2章 11話

 優しい嘘。どんなに言い繕っても、俺たちが叔母さんに嘘を吐いたのは事実だ。


 もうすぐ自分の死が迫って不安なときに嘘を吐かれて、腹が立たないのか? 娘が心配にならないのか?


「彩楓は、本当に幸せそうだったわ。幼い頃からの夢が叶ったんだもの、当然よね。その上で――いつか、彩楓に本当の恋を教えてほしいの。凛空さんが無理なら、他の誠実な男の人との恋をね。もうすぐこの世を去らなければならない叔母ちゃんの、最期のお願いよ」


 そんな言い方は、ズルい。親子揃って、俺が断れないようにしてくる。

 亡くなるまでとか、最期の願いとか言われたら……断れない。俺に、そんな意志力はない。

 ただ、辛いだけだ。幼稚園の頃とは違う今の俺が……。あんなにもキラキラと耀く姿に成長した、彩楓さんの隣に、婚約者役で立つことが。


「友達じゃ、ダメなんでしょうか?」


「ダメね」


「何で、ダメなんですか?」


「それじゃあの子、諦められないもの。私の子だから、よく分かる。離れるなら、徹底的に振ってやって。もう一切関わらないぐらいじゃないと、未練と未来の可能性に縋りつくわよ。あの子のダメな部分、私によく似てるから。下手したら、私以上ね」


 断言した。

 親の言葉は説得力がある。それに、だ。過去の幻想に縋り付き――俺を信用した彩楓さんを見ると、より説得力が増す。


「それなら……せめて、今の俺の姿をよく見ろ。過去とは違うぞって教えてもいいですか?」


「それは、どうしたものかしら……。あの子に言っても、ムダだと思うけど?」


「彼女が早く真実に気づいてくれて、正しい恋を見つけられるように願います」


「……ねぇ。そんなに凛空さんは、彩楓を愛せそうにない?」


 寂しそうな顔と声で、お母さんが尋ねてきた。

 一目で病気と分かる弱々しい身体で、そんな心を揺さぶるようなことを言わないでほしい。

 俺が愛せそうにないんじゃない。理想通り、満点な彼女を愛せないわけがない。


 俺が、俺を愛せないんだ。全ては――平凡にしかなれない俺の責任だ。

 だからこそ、恋人として一緒にいる未来なんて……お互いのためにならないと思ってしまう。


「……今の俺は、彼女に相応しくないですから」


「……そう考えてしまうのは残念だけど、正直なのね。曖昧に濁してもいいのに。……凛空さんが本当に彩楓を愛してくれてたら安心だったのだけれど、これじゃ無理そうね」


 失望されただろうか。これじゃ無理そうって一言が、心にズシンと響くな……。


「仕方ないか、分かったわ。あの子が帰ってきたら、よく話してみて。――あっ。私が嘘に気がついてることは、秘密よ? これは絶対。これ以上、彩楓に気を遣わせたくないもの」


「それは……。はい、分かりました」


 いずれにせよ、婚約者のふりは続けなければいけないのか。

 もうバレてるのに、彩楓さんにだけ嘘を吐いて。どれだけ嘘を積み重ねていけばいいんだ。

 一度嘘を吐いたら、雪だるまのように嘘が膨らんでいくと聞いたけど、本当だな……。


 彼女が帰ってくるまで、お母さんは俺がどのような人生を歩んできたか。

 どんな気持ちだったのか、飽きることもなく尋ね続けた――。


「――ただいま! 凛空君、まだいるよね? 靴あったし、帰ってないよね?」


「帰ってないよ。あ、靴は脱がないで」


「なんで? 靴を脱がないと、私が中に入れないよ」


「いいから。お茶セットだけ、預かるから」


 不思議そうな顔をしてる彼女からエコバッグを預かり、一先ず中身をシンクの上に載せる。


「どうしたの? え、もしかして買い足すものあった?」


「違うよ。……これ」


「あ……。な、何で、それ……」


 先程までお母さんと一緒に読んでいたアルバムを見えると、彼女の目が泳ぎ始めた。

 かなり動揺してるらしい。

 やっぱり、彩楓さんは幼稚園の頃の記憶がかなり残ってるタイプみたいだ。


 今の俺とは違うって、ちゃんと説明しないとな……。


「私が話したのよ。あんた、いつまでも勇気出さないで秘密にしておく気だったでしょ?」


 ベッドから起きてきたお母さんが、手で壁に体重を預けながら言った。

 立ってて大丈夫なのかと不安になるけど、声は楽しげだ。


「お母さん!? 話したって、どこからどこまで!?」


「幼稚園から想いを拗らせ続けてる、私の娘らしい子ってところだけよ」


「十分に話しちゃってるよ!」


「まだまだ話してないじゃない。親でもドン引きするような話がゴロゴロあるでしょうに……。彩楓、婚約者にいつまでも隠しておく気?」


お母さん……。本当に、俺が婚約者じゃないって知ってるのは隠しておくつもりなのか。


 それにしても、親でもドン引きするような話ってなんだ?

 彼女が隠してる裏の意図や思惑とか、かな。

 いくら幼稚園の頃に仲がよかったとしても、そんなので本気で婚約者どうこうとはならないだろう。

 秘密を知りたいけど……彩楓さんは、一気にトーンダウンしてしまった。

 それ程に、俺には知られたくないんだろうか。


「いや、それは、その……。何もかも話す必要も、ないかな~って……」


「そう、それなら私から――」


「――凛空君、ちょっと公園に行こうか! ね、二人で話そう!」


「お、おう。お母さん、ちょっと失礼します」


 彼女が手を引き、慌ててスリッパから靴に履き替える。

 お母さんは、もしかしたら彼女の秘密をいつか話してくれる気かも知れない。

 これから彩楓さんに、今の俺がどんな状態なのかを正直に伝えて……。

 それでも、またお母さんの元へ来ることがあったら、聞いてみようか――。



―――――――――――

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