第12話 妹

 その日、俺は朝から体調が悪かった。

 身体が熱くて熱くて仕方がない。

 

 生活が一変した疲れが溜まっていたんだろうか。

 それとも季節の変わり目のせいだろうか。


 目を閉じて休んでいると、静かに襖が開く音がする。

 エリカが入って来たみたいだ。

 

 布団のすぐ側にしゃがみ込んでいる気配がする。

 エリカは俺の頭をそっと持ち上げて、アイス枕を交換してくれた。


 あぁ⋯⋯冷たくて気持ちがいい。


 エリカの身体が近づく度に、ほのかに柔軟剤の匂いがする。

 幸せだ。



 その後、エリカは結界を張って回復しようとしてくれているらしい。

 身体が温かく包み込まれる。


「うーん。効果ありそう?」 

「はい。何もないよりは楽になられるかと⋯⋯」


 エリカとサルビアの声が聞こえてくる。



 熱にうなされながら、頭の中を駆け巡るのは悪魔の記憶。

 少しずつ思い出して来ている。


 像になった悪魔を甲斐甲斐しく世話する巫女たち。

 洞窟の中にいた、人間の子供の兄妹。

 瀕死状態の兄。

 笑顔の二人の頭を撫でる悪魔。

 

 それに、ストロファンツスにも妹がいた⋯⋯



「後は私にお任せください⋯⋯」

「ありがとう。じゃあ行ってくる」


 どうやらエリカは予備校に向かったらしい。

 エリカは今まで教材を使いながら独学で高卒認定試験の勉強をしてきていて、最近は俺も一緒に復習しながら教えられる所は教えていた。

 ただ、自由に時間が使えるようになった今、その道のプロに学んだ方が確実ではないかという話をしていた。


 エリカは自分が同学年より遅れていると言って焦っている。

 それに、夢を見つけて叶えたいという思いと同じくらい、高齢のお祖父さんの身体や金銭面を心配していた。

 だから、高卒認定試験を受けた後に、就職するにしても、進学するにしてもどの道早い方がいいと考えている。

 何度も試験に挑戦している時間はないそうだ。


 がんばれ、エリカ⋯⋯

 でも行ってしまうのはちょっと寂しい。

 そんな弱気でワガママな気持ちも抱きつつ、俺は眠りに落ちた。



 あれから何時間経っただろうか。

 遠くの方でカラスが鳴いているのが聞こえてくる。

 もう夕方なのかもしれない。


 身体が温かくて、どんどん体力が回復しているような気がする。

 またエリカが結界を張ってくれているんだろうか。

 

――むに


 ん? むに?


――むに


 何だこれは。

 手に伝わる柔らかくて温かい感触。


 自分の手の先を見ると⋯⋯

 女の悪魔がいた。

 ピンク色のボブヘアー、大きな瞳、少し垂れた目尻に長いまつ毛⋯⋯


 こちらを心配そうに見つめながら、俺の手を握っている。

 そしてなぜか俺の手を胸の谷間に包み込むようにしている。


 俺は幻覚を見ているのか?

 熱で頭がおかしくなっているのか?

 そして記憶にある、この顔は⋯⋯


「ベラドンナ!」

「お兄さま! ずっとお会いしたかったです⋯⋯」

 

 ベラドンナは目に涙を浮かべている。


「何でここにいるんだ!? そして、何をしてるんだ?」


 それに前世の記憶のベラドンナは、確かもう少し幼かった気がするが⋯⋯


「ちょっと、大丈夫? 何叫んでんの?」

  

 心配そうなエリカの声が近づいてくる。


 まずい、この状況をエリカに見られるのはまずい。

 俺は必死にベラドンナの手を振りほどこうとするが全然抜けない。

 可愛い顔をしたこの女の悪魔の握力は半端なかった。

 そしてとうとう⋯⋯


「はぁ? 何? 誰? あんたたち、変態なの!?」


 エリカに見つかってしまったのだった。




「この悪魔はベラドンナ。ストロファンツスの妹だ⋯⋯です」


 丁寧語に言い直す。

 俺は今、エリカに正座をさせられている。

 居候の身でありながら、敷地内でいかがわしい事をしようとしていたという罪に問われている。


 対してベラドンナはと言うと⋯⋯


「ベラドンナ様⋯⋯紅茶が入りました⋯⋯」

「ありがとう、サルビア」


 ベラドンナはエリカとサフランと一緒に優雅にテーブルに着き、サルビアの淹れた紅茶を楽しんでいる。

 理不尽だ。


「お兄さまが私のことを思い出してくださって嬉しいです」


 ベラドンナは微笑みながら言う。


「まだ全部思い出したわけではないが、少しずつな⋯⋯」


 俺がベラドンナについて思い出したことは、ベラドンナはストロファンツスの妹で、ストロファンツスが死ぬ頃にはまだ幼かったということ。

 それと、ストロファンツスが死んだ理由に彼女が関わっているということだ。


「どうやってここに呼んだんだ? お前が知らせたのか?」


 俺はサルビアに質問した。


「はい。お察しの通り私がお便り差し上げました⋯⋯」

「お便り?」


 俺が聞き返すと、サルビアは人差し指で空中に文字を書き出した。

 書いた文章が帯のようになってたなびいた後、くるくると巻き取られるように球体になる。

 その球体はベラドンナの元へ飛んでいった。


 なるほど。便利だ。


「伺うのが遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。こちらも今、色々と大変で⋯⋯その⋯⋯」


 ベラドンナは申し訳なさそうに言った。

 色々大変って何だ?

 ストロファンツスが死んでから何かあったのか?

 俺の疑問をサフランが解消してくれた。


「私が説明してやろう。貴様が死んだ後、ベラはゼラニウムという悪魔と結婚した。そして現在、ゼラニウムと同盟を結んでいる悪魔と他の悪魔との関係が緊張状態にある。つまりゼラニウムも臨戦態勢にあるということだ」


 なるほど。

 夫の仲間が敵と喧嘩し始めるかもしれないから、夫も加勢する準備をしていると⋯⋯


「ふーん。悪魔も同盟とか戦争とかあるのね」


 エリカは言った。


「悪魔は基本的には集団行動を好みません。何か同じ目的を持ち同盟を結ぶこともありますが、多くの場合は互いが相手に何かを差し出すことにより契約が交わされます。悪魔には縄張りはありますが、人間のように領地の境界線が決まっていることもありませんし、そこに住む者や統率者が明確に決まっていることもありません。他の悪魔を従えて王になりたい者、全てを破壊し尽したいという衝動に駆られる者、相互不干渉を望むだけの者⋯⋯様々な悪魔の思惑が渦巻いているのです⋯⋯」


 サルビアが解説してくれた。


「ふーん。なかなか物騒なのね。ていうか、あんた結婚してて、しかも妹のくせに兄貴に胸押し付けてどういうつもりなの!?」


 エリカは立ち上がり、ベラドンナを指さした。


「私はただ⋯⋯お兄さまにお会いできたのが嬉しかっただけで⋯⋯」


 ベラドンナは潤んだ瞳でエリカを見つめている。


「う⋯⋯っ。別に泣かなくてもいいじゃない⋯⋯」


 エリカの勢いは弱まり、静かに椅子に座った。


 なるほど、エリカの追及を逃れるためには泣き真似が有効なのか。

 俺は心のノートにそっとメモをした。


「既婚者はともかく、我々悪魔にとっては兄妹が恋仲になってはいけないという決まりはないぞ?」


 サフランはまたとんでもないことを言い出した。


「我々悪魔は花と同じだ。同じ木に咲いた花同士が受粉することもあるだろう? 同じ理屈さ!」


「はぁ⋯⋯」

「はぁ⋯⋯」


 エリカと反応が被ってしまった。

 わかったような、わからないような⋯⋯

 まぁいい。話を戻そう。


「そういえば、ベラドンナの力で一気に身体が楽になった。ありがとうな。」


 お礼を言うとベラドンナは立ち上がり、正座をしている俺の手を再び握る。

 ちらっとエリカの方を見るとさっきよりすごい圧で睨んでいる気がするが⋯⋯

 俺は無実だ。

 サフランが余計なことを言うからだ。


「お兄さまに授けられたこの力で、私の命は救われました。ですから、お兄さまのためにこの力を使うのは当然のことです⋯⋯」


 ベラドンナがそう言うとお通夜みたいな空気が流れる。


「ねぇ。私にもわかるように説明してよ」


 エリカはぼそっとつぶやいた。

 ベラドンナは言い淀んでいる。

 

「ベラドンナ様は生まれつき固有能力を持たれず、病弱でいらっしゃいました。ベラドンナ様のお命がいよいよ危ないと言う時⋯⋯ファンツス様はご自身の能力の大部分をベラドンナ様に授けられました。我々にとって能力と生命力は同義なのです⋯⋯」


 サルビアがエリカに説明し始めた。

 エリカは静かに聞いている。


「お嬢様にもわかるように状況を整理致します。ファンツス様が持っておられた固有能力は結界生成です。結界の効果は、保護・回復・増幅の三つですが、その内の回復の大部分をベラドンナ様が、回復の残りと保護・増幅をお嬢様が継承しておいでです。お嬢様が継承された能力を人間の世界では光の巫女の力と呼び、先祖代々受け継がれております⋯⋯」


「そして、ファンツス様は現在のレン様のお姿では、悪魔全員が持っている力⋯⋯魅了とオーラによる威圧のみを保持しておられるというわけです。ファンツス様がご存命の頃の強力な固有能力は全てベラドンナ様とお嬢様に継承されており、最低限のお力しかご自身には残されなかったようです⋯⋯」


 サルビアの説明は、断片的な記憶を補足してくれた。


「そう。じゃあストロファンツスは私のご先祖さまに残った力を全部渡したから、死んでしまったということよね⋯⋯」


 エリカはショックを受けているように見えた。


「率直に申し上げますとその通りかと。ファンツス様はベラドンナ様をお救いになったあとかなり衰弱され、我々の元を離れて死に場所を探しておいででしたので、その最期がどうだったかは存じ上げませんが⋯⋯」


「そう⋯⋯命と引き換えに助けてくれたんだ」

 

 エリカはそうつぶやくと、もうずいぶん冷めたであろう紅茶を飲んでいた。

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