2章 14話

 ああ……。最初から、言ってた言葉に裏も表もなかったんだ。


 ふざけてるのかと思えた、いきなりの『婚約してください』も、彼女の中では本気だったんだ。


 どれだけ一途で、想いが深いんだ。

 成長した俺を見ても、それでも揺らがないなんて……。普通は幻滅するだろう。そんな口約束、忘れてるだろう。

 お母さんが、俺が友達関係を提案してもムダだって言った理由が、よく分かった。


「凛空君、好きです。ずっと、ずっと昔から、今後もずっと大好きです」


 その瞳は、ちゃんと俺を捉えてた。

 背丈も、顔も……。幼稚園の頃の俺じゃない。ちゃんと、今の俺を見据えてる。


「幼稚園の頃から、想いが変わったことは一度もない。やっと凛空君に想いを伝えられるって……。初めて廊下でぶつかった時、思わず泣いちゃうぐらい大好き。どれだけ凛空君が自分のことを嫌いと言っても、私は今の凛空君も大好き」


 自分ですら大嫌いな俺を見て、それでも――好きだと言ってくれてる。

 自分と釣り合わないとか、そんなことは関係ないとばかりに。


「だから――私と結婚してください。……やっと、やっと伝えられた。お母さんとか抜きに、ちゃんと告白できたよ」


 指で涙を拭い、快活に笑った。

 こんなにも、幼い頃の俺が無邪気な会話の中で発した――好みのタイプになろうと、一生懸命に努力をしてきてくれたのに。

 その結果、百点満点の姿にまでなってくれたのに――俺はその間、何をしてたんだ……。


「君の想いは伝わった。言いたいことも分かる」


「じゃあ――」


「――でも、ごめん。凄く嬉しいのに、凄く苦しいんだ。……俺自身の問題で」


「ぁ……」


 顔が曇った彼女に、申し訳なさしかない。顔向けもできない。

 幼稚園の頃に戻って「お前の理想の子に相応しくなれるよう、努力を続けろ。彼女は、ちゃんとやるぞ」って……。殴って、言い聞かせたい。


 だけど時間は戻せない。戻ってくれない。今ある残酷な現実は、絶望的なまでに彼女と違う……。平凡か、それ以下の、自分で自分を大嫌いな俺だけだ。

 幼い頃だろうと、一度交わした約束の一つも果たせないような……。


 約束。そうだ、お母さんとの約束――この偽装婚約関係の継続があった。

 こんなことをお願いするのは心が痛むけど……。余命僅かなお母さんの願いを、断れない。


「都合のいいことだけど、この一時的な偽装婚約関係は……。お母さんが安心して旅立つまで、続けさせてもらえないかな? その後は、友達にだってなれると思う。親しい友達の一人ぐらいなら、一緒にいても辛くないと思うから」


「それは……。うん、私からお願いしたことだから」


 涙を拭いながら、何度も頷く彼女を見てると……心が軋む。

 喜んで付き合いますって……。彼女の隣にいられるぐらい自分に自信が持てたら、彼女を泣かせることもなかっただろうに。


 後悔先に立たずって言葉を聞いたことがあるけど……。

 中途半端な努力量で生きてきた俺自身が、改めて許せない。


「――うん、うん! よし、切り替えた! これからも婚約者関係ではあるんだよね!?」


 彼女は、本当に強い。心根の強さも、百点満点だと思う。


「……偽装、だけどね」


「それでも、一緒にいられるのは変わらないから! だったらチャンス、ピンチもチャンスだよ!」


 もう切り替えて、俺の理想であり……彼女も目指してきた快活な笑みで、前を向いてる。

 くよくよしてる俺とは、根本から差がありすぎる。


「凛空君が私のことを好きって言う未来を、諦めないから!」


 お母さんは、本当に娘さんの理解者なんですね。

 いつか……俺から徹底的に避けない限り、彩楓さんは本当に諦めないんだろう。

 そんな残酷なことを――俺が好きな子に、言えなんて……。こんなにも一途に想ってくれてる子を、徹底的に振れだなんて……。俺はまた、嘘を重ねなければいけないのか。

 俺が彼女の隣にいるのに相応しくないばかりに、嘘を吐いて「もう関わらないでくれ」なんて、言わなければいけないのか。


 かつて彼女が恋して、彼女が「こうなってるだろう」と恋した幻想のようになれなかった自分なんか、消えてしまえばいい。そう思わずにはいられない。


 その後、一緒に彼女の家に戻り「また来ます」と告げたときのお母さんは、一体どんな理由で笑ってたんだろうか――。



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