第24話 他人には見せない顔

 俺たちは今、俺が一人暮らしをしていたアパートにいる。


 エリカと真剣交際を始めるにあたり、俺はエリカのお祖父さんにご挨拶をした。

 するとお祖父さんは、もう正式にこの家に住めば良いと言ってくれた。

 そして俺はこのアパートを引き払うことにした。

 そうすれば親の仕送りもいらなくなるし、お祖父さんに納めるお金も増える。

 まぁお祖父さんは形だけ受け取るだけで、使わずに取ってあると言ってくれていたけど⋯⋯  


 親には当然、悪魔云々の話はできないので、神社で住み込みでバイトをすると伝えた。


 いつかは俺の家族のことも、エリカやお祖父さんに紹介したいとは考えている。


 

 今はこのアパートから荷物を引き上げるための梱包作業を、エリカが手伝ってくれているというわけだ。


「これ本当に全部売っちゃうの?」


 エリカは本棚の本をダンボールに詰めながら言った。

 今エリカが詰めてくれている本は、古本屋さんの宅配買取サービスを利用して、手間をかけずに手放すつもりでいる。


「あぁ。読み返しそうな本は分けてあるから大丈夫だ。エリカが気になる本があれば、持っていっていいぞ」


 俺は、捨てるキッチン用品やら洗面道具なんかを選定しながら答えた。

 あっちの家にあるものは荷物になるから、こちらで処分して行きたい所だ。

 まぁそんなに物は多くないから時間はかからないだろう。


 エリカは真剣な表情で本を手に取り、タイトルを見たり中身をペラペラめくったりし始めた。

 

 そして、急にとんでもないことを言い出した。


「ねぇ、エッチな本はないの?」


 ⋯⋯いきなり何を言ってるんだ?


「読みたいのか?」


 俺は恐る恐る聞いてみた。


「は? そんなわけないでしょ?」


 エリカは答えた。

 ん?じゃあどういう意味だ?

 好きな本をあげるという話だったはずだが。

 俺がしばらく固まっていると⋯⋯⋯⋯


「違うわよ! 本棚の中身を私が触ってる時に、うっかり出て来たら困るでしょ!? だからあらかじめ大丈夫か聞いてあげてんのよ!」


 エリカは顔を真っ赤にして怒っている。


「あぁ、それなら大丈夫だ。そんなものはないし、あったとしてもエリカの目に触れる場所に置くはずがない」


 どうやら会話のやりとりに誤解があったようだ。


「もう!」


 エリカはぶつくさと言いながらも作業を続けてくれている。



 あぁ、焦った。

 二人きりで部屋にいると、ただでさえ心臓に悪い。

 俺たちが恋人同士になってから、それなりに時間が経った。

 そろそろ次に進みたい男心が湧き上がってくる。 


 しかし、エリカにとってロマンチックで特別な時間を演出できる自信が俺にはない。

 世の中の男たちはどうやってこの危機を乗り越えたのだろうか。


 ちらっとエリカを盗み見る。

 作業する横顔はまだ赤い。


 それに、そもそもエリカは関係を進めることを望んでいるのだろうか?

 女の子の中には、そういうのは結婚してからとか社会人になってからとか、色々な考えがあると聞く。

 それにエリカは子孫を残すことに人一倍悩まされていたんだ。

 もちろんエリカの考えを尊重するつもりだ。


 俺は一人で焦っているのかもしれない。

 雑念を捨てて作業に集中しようとするが⋯⋯



 梱包作業が一段落したので、ジュースでも飲みながら少し休憩しようということになった。


「オレンジかグレープ、どっちがいい?」


 冷蔵庫を覗きながらエリカに聞いた。


「オレンジがいい!」


 俺はオレンジジュースのペットボトルのキャップを開けて、二つのコップに注いだ。


 エリカはさっきの本棚から気になるタイトルの小説を見つけたようで、壁にもたれながらそれを読み始めた。


 俺はスマホを見ながらぼーっとしていた。


 しばらくすると、エリカが息を呑んだのが分かった。

 何かストーリーに展開があったんだろう。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯っ」


 エリカから声にならない声が聞こえてくる。


 どこの場面でそんな反応をしているのか気になった俺は、エリカの顔の横から本を覗き込んだ。

 するとそれは、少し描写が詳しめな男女の営みのシーンだった。


「エッチな本はないって言ったじゃない⋯⋯」


 エリカは真っ赤になった顔を、抱えた膝に伏せた。

 おいおいおいおい。

 何だその可愛いリアクションは。

 本当に勘弁してほしい。


「いや、これくらいならどんな小説でも出てくるだろ? 親密さが変化したことを表していたり、登場人物の他人には見せない顔が分かりやすかったりするだろ?」


 俺はあくまでも本屋の店員目線で解説する。

 それでもエリカの顔は茹で上がっている。

 想像以上に初心なのか?

 そう思っていたら追撃が来た。


「じゃあ、レンの他人には見せない顔もわかるの?」


 エリカは伏せた顔を少しだけ上げてこちらを見ていた。

 俺を見つめる瞳は潤んでいる。

 これは反則だ。


「おい。それは誘っていると捉えていいのか?」


 ⋯⋯⋯⋯これはまずい。

 頼むからいつもみたいに、変態なの?で叱り飛ばしてくれ。


「⋯⋯⋯⋯うん。知りたい」


 エリカの声が聞こえた瞬間、俺はエリカの唇を塞いでいた。

 ほとんど噛みつくようだった。

 エリカを壁に追い詰め、逃げられないようにした。


 ロマンチック?特別な時間?

 そんなのどうでもいい。

 俺は今、エリカが欲しい。

 エリカも今、俺が欲しい。

 じゃあそれ以上、何が必要なんだ?


 俺の与える熱にエリカが反応する。

 エリカの初めて聞く声に、初めて見る表情に、俺は自分を抑えきれなくなっていった。



 その後、エリカは俺の"他人には見せない顔"のことを変態だの悪魔だの散々罵った後、疲れたのかそのまま眠ってしまった。

 エリカの"他人には見せない顔"を知ることができた俺は、この特等席にそのまま横になりながら、穏やかな寝顔を眺めていた。

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