第15話 自由

 今、俺たちの目の前には信じられない光景が広がっている。


「うわーん! サフランじゃなきゃいやー!」


 五歳位の女の子が、サフランに抱きつきながら泣いている。

 この女の子の正体は⋯⋯そう、エリカである。



 遡ること数日前


「エリカ! どうなっとるんじゃ!」


 休日だからと二度寝をしていた俺は、お祖父さんの叫び声で目が覚めた。

 声の方に向かうと、エリカの部屋の前にお祖父さんが立っていた。


「どうしたの? お祖父ちゃん?」


 可愛らしい声は随分と下の方から聞こえてきた。

 視線を下げると⋯⋯

 五歳位の女の子が立っていた。


 

 状況を整理すると、いつも早起きなエリカがいつまでも起きてこないことを心配したお祖父さんは、エリカの部屋に向かった。

 そしてベッドで寝ているエリカが、子どもの姿に戻っているのを発見したということだ。


「どうなってるんだ⋯⋯?」


 俺は目の前の光景が信じられなかった。


「悪魔の能力か、魔道具の影響でしょうか⋯⋯深夜の内に何者かの侵入を許したか、遅効性のものの可能性もあるかと⋯⋯」


 サルビアはそう分析した。


「おい。魔道具ってお前が何かしたんじゃないだろうな?」


 サフランを問い詰める。


「ハハッ! 確かにそのような効果の道具も所持しているが、私は使っていない!」

 

 サフランは無実を主張した。


「このお兄ちゃんたち誰? なんで角が生えてるの?」


 エリカは身体だけでなく、記憶も知能も五歳前後に戻っているようだ。

 不安そうな表情で俺たちを見上げている。

 

「エリカ。お兄ちゃんたちはお祖父さんのお友達だ。怖くないから仲良くしような」


 俺はしゃがんでエリカと目の高さを合わせながら言った。


「ほんと? じゃあ遊んでくれる? これと、これと⋯⋯」


 エリカはそう言って笑うと、そのへんにあったチラシを使ってお店屋さんを始めたようだ。

 

 可愛い⋯⋯

 エリカの子どもの頃はこんな感じだったのか。

 それに、もしエリカの子供が生まれたらこんなに可愛いんだろうか。

 思わず妄想が膨らむ。


「あぁ、たくさん遊ぼうな!」


 数時間後、俺はこの言葉を後悔することになる。



「もう一回! もう一回!」

 

 エリカは立っている俺の腕にぶら下がって遊んでいる。

 もう何回目だ?さすがに辛くなってきた。

 でも、笑顔のエリカを見るともう少し頑張ろう、そう思えたんだが⋯⋯


 さすがに苦しくなってきた俺は、畳の上に寝転がっていた。


「ねぇ、レン〜! おきてよ〜!」


 エリカは俺の身体の上にのしかかり、ゴロゴロと転がってくる。

 うぅ、痛い。苦しい。


「お嬢様⋯⋯そろそろおやつの時間に致しましょう⋯⋯」


 サルビアが助け舟を出してくれた。


「おやつ!? なに〜?」


 エリカは食卓に向かって行った。


 その隙にすかさず自分の部屋に逃げ込む。

 本屋のバイトで腕力はそれなりに鍛えたつもりだったが、こう何時間も酷使すると疲れる。

 布団に寝転んで腰を伸ばしたり、腕を伸ばしたりしていると⋯⋯



――バタバタバタ


 エリカが走る足音が近づいてくる。

 そして勢いよく襖が開き、部屋に入ってきた。


「レン! もう一回!」


 エリカは俺の腹の上に容赦なく倒れ込んで来た。

 ⋯⋯これは試練だ。



 その後、遊び疲れたのかエリカは昼寝をし始めた。

 眠っていたら天使のように可愛いのに、起きていたらまるで悪魔だ。


「レンくん、ありがとう」

「いえいえ、エリカって子どもの頃、こんなに元気だったんですね⋯⋯」


 エリカの寝顔を見ながら話していると、お祖父さんは押し入れの奥からアルバムを取り出してきた。

 アルバムには赤ちゃんの頃からのエリカの写真が綴られていた。


 写真の枚数はそう多くなかった。

 写っているのは基本的にはエリカ、お祖父さん、キリコさんの三人だけ。

 エリカは子どもの頃から可愛らしい顔立ちだったが、笑顔の写真は少ない印象だ。


「母親と父親は生きてはいるが、音信不通。エリカは一度も会ったことがないから随分と寂しい思いをさせた」


 エリカの母親は家出をした後、エリカを産んでお祖父さんに預けたと言っていた。


「エリカは子どもの頃から周りとは違う環境で育ってきた。それでも優しくて素直な子に成長してくれた。わしらが我慢することばかり教えてしまったからかもしれん。わしらではこんなに楽しい時間を過ごさせてやれんかった。本当にありがとう」


 今、目の前にいる子どもエリカは、実際のエリカの子ども時代とは少し違った姿なのかもしれない。

 お祖父さんの話を聞いた俺は、もっと頑張ろうと心に誓った。

 ⋯⋯はずだった。



「もう限界だ。休憩させてくれ」

 

 俺は椅子に座り込んだ。


「だめ! もう一回!」


 エリカは追いかけっこを楽しんでいる。

 本当は公園に連れて行ったほうが良いんだろうが、人目につくとまずいので家の中から出せなかった。


「お許し頂けるのであれば、しばらくの間、お嬢様の意識を操作し、別の物に逸らすこともできますが⋯⋯」


 サルビアの提案は少し魅力的だった。

 でも駄目だ。

 エリカの意識を操作するのは無しだ。

 俺はサルビアの提案を断り、立ち上がった。


「レン! こっち〜!」

「危ない!」


 はしゃいだエリカはタンスの角に頭をぶつけそうになった。

 俺はエリカの腕を掴んで衝突を回避した。


「エリカ、危ないだろ。怪我をしたらどうするんだ?」

 

 俺はしゃがんで、エリカの目を見ながら言った。

 するとエリカは、みるみる内に赤くなり、目に涙を溜めて、口を歪めた。


「うわーん! ごめんなさい!」


 その後⋯⋯

 エリカはサルビアの膝の上に乗せられて、サルビアの胸にもたれかかりながら拗ねていた。


 俺は予期せぬ形でエリカの世話から解放された。

 どうしてこんなことに⋯⋯


 その後も⋯⋯


「お嬢様、おやつの食べ過ぎはよくありません⋯⋯」

「やだ! いじわるしないで!」


 そして最終的にエリカはサフランに行き着いた。


「サフランすごい! これはどうやって遊ぶの?」

「ハハッ! これはここを押すと回りだすのだ!」

「へぇ〜! もう一回! もう一回!」


 エリカはサフランの膝の上に乗ってはしゃいでいる。

 サフランは自慢の魔道具コレクションをエリカに見せながら微笑んでいる。

 サフランに疲労や苦痛の表情はなく、心から楽しそうだった。


 敗北の一言だ。



 事件が起きたのは数日後の夜だった。

 エリカの風呂はいつもお祖父さんが入れていたのだが、その日はエリカが泣いてごね出した。

 

「うわーん! サフランじゃなきゃいやー!」

「困ったのぅ⋯⋯」


 大問題だ。

 お祖父さんの力では抵抗するエリカを風呂に入れるのは至難の技だ。


「ハハッ! 私は構わないが!」


 エリカに抱きつかれながらサフランは笑っている。


「おい、お前! ふざけんなよ! お祖父さん、一日風呂に入らなくても死にませんから、今日は絶対に止めましょう」


 なんとかお祖父さんを説得しようとする。


「えぇ〜! サフランは良いって言ってるのに! レンのいじわる!」


 エリカは怒って部屋を出て行ってしまった。

 俺はさらに嫌われてしまったらしい。



 落ち込んでいると玄関から話し声が聞こえてきた。


「このキラキラのお菓子好き?」

「うん! 好き! くれるの?」

「うん。あっちにもっとあるからついて来て?」


 エリカとサルビアが会話してるのか?

 

 部屋を出ると、男の悪魔がいた。

 薄紫色のマッシュヘアで耳にピアスをしている。

 角と羽根が生えていなければ、まるでモデルのような出で立ちだ。


「お前は誰だ!?」

「あっやば」


 俺が叫ぶと悪魔はエリカの手を引いて家の外へ出ていった。


 俺の声にサフランとサルビアも反応し、みんなで表に出た。 


「あれはジギタリスです。ファンツス様亡き後に頭角を現した悪魔です⋯⋯」


 サルビアが教えてくれた。


 エリカはジギタリスに抱っこされていた。

 その手には、キラキラした包装の棒付きチョコレートを持っている。


「おい! エリカを返せ! お前がエリカを子供にしたのか? どうやってやったんだ? 早く元に戻せ!」


 俺は叫んだ。


「うん。そう」


 ジギタリスは静かに答えた。

 そして信じられない発言が飛び出した。



「サフランさんの魔道具を借りた」


 ⋯⋯は?


 俺とサルビアは同時にサフランを見た。

 サフランはごそごそとポケットの魔道具を確認しだした。

 そして⋯⋯


「ハハッ! どこにもない。盗まれたようだ!」


 そう言って笑った。


「やっぱりお前が関わってたのかよ。ちゃんと管理しとけよ!」


 サフランは呆れたやつだ。


「そんな事より、エリカをどうするつもりだ!」


 今はサフランに構ってる暇はない。


「力を借りるだけ。子どものうちから愛情込めて育てて、エリカちゃんを俺のものにする」


 ジギタリスはとんでもないことを言い出した。


「ハハッ! そうか、その道具にはそんな使い方もあったのか。ジグのセンスには脱帽だ!」


 サフランはジギタリスを褒め出した。

 そんな魔道具を持っているのなら、割とすぐに思いつくやり方な気もするが⋯⋯

 こいつは本当に強い悪魔なのか?

 いや、確かあの時サルビアは"名の知れた悪魔"と言っていた。

 変わり者として有名なだけなんじゃないか?

 こいつが味方サイドにいることが不安になってきた。


「エリカの力を使ってどうするんだよ?」

「どうだろう。とりあえず世界を壊そうかな」

「おい⋯⋯」


 ジギタリスは恐ろしいことを言った。

 

「何が理由か知らないが、とりあえず落ち着けよ」


 俺はジギタリスを説得しようとする。


「特に理由はない。今は何となくそんな気分なだけ。別にいいでしょ? みんな自由にやりたいように生きてるんだから」


 こいつは何を言ってるんだ?


「どうして俺の自由は受け入れられないんだろう。みんな、俺を理解してくれないんだろう⋯⋯我慢するのは本当の自分じゃない。偽りの自分。ウソをついちゃだめってみんな言うくせに、本当の事を言っても結局は理解してもらえない。俺はみんなに本当の自分を理解して欲しい。だからエリカちゃんのことは、俺の理解者になれるように、小さいうちから教育する」


 ジギタリスは不安定系悪魔のようだ。

 サルビアが前言っていた、破壊衝動に駆られてる悪魔というのも、恐らくこいつのことだろう。


「確かに何をしても自由だが、お前のやろうとしてることは周りに迷惑かけたり、他人の自由を奪ったりするから悪いんだろ? そんな事を考えてるやつのことを誰も理解できる訳ないだろう⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯」


 ジギタリスは黙ってしまった。


「おい! お前の魔道具なら何か解除する方法はないのか?」


 そうだ。サフランなら解除できるはずだ。


「被術者が術者に歯向かえばいいのだよ! サルビア! エリカにジグを殴らせるんだ!」


 サフランはサルビアに指示した。


「はい⋯⋯承知いたしました⋯⋯」


 サルビアがそう言うと、俺の耳はおかしくなった。


 そして次の瞬間⋯⋯


「やだ! きもちわるい!」


――バチン


 サルビアの能力によって操作されたエリカは、ジギタリスに平手打ちをした。


 するとエリカの身体はどんどん成長して⋯⋯

 服が破れる⋯⋯直前にサフランがどこからかローブを取り出してエリカに着せた。

 こういう紳士的なところは、こいつの良いところだ。

 俺の中でマイナスだった好感度が少し回復した。


 こうしてジギタリスの企みは阻止されたのだが⋯⋯




「エリカちゃんかわいいね。今から一緒に世界を壊しに行かない?」


 ジギタリスはすっかりエリカにご執心だ。


「はぁ? ほんっと笑えないからやめて?」

「また元気な平手打ちをしてくれるなら考えてあげる」

「何度でもしてあげるわよ!」

「そんなこと言ってもエリカちゃんは俺には優しいからなぁ。はぁ⋯⋯やっぱり大きくなったエリカちゃんがいいなぁ」

「なんなのこいつ。あんたは出禁だから」


 こうしてジギタリスは仲間に⋯⋯ならなかったのだった。

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