第11話 卵焼き
冬が終わり、ようやく春が来た。
いよいよ大学二年生の一年間が始まる。
今日俺は、新年度初日の講義を受けに来ていた。
「おーい! レン〜!」
遠く後ろの方から声をかけられた。
「あぁ、ミナミ!」
ミナミは高校時代のテニス部の同期で付き合いが長い上に、講義もよく被るから話す機会が多い。
積極的に交友の輪を広げられるタイプじゃない俺にとっては、学内での貴重な話し相手なのかもしれない。
「お前、春休みはバイト漬けか? テニ部の集まりも来ないでさぁ。そういえば、カトウとヒラタが卒業してから付き合い出したらしくってさ〜⋯⋯」
まぁ、話す内容は大体こんな感じの世間話だ。
ちなみにエリカの追っかけをしていたことは誰にも言ってない。
そんなことがバレたら死ぬほどテニス部のメンバーにからかわれるに決まっている。
ノリのいい奴らだ。俺も見に行くとか言い出すに違いない。
もちろんこの春休みの出来事も話すつもりはない。
自分の前世が悪魔だったこと、エリカと一緒に暮らし出したこと、昔の悪魔の知り合いが押しかけて来たこと⋯⋯
そんなこと話したら頭がおかしくなったと思われるだろうな。
しかし俺は実際にこの短期間でそれだけの体験をしてしまった。
「この課題一人でやる自信ねぇわ〜。後で電話するかも〜」
講義が終わった後、ミナミは言った。
「あぁ。構わないが俺もまだどこから手を付けていいやら⋯⋯」
出されたレポートの課題は、今日の講義内容の中から好きなテーマを選び、自分の日常と照らし合わせて得た気づきをまとめれば良いようだ。
文章を作るのは好きだが、書きやすいテーマはどれだろうか⋯⋯
「とにかく! ヤバかったら助けてくれ!」
ミナミは別れ際に念押ししていった。
帰り道、桜がきれいに咲いていた。
今週末は雨が降るらしいから見頃は今だろうか。
エリカは花見をしたことはあるんだろうか。
エリカの家に帰宅した俺は、早速課題に取りかかったものの、文章が上手くまとまらず苦戦していた。
コーヒーでも飲むか。
俺は台所に向かった。
台所に着き、棚からインスタントコーヒーの瓶を取り出す。
この家で過ごし始めて結構な時間が経ったからか、ここでコーヒーを淹れるのにも慣れた。
「レン、大学どうだった?」
後ろからエリカに声をかけられた。
「早速課題が出て苦戦している。コーヒーを飲まないとやってられないな」
「そうなんだ。大学生って大変なのね」
エリカは隣で麦茶をコップに注いでいる。
俺は昼間に考えていた話を切り出すことにした。
「エリカは花見をしたことはあるのか? たぶん今年は今週がチャンスだ」
行ったことがないなら一緒に行きたい。
「お花見は通りがかりに見て行く程度ね。シートを広げてっていうのはないかも」
「じゃあ、金曜日に行かないか? コンビニで弁当でも買って」
「いいわね! 私がお弁当作るわよ。なんかそれっぽいでしょ?」
エリカはノリノリのようだ。
しかも手作り弁当まで用意してくれるとは。
「いいのか? 楽しみだな」
こうして俺たちは花見の約束をした。
部屋に戻って課題の続きをしているとミナミから電話がかかって来た。
あいつも苦戦しているんだろうか。
電話に出ると悲痛そうな声が聞こえてきた。
「レン〜助けてくれよ〜!」
「ミナミ、どうしたんだ? 大丈夫か?」
「内容は決まって来たんだけど、かっこいい書き出しがわからなくってさ〜」
「いや、そこにこだわるのか? じゃあこうしたらいいんじゃないか⋯⋯」
そんなふうにやり取りしたあと⋯⋯
「レン、ありがとう! ホントに助かった! 学食で何か奢るわ!」
「そんなのいいから。俺とミナミの仲だろ?」
「いやいや、定食でもアイスでもジュースでも! とにかく助かった。じゃあな!」
こうして通話が切れた。
この時の俺は想像もしていなかった。
エリカにこの会話が聞こえていたことも、なぜかエリカの機嫌を損ねることになることも⋯⋯
金曜日、講義が終わって足取り軽く帰路に着く。
今からエリカと花見だ。
エリカはお弁当を作って待っていてくれているのだろう。
まだ日が出ている時の桜ももちろんいいが、夜桜だっていい雰囲気だ。
エリカはどんな反応をするだろうか⋯⋯
帰宅すると食卓に大きな弁当箱が置いてあった。
だが肝心のエリカは⋯⋯なんだかふくれっ面をしているように見える。
「エリカ、弁当作ってくれてありがとうな。大変だったんじゃないか?」
弁当の中身が楽しみで仕方ない。
「見くびってもらっちゃ困るわよ。これくらい私にだって出来るんだから!」
見くびっていたつもりはないんだが⋯⋯
エリカが料理上手なのは俺だってよく知っている。
手際もいいし、味付けも俺好みだ。
「あぁ、楽しみだ。早く行こう!」
俺はそっぽを向いているエリカを急かすように、手を引いて出かけた。
桜がきれいに見えそうな場所に到着した。
河川敷の堤防沿いにずらっと桜の木が植わっていて、今だけ限定なのか、桜の木にはぼんぼりが吊るされている。
「ここにしよう」
俺は地面の上にレジャーシートを広げた。
エリカは桜の木を見上げながらスマホで写真を撮っている。
夢中になっているからか、口が開いている。
可愛い。
連れてきて良かった。
しばらく桜を楽しんだ後、いよいよ弁当の時間だ。
この弁当が俺たちの夕飯代わりだ。
「たくさんあるから好きなだけ食べて」
エリカは弁当箱の蓋を開けてくれた。
弁当の中身は⋯⋯
おにぎりに唐揚げ、卵焼き、ミニトマトとブロッコリーにきんぴらごぼう⋯⋯
どれも美味しそうだ。
別の袋から取り出されたタッパーには、カットされた果物が入っていた。
「いただきます」
俺はまずは唐揚げから食べた。
「美味い! さすがエリカだな!」
エリカの唐揚げは塩辛さが抑えられていて食べやすい。
「なら良かったわ」
どことなくエリカはいつもの元気がなさそうだった。
もしかして、具合でも悪いのだろうか。
「エリカは食べないのか? 元気がないな」
俺が声をかけるとエリカは驚くべき事を言ってきた。
「私なんかと来てよかったの? ミナミさんと来れば良かったじゃない。彼女がいるのに私に彼女代行を依頼してたなんて」
何でここでミナミの名前が出てくるんだ?
それに俺には彼女なんていないが。
誰かに吹き込まれたのだろうか。
「ミナミは高校の男テニの同期だ。あいつと花見に来る気は特にない。それに俺には彼女なんていないが何を勘違いしてるんだ?」
「ミナミさんって女の人じゃないの? 電話で長い付き合いみたいなこと言ってたじゃない。それになんか優しい声で話してたから⋯⋯」
なるほど。
あの会話を聞かれていたのか。
「ミナミは男だ。苗字だ。優しい声はよくわからないが、気持ち悪いから止めてくれ」
俺は長い付き合いの彼女がいながら、エリカに彼女代行を依頼するとんでもない遊び人の汚名を着せられていたわけか。
「なんだ! 私の勘違い! 悪かったわね。とんでもない野郎かと思っちゃったわ」
謝るエリカの顔は、ちょっと安心したような表情だった。
「私、よく考えたらレンのことまだまだよく知らないみたい。出会いから今までが色々と衝撃的過ぎて、濃い付き合いにはなってるけど。今日も卵焼きの味付け、甘い派かしょっぱい派か聞いてなかったから両方作ったの」
俺はその言葉が嬉しかった。
俺の好みの卵焼きを作ろうとしてくれたことが、これから俺のことをもっと知ろうとしてくれていることが、すごく嬉しかった。
「ありがとうな。俺の好きな卵焼きは⋯⋯」
そんな話をしている内に、だんだんと日が沈んでいく。
ぼんぼりに灯りが点いて、桜の木が照らされる。
「きれい⋯⋯」
エリカはつぶやくと立ち上がった。
「ねぇ。もっと近くまで見に行こう?」
エリカは振り向いて俺の手を引いた。
風が吹くとエリカの黒い髪がなびく。
エリカの周りには桜の花びらが舞っている。
俺にはまるでエリカが妖精みたいに見えた。
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