第21話 普通の女の子
※ ※ ※
酔って一人で帰れないと言うヤマカワと私は、無事にヤマカワのマンションに着いた。
確かにお好み焼き屋さんから近くて、10分もかからなかった。
一階にはコンビニがあった。
階段を上り、外廊下に出ると目的の部屋はすぐそこだった。
ヤマカワは自分で玄関の鍵を取り出して、開けることができた。
何事も無くて良かった。
「じゃあ、私はここで⋯⋯」
無事に送り届けることが出来たので、立ち去ろうとした。
「上がって行きなよ」
なぜか腕を掴まれる。
「え? もう大丈夫そうなら上がる必要ありませんから」
「じゃあ、しんどいから水飲ませてくれない?」
じゃあって⋯⋯
戸惑っているとヤマカワは口を押さえ始めた。
私はヤマカワの背中を擦りながら急いで部屋に入った。
「水です」
冷蔵庫を勝手に開けて、水のペットボトルを取り出して、ベッドに腰かけているヤマカワに渡した。
ヤマカワはペットボトルの蓋を開けると、喉を鳴らしながら飲んだ。
「じゃあ今度こそ失礼します。お大事に」
部屋を出ようとしたらまた腕を掴まれた。
「ここまで来といて帰るつもり?」
⋯⋯意味が分からない。
「思わせぶりなことして、俺を弄んでるの? それとも本当に初心なんだ?」
ヤマカワは私のことを嬉しそうに見上げている。
どういうこと?体調が悪かったんじゃないの?
「教えてあげるよ。普通は女の子がこんな時間に男の部屋に一人でついて来るってことはね、男女の関係になりたいって言ってるのと同じことなんだよ」
ヤマカワの言葉を私は理解できていないようだ。
体調が悪いから送ってくれって、他の二人には頼めないからって、戻しそうだって言って連れて来たくせに。
なんでそんなことになるの?
私はどうしたらよかったんだろうか。
きっと⋯⋯この男の言葉を字面通りに受け止めずに、裏にあった何かを読み取らなければいけなかったんだ。
普通の女の子ならそれができたのかな。
この男が何と言おうと、関係ない、知らないとか言って逃げられたんだろうか。
きっともっと⋯⋯角が立たない段階で上手くかわしたのかもしれない。
私がまだ"普通の女の子"に到達できていないと突きつけられた気分だ。
「俺は嬉しかったよ、君がついて来てくれたこと。君はこれだけ俺に期待させといて、責任を取らずに帰っちゃうのかな? それってすっごく悪いことだと思うんだけど」
ヤマカワは私に罪悪感を植え付けようとしてくる。
私はこの男の言う責任を果たさないとこの部屋を出られないのだろうか。
泣いて暴れたら出してもらえるだろうか。
私の結界はこの男にも効くんだろうか。
でも人に見せたら駄目なんだよね。
「まぁじゃあ、合意ありってことで。それだけは後で騒がないでよね。巫女さんてどんな感じなんだろうな⋯⋯楽しみ」
幸か不幸か、彼氏がいない私はこの状況を受け入れる選択肢もある。
普通の女の子をたくさん知ってそうなこの男に全て任せれば、私も普通の女の子になれるんだろうか。
でもすごく嫌だな⋯⋯
ヤマカワに掴まれている腕から全身に寒気が広がる。
獣みたいな目で私を見上げているこの男から、走って逃げきれるかな⋯⋯
⋯⋯あぁ、何でレンの顔を思い出すんだろう。
※ ※ ※
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯」
俺は、ニット帽の男から聞き出した場所に着いた。
ずっと走り続けているから息が切れるが、それでも俺は急がなくてはいけない。
外から建物を見る。
ニ階の階段から一番近い部屋⋯⋯あそこだ。
俺は階段を駆け上った。
目的の部屋のドアノブを回すと⋯⋯開いている
勢いよくドアを開けると中には⋯⋯
ベッドに座る男に腕を掴まれているエリカがいた。
「エリカ!」
「レン!」
俺を呼ぶエリカは助けてって言ってるように見えた。
絶対に合意なんかない。
俺は土足でズカズカと部屋に入って、男の腕を掴んだ。
「何だよ、誰お前?」
男は不機嫌そうに言う。
「エリカを迎えに来ました。具合が悪いそうですね。何かお手伝いしましょうか?」
「⋯⋯⋯⋯」
「では、お大事に」
男にそう告げ、エリカの腕を引いて部屋を出た。
本当は殴ってやりたいくらいだが、そんなことをしたらエリカが傷つく。
これで穏便に済んだはずだ⋯⋯たぶん⋯⋯
気づいたら、エリカの手を引いて隣の公園まで帰って来ていた。
エリカはずっと黙ったままだった。
まずい。頭に血が上っていた俺はエリカに何のフォローもしていなかった。
「その⋯⋯エリカ⋯⋯」
「ごめんなさい!」
エリカは勢いよく頭を下げた。
「へ?」
エリカが謝る場面だったか?
俺は間抜けな声が出た。
「私、レンが助けに来てくれなかったら、たぶんあのまま取り返しがつかない事になってた。本当にありがとう。レンは心配してくれてたのに、自分で危ない行動をとっちゃってごめんなさい」
「いや、間に合って良かった。いや⋯⋯間に合ってなかったよな。怖かったよな」
「私、何も分かってなかった。あいつに言われて気づいた。普通の女の子は何言われたってあの場所に行かない。その気がないならもっと早く逃げなきゃいけなかったって。何か怖くなっちゃった。年相応に行動できない自分が」
エリカは俯いている。
どんな表情をしているのか見えない。
俺はエリカの両肩に手を置いて、顔を覗き込んだ。
エリカは肩に力が入ったようだった。
あんなことがあった直後に触ったのは、無神経だったか。
そう思ったがすぐに力が抜けた。
俯いているエリカの表情は強張っていた。
「優しいのはエリカの良いところだろ? 確かにそういう暗黙のルールはあるかもしれない。でも、エリカの優しさにつけ込んだあいつが悪いんだ」
俺がそう言うとエリカは静かに泣き出した。
そして俺に抱きついてきた。
その華奢な身体は冷たくて、震えていた。
ずっと我慢してたんだな。
「ごめんな⋯⋯怖かったな。ごめんな⋯⋯」
エリカの涙を見て、俺の胸はえぐられたように痛んだ。
この痛みに耐えられなかった俺は、エリカの身体で胸の傷を塞ぐように、強く抱きしめた。
しばらく抱き合った後、公園のベンチに並んで座る。
もう肌寒い季節。
夜の空気は澄んでいる。
そんな気分じゃないが、星もよく見えた。
エリカは泣きつかれたのか何も話さなかった。
「嫌なこと思い出してんのか?」
「うん。思い返せばそれ以外にも嫌なこといっぱいあった。あの三人、もう無理だわ」
「それには俺も同意だ」
エリカはぼーっとしているようだった。
「何か言われたのか?」
俺が尋ねてから少し時間が経って、エリカは口を開いた。
「レンとの距離が縮まらないのは、脈ナシだからだって。あのチャラ男、むかつく⋯⋯」
心ここにあらずの状態のエリカがこぼした言葉⋯⋯
俺にはまるで遠回しの告白のように聞こえた。
隣に座るエリカの顔を見ても、これが俺を試してるとか駆け引きだとかそういう雰囲気は全くなくて⋯⋯
本当にただ言われて嫌だった言葉を、そのまま説明しただけなんだとわかった。
俺がいつかエリカに思いを伝えられる日が来るなら、入念に準備して、かっこつけた言葉を、ロマンチックな雰囲気で伝えよう。そう思ってた。
でもたぶん、今ここで伝えないといけないんじゃないか。
「俺はエリカのことが好きだ」
「⋯⋯⋯⋯え?」
エリカは驚いていたようだった。
でもすぐにその瞳が、光が宿ったみたいに輝いた。
好きな女の子の瞳が、自分の言葉で輝き出すなんて、どんな贅沢なんだろうか。
「誰にも渡したくないから今日も攫いに行った。俺がずっと守るから。俺はエリカの彼氏になりたい」
俺はエリカの返事を聞く前に、その身体を抱きしめた。
少し遅れて、エリカも抱きしめ返してくれた。
エリカの温かい体温が心地良い。
「エリカ⋯⋯白状する。ずっと好きだった。最初は一目見られるだけで良かった。でも今はもっと好きだ。見ているだけなんて耐えられない。ずっと側にいたい」
速くなった鼓動が聞こえてしまいそうだが、それでも良いと思った。
言葉だけじゃ足りない。
抱きしめる腕の強さだって、鼓動の速さだって俺がエリカを愛している証拠だ。
俺の言葉は嘘じゃない。
嘘だと思うなら全部捧げたっていい。
この気持ちが正しく伝わって欲しかった。
「私もレンのことが好き。ずっと側にいてよ。絶対に離れないで」
エリカは俺の胸に顔を埋めながら言ってくれた。
俺の気持ちはエリカに届いた。
エリカの鼓動も速い。
それだけ俺を思ってくれている証拠だ。
夢みたいだ。
こうして俺たちは恋人同士になった。
追っかけから始まった俺の片思いはようやく成就した。
あの嫌な三人組に後押しされた感じは、若干気に障るが⋯⋯
二人の身体が離れる。
エリカは泣いていたが、さっきとは違い、嬉し泣きだとわかる。
エリカは俺の服の胸元を少しだけ掴んで、こちらを見上げている。
その瞳は期待に満ちている。
これは胸ぐらを掴まれている⋯⋯わけではなく。
間違っていなければ、さらにもう一歩近づいていいということなのだろうか。
俺はエリカの頬に手を添えて、そっとキスをした。
愛しさが溢れて胸が苦しい。
なんでこの幸せな気持ちで胸が苦しくなるように、俺たちは設計されているんだろうか。
どうして何度でも苦しくなりたいと思ってしまうんだろうか。
俺は焦って少しがっついたか?
でも、そんな不安はすぐに消えた。
エリカは俺が与える熱量と同じくらいにちゃんと返してくれるから。
色々あった長い夜だったが、まだまだ終わりそうになかった。
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