第7話 ♡+70で覚めたdream


「このまま家に帰りたくないなぁ……」



学校からの帰り道。


かろうじて涙は止まったけど、心はまだまだショックを受けていて……。先輩に見捨てられた、とか。今頃二人は、とか。考えたくない事を、もう何度も頭の中でグルグル考えちゃう。



「心から先輩の婚約者になるのは、無理なのかなぁ……?」



女性を家に連れこんだり。好き嫌い以前に興味無いと言われたり。間違って手を出した時は「忘れて」と突き放されたり。今までヒドイ事をされてきた。だけど、それでも先輩を諦められなかったのは、



――朝の電話の人。断ったって言ってんの



先輩が、ほんの少しでも私を見つめ返してくれたから。私のことが本当に〝どうでもいい〟なら、きっと話すらしてくれない。もちろん「女の人を招かないで」という約束も守らないはず。


でも、先輩は私と話してくれた。

約束を守ってくれた。


冷徹そうに見えて、実は私の事を気にしてくれる先輩が、やっぱり大好き。確かに最初は一目惚れだったけど、一緒に暮らすようになって先輩の中身を知って……もっともっと好きになった。


……あぁ、だからか。

だから、さっきの先輩の声が頭から離れないんだ。



――家の前で待っておけばいいんですね?



私は、もうきっとどうしようもないくらい。

城ケ崎先輩のことが、大好きなんだ――



「う~っ、先輩ぃ……っ」



行かないで、私だけの先輩でいて――

そんな独占欲で頭が支配され再び涙が溢れた、


その時だった。プルルと鳴ったのは、電話の着信音。だけど一度だけ鳴った後、あっけなく切れてしまう。



「誰だろう……、――っ⁉」



ぼやけた視界に写る発信元は「見間違い?」って思うほど驚く人物で。だけど涙を拭いてハッキリした視界でも、その人の名前は確かにあった。



【  着信履歴 : 城ケ崎 響希  】



「な、んで……っ」



ねぇ、どうして。

何でこのタイミングでかけてくるの?


見間違いかと思った相手。

それは、私のスマホに登録したての人。

私の婚約者、そして――私の大好きな人。



「行かなきゃ……っ!」



やっぱり、時山先輩に城ケ崎先輩は渡せない。

先輩は、私の大事な人だから――!



「先輩、電話に出て! お願いっ」



今、先輩の声を聞きたい。いつもの声で「凪緒」って呼ばれたい。それなのに……肝心の先輩は電話に出ない。さっきもワンコールで切れたし、先輩、何かあったの?



「なんで私、時山先輩の家を知らないの……っ」



今から学校に行って、時山先輩の家を先生に教えてもらう? でも個人情報が理由で却下されそうだし。


じゃあ、どうすれば――


その時。目の前に、長くて黒い車が止まる。すぐに運転席のドアが開き、見知った顔が降りて来る。安井さんだ。



「凪緒様、お迎えにあがりました。これから時山家に参ります。ご一緒して頂けますか?」

「安井さん……はいっ。私を城ヶ崎先輩の所に連れて行ってください、お願いします!」



ガバッ


深くお辞儀をすると、安井さんが柔らかく笑った。そして私を後部座席に誘導し、安井さんの優しい雰囲気に合わない「荒っぽい運転」で車は走り出す。



「さて、事は急を要します。珍しく響希様がヘマをされたので、少々急ぎますよ」

「〝ヘマ〟?」


「響希様のピンチ、と言えばよろしいでしょうか」

「え!」



先輩のピンチ……って。

時山先輩の家で、何があったの⁉



「せ、先輩は大丈夫なんですかっ?」

「響希様もバカではありませんから、万が一の事を思って私に連絡していたのですよ」



〝これから時山家に行く。指定の時間になっても俺から連絡無ければ、直ぐ来るように。あ、あと――〟



「〝マンションの近くでネコが泣いてるだろうから拾って来て〟とも」

「泣いてるネコ?」


「ふふ。試しに〝にゃあ〟と泣いてみますか?」

「!」



ネコって私のことなんだ!しかも〝泣いてる〟なんて……っ。すると「響希様の負けですね」と安井さん。



「凪緒様、響希様に教えてあげてください。響希様が思ってるよりも、ネコは強くしたたかだと」

「それって、…………ん?」



瞬間、窓の外に写る景色に釘付けになった。だって目の前に広がる景色は――



「お、お城……⁉」



高い塀に囲まれていても、中にそびえたつ建物がハッキリ見える。それくらい建物が高く、大きい……。いったい何階あるの⁉



「これが時山家ですよ」

「や、やっぱり⁉ そうかなとは思ってました……。でも想像を絶するというか」



長い距離を車で走り、門前へ到着する。何かのパレードが出てきそうなほど、ずらっと横に長い門。建物のスケールが桁違い。



「さすが、天下の時山家ですね……」

「凪緒様、堂々としてくださいね。あなたは響希様の婚約者なのですから。では、ご武運を」

「え⁉」



一緒に行ってくれないの⁉さすがに一人じゃ心細すぎるよ、安井さん!ドアを開けてくれた安井さんは、私の背中をポンと軽く叩く。



「私はただの秘書、中に入る資格はありません。それが出来るのは凪緒様だけです」

「そ、そんな……」

「響希様を取り戻したいんでしょ? なら、前進あるのみです」



安井さんはニコニコしながら、その糸目をチラッと開ける。瞳の奥から「頼みますよ」と言われた気がした。



「……よしっ」



そうだ、さっき安井さんは「急を要する」って言ってた。先輩が危ない目に合ってるかもしれない。だったら迷ってる暇はない、早く行かなきゃ!



「いって、きます……!」



はぁ、ふぅ。深呼吸して、インターホンを鳴らす。


ピンポン



『はい、どちら様ですか?』

「私は……城ケ崎響希の婚約者、丸西凪緒です。中にいる響希さんと彩音さんとお話するために参りました」

『……少々お待ちください』



私を招かんと、長い門が時間をかけて口を開いていく。すると目の前に広がる建物に、ジットリした冷や汗が出てきた。大きな建物に圧倒される。「帰れ」と言われてるみたいで、恐怖すらある。いや実際、私は怖いんだ。中で二人が何をしてるか、この目で見るのがこわい。



「……でもっ、先輩は私を呼んでくれた」



電話をしてくれた。

私を必要としてくれた。

だから、行くんだ。

先輩を返してもらいに――!


安井さんに別れを告げた後、ついに時山家へ足を踏み入れる。たくさんの使用人さんに見守られながら、とある部屋の前まで案内された。


コンコンッ



「彩音お嬢様。お客様をお連れしました」



仕様人さんが、ドアの取っ手へ手を伸ばす。だけど、こちらが開ける前に、中から思い切りドアが開いた。


バンッ



「きたか、凪緒……」

「せ、先輩?」



ドアを開けたのは、顔を赤くさせ、大量の汗をかいた城ケ崎先輩。風邪をこじらせたのかな、息遣いがかなり荒い。それに……なんだか目がうつろ。今にも寝てしまいそうな先輩の肩を、急いで支えた。



「先輩、体調が悪いんですね? 体が熱いっ」

「気にしなくて、いいから……」



すると、部屋の奥から声が聞こえた。だんだんと近づく声に、先輩は眉間を顰める。



「あらぁ、つまんない。もう来ちゃったの?」

「っ! 時山先輩……っ」



先輩を見て、思わず息が止まった。なぜなら、制服のボタンがいくつか外れて、いやらしい下着が見えていたから。その下着も、少しだけ乱れてる……。まさか先輩の顔が赤いのって、今まで二人でエッ、――!


突然ボカンと、頭に重たい衝撃が加わる。



「痛ッ!」



見ると、城ケ崎先輩が怖い目つきで私を睨んでいた。



「バカな想像する前に……、早く行くよ。外に安井いるんでしょ?」

「あ、はい、一緒です!」



大きく深呼吸した先輩は、今までのしんどさがウソのように、私から離れて一人で歩きだす。急いで後を追う私。その後ろから、「待ってよ!」と時山先輩の声が廊下へ響いた。



「教えて城ケ崎くん、どうして乗ってくれなかったの?」

「……」



先輩はピタリと止まり、時山先輩へ振り返る。



「俺は……」

「……」



漂う沈黙。ついさっきまで、二人きりで部屋にいたとは思えない冷たい空気が、すごい速さで廊下を流れた。



「俺は、やっと夢から覚めたんです」

「夢?」


「時山先輩に抱いていたのは恋じゃなく憧れだった、って。同じ金持ち同士、社長の子供同士……悲しい事も辛いことも、同じようにあったはず。だけど先輩はいつも笑っていて……スゴイと思った。そしてそれを、恋だと勘違いしたんです」

「勘違いって、どうして断言できるの?」


「……簡単ですよ」



すると先輩は私のそばに寄り、ギュッと抱きしめた。熱すぎる体温を、これでもかと私に押し付ける。そして――



「凪緒は使用人も秘書も使わず、俺の風邪を治そうとした。俺のためにと、一人で一生懸命頑張ってくれたんです。だけど……時山先輩はどうですか?」

「っ!」



――看病もバッチリ任せて? 仕様人に手厚くさせるわ

――一番上にい続けるためには、どんな事だってする



「あなたのした事は、俺のためじゃないでしょう?所詮、金持ちは皆クズ。やることが最低な者同士、先輩も俺も同じ穴のムジナってわけです。だけど凪緒は違う。心から俺の事を考えてくれる、想ってくれる。そんな婚約者に〝応えたい〟と思うのは当然でしょう? 俺は恋をするなら、先輩じゃなく凪緒がいいんです」

「城ケ崎先輩……っ」



城ケ崎先輩の横顔が寂しそう。一つの恋の終わりを見ているようで、思わず胸が切なくなった。



「私にそんな事を言っていいの? あなたの会社に不利益が行くわよ?」

「既に対策済みですよ。時山家の買っている株に不穏な動きがあったと報告があり、早急に会議を開かせてもらったので」



あ、この前、先輩が「同席する会議がある」って言ったのは、この事だったんだ。じゃあ時山先輩の企みを、早くから知ってたんだね。



「いま事を起こせば、損を貰うのはソチラですよ。先輩の好きな〝一番上の景色〟が終わっていいんですか?」

「ふん、面白くない。早く出て行って、今すぐ!」

「もちろんですよ、では」



城ケ崎先輩は、私の肩を抱いて歩き出す。だけど、ピタリと止まって、僅かに後ろを振り返った。そして、



「一瞬の夢をありがとうございました、時山先輩」



透き通る声で、時山先輩に別れを告げた。その時の先輩が泣いてるように見えて、だけど泣いていなくて――むしろ泣きそうなのは自分だと、時山家を出てから気づいた。



「なんで、アンタが泣いてんの?」

「ま、まだ泣いてません……っ」

「……ふっ、変な奴」



しんどそうな先輩が、目を伏せて笑う。その横顔がキレイで、こんな時だというのに思わず見とれてしまう。



「……なに、そんなジッと見ないでよ」

「だ、だって……」



先輩に聞きたいことが色々ある。

本当に、たくさんあるの。

どうして私に電話をくれたの?

時山先輩とは何もなかったの?

さっき言った事、アレは本心?



――俺は恋をするなら、先輩じゃなく凪緒がいいんです



聞きたい、今すぐ答えを知りたい。


ねぇ先輩。

聞いたら、素直に答えてくれますか?

はぐらかさず、今度こそ私と向き合ってくれますか?



「……せ、先輩、あのっ!」



意を決して口を開いた時、急に安井さんが目の前に現れる。



「響希様、凪緒様!」



見渡すと、ここは門の前。良かった、無事に帰ってこられたみたい。



「安井、心配かけた」

「響希様……」



先輩の顔を見た瞬間、安井さんから「ほぅ」と安堵の息が漏れる。だけど先輩の全身をザッと確認した後、困ったように眉を下げた。



「すぐにお二人の家に向かいます。響希様、それまで辛抱してくださいよ」

「ん……、頼む」



来た時と同じく、少し慌ただしいスピードで車は発車した。安井さんが運転する中、先輩は私の隣で「はぁ、はぁ」と息荒く呼吸している。先輩、風邪がしんどそう……。薬は飲んだのかな?心配で先輩の顔を覗き見る。すると薄茶色の前髪の向こうから、ぼんやりした瞳と視線が合った。



「凪緒……」

「先輩、体調どうですか? 家に帰ったらおかゆを、」


「それより……今は、こっちの方がいい」

「んっ⁉」



車の中、突然のキス。広い後部座席をいっぱい使って先輩は私を押し倒し、キスの雨を降らせた。



「せ、先輩どうし、んっ」

「凪緒、もっと」

「はっ、ぅ……」



先輩が自ら私にキスしてくるなんて、これは夢?前に安井さんいるから、やめないといけないのに――目の前に先輩がいるのが嬉しくて、手を伸ばせば簡単に触れる距離にいるのが幸せで、つい「もっと」とせがんでしまう。



「凪緒、口を開けて、」

「ん、あ ぅ……っ」

「そう。いい子。そのまま――」



先輩の熱は鳴りやまず、私の鼓動も激しくなる。呼応し高ぶる欲求を止める術を持たない二人は、



「ひゃ、先輩……そこ、はっ」

「触っちゃ、ダメなの?」



まだ見ぬ領域へと、足早に踏み入れた。



「俺は触りたい、見たい……その先だって」

「ま、せんぱ……あっ」



ぬくもる車内。

くもるガラス窓。

湯気だちそうな二人の吐息。

傷を舐め合うもの同士の末路。それは――


バタンッ



「おやおや響希様。〝辛抱してくださいよ〟と言ったのに」

「……安井、さんっ」



いつもと変わらないニコニコ顔の安井さん。こんな状況なのに〝いつもと同じ表情〟というのが怖くて、咎められているようで……乱れた制服を素早く直す。



「す、すすす、すみません! もう家に着いたんですね、ありがとうございます! 行きますよ先輩……あれ?」



だけど、どうやら先輩の熱は、そう簡単には引かないらしい。すぐそこに安井さんがいるというのに、「凪緒」と。未だギラついた目で私に迫る。



「ちょ、城ケ崎先輩? 家に着きましたって!」

「家よりも凪緒がいい」

「えぇ⁉」



今、なんて言った⁉私ってば、間違えて別の人を連れてきちゃったの⁉


この人は本物⁉と慌てる私とは反対に、落ち着いてるのか、はたまた呆れているだけなのか。安井さんは静かにため息をついた。



「こんな状態で、よく平然と車まで歩いて来られましたね。すごい気力ですよ、本当」

「それって……?」



すると、安井さんが笑った。



「響希様は今、媚薬を飲んでいます。まぁ〝飲まされた〟と言った方が正しいですが」

「び……、媚薬⁉」



思いもよらないワードを耳にして、背筋が凍る。そうか、だから安井さんは〝先輩のピンチ〟って言ったんだね。



「どうして時山先輩は、そんな事を……」

「城ケ崎家をはめようとしたんじゃないですかね。婚約者がいる身で他の女性と、とか。もしくは無理やりだった、とか。次期社長が不貞行為を行ったとなれば、世論を味方につけたも同然ですから」


「ひどい……!」

「まぁ、それだけ本気だったって事ですよ。なにせ……」



安井さんはチラリと先輩を見る。座席に転がったまま熱い息を繰り返す先輩に「量が量ですし」と、私に聞こえない声で呟いた。



「さて凪緒様。私はこれから一足先に部屋に行き、響希様を正気に戻します。ですので凪緒様は、しばらく車内でお待ちください。時がきたら電話でお呼びしますね」

「は、はいっ」



正気に戻させるって……何をするか分からないけど、私じゃ何も役に立てないと思うから……。安井さん、先輩をお願いします!



「それでは、いってまいります」



バタンッ



「…………はぁ~」



慌ただしさが一転。音のない、静かな世界へと早変わりした。クルリと車内を見る。私ってば、この中で先輩とっ。



「でも、媚薬だったんだよね……」



先輩の心が私に向いたかと思った、けど違う。全部ぜんぶ、薬のせいだった。きっと時山家での発言も、その場限りの〝でまかせ〟なんだろうな。



――心から俺の事を考えてくれる、想ってくれる。そんな婚約者に〝応えたい〟と思うのは当然でしょう? 


――俺は恋をするなら、先輩じゃなく凪緒がいいんです



あぁ言えば時山先輩を黙らせ、逃げることが出来たから。あの言葉の中に、きっと先輩の意志はない。



「全部ウソ、かぁ……」



でも、私に落ち込む資格はない気がする。だって私、「何も出来なかった」もん。時山先輩の家に行けたのも、城ケ崎先輩を取り返せたのも……私の力じゃない。安井さんが来てくれ、城ケ崎先輩が守ってくれたから、こうして無事に帰ってこられた。

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「私が苦しい時は、いつも先輩が助けてくれた。だけど先輩が苦しんでいる時、私は何も出来ないなんて……」



無力な自分が嫌だ。守るものも守れない自分が惨めで醜くて、情けないほど、脆くて小さい。



「もっと強くなりたい……」



守られるだけの私でいいの?先輩の婚約者でいたいなら、もっと私が頑張るべきじゃないの?



「……よし」



いつか安井さんから渡された名刺を見て、番号をかける。するとワンコ―ルで「はい」と応答があった。



『凪緒様、いま連絡しようと思ってました。響希様がやっと寝ましたので、どうぞお上がりください』

「そうですか、ありがとうございます。でも……私は、家に帰れません。しばらくの間、先輩をよろしくお願いします!」

『え? 凪緒様⁉』



プツッ


再び静かになった車内。

その中に、もう私はいなかった。



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