第7話 あの時の死神さんのお話
俺の名は、
今、俺は、そう呼ばれていた男の死体を眺めている。俺は、病室の天井から、嘗て俺であった死体を見下ろしている。
あんなに痩せこけて皺くちゃの青黒い顔をした老人が、この俺であったのかと思うと、我ながら何とも情けない。
よくも、こんなに成るまで、生きたかったのかと呆れてしまう。
確かに、孫も良い歳になり嫁取りや嫁入の心配は有るが。
それは息子夫婦の仕事で、俺の出る幕なんぞある訳もない。早々に諦めつけて、少しも楽に死ぬ算段をつけりゃあいいものを、生き欲をかいて却って苦しんだ。
俺の幼馴染たちは、太平洋戦争にとられて大勢が若くして死んだ。
それに比べて俺は、終戦の年に徴用されたが、戦地に出ること無く帰ってこられた。
運が良かったのか?
代わりにか?
どうかは、知らないが!
嫁が、赤ん坊を残して死んでしまった。
俺は、練兵場で息子の誕生と嫁の死去を
俺が、その場にいたとして何が出来た訳もないのだが。終戦となって、故郷に生きて帰るとなった時。
あいつが、俺の代わりに死んだのじゃないか、と思えて仕様がなかった。
嫁の名は“
3歳下の幼馴染で、細い頃から”あんちゃん“と俺を呼び、ついて回った。
戦争が始まり、互いに、いい歳になると、何時、徴用の赤紙が来るかとなった。
俺の両親が、跡取りを望んだ挙句に佐知の両親に頼みこみ祝言となった。
俺が二十一佐知は十八だった。
俺は、独り子だったので、徴用は免れるかとも思ったが。戦局が悪くなると、結局赤紙はやって来た。
この時、佐知は俺の子を腹に宿していた。
「あんちゃん、赤ん坊ができたんだから、無事に帰っておくれよ」
佐知が、出征の前の晩に泣きながら言ったのが、今生の別になった。
皮肉なことには、戦争に行く筈だった俺が残り。故郷で、俺の帰りを待っている筈の佐知が死んでしまったのだ。
あれから、50年。
俺は、後妻を娶ること無く、両親の助けを借りて息子を育てた。
縁談が、ない訳では無かったのだが家の両親が佐知の親に頼み込んで俺の嫁にした。
挙句に、息子を残して死んでしまったのだから。佐知の両親の手前、俺の再婚を積極的に進められなかった。
俺も、如何しても佐知が身代わりに死んでくれた、と言う思いから逃れられなかった。
俺に懐いて「あんちゃん」と呼びながら追いかけてくる細い少女を。
寝床の隅に手をついて「不束者ですが、よろしくお願いします」と言った幼なげな顔が忘れられなかった。
息子は、“
母親の顔さえ知らない子供に、せめて自分を産んでくれた母の名前から、一字をもらってとの思いで名付けた。
生まれながらに母親のいないあの子は、自分の祖母を母と呼び。
「俺の、母ちゃんは皺くちゃだけんど、とってもあったけぇんだ」
などと幼稚園で、自慢する様は涙を誘いながらも。その健気さに誇らしさを覚えたものだ。
子供の成長は早くあっという間だ。
あったけぇ母ちゃんを“糞婆”呼びする様にはなった。でも、高校生の時にその“糞婆”が病を得て入院すると、甲斐甲斐しく毎日の様に見舞いに通っていた。
俺の両親は、息子が成人する迄生きてくれた。
俺は、戦後暫くして地元の機械工場に就職した。重機を製作する会社だった。
旧財閥系の企業で、戦後の復興と重なり右肩上がりの業績は長期に続いた。
息子は、地元の工業高校を卒業して。同じく地元の家電メーカーに就職した。
28歳で縁あって嫁をとり、男女3人の子供にも恵まれた。長男は今年成人する大学生だ。
長女、次女は高校生と中学生になっている。
二人の女の子は、何処とはなしに佐知に面差しが似ている気がして。
眼に入れても痛くない程可愛がったものだった。
其れにしても、こうして死んでも想い出すのは佐知の事ばかりだ。
たった、2年に満たない結婚生活ではあったが。それ以前に、幼馴染として過ごした日々があり。
遺された息子との日々も、常に佐知が側に居る思いで過ごすことができた。
孫が産まれてから、不思議に思ったのは、夜泣きの頻繁な事だった。息子を育てていた頃、俺の母親が。
「この子が夜泣きしないのは、佐知さんが見てくれているからだよ」
と言っていたのを思い出した。
まぁ、そんな事があってもおかしくは無いな。
俺が、死んでから5日が過ぎた。その間に俺は、自分の葬式を見て、長年使い込んだ身体が焼かれ骨になる様を見た。
自分の骨を割り箸で、二人一組で摘み骨壷に入れるのが可笑しくて笑ってしまった。
ふと気付くと、若い女がスーツを着て隣に立っている。
「何が可笑しいのよ、良吉さん、あんちゃん!」
そう呼ばれて俺は、驚き女の顔を繁々と見た。
「あぁ、佐知、迎えに来てくれたのか?」
「そうよ、良吉さんが、あんちゃんが!迷わない様にね」
「ありがとう、そんな気がしていたよ、また、会うことが出来るなんて本当に今日は、いい日だ」
「馬鹿ね〜、あなたのお葬式よ」
「えっへへ、それでも良い日は選ぶんだろう」
「今日は、仏滅、おめでたい日じゃ無いわね」
「そっか、そうだね仏滅か」
「元気そうだね、昔のまんまか?スーツなんて着てるの初めて見たよ」
「うふふっ、あんちゃんも死んで、元気になったわね」
「あぁ、病気は体に置いて来たから、随分と身軽になった」
「坊やのこと、ありがとうね!」
「うん!俺たちの子だ、悪く育ちようがねぇ」
「
「ん、そう言えば、知郎が夜泣き、しなかったのは?」
「えぇ、私がそばに居たから、オッパイはあげられなかったけど、乳首は吸ってもらえたわ」
「あぁ、ありがとう、てぇ、ことは俺のそばにも居たのか?」
「毎日、見てたよ、あんちゃん、私がどんだけ好きだったか分かってないでしょ」
「うぅん、俺はお前に誠実では無かったな、結婚こそしなかったが、惚れた女も居たし、抱いた女も居た、お前がそれを望んで無いと知りながら!」
「うぅん、そんなの望んでいなかった」
「あんちゃんも若かったし、我慢しろとは言えないよ」
「そうか、なら、少しは安心した」
「坊やを放って置いたら、許せないけど、それも無かったもの」
「本当に、ありがとう、お疲れさま」
「それじゃ、行こう、あんちゃん、一緒に」
「あぁ、行こうか、これからはずっと一緒か?」
「嫌なの?」
「そんな訳無いだろう、分かって言ってるだろう」
「次は、飽きる程一緒にいるよ!その為に、働いて来たんだもの死神として」
「薫ちゃん、あとはお願いします」
佐知が振り向く先には、上背の有る細身の女性が此方を向いて頭を下げている。
俺たちも、軽く会釈をして佐知に手を引かれ歩き出した。
気持ちのいい風が、前から吹いて来た。
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