第9話 ♡+120に訪れたdanger


一週間の実家暮らしを終え、またマンションでの二人きりの生活が始まった。



「ふわ〜」



目覚ましの音で目が覚める。

時間は、七時。



「昨日は興奮して、なかなか寝付けなかったから……眠い」



ずっと会いたかった先輩に会えて、「私に興味が出て来た」なんて本音を言われ、キスもされ……。そんな幸せの連続に興奮して、脳はギラギラに活性化しちゃって。寝たのは確か、朝の四時くらい?



「朝はコーヒーを飲もうかな……」



ブラックは苦手だけど、このままで学校に行けないし。


ガチャ


ドアを開けると、ふわりと漂うコーヒーの香り。あぁ、この感じ。久しぶりだ。



「おはようございます、先輩」

「……おはよ、凪緒」



うわぁ……普通に挨拶してくれるんだ。

しかも名前つきで!



「わ、私もコーヒーを飲もうかなっ」



先輩の「おはよ」だけで、胸キュンがすごい。赤くなった顔がバレないように、そそくさとキッチンに行こうとした。だけど――



「ん」

「〝ん〟?」



差し出されたのは、先輩が手にしていたマグ。色からして、中に入ってるのはブラックコーヒー。タブレットを手にしている現在、いつもならニュースを眺めるはずの切れ長の瞳は……なぜか私を見つめている。



「飲まないの?」

「え、でも……これは先輩のですよね?」



言うと、先輩はふっと笑った。



「凪緒コーヒー飲むの初めてでしょ。だから、コレで味見したら? 飽きたら俺に返して」

「~っ!」



うっわ、あっまぃ……っ。ブラックコーヒーを渡されてるのに、本人がお砂糖たっぷりの激甘なんですけど!



「あ、ありがとう、ございますっ」

「熱いよ」

「は、はいぃ……っ」



「熱いよ」って、何それ。熱いから気をつけなよって、そういうこと?前の先輩だったら、私が転げようが舌を火傷しようが「なにやってんの」って白い目で見るだけだったのに……。先輩が私のことを心配してくれる世界って……存在したんだ。そんなの、そんなの――!


ごくんっ



「あ、甘すぎ……ですっ」

「え」



頭からぷしゅ〜と湯気を出す私に、先輩はタブレットを置いて席を立つ。そして、だんだん近づいて……「熱ある?」って。オデコとオデコを当ててくれた。



「な、ないです、ないですっ」

「……? ふぅん」



ワタワタして、今にもマグを落としそうな私から、サラッとスマートにマグを取り返す先輩。一口飲んで、「ブラックだけどな」と不思議そうに呟いた。その姿が尊くて、なんかもう、ここは天国かなってくらい幸せで……。先輩の「私に興味が出た」って、こんなに甘くなるレベルなんだって感動しちゃう。



「これで付き合ったりでもしたら、一体どうなっちゃうんだろう。先輩が甘くなりすぎて、私なんて溶けちゃうよ……」



ポツリと呟いた声は、再び椅子に座った先輩の耳に届く。



「付き合ったりでもしたら……って」



言いながら、眉間にシワを寄せた先輩。お、なんだか雰囲気が変わった。ほらほら、先輩はこういうのだって。私がのろけた事を言うと、真顔で怒るのが先輩なんだって。と思ったけど――



「ねぇ凪緒」

「は、はい!」


「俺と婚約してるって忘れた?既に付き合う以上の仲でしょ、俺たちは」

「!?」



雰囲気が、変わってない!

先輩の極甘オーラが健在です!


なんで、どうして……

どうしちゃったんですか、城ヶ崎先輩!



「いやいや。ここで思い上がったら痛い目見るって、さんざん経験したでしょ私……っ」



そう。上げて落とすのが先輩の戦法だ(勝手に私が浮き沈みしてるだけだけど)。


だからこれも、きっと何かの罠!

素直に喜んじゃいけない気がする……!



「た、確かに婚約してますよねぇ。〝形だけの〟、ですが」

「は?」

「〝は〟って……先輩が言ったんですよ?」



――俺たちの結婚は形だけだから



先輩の発言に倣って「形だけの」って言っただけ。でも先輩が、鳩が豆鉄砲を食らったような顔してる。私……、何か変なこと言った?


すると先輩が「まさかとは思うけど……」と、私から取ったマグを、コトンと机上に置いた。



「昨日、俺が言った言葉を覚えてる?」

「もちろん覚えてますよ!〝私に興味が出た〟ですよね! へへッ」



言うと、先輩は安心したように息を吐く。だけど、次の私の言葉を聞いて、再び固まった。



「私に興味が出てきた、ということは……やっと次のステージに進めるってことです!」

「次のステージ?」


「はい、ズバリ……私を好きになってもらう――!それ以外ありませんッ」

「………」



ピシッ


石みたいに固まった先輩に、ヒビが入る。「先輩~?」と顔の前で手を振っても反応なし。かと思えば、急にボンッと顔を赤くして「そう言うことか」と。先輩は、口に手をやった。



「〝興味出てきた?〟って、そのままの意味だったのか。てっきり俺は……」

「先輩?」

「……っ」



先輩の向かいに座って、作ってきたココアを飲む。喉に降りた甘さが、顔の力を緩めた。あぁ、お砂糖って癒される……。



「たまには先輩も、甘いココアどうですか?」

「……いらない」

「朝ご飯は甘い物を食べても太らないという都市伝説があってですね……って、どこ行くんですか先輩。まだコーヒー残ってますよ?」



急に席を立つ先輩に声をかける。すると先輩は私を見下ろした直後――それはそれは深いため息をついた。さっきまで赤い顔をしていたのに、今は暗い影が落ちている。あぁ、この感じ……。このダークな雰囲気が久しぶりで、威圧感がすごいです……っ。



「せ、先輩?」

「……ごちそうさま。先に行くから」

「えぇ⁉」



さっきの甘々な展開はどこへ⁉この数分の間に、何があったんですか!



「ま、待ってくださいよ! 今日は一緒に行きます!」



いや、行かせてください!とお願いする私を置いて、すたこらさっさと出て行く先輩。わ〜、早すぎですって!


ガチャ、バタン



「あぁ、もう先輩! 待って……ん?」



すると、玄関で小さな紙きれを見つける。カサッと音がするソレは、四つ折りにされており中身が見えない。


今……、先輩が落としたよね?大事なものだったらいけないから、届けなきゃ!



「待ってくださいよ、先輩~!」



五分で身支度を終えて、外に出る私。すると先輩はちょうどエレベーターのドアを閉めたところで、運悪くはじき出されてしまった。エレベーターが往復するまで時間がかかる。そうだ、こういう時のために階段! 体力には自信ないけど、使うしかない!



「待っててください先輩、今いきますー!」



拾った紙きれをポケットに入れて、長い長い階段を必死に降りる。そして火事場の馬鹿力のおかげで、エレベーターの先輩とほぼ同時に一階に着いた。



「はぁ、はぁ……先輩、ちょっと、お話し、しましょう」

「……」



必死に先輩を追いかけたというのに「何バカな事してんの」と言わんばかりの冷めた目。うん、いつもの先輩にバッチリ戻ってる。



「わ、私……何かしちゃいましたか? 何か失言があったとか!」

「……別に」

「うぅ……」



答えてくれなきゃ分からない。だけど、先輩の機嫌がどうにも悪い。っていうか、なんか私を避けてるというか、逃げてるというか。うぅん……こうなったら仕方ない。話題を変えよう。



「今さらですが、昨日わざわざ家まで迎えに来てくれて、ありがとうございました。ちょうど勉強最終日で、タイミングバッチリだったんです」



すると「知らないの?」と先輩。



「凪緒のお父さんから、事前に電話を貰ってたんだ」



――響希くん、凪緒はウチにいるよ。会社の用事で一週間泊まる事になってね。急に済まないな



「だから迎えに行ったんだよ」

「そう、だったんですね……」



そっか。お父さん、先輩に電話してくれてたんだ。私は安井さんに伝言を頼んだから、それでいいと思ってた。私がいなくても心配する先輩じゃないだろうし、って。


だけど……、そっかそっか。先輩はお父さんに言われてたから、昨日、家に来てくれたんだね。



「私はてっきり、先輩が自ら……いえ、何でもないです」

「……っていうかさ、〝勉強〟ってなに?」


「え?」

「昨日お父さんから〝実家で何をしていたかは本人から聞いて〟って言われた。家にも帰らず一週間、何を勉強してたの?」


「それは、ですね……」



別に隠す事じゃない。だって「先輩の役に立ちたくて会社のことや経営を勉強した」って言っても、先輩は怒らないはず。


だけど……言いにくい。だって先輩、既に怒ってるんだもん。



「いま先輩が怒ってる理由を話してくれたら、私も話します」

「そんな子供みたいな事いいから。早く言って」


「こ、子供じゃないですっ。そう言われるのが嫌で勉強したんですから!先輩が怒ってる理由を教えてくれないなら、私も教えてあげません!」

「そんな駆け引きしてる内は、まだまだ子供だよ」


「……っ」

「……」



空気が重い。朝の甘いムードは、一切の雰囲気を残さず散ってしまったらしい。



「あ、学校……」



マンションから学校は近い。数分も歩けば到着する距離だ。何か話さないと、この空気のまま離れ離れになってしまう。それは嫌だ――って思うのに、何も言葉が出ない。


何を話しても、さっきの甘い雰囲気と比べちゃう。あの幸せな時間に戻りたいって、欲が出ちゃう。目の前の先輩は、もういつもの冷徹な顔に戻っているというのに。更にケンカまでしてるっていうのに。なかなか私は、夢みたいな朝が忘れられない。



「私は……、優しい先輩が好きです」

「! ……優しくなくて悪かったね」



もうやだ。私、なんで自分で傷口に塩を塗ってるんだろう。こんな事したって先輩は私に優しくならないし、甘い雰囲気が戻ってくるわけじゃないのに。



「……」

「……」



長いながい沈黙。

最悪な空気にしてしまった。

どうしよう。どうしたらいいんだろう――


心の中で慌てふためいた、その時だった。



「……凪緒」

「え……は、はい」



突然、先輩が私を呼んだ。予想外なことにビックリして、歩く足が止まる。そして私より数歩進んだ先で、同じように先輩も止まった。



「……これだけは答えて。俺と時山先輩が電話してた時、その場に凪緒もいた?」

「え……」



前を向いたまま、背中で私に問う先輩。体の線は細いのに、広い肩幅と大きな背中。あの体に、昨日私はずっとお姫様抱っこされてたんだ……。って違うちがう。今は質問に答えなきゃ。


ドキドキする胸を押さえながら、少し前の事を思い出す。先輩の言ってる日って、あの日のことだよね?



――先輩は今朝まだしんどそうで、んっ!!

――あなたは黙ってて



「いました。時山先輩と一緒に……」



すると先輩は「ふぅん」と、振り返って私を見た。そして「何もされなかった?」と。さっきまでの冷たい雰囲気がウソのように、優しい言葉を私にかけた。



「え……」

「時山先輩の家に行きたいなんて、微塵も思わなかった。でも電話の向こうで……凪緒の声が聞こえた気がした」


「それが理由で、時山先輩の家に行ったんですか?」

「……もし凪緒が危ない目に遭ってたらと思うと、どうしても放っておけなかったんだよ。それだけ」


「!」



あの時、私の心配をしてくれてたの?

私を想って、あぁ言ってくれたの?



――わかりました。家の前で待っておけばいいんですね?



私、見捨てられたわけじゃなかったんだ……っ。泣きそうになるのを、唇を噛んで我慢する。すると先輩は私の所まで戻って来て、ポンっと。私の頭に手を置いた。



「今回は何もなかったからいいけど、今後は気を付けて。もう分かったと思うけど、時山先輩は手段を選ばないから。時山先輩、それと笹岡――この二人には近づかないこと。一応お守りはつけたけど、万能じゃない」



言いながら先輩は、私の首を這うように撫でた。触れるか触れないかの絶妙なタッチに、思わず肩がはねる。くすぐったいのもあるし、昨日の熱いキスを思い出してしまって――



「あ……、ぅっ」

「……約束したから。じゃ」

「待っ、……行っちゃった」



温かな手が離れ、先に校門をくぐる先輩。そんな先輩の広い背中を、再び見つめた。



「先輩、やっぱり勝手すぎますよ……」



甘いと思ったら、冷たい言葉。冷たいと思ったら、甘い言葉。コロコロ変わる先輩に翻弄されて、かき乱されて。私の心、もうぐっちゃぐちゃになってます。



「どうしてくれるんですか、先輩……」



ぐちゃぐちゃに絡まっても、結局は「先輩が好き」って気持ちで丸くおさまっちゃう。どんなに先輩に翻弄されても、かき乱されても、どんどん先輩の魅力にはまっていく。



「やっぱり先輩は、キケンな沼です……」



決して出られない底なし沼。最初は足の先しか浸かってなかったのに、今じゃ息をするのも大変なほどハマってる。



「にしても〝お守り〟ってなんだろう……。それに〝笹岡に近づくな〟なんて。無茶ですって、先輩」



一週間、学校を休んだ。その間も体育祭の準備は進んでるはずだ。それなのに、実行委員の私が休んじゃって……笹岡にはかなり迷惑かけてるはず。


だから先輩、ごめんなさい。体育祭が終わったら、笹岡に近づかないようにするから。それまでは、どうか見逃して――!



「よー、丸西。久しぶりだな」

「わ! さ、笹岡!」



噂をすれば何とやら。先輩が校舎に吸い込まれた後、その人物は私の前に現れた。



❁⃘*.゚




「もう風邪はいいのか?」

「えっと、風邪ではなくて家の用事で休んでたの。迷惑かけちゃって本当にごめん」


「全然! 周りの手伝いもあってさ、スローガンと種目決めが終わったぜ。横断幕と、応援団の衣装チームも決まった!」

「えぇ⁉ すごい、ありがとう!」



笹岡って、責任ある人だったんだ……。すごい進んでるよ、ビックリ!



「なんか、見直しちゃった。笹岡のこと」

「失礼な。俺はやる時はやる男だぜ?」

「あははっ、本当だね」



校門から教室に入るまでの間、笹岡から体育祭の話を聞く。さっそく今日、委員会があるらしい。



「委員会……かぁ」



正直、トラウマしかない。前回の委員会は、笹岡と事故チューしちゃうわ、時山先輩に盗撮されるわ、目の前で城ケ崎先輩を奪われるわ……で踏んだり蹴ったりだった。



「おーい、丸西? 大丈夫か?」

「……っ、うん」



でも、怯えてばかりじゃダメ。あの時の二の舞にならないようにって、私は猛勉強したんだから――!



「大丈夫。ちょっと考え事してただけ」



そう言うと、笹岡が「あぁ、あの事か」と私と同じく眉を下げる。


ん? どのこと?


すると笹岡がスマホを出し、何やらタップタップ。そして「これ」と、私の前にニュース記事を出した。見出しは――



【 城ケ崎グループ海外進出から一か月。短期間で快進撃! 】



「あ、これ勉強した。城ケ崎グループが、海外に支社を置いたって……」

「海外で有名な企業とも手を組むらしいぞ」


「へぇ、さすがだね」

「でも、そうしたら心配だよなぁ」



……ん?

何が心配なの?

頭をコテンと倒した私に、笹岡が説明する。



「これから外国人との付き合いも増えてくって事は、跡取りの城ケ崎も海外を飛び回るってことだ」

「それが?」


「フツー不安じゃね? 海外だぞ? どこぞの美女と何かしてても気づかねーじゃん」

「美女と何か……って、」



はぁ!?

どこぞの美女って、どこの美女だ!

何かしててもって、ナ二なんだ!


って、普通の婚約者なら怒るだろうけど……あいにく、私たちは形だけの婚約なんだよねぇ。私に興味が出た、と先輩が言ってくれても、まだまだ一方通行の片思いには変わりない。もし先輩がナニかしてても、怒る資格、私にはないよ。



「丸西、どした?」

「あ、ううん……、わっ」



突然、窓からぴゅぅと風が入って来る。すると私の髪がふわりと浮き、首が露わになった。と同時に、笹岡がある事に気付く。



「首、蚊に刺されたのか?」

「ううん。刺されてないよ?」


「え、じゃあ、それって……」

「?」



教室に入る直前。笹岡は周りをキョロキョロして、私の耳に近づいた。



「それって、キスマーク?」

「え……、えぇ!?」



き、キスマーク!?

そんなものが、どうして私の首に!?


必死になって記憶を辿ると、一つだけ思い当たることがあった。それは、昨日の帰り道でのこと。お姫様抱っこされている時、一瞬だけ首元にチクッとした痛みがあった。まさかあの時に……、え?


私にキスマークをつけた!?

あの城ケ崎先輩が、私に⁉



「そう言えば、さっき……」



――一応お守りはつけたけど



あの時、首を触られた。ということは……。まさかお守りって「キスマーク」のこと!?そんな、そんなの――



「あ、甘すぎるよぉ……っ」

「おい丸西! しっかりしろ丸西!」



半ば担がれながら、笹岡と教室に入る。すると「凪緒、大丈夫!?」と芹ちゃんが駆け寄ってくれた。



「一週間休んだと思ったら……。まさか、こんな重病だったなんて……!」

「ご、誤解です。芹ちゃんっ」



すると、私たちの横を笹岡が通る。

その時、ポツリと呟いたことは――



「病(やまい)は病でも、本当の病気じゃないんだと。お大事に、丸西」



「……ねぇ凪緒。笹岡、なんか機嫌わるい?」

「さっきまで話してたけど、そんな事なかったよ?」



すると芹ちゃんが「ふーん」と一言。次に「それで?」とニヤつくあたり、笹岡が機嫌悪く見えたのは気のせいってことかな。



「どんな恋の病にかかったのかな、凪緒? 詳しく聞かせて~」

「わーん芹ちゃん、聞いてよ聞いて~!」



そして芹ちゃんに、今まであった事を全て話す。すると「前は凪緒にスルーだったのに進展ありじゃん!」と喜んでくれた。



「キスマークつけてくれたって、すごい愛を感じるよね。しかも、それを〝お守り〟っていう所がさ~! 大事にされてる証拠だよ」

「朝はケンカしちゃったけどね……」



視線を下げる私を、芹ちゃんが優しくなだめた。



「自信もっていいと思うけどなぁ。だって、もう出会った頃の二人に戻りたくないでしょ?」

「それは……。うん、もちろん!」


「なら、その時よりも今は進歩してるって事だよ。凪緒が頑張ってる証拠」

「そっか……。ありがとう、芹ちゃん」



ふふ、と笑う芹ちゃんに癒される。友達と話していると、不思議とパワーを貰える気がする。その証拠に、先輩とケンカした傷も癒えてきた。帰ったら「意地はってごめんなさい」って、きちんと謝ろう。


と、思っていたけど。なんと私は、家で会うよりも先に、先輩と遭遇することになる。それは――



「え~。では体育祭実行委員会を始めま、」


「キャー! 響希様よ!」

「今日もカッコイイ~!」


「こほん。そこ、静かに!」



前回とは違う、騒がしい委員会。それもそのはず。なぜなら――委員会の教室に、城ケ崎先輩の姿があるから。教壇で大きな声で話す委員長の横で、まるで教師のように椅子に座って全体を見る先輩。朝は私とケンカをして、あんなに剣幕だったというのに。今は学校専用のニコニコ顔を張り付けて、女子全員のハートをつかみに行ってる恐ろしい私の婚約者。



「委員長、騒がしくしてしまってすみません」

「いいのいいの、委員会が進まないよりも、献金してもらえる方が助かるもん!」

「はは。挨拶が終わったら、すぐ退室しますね」



委員長は女の先輩。テキパキと、今日決める内容について話している。すると私の隣に座る笹岡が、こっそり私に耳打ちした。



「献金ってことは、城ケ崎も、時山と同じく学校に金を援助したってことだよな」

「そうなるね」



その時、ふと思った。一位の時山、二位の城ケ崎が献金したら、三位の丸西家も続かないと顔がたたないよね? あとでお父さんに相談してみよう。



「そういえば笹岡、ココなんだけど…………ひぃ⁉」

「ん~?」



笹岡のんびりな声とは裏腹に、閃光が通り抜けるような視線を感じた。辿ると……組んだ足の上に、これまた両手を組んで置いてる城ケ崎先輩。鋭い眼差しの源は、ここだった。



「おい、なんだよ丸西」

「に、にゃあ……」

「はあ?」



わけわかんねーやつ、と。笹岡が私から目を離した。


ごめん笹岡!

不審な奴でごめん!


でも私、ちょっとの間、忘れてたの。先輩から言われてた、「あの約束」を!



――時山先輩、それと笹岡。この二人には近づかないこと



それなのに私ったら、舌の根の乾かぬ内に笹岡と登校して、あまつさえ隣同士の席に座って。だから怒ってるんだ。先輩の笑顔の裏には、きっと鬼の顔がベッタリ張り付いているに違いない……っ。



「今日が何事もなく終わりますようにっ」



と願う私の横で、カシャンと音がした。見ると、誰かの手から落ちたシャーペン。「拾わなきゃ」と、何も考えず手を伸ばした――その時だった。


ゴチンッ



「いたッ」

「わ!」



どうやら笹岡とタイミングが被ったらしく、頭同士でぶつかってしまう。笹岡も取ろうとしたってことは……これ笹岡のシャーペンかな?



「いたた、はい笹岡。どうぞ」

「いってー。どうもどうも、ありがとな」



ニッと笑う笹岡……ここまでは良かった。ここまでは。だけど、なぜか笹岡は、この後――



「おい丸西、顔が青いぞ? 大丈夫か?」って。私の頬を掴んで、至近距離まで近づいた。ひー、近い! 近いって笹岡ぁ!わざとなの⁉ってくらい、先輩から丸見えの角度で私と顔を合わせてる!


こ、こんなところ先輩に見られたら……!


もがきながら、チラリと横目で先輩を見る。

するとバッチリ。先輩と目が合ってしまった。



「――……(にこっ)」

「さ、笹岡……もう大丈夫だからっ!」



ドンッと笹岡を押して、自分の机に塞ぎこむ。先輩の笑顔が怖すぎるよ!だけど、どこまでもマイペースな笹岡は「それにしても」と。いつもの調子で、私に笑いかけた。



「丸西の婚約者、すごい人気だな」

「先輩は〝沼〟だからね……」

「なんだそりゃ」



私の答えを楽しむ一方で、「だけどさ」と笹岡。



「丸西の表情がコロコロ変わるのって〝城ケ崎先輩〟のせいなんだろ? 丸西さ、城ケ崎と一緒にいて疲れねぇ?」

「どゆこと……?」


「まだ学生なのに婚約させられてさ。好きでもない男のことで振り回されて。丸西が大変そうなの見ると、なんか俺が嫌なんだよ」

「笹岡……」



これは笹岡の優しさ……なんだろうな。でも、違うの笹岡。好きでもない男に振り回されて、じゃないの。



「私……城ヶ崎先輩のこと、本当に好きだよ?」

「っ!?」



すると笹岡は、眉間に皺を寄せて「は?」と言った。いつもの笹岡らしくない、怖い雰囲気だ。



「好きって……。でも朝のキスマークだって、知らない間につけられてたんだろ?そんなの勝手じゃね?嫌ならハッキリ言えって」

「え、っと……」



なんて言ったらいいか分からない私に、拾ったシャーペンをクルクル回しながら笹岡は呟いた。



「ってか海外進出の事で城ヶ崎の評判は右肩上がりだし。いっそ婚約破棄されるかもな、丸西」

「へ……、え?」


「これから付き合いが濃くなりそうな外国人のご令嬢と……って可能性も充分あるわけだろ?そしたら丸西も解放されるわけだし、結果ウィンウィンじゃん」

「――っ」



ガタッと。

思わず、席を立ってしまった。


婚約破棄――なんて。まるで雷が落ちたように。頭のてっぺんからつま先まで、ビリビリと衝撃が走る。



「ま、丸西?」

「ちょっと……ごめん。ぬ、抜けますっ」



委員長の「トイレ?」という言葉を聞きながら、教室を出る。教室に先輩もいるのに、こんな情けない姿をみせちゃった……。でも、いてもたってもいられなくて。見えない恐怖から逃げるように、教室のドアを閉めた。


バタンッ



「……」



去る私を見ていのは、城ケ崎先輩。空っぽになった机を見た後、ツツツと視線を横へズラす。すると……なんと笹岡と目が合った。



「――失礼。俺も少しだけ席を外しますね」

「あぁ、丸西さんは婚約者だもんね。彼女、調子悪いかもしれないし様子みてあげて」

「ありがとうございます」



ニコッと笑った先輩は、一番前から移動して、私の机を通り過ぎる。すると必然的に、笹岡の隣も横切るのだけど――



「……」

「……」



初対面の二人。だというのに、二人の間に流れる空気は、驚くほど冷たい。まるで冷気が漂っているような。そんなバシバシした鋭い空気が、二人を包む。このまま何もなくすれ違うか――と思った矢先。


「あのさ」と。先輩が口を開いた。



「あまり凪緒をイジメるようなら、俺が黙ってないけど?」

「……はは。誰がイジメてるのか、もう一度考えてみろよセンパイ。アンタ絡みで、どれだけ丸西が傷ついたと思ってんだよ。本当に大事に思うなら、もっと優しくしろや」


「優しく、ねぇ……。お前の言う優しさって、凪緒を傷つけることなの?」

「は?」



笹岡を見下ろす先輩。先輩を見上げる笹岡。睨んだ瞳は、空中で静かにぶつかり合っている。



「自分だけが満足する優しさが本当に正しいと思うなら、何年かかっても凪緒をオトす事は出来ないよ。ま、奪わせないし、俺以外の奴を好きにもさせないけどね」

「〜っ」



ギリッと奥歯をかみ、悔しい表情を浮かべる笹岡。対して先輩は口角をひょいと上げ、いつものニコニコ顔に戻った。



「じゃあ、忠告したからね」

「……」



そうして先輩は教室を出る。背中には、自分を見る笹岡の視線が最後までつきまとっていた。

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