第12話 *城ヶ崎 響希*


『響希さん、もしかしてお父さんと一緒に、』

「いま仕事中だから、また電話する」



ピッ


丸西家にいる時に、突然、凪緒から電話があった。すぐ電話を切ったものの……。さっきの声、凪緒は聞いただろうな。



「すまない、まさか電話中だったとは。相手は、もしかして凪緒か?」

「はい、ですが……大丈夫でしょう」



言い切る俺を、丸西社長……いや。お父さんは、困ったように笑った。



「あまり娘を過信しないでくれよ。昔から何をするか分からないところがあるからな」

「……今回は、そうじゃないことを願いますよ」



今度は、俺が困ったように笑う。するとお父さんは「さて」と。机に並ぶ、おびただしい数の封筒を使用人に運ばせた。全ての封筒に、宛名は書いてあるが切手が貼られてない。お父さんは「郵便ではなく、直接配達しろ。手袋をするのを忘れるな」と指示していた。



「まさか〝時山家の悪事をリークする〟なんて。お父さんには脱帽ですよ」

「時山家の化けの皮をはがせるんだ、こんなに面白い事はないだろう?」

「そうですね。三日三晩、寝ずに仕事した甲斐がありましたよ。〝各方面にリークするための資料作り〟を任された時は、どうなるかと思いましたが……。無事に終わって良かったです」




――事の発端は、三日前。体育祭実行委員会中に教室を飛び出した凪緒が、お父さんと電話した日のことだ。



「丸西家の恥にならないよう精一杯がんばる」という必死すぎる凪緒の言葉に嫌な予感がしたお父さんは、すかさず行動に移した。



「以前から、時山家のきなくさい情報は流れていた。だから時山家に使用人を潜入させたりと、少しずつ情報収集していたんだ。そうしたら、出るわ出るわ。どの報告書も、明るみに出たら一発アウトの代物だった」

「金にものを言わせた裏取引の数々、ですか。さすが、歴史が長い名家は奥が深い」



俺の皮肉を聞いて、お父さんが口元のシワを深くする。



「時山の娘が、凪緒や響希くんに近づいてきた――ということは、時山の経営が傾いている可能性が高い。他会社を吸収して力を取り戻そうという腹だろうが……響希くんから話を聞く限り手段を選ばないようだし、エスカレートして事件にでも発展したら大変だ。事が起きる前に、潔く引退できるよう〝引導を渡してやる〟のがライバルってもんだろう。城ヶ崎社長も両手を挙げて賛成してくれたぞ。ニュースを見るのが楽しみだと」

「城ケ崎家にとって、時山家は目の上のタンコブでしたから。排除できる算段をたててくれたお父さんに、頭が上がらないでしょう」

「ふっ、城ケ崎家と並ぶことが丸西家の目標だからな。夢に一歩近づけたのなら喜ばしい」



話ながら、着々と出かける準備をするお父さん。これから城ケ崎の会社に行って「時山が倒産した後の話」をするらしい。俺も同席するため、ドアの前へ移動する。


その時、壁にかかっている家族写真に目をやると、小さな凪緒が両親に手をひかれ、嬉しそうに笑っている。写真を見つめる俺に気付いたのか、お父さんが「凪緒が迷惑をかけてないか?」と。手を動かしながら尋ねた。



「これと言って……ですが、お父さんからメールをもらった時は、何事かと思いました」



委員会を抜け、空き教室にて凪緒と二人でいた時だ。



――電話なら、私ここから、

――そばにいて。ただのメールだから



その時のメールは、お父さんから。「凪緒が危ないことしてないか」と、娘を心配する内容だった。



お父さんがこれだけ勘繰るくらいだから、凪緒が何か隠してるのか?と疑った。だから「俺に何か隠してる?」ってストレートに聞いたけど、凪緒は動揺する割に話そうとしない。あの手この手で詰め寄ったけど、結果は空振り。



「……何をそんなに必死になって隠してるんだか」



するとお父さんが、凪緒と電話で話した内容を教えてくれた。



「あの時は、突然メールしてすまなかったな。しかし、あまりにも凪緒が変なことを言うから……気になってな」

「変なこと?」


「〝頑張らないと欲しいモノは手に入らない〟とか〝私が頑張らないと婚約破棄が〟とか、そんなことを言っていたぞ」

「は? 婚約破棄?」



思ってなかった言葉に、思わず耳を疑う。「婚約破棄」って、どういうこと? 意味が分からない。



「……」



でも「意味が分からない」のに、妙な胸のざわつきを覚えた。きっと気のせい。大丈夫だろう――という過信は……危険な気がする。



「俺、やっぱり学校に行ってきます。どうにも嫌な予感がするので」

「構わない。社長同士どういう話をしたかは、後日お父さんから聞くといい」

「はい、ありがとうございます」



ペコリと頭を下げると「最後に」と、お父さんに呼び止められた。



「響希くんは、凪緒のことが好きか?」

「……」



止まった足、鳴り続ける鼓動、少し速まった脈――それらが何をさしているか。俺は、もう分かっていた。



「俺は……」



凪緒のことを思うと、途端に胸が騒がしくなる。こんな風に、いてもたってもいられなくなる。今まで打算的な付き合いしかしてこなかった俺だけど。そんな俺でも、自信を持ってお父さんに答えることが出来る。



「凪緒のことが、好きです」

「……本気か?」

「はい」



前は、愛や恋は面倒だって思ってたのに。今じゃ自分の気持ちに、これほどの自信が持てる。それってさ、全部ぜんぶ君のおかげなんだよ、凪緒。



「どんな俺を見ても、凪緒は全力でぶつかってくれた。きっと嫌なことの方が多かったろうに、それでも一緒にいてくれた。そんな凪緒がそばにいてくれたから、俺も変われたんです。凪緒には、感謝しかありません」

「――そうか」



俺の言葉を聞いて安心したように。お父さんが穏やかな顔で笑った。かと思えば「ハッ」と。何を思い出したのか、突然ふきだした。俺、何かおかしいこと言ったか?



「あの……?」

「いや、すまない。そうだな、響希くんが凪緒を嫌いなわけないよな。凪緒を預かると君に電話した際、俺は確かに〝一週間後、凪緒をマンションに送り届ける〟と言ったのに、」



――俺の婚約者を、迎えに来ました



「響希くんは、わざわざ家まで迎えに来た。その時に確信した。そこまでする君が、凪緒を嫌いなもんかってな」

「!」



凪緒がいなくなってから一週間後。マンションに凪緒が帰って来るのを待てばいいものを、気づいたら丸西家のチャイムを鳴らしていた。待てなかった……んだと思う。この目で凪緒を見たいと、走りだしていた。



「昔から父の姿を見ていたから、俺が社長になるのは当たり前だと思っていたし、頭には会社のことしかなかった。だけど凪緒と出会って、少しずつ変わって……――初めてですよ。会社以外のことに、興味を引かれて自分から手を伸ばしたのは」



ふっ、と笑った俺を見て、お父さんも同じように笑った。



「婚約式で見た君は、随分うそくさい笑みを浮かべていたが……人は変わるもんだな」

「え」



バレてたか……。バツの悪そうな顔を浮かべる俺に、お父さんは頭を横に振った。



「責めてるのではない。人生ってのは、そんなものだ。変化の連続があって、初めて自分に合った〝心地よい場所〟を見つけることができる。今の響希くんが、その証だろう。凪緒は響希くんにとって、大きな変化になれたんだな」

「……それは、もう」



毎日、毎日、顔を合わせる度に俺と仲良くなろうとする変な奴。やることなすこと無茶苦茶な上、貧弱だから、すぐに危ない目に遭う。そんな子、今まで会ったことない。こんなに俺の心をかき乱し、こじ開けた子は、凪緒以外にいなかった。



「……言っておくが、まだ孫は早いからな」

「っ、ごほ! ごほ」



これ以上ここにいると険悪な雰囲気になりそうなので、「失礼します」と足早に退出した。そして、部屋の外で待機していた安井と合流する。



「響希様、長丁場のお仕事お疲れ様でした。マンションまでお送りします」

「いい。これから学校へ行く」



言うと安井が「えぇ⁉」と声を上げた。



「三日寝てないんですよ? 授業を受けたところで頭に入って来ませんって」

「違う」



ピシャリと言い切ると、安井は首を傾げた。



「では、何をしに学校へ?」

「……俺が、待ちきれないだけだ」


「おやおや、まぁまぁ」

「それに嫌な予感がする……笑ってないで、早く車だして」


「はいはい」



堪え切れない笑みを浮かべて、にんまり笑う安井が腹立つ。気に食わなかったから「スピード超過してもいいから速く走って」と無理難題を押し付けながら、なんとか学校へ到着した。だけど学校に着いた時は、もう放課後。校門ですれ違う女子に「響希様~」と熱い視線を向けられる。



「さすが響希様。モテモテですねぇ」

「……それより安井。今すぐ学校に入る許可をとって」



思ってもなかった発言に「どうして私が校内に?」と安井。そんな秘書に、俺は自身のスマホを見せる。画面には――



「凪緒が電話に出ない。もしかして何かあったのかも――手分けして探すよ」

「! わかりました」



その後、安井は近くを通った教師と一緒に職員室へ向かう。俺は俺で、とりあえず凪緒の教室へ行くことにした。



「下駄箱に靴がある。ということは、絶対に校内にいるはずだ」



それなのに、なんで電話に出ないの、凪緒。しばらく走ると、長い渡り廊下にさしかかる。この先の棟にあるのは図書室と音楽室。一応行ってみようか――と足を踏み入れた、その時だった。



「あら、城ケ崎くんじゃない。久しぶり」



時山先輩――俺を家に招き、薬を盛り、とんでもない企てを計画した張本人。



「ずいぶん慌てているわね、どうしたの?」

「……」



あれ以来この人とは会っていなかったが……。こうして再び目にして分かった。もうこの人には、愛情も尊敬も憧れも。何の感情も湧かないことを。



「あれ? 今日は愛しの婚約者さんはいないの~? 二人って、婚約してるってわりには仲良くないわよねぇ」



時山先輩が近寄って来たかと思えば、俺の首にスルリと手を回す。



「ねぇ、やっぱり丸西さんじゃなくて私にしない? 色々とお得よ?」

「……そうですねぇ」



先輩の腰に片手を伸ばす。すると途端に、先輩が艶っぽい目で俺を見つめた。



「その気があるならさ、ここじゃなくて違う所に行かない?」

「どうして? 今すぐでも、俺は構わないのに」

「ふふ、せっかち」



すると時山先輩は、俺の耳元で内緒話をする。「二人で楽しいことしよっか」と。



「私と一緒になれて嬉しいでしょ? 城ケ崎くんは、ずっと私のことが好きだったものね。そうだ、彩音(いろね)って呼んでもいいわよ」

「彩音、素敵な名前だ。由来を聞いても?」


「えぇ、もちろんよ。確か〝音を彩(いろど)る〟だったかしら。私の発言(音)に皆が影響されますように、っていう揶揄らしいわ。女社長になること前提でつけられた名前よ、ふふ」



気分を良くした先輩が、俺に抱き着く。そして互いの顔が至近距離まで迫った、その瞬間。



「音を彩る、ね。どうりで――うるさいはずだ」

「……え?」



妙に甘ったるい声を出されて。聞きたくない声で、勝手に名前を呼ばれて。自分第一のご都合主義、いつになったら終わるのさ。



「先輩の声が心地いい? 違うよ。先輩の声は、ただの耳障りだ。俺の心に響くのは、凪のような静けさなんですよ」

「凪? そんな面白味のないものの、どこがいいの?」


「〝凪〟でいいんだよ。ただ一緒にいてくれれば、それだけでいいんだ」

「!」



俺の言葉が誰をさし、何を意味しているか――時山先輩は分かったらしい。すぐさま俺から離れ、顔を歪めた。



「そうね。〝あの子〟も今、きっと静かになってるわ。いや、声が出せない状況にあるって言った方が正しいかしら」

「……」

「……焦らないの?」



慌てる俺を見られず、悔しそうに眉間にシワを寄せる先輩。その眼前に、あるものをぶら下げる。



「こ、れは……私のスマホ? どうして城ケ崎くんが持ってるの⁉」

「さっき抱き着かれた時に、ポケットから拝借しました。それで先輩のマネごとをしたのですが……慣れないことはするものじゃないですね。裏解析、骨が折れました」


「裏、解析……?」

「お得意でしょう?」



ふっ、と笑うと、先輩のスマホにニュース速報が流れる。どうやら、関係各所にリーク資料が届いたらしい。絶望的な見出しを見て、時山先輩は顔を青くした。



【 時山家 裏取引で大儲けか⁉ 】



「な、なにこれ……。なにこれ⁉」



先輩は俺からスマホを奪い、しゃがみ込んでニュースを確認する。その間に、俺は安井へ電話し「図書室に急げ」と伝えた。



「笹岡とのメールのやりとり。削除されていたようですが、裏解析で戻しておきました。凪緒の居場所を教えてくださり、ありがとうございます」

「こ、こんなことして、お父さんが黙っていると、」



思っているの――!と叫ぶ寸前。俺は座り込む先輩の真横へ、ダンッと足を降ろす。



「いろんな汚い手を使って、さんざん上からの景色を楽しんだんだ。だから先輩、交代です。これからは城ケ崎家と丸西家がてっぺんに立つ。あなたの席は、もうありません」

「……っ」



ねぇ時山先輩。アンタが、俺と同じお金持ちのクズで良かった。考えが似ている者同士、アンタの企みはだいたい察しがつくからだ。



――今日は愛しの婚約者さんはいないの~?



こんな言い方をするのは、先輩自身が、凪緒の居場所を知っているから。



――その気があるならさ、ここじゃなくて違う所に行かない?



巧妙に他の場所へ誘導するのは、何としてでもココから遠ざけるため。秘め事を隠すためだ。だから俺は「先輩が凪緒の居場所を知ってる」と踏んで、彼女のスマホを調べた。そして笹岡と図書館で落ち合うことを約束したメールを見つけた。きっと、そこに――凪緒がいると予想して。



「じゃ、俺は婚約者を迎えに行くので失礼します」

「こんの……っ!!」



俺と先輩は似てる。

だけど、決定的に違うのは――



「ひたむきに誰かに思われたら、先輩も変われるかもしれないですよ」

「なによ、それ。ムカつく……!!」

「上に立つ者からのアドバイスです。それでは」



そして時山先輩を置いて、図書室を目指した。案の定、鍵がかかっている。が、そんなものは障害にはならない。だって、


ガンッ



「凪緒!」



大好きな人のためなら、どんな困難も乗り越えられると。


君が教えてくれたんだ――




*城ヶ崎 響希*end

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