2章 9話

「あら……。こんにちは。河村綾かわむら あやです」


「は、初めまして! 風間凛空です!」


 背中部分の上がった、病院で見るようなベッドに寄りかかったまま、お母さんが挨拶をしてくれた。


 浮かべた柔らかな笑みと、枝のように細く痩せた身体。口元は、彩楓さんにかなり似てる。真夏なのにニット帽を被ってるのは、治療の副作用とかで髪の毛が抜けたとかだろうか?

 すくなくとも――引越バイトのときに見た女性とは、間違いなく別人だ。


「……彩楓と婚約したのは、本当?」


「……は、はい」


「本当だよ! ほらほら、これを見て!」


 歯切れ悪く嘘を吐く俺をフォローするためか、彩楓さんは俺に腕を絡ませながら、スマホの画面をお母さんに見せた。


「あら、楽しそうね。随分と幸せそうじゃない、彩楓」


「うん、幸せ! お似合いのカップルでしょう?」


「そうねぇ……」


 お母さんは苦笑してる。俺も、同じような表情を浮かべてたと思う。

 どう考えても、お似合いは無理がある。


「風間……凛空さんだったかしら?」


「は、はい」


 見定めるように、お母さんはジッと俺を見据えてくる。

 やがて、ふっと笑い――。


「――彩楓、お茶を買ってきてもらえる? お客さんにお茶ぐらい出さないと」


「え? 冷蔵庫でペットボトルのお茶を冷やしてあるよ?」


「それもいいんだけど、急須で煎れる方よ。お茶っ葉と急須、両方買ってきて頂戴。ゆっくりでいいから」


「きゅ、急須? 今、夏だよ?」


 彩楓さんが困惑してるように、俺も戸惑う。


「あの、お構いなく。俺は、水道水でもいいぐらいなので……」


「お願い、彩楓。その間に、お母さんは凛空さんと話がしたいの」


「え? 凛空君と、二人で?」


 彩楓さんがキョトンとした目で尋ねた。

 少し悩んでる様子だったけど、お母さんの望みを優先したいんだろう。

 彩夏さんは頷き、鞄を手に取り立ち上がった。


「分かった。行ってくる。凛空君、お母さんに惚れちゃダメだよ?」


「惚れな……。いや、失礼しました」


「あら、何を言いかけたのか気になるわね。……彩楓、からかうのは止めてあげなさい」


「あははっ。了解! ちょっと行ってきます!」


 あの子は本当に掴めない……。

 楽しそうに笑いながら、棚からエコバッグを取りだし出かけていった。

 残されたのは、お母さんと俺だけ。

 気まずい。この空気、どうしよう。婚約者っぽくアピールするべきか? 


 いや、そもそも何で俺と二人っきりになりたがったのか――。


「――これで、もう嘘を吐かなくて大丈夫よ」


「……え?」


「彩楓との婚約、お付き合い。……全て、嘘なんでしょ?」


 お母さんの言葉に、身体が固まった。

 何で、バレた? 俺の言動に違和感があったのか?

 いや、まだ探ってるだけって可能性もある。

 簡単に認めるわけにはいかない。彩楓さんの期待を裏切ったら、顔向けできない。

 お母さんを安心して旅立たいと願う優しさまで踏みにじったら、俺は俺を許せない。


「いえ、嘘じゃありません」


「…………」


 強い口調で言い切った俺を、お母さんの瞳は捉えて放さない。

 お互いに目線を逸らさずにいると、お母さんは小さく笑い始めた。


「そこの本類って書かれた段ボール箱、中身を見てくれる?」


―――――――――――

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