第14話 距離感
「はぁ、なんだか蒸し暑くなって来たわね⋯⋯」
エリカは下敷きをうちわ代わりにしながら言った。
過ごしやすい春が終わり、梅雨に入っていた。
「てかあんたたちのその服、むさ苦しいから着替えなさいよ」
エリカは、サフランとサルビアを順番に指さしながら言った。
こんな気候であるにも関わらず、サフランは燕尾服を、サルビアは執事服を着用している。
「悪魔に暑さは関係ない! 見た目の美しさが大事なのだ!」
サフランは抵抗した。
「お嬢様がそう仰るなら⋯⋯」
サルビアはもったいつけるようにゆっくりと上着を脱いだ。
エリカに対して流し目なんかもしながら⋯⋯
サルビアは中にベストを着ているのだが、上着が無くなるだけで筋肉質なのが見て取れた。
「あんた、意外といい身体してるのね」
エリカは顔色一つ変えずにサラッと言った。
「お褒めに預かり光栄です⋯⋯もっと良く、ご覧になりますか⋯⋯?」
サルビアは意味深にエリカに顔を近づける。
おいおいおいおい。
止めに入りたいが、俺の身体はまたもや動かない。
「そういえば、この二人と同じ部屋にいると蚊が来ないのよね。悪魔って虫除けに使えるのかしら?」
エリカは突然、話題を変えた。
サルビアは静かに姿勢を戻し、元いた場所に戻っていく。
はぁ、エリカの無敵さには救われる⋯⋯
「そういえば俺も生まれてこの方、蚊に刺されたことがないな」
自分はとても運がいいと思っていたが、悪魔と関係あるのだろうか。
「はい。悪意を持って悪魔のオーラに触れると塵となりますので、そもそも近づかないのでしょう⋯⋯」
サルビアの解説で長年の謎が解けた。
血液型とか血がまずいとかそういう問題でもなかったのか。
「ふーん。じゃあここで勉強させてもらうわ。気にしないで騒いでてもらっていいから」
エリカは俺たちを虫除け代わりに、勉強に集中し始めた。
エリカは試験前の追い込みに入りつつある。
がんばれ。
俺は心の中で応援した。
夜、自分の部屋で過ごしているとミナミからメッセージが来た。
"来週の金曜の夜、時間あるか? サトムラとカッシーも来る"
テニス部の集まりの誘いだった。
最近付き合いも悪かったし、そろそろ顔を出しておくか。
俺はOKのスタンプだけ返信した。
金曜日の夜
講義が終わった後、一旦帰ってから玄関で出かける準備をしていた。
「レン、出かけるの?」
エリカに声をかけられた。
「あぁ。高校の部活の集まりだ。最近顔出せてなかったから」
「ふーん。楽しんで来てね。いってらっしゃい」
「あぁ、いってきます」
俺はエリカに見送られて家を出た。
待ち合わせ場所に行くと、ミナミとサトムラとカッシーは確かにいた。
しかし、知らない女子も四人いた。
完全に合コンだ。
俺がこの集まりが合コンだと知らされたのは店に入る直前だった。
男だけで入るにしては、やけにおしゃれなイタリアンだったので勘づいた。
「レン〜悪かったよ〜騙し討ちみたいにしてさ〜!」
ミナミは俺の顔の前で両手を合わせながら言った。
「知ってたら来なかった。俺がこういうの苦手なの知ってるだろ?」
俺は内心少しイラついていた。
「正直に言ったら来てくんないから⋯⋯幹事の女の子が同じ大学の子でさ、お前のこと呼んで欲しいって言われちまったんだよぉ〜! その子すっごくかわいいから、絶対に気に入るから! 好きな子いないんだろ?」
確かにエリカへの片思いを隠していた俺にも落ち度はあるか。
なんか上手いこと言いくるめられた気がするが⋯⋯
「わかった。次からは断るから嘘つくなよ」
俺がそう言うとミナミの表情は、ぱっと明るくなった。
俺はこの顔に弱い。
「女の子たちの前で、無理やり連れて来られたなんて言わないでくれよな!」
「あぁ、そんな失礼なことはしない」
こんな会話があってから入店して、今に至る。
四人の女子はそれぞれ、サキ・ハルカ・ユイ・ミサトと名乗った。
かわいい子ばかりだからと、男たちが浮足立つのがわかる。
ミナミが言っていた、同じ大学の幹事というのがサキだった。
向こうは俺を知っているようだが、俺は相手を知らなかった。
お互いの自己紹介が終わったところで、俺は早速どうしていいか分からなくなった。
ミナミとカッシーがこういう場数を踏んでいるのか、女子たちとの共通の話題を探り当てたようで盛り上がり始める。
俺は引き立て役として利用してもらえればそれでいい。
とにかくそっとしておいてくれればいい。
俺はひたすら運ばれて来た料理を取り分け、空いた食器をテーブルの端に寄せる作業を繰り返していた。
いい感じに場が温まって来たのか、いつから恋人がいないだとか、どういう異性が好みだとか言う話題に移行してきた。
女子全員が答えて行く流れでサキの番が来た。
「私は気配りができる人かな〜甘えたい!」
サキの目は明らかに俺のことを見つめていた。
「ふーん」
俺は何度目かわからない、場を盛り下げないための相槌を打った。
これで流したつもりだった。
「レンは奥手だけど、昔から面倒見もいいし、お勧めだよ〜!」
ミナミは援護射撃のつもりなのかそう言った。
その後、席替えとかなんとか言って、男女が交互に座るようになった。
俺は相変わらず端っこを陣取っており、隣にはサキが来た。
「レンくん。私、同じ大学なんだけど覚えてる? 何度かミナミくんと一緒に話したんだけど⋯⋯」
サキはそう言うものの、俺の記憶には全く残っていなかった。
悪魔の記憶を取り込んだ時に追い出されてしまったのだろうか。
「悪い。人の顔を覚えるのが得意じゃなくて⋯⋯」
俺はそう答えて誤魔化した。
「じゃあ今日覚えて? 講義被ったらよろしくね?」
サキは俺の顔を覗き込みながら言う。
「あぁ、もう覚えた。忘れない」
俺はさり気なく距離を取った。
「なんだかレンくんって、不思議な魅力があるよね」
その言葉にぎくりとする。
「そうか? 別に普通だと思うけどな」
悪魔のことがバレているのか?
いや、そんなはずはない。
「私、レンくんともっと仲良くなりたいかも」
何だかグイグイ来られているようで戸惑った。
解散になって帰宅したその日のうちに、ミナミ経由でサキと連絡先を交換することになった。
週明け、講義が終わった後一人で学食にいた。
「レンくん! 隣いい?」
両手でトレーを持ったサキが声をかけてきた。
「どうぞ」
俺は座ったまま片手で椅子を引いた。
「この前はありがとうね!」
「あぁ、こちらこそありがとう」
その後、しばらく沈黙が続く。
「ねぇ、レンくんって本が好きなんだよね? おすすめ教えて欲しいな?」
「あぁ、じゃあ今読んでいるのが⋯⋯」
こんな感じで本の話が始まり、しばらく続けていた所⋯⋯
「あっ! サキ! 彼氏〜?」
知らない女子が話しかけて来た。
「そんなんじゃないよ〜!」
サキは少しだけ照れた感じで反応していた。
俺はそれなりに快適だった学生生活が、少し騒がしくなったことに負担を感じ始めていた。
家に帰ってからもサキからメッセージが来た。
本の話題から派生して、一緒に出かけようという誘いもあった。
けど俺はどうしてもその気になれなかった。
このままの状況はお互いに無意味だと思った俺は、はっきりと断ることにした。
"俺、ずっと好きな子がいるから"
そう返信してからサキの返事は無くなった。
夜、ミナミからメッセージが来た。
"サキちゃん泣いてた。合コン直後にずっと好きな子がいるは無いだろ"
じゃあ俺はどうしたら良かったんだ。
騙し討ちで参加させといて、俺を責めるミナミへの苛立ちもある。
でも、好きな子はいないと嘘をついたのは俺で、気乗りしないまま参加したことを言わない約束を破ったのも俺だ。
俺はミナミの顔を潰してしまった。
こんなことで俺たちの友情は終わってしまうんだろうか。
頭を冷やすために家の外に出た。
庭に咲いていた紫陽花を、適当な石段に腰掛けて眺める。
どれだけ時間が経っただろうか。
ぼーっと考え事をしていると、エリカが傘を持って来てくれた。
いつの間にか小雨が降っていたらしい。
「こんな遅くに出てって、なかなか戻ってこないから心配した」
「そうか。心配かけて悪かったな。エリカは勉強してたのか?」
「うん。レンは考え事?」
「あぁ。傘ありがとうな。おやすみエリカ」
こんなことで悩んでいるなんて、エリカには知られたくなかった。
俺は一人になりたくて話を切り上げた。
エリカもそれを分かってくれたのか、すぐに傘だけ置いて家の中に戻って行った。
その距離感が俺にはありがたかった。
翌日、大学でミナミに会った俺は、ミナミの顔を潰してしまったこと、自分が嘘をついていたことを謝罪した。
好きな子はどんな子か聞かれたが、エリカのことは詳しく話さなかった。
ただ見てるだけで良かったが、最近は一緒にいられて楽しいとだけ白状した。
ミナミは俺の性格では自分たちに言わなかったことも無理はないと理解してくれた上で、強引に会に参加させたことを謝罪してくれた。
サキに対してはミナミが悪役を買って出てくれたらしかった。
家に帰ると庭が騒がしかった。
「えー! なんなの? ちょっと集まりすぎじゃない?」
「ハハッ! この程度のことは朝飯前だ!」
「はい。お見事です⋯⋯」
エリカ、サフラン、サルビアの三人が何やら遊んでいる。
どうやらサフランの魅了を生き物たちに使っているらしい。
大量の蝶がエリカの周りを飛んでいる。
「もう止めて! お願い!」
エリカの絶叫にサフランが能力を解除すると、蝶たちは解散した。
その内の一匹の蝶が、近くに咲いていた紫陽花にとまった。
「うん。これくらいがちょうど良いわね」
エリカは、キラキラした目で紫陽花と蝶を観察していた。
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