貰えたんだからいいでしょ! あれは不可抗力よ!」


 私は必死に言い訳したのだった。



※ ※ ※



 呪いを解いてもらった俺は無事に意識を取り戻した。

 もうどこも痛くないし、身体も自由に動くようになった。

 そして、気がついたらエリカはさんざん二人にからかわれていた。


 何が起きたのかは俺にも分かった。

 目が覚めた瞬間、頭の中に再び悪魔の記憶が流れ込んできたからだ。


 エリカが過去に戻ったことで、未来が大きく変化することはなかったようだ。

 どうやらサフランは、エリカが影響を与えられる範囲をあらかじめ設定してから、魔道具を起動したらしい。 


 エリカは俺を呪いから救うために、たった一人で悪魔の世界に飛び込み、前世の俺に会いに来てくれた。


 恐怖に震えながらも、必死に俺を助けようとしてくれているエリカの姿が、ストロファンツスの目を通して見えた。

 来世の自分のために危険に飛び込んできたエリカのことが、愛おしくなったのを覚えている。


 ちなみにエリカやサルビアはストロファンツスが魅了を使ったと思っているようだが、そんな事実はなくて⋯⋯これはエリカのためにも今は黙っておこう。


 

「レン⋯⋯その⋯⋯」


 エリカは照れたような顔をして、何かを言いたげにしている。


「エリカ、泣かせて悪かったな。怖かったよな。助けてくれてありがとうな」


 俺が両手を広げるとエリカが胸に飛び込んできた。

 その華奢な身体をしっかりと抱きしめる。

 こんなに小さくて、か弱い身体で頑張ってくれたんだな。


「レンが命がけで守ってくれたから。私はお返ししただけだから」


 エリカは照れくさそうにしている。


 そんなエリカを愛おしく思うと同時に、ふと、いたずら心が湧いてくる。


「忘れない内に比べてみるか?」


 わざとエリカの耳元で言った。


「はぁ? なに? あんたまで私をからかうわけ? 誰のせいだと思ってんのよ、この悪魔!」


 エリカは顔を真っ赤にして怒っていた。

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