第3話 ♡±0から動くheart
「で、どうしてアンタが知ってるワケ?」
「えっと……」
この前の、甘いコンビニの件から一転。私は部屋の真ん中に正座をさせられ、城ケ崎先輩からお説教を食らっています。
「俺が時山先輩の事を好きって。どうして知ってるか吐けって言ってんの」
――事の発端は、五分前まで遡る。
『先輩、電話ですよ』
朝ごはんでの出来事。先輩はコーヒー。私はパンと紅茶。お決まりのご飯に、それぞれ口をつけていた。その時、ブーと振動した先輩のスマホ。画面を見た先輩は「あぁ」と、迷いなく電話に出た。
『久しぶりだね。うん、元気だよ』
そこまでは良かった。
そこまでは。
だけど、いかんせん。
その後が最悪だった。
『今夜? イイけど、ウチに煩いのがいるよ?
……分かった。なら今夜ね、待ってる』
ブツッ、コトン
スー
通話を切り、スマホを机上に置く。そして先輩は……何事もなかったように、コーヒーをすすった。
『いやいや、そーはならないでしょ!!』
さすがに我慢の限界がきて、強く机を叩いてしまう。お行儀悪いのは分かってる。でも、だって!今の電話って……エッチぃ事の約束でしょ⁉
すると叩いた振動で、先輩が読んでいたタブレットが僅かに揺れた。視界がブレて、読んでいた所を見失ったのか「ちょっと」と。動物さえ怯みそうな目で睨まれる。
『邪魔しないでくれる? 腹立つんだけど』
『コッチのセリフですよ。目の前に婚約者がいるのに、どうして女性と密会する約束をするんですか!』
信じられない、信じられない!怒りなんて、とうにピークを超えてる。こんな事をされて黙っていられるほど、私も人間できてない!だけど沸騰する私とは反対に、氷点下のオーラを放つ先輩。「はぁ」と吐く息が、六月だと言うのに白く見える。
『アンタの前で約束してるんだから〝密会〟じゃない。アンタがいる事だって、向こうに忠告したし』
『気の遣い方も、気を遣う相手も、先輩は間違えてるんですよ!』
『……アンタに遣う〝気〟なんて、最初からナイんだけど?』
く、屈辱……っ。コンビニの件で気が緩んでたのもあって、久々のクズ発言が結構クル……っ。
そうだ。先輩は、こういう人だった。婚約者をミジンコ以下だと思ってる、冷徹クズ男だった。
『……はぁ。いいなぁ』
今日の晩。
先輩と会う、どこかの誰か。
嫉妬を越えて……もはや羨ましい。
私なんて先輩と婚約してるのに、寝室は別々。だから同居初日に経験した甘いコトは、それきり音沙汰ナシ。
いや、だからって。
シタいわけじゃないんだけどさ……。
でも傷つくじゃん。
私って女性として見られてないのかなって。
『一応お聞きしますが……。
私じゃダメなんですか?』
『は?』
『だって私も、女ですよ?』
『……』
タブレットから目を離した先輩。だけど一秒後には、また視線を戻した。
『言ったでしょ。アンタとは形だけの婚約だって』
『でも、』
『それに綿百%の下着を履くような女なんて願い下げだし』
なっ……!
まだ覚えてたんだ……!
『ってかアンタが嫌なら、今日はホテルに泊まれば? ココに帰らなければいいだけの話だし』
『……っ』
制服を着た先輩が、涼しい顔でコーヒーを飲む。絵になる姿が腹立つ。先輩の言葉でどれだけ私が傷つくか知らないで飲むコーヒーは美味しいですか?って、嫌味全開で聞いてやりたい。
『先輩は……どうしてフラフラしてるんですか?』
『どういうこと』
だって、そうじゃん。
先輩には、私という婚約者がいるけど。
それ以外にさ。
時山先輩っていう、好きな人がいるじゃん。
『時山先輩の事が好きなら、他の人じゃなく、時山先輩を誘ったらイイじゃないですか。なんで逃げてるんですか?』
『ちょっと待って。どうしてアンタが先輩のこと、』
『先輩の、意気地なし』
『……』
あ――と思った時は、もう遅くて。「こっちに来なよ」という冷ややかな目と声により、私は部屋の中央に正座させられた。
そして冒頭に戻る、というわけです。
「まさか学校で俺のことをつけてたなんてね」
「そんな事しません! たまたま見ちゃったんです。っていうか……私だって見たくなかったし、知りたくなかったですよっ」
「……アンタってさ」
先輩の切れ長の瞳が、冷ややかに私に落ちてくる。時山先輩に向ける眼差しとは、正反対。
「アンタ、俺にキスしてほしいって思ってる?」
「へ……えっ?」
ポンッと、顔に熱がこもる。
あ、マズイ。
私ぜったい、顔が真っ赤だ……!
「その反応……へぇ。やっぱアンタって、俺のことが好きなんだ」
「せ、先輩には関係ありませんっ」
「いや張本人なんだけど。……ふーん、そっか」
言い終わるか否かのタイミングで。正座する私に合わせるように、同じく先輩もしゃがむ。そしてジリジリと近づいてきて……気づけば肘で体を支えるまでに、私は傾いていた。体の両サイドに、先輩の手が置かれている。逃げ場はない。
「せ、先輩、近いです!」
「ねぇ、今キスしてあげようか?」
「……へ!?」
「俺のこと好きなんでしょ? ほら目をつむりなよ」
「〜っ」
さっきより、もっともっと顔が熱くなる。
なにこれ?
何この状況?
どうして先輩とキスする流れになるの!?
「か、からかわないでください……!」
「からかってないよ」
先輩は本気らしい。スッと目を瞑って、私に唇を寄せてきた。本当に、このまま先輩とキスしちゃうの――?
鼓動が聞こえるほどの緊張と、それを上回る期待。先輩が、やっと私を女の子だと見てくれたのが嬉しくて。ふるっと震えるまぶたを、少しずつ下げていく。だけど――
「あ、一つだけ忠告。からかってない、とは言ったけど。かと言って本気でもないから勘違いしないでね」
「え、」
「言ったでしょ? 俺はアンタに興味がないって」
「――……っ 」
赤くなった顔の熱が、サッと一気に引いていく。
あぁ、もう最悪。
浮かれてた自分を殴りたい。
婚約者としても、女の子としても見られてないじゃん。そんな事、分かってた事なのに……。
「先輩は……やっぱりクズ男です」
「俺のこと好きなのに、その言い草はヒドくない?」
クスッと、珍しく先輩が笑った。だけど笑顔がどこか寂しそうで、怖い。その恐怖オーラが、先輩の冷徹な性格を際立たせていた。
「好きな人がいるのに他の人と遊ぶ先輩は……嫌いです。軽蔑します。そんな人とキスなんて、こっちからお断りです」
「それで?」
「二度と、私にキスしようと思わないでください……っ」
先輩は知らないだろうけど。私って単純だからさ、先輩から「気持ちのないキス」をされても喜んじゃうんだよ。胸の奥が、ぴょんって跳ねちゃうんだよ。
でも先輩は、私のことを何とも思ってない。
そんなの……虚しいだけじゃん。
「つまらないなぁ。ちょっと遊ぼうと思っただけなのに。〝一応〟婚約してるんだしさ」
「言っておきますが……。形だけの婚約者でいようと思ったこと、私は一度もありません。私は……心から、先輩と婚約したいんです」
「……」
だから焦らない。待つ。先輩の気持ちが、私に向くまでキスしない。してやるもんか!
「やっぱアンタって変だよね」
「……今の話のどこに〝変な要素〟が?」
「だって、そうじゃん。いつか俺が、アンタを好きになると思ってるの?片思いが報われると信じてるなんて、傑作だよ」
「っ!」
なんで先輩って、いつも夢のないことを言うんだろう。
それとも、男の人って皆そうなの?
マイナス思考な生き物なの?
「ってかさー。婚約者の俺に相手にされない。ばかりか俺に好きな人がいるって知ってるのに、よくココから逃げないね」
「だって一緒に住んでないと、正面から先輩とぶつかれないじゃないですか……」
「ぶつかるって……相撲の稽古?」
「あ、揚げ足とらないでくださいっ」
こっちが真剣な話をしてるってのに、先輩は「うるさいなぁ」と顔を歪めるだけ。全く心に響いてない。ばかりか時計をチラリと見た後、さっさと私から離れて登校する準備を始めた。
そして三分後。
真剣な話し合いから一転、
「俺は先に出るから」
先輩は玄関で制服のネクタイをしめ、カードキーとスマホを持つ。
え……、本当に登校しようとしてる?
先輩。私、さっき結構がんばったんですよ?心から婚約したいとか、そんな恥ずかしいこと言ったんですよ?その答えが「アンタ変」だけじゃ、あの時の私が浮かばれません。他になにか言って下さい――!
その念が通じたのか。ドアを開けた先輩が、立ち止まって私を見た。もしかして「俺もアンタと本音でぶつかってみるよ」とか、「心から婚約者になれたらいいよね」とか言ってくれるの?
……なーんて。
そんな事は、もちろんなかった。
「いつまで図太い神経が続くのか、楽しみだ」
バタンッ
「…………やっぱ、クズ男」
触れ合う距離まで近づけたと思ったら、それはお遊びで。必死で本心を打ち明けたら、暇つぶしの一部にされた。
「やっと本音を言えたのに、前よりも虚しいなんて……」
私って、先輩にとってどういう存在?って。聞くだけ野暮。全身全霊で打ち明けた私の本音を聞いても尚、先輩は今日ここに女の人を呼ぶだろう。私の声なんて届かないし、私の姿さえ、あの瞳に写らない。本当に、形だけの婚約者。
「はぁ…………、あれ?」
腹立つ、ムカつく――それらの感情の中に、ポツンと孤立する違和感。それは、さっき先輩が言った言葉。
――片思いが報われると信じてるなんて、傑作だよ
ねぇ、城ヶ崎先輩。
あなただって、時山先輩に片思いをしてるでしょ?
なのに、どうして。
そんな寂しいことを言うの?
❁*。
「あと三週間後に体育祭なわけでしょ?
花(はな)チーム
鳥(とり)チーム
風(かぜ)チーム
月(つき)チーム
の四つに、各学年それぞれのクラスが分類されるわけだけど。
今回、私たち一年C組は花チーム。
二年と三年の花チームは、どのクラスなんだろうねー」
「四つ合わせて花鳥風月……。自然を見る心の余裕を持てという、私への戒めですね。ハハハ……」
「落ち込んでるところ悪いんだけど、凪緒。これからチーム分けの発表があるから、全員体育館に集合だってー」
先輩が先に登校をした、十分後。落ち込む自分を奮い立たせて学校に来たはいいものの……
「城ケ崎くん! 私たち一緒の月チームだよッ」
「時山先輩と同じ? 俄然ヤル気が出てきました」
私と城ケ崎先輩は、別のチーム。それなのに、城ケ崎先輩と時山先輩が同じチーム⁉わぁ神様、これは一体なんの罰ゲームですか⁉
「城ケ崎くんは体育祭実行委員しないの?」
「仕事があるので。時山先輩もでしょ?」
「ふふ、当たり」
なんて。体育館の端で話しているというのに、美男美女のオーラで目立っている二人。
見てよ。
城ケ崎先輩の、あの優しい目を!
あんな穏やかな顔、家では見たことない!
「はぁ……所せん、月とスッポンか」
最近になって有名になった成金の私とは違って、あの二人は小さな頃からお坊ちゃまお嬢様として育てられた。
だからかな。にじみ出る品格が、全然違う気がする。城ヶ崎先輩にお似合いなのは私じゃなくて、時山先輩だよ……。
「なー、丸西。俺と体育祭の実行委員しねー?」
「こんなミジンコな私でもお役に立てるなら……。って、え?」
「ヨッシャー! じゃあ先生に言って来るわ!」
すたこらさっさーと体育館のステージに行ったのは、同じクラスの男子。
え、あれ?もしかして、とんでもない事が決まっちゃった⁉
オロオロしていると、ポンと私の背中を叩く誰か。ま、まさか城ケ崎先輩が私を慰めに――!
「凪緒~、聞いてよ。私、四つの種目に出るはめになっちゃったー」
「せ、芹ちゃん……」
先輩……なわけないか。「はぁ」とため息を吐きながら、芹ちゃんと体育館を後にする。その時、城ケ崎先輩と別れた時山先輩とすれ違った。今は友達らしき人と話している。
「今日も城ケ崎くんへのアタックが止まらないねぇ、彩音(いろね)」
彩音と呼ばれた時山先輩は、可愛らしい顔で「ふふ」と笑った。そして――
「当たり前じゃん。だって〝あの城ケ崎〟くんだよ? 絶対に私のものにして、家も会社も権力も、ぜぇんぶ時山家の物にするんだぁ」
「ッ!」
え、今……。時山先輩、なんて言った?
「おぉ怖。城ケ崎くんも知らないだろうね。お嬢様が、こんな物騒な事を考えてるなんて」
「あの子は私に骨抜きだからね。本当の私に気付くはずないって」
「悪い女~」
ドクン――と。心臓が嫌な音を立てる。時山先輩たちの会話は小声だったから、芹ちゃんには聞こえてない。私はアンテナ張ってたから、しっかり聞き取ることが出来たけど……。
でも、聞かなきゃ良かったって……締め付けられる心臓を押さえて思った。
「え、凪緒。なんで泣いてんの⁉」
「私……泣いてる?」
体育館を出て、少し経った頃。もう少しで自分の教室に着くという時に、芹ちゃんが私に気づいた。泣いてるなんて……。自分でもビックリ。
「そんなに実行委員が嫌だった?」
「違うの……うん、何でもない」
「……そう? なら、ホラ。顔を洗っておいで。少し歩いたら自販機の横に水道あるじゃん? 授業に間に合わなかったら、私が上手く言っておくから」
「芹ちゃん……、うん。ありがとう」
芹ちゃんに手を振り、来た道を戻る。
あぁ、情けない。
なに泣いてるんだか。
ってか、どうして泣いてるんだろう。
まさか城ケ崎先輩を「可哀想」だと思って……?
キュッ、ジャー
「……ふぅ」
ハンカチを濡らし、目の上に置く。お化粧ポーチ、持ってきてたっけ。なかったら芹ちゃんに貸してもらおう。
「……さっきの時山先輩の言葉を聞いたら、先輩は何て思うかな」
時山先輩の言う通り、城ケ崎先輩は時山先輩のことが好きだ。その「好き」は純粋なもの。反対に、時山先輩も城ケ崎先輩のことが好きだ。だけど、その「好き」はまがい物。城ケ崎先輩の〝権力〟を、時山先輩は欲している。
「先輩、かわいそう……」
好きな人に、自分自身を見てもらえない辛さはよく知ってる。自分を見てくれないのに一緒にいなきゃいけない苦痛も、よく分かる。
「私と同じ思い……先輩にはしてほしくないな」
だから何としてでも、時山先輩の本音を、城ケ崎先輩に知られちゃいけない。二人の本音を知ってる私が、何としても先輩を守るんだ!――と、思っていたのに。
「誰がかわいそうだって?」
「ひゃあ⁉」
目の上に置いたハンカチを取る。暗闇だった世界に、鋭い光が一気に差し込んだ。そして、その光の中央にいる人物。それは――
「じょ、城ケ崎先輩? どうしてここに」
「アンタこそ。チャイム鳴ってるけど?」
え、チャイム?意識を集中させると……ほ、本当だ。大きな音で鳴ってる。考え事に集中してて、全然聞こえなかった。
「授業は、いいんです。友達に言ってありますし」
「ふぅん――それで?俺が惨めで可哀そうって理由だけで、授業サボって一人メソメソ泣いてたわけ?」
「はい……って、え⁉」
「俺が惨め可哀想で」って、どうしてソレを⁉
すると城ケ崎先輩は「勝手に哀れまないで」と、切れ長の目を細めた。
「今までどれだけ女性を相手にしたと思ってるの。時山先輩の考えてることなんて、百も承知だよ」
「ひ、人が心配してるのに、なんですか、その腹たつ開き直りは……!っていうか……。権力ほしさに時山先輩が先輩に近づいてるって、知ってるんですか?」
「そう言ってるじゃん」
いや「言ってるじゃん」って……。知ってるのに、そんな普通でいられるものなの? 鋼の精神すぎないですか?
「分かったら、俺の事は放っておいて。勝手に哀れまれてもウザイだけ」
「ウザイって……。先輩は、それでいいんですか?」
「……」
「悲しくないんですか……?」
授業が始まり、校舎は静寂に包まれる。窓を開けてるクラスが多いのか、先生の声が外へ漏れた。
そんな中、無言でかちあう瞳。珍しく、先輩が私を長い間みつめている。その顔は……怒っても、呆れてもいなくて。珍しく、表情のない顔だった。そんな先輩に、この空気に。いたたまれなくなったのは……私。
「……ま、まぁ私と違って、先輩はステキですし。だから、大丈夫ですよッ」
「は? なに言って、」
「成金風情の私には、どうしたって城ヶ崎先輩に手が届きません。だけど、先輩と時山先輩は……お似合いじゃないですか。似てる者同士、傍にいれば自然と惹かれ合いますよ。時山先輩が城ケ崎先輩を好きになるのも、時間の問題じゃないですか?」
「……それ、本気で言ってんの?」
「……っ」
悔しいけど、本気だよ。いくら近づこうと頑張っても、私の気持ちは先輩に届かない。だけど、時山先輩と城ケ崎先輩は素敵だから。お互い惹かれ合う要素を持っているから、好きにならないハズがない。先輩の隣には、時山先輩がお似合いなんだ。
「だけど、婚約破棄はしないですからね! 先輩がお察しの通り、私は本気で城ケ崎先輩が好きなんです。だから……すみません。婚約破棄は、してあげられない……っ」
「――!」
意地悪な笑顔で、ヒヒヒって笑うつもりだったのに。城ケ崎先輩と時山先輩が付き合ったらって想像したら……涙が溢れた。
「ねぇアンタ、」
「~っ、すみません! やっぱり授業にでます! じゃッ」
ビュンッ
今、辛辣な言葉を言われたら……心がボロボロになってしまう。元の形に戻せないくらい砕けてしまう。そうしたら、もうあの家で一緒に住めない気がして……。それだけは嫌で、思わず逃げた。
だって私は、城ケ崎先輩のことが好きだから。
例え先輩の心が手に入らなくても。二人きりになれる「あの空間」だけは手放したくない。私と先輩の、唯一の繋がりだから。だから婚約破棄はしない。どんな形であれ、先輩と一緒にいたい――
「とは、言ったけど……」
現在、午後九時。スッカリ夜になった街だけど、賑わっているからか暗くない。「そこのお店にどうですか?」なんて。そこら中でナンパが勃発している。
え、私?
もちろんナンパされてないよ。
なぜなら私には、左手の薬指にある婚約指が光ってるからね!
「なーんて。そんな能天気な事を言ってみたい……」
街から少し外れた場所で、家に帰らず外をさ迷っている。なぜ家に帰らないかと言うと……家に、先輩が呼んだ女の人が来てるはずだから。そして先輩は今頃、その女の人と――
「わー! やめやめ!何も考えない、想像しないッ」
頭上の妄想を、パパッと払う。変な想像したら、喉が乾いちゃった……。
「どこかでジュースでも……あ、そうだ」
この場所から家までは、すぐ近く。ということは、あのコンビニも近い。先輩と二人で行った、思い出のコンビニ――と思って移動していたんだけど。コンビニの前に、柄の悪そうな男たちを発見。五人くらいいる。
え……大丈夫かな、アレ。
からまれたりしないよね?
さっき街中にいた時、一度もナンパされなかったし。大丈夫なはず!
意を決してコンビニへ近づく。
だけど――
「こんな時間に制服を着た女の子ー?」
「しかも可愛いじゃん~」
「なあ俺らと遊ぼう、な?」
ひぃぃぃ!どうして⁉ さっきまで世の男子という男子は、私にスルーだったじゃん!なんでこういう時だけ絡んでくるのー!
「いえ、結構です。急いでいるので」
「じゃあ送ってあげるってー。俺たちバイクあるし。な?」
し、しつこい。バイクなんか乗ったら、どこに連れて行かれるか分かんないじゃん! 怖いよ、絶対に乗らない!
「お断りします」
「この子の制服さ……金持ちが通う子が多いって有名な学校だぜ?」
「マジで?」
「なら選択肢は一つだよなぁ」
「……え?」
急に男たちの目の色が変わる。
いや、ちょっと待ってよ。
まさか人さらいする気⁉
「ち、近づかないでください! 警察よびます!」
「警察が来るまでにずらかればいい話だ」
「えと、えっと……あ。
それに私、もう婚約者がいますから!!」
ババンと、左手の薬指を見せる。これで相手も怯むだろう……なんて思った私は、かなりの甘ちゃんだったと。顔色一つ変えなかった男たちを見て理解した。
「はいはい、おままごとかなー?」
「恋愛ごっこっしょ。女って好きじゃん?」
からかいながら、私の腕を引っ張っる男たち。
ち、力が強い! ふりほどけないし、手で口をふさがれてるから声も出せない!
しかも私の周りに、五人全員がピッタリくっついてる。周りから見たら、真ん中に私がいるって分からない。
やばい、ヤバいやばい!
バイクに乗せられたら、終わりだよ!
「はい、じゃあバイクに跨ってねー。言っとくけど、暴れて落ちたら、その可愛い顔が半分なくなるから覚悟してね」
「……っ!」
顔が半分なくなるって……それは地面に落ちた衝撃で? それとも、あなた達に殴られて……?どちらにしろ、顔がなくなるのは嫌!
「……~っ」
怖くて、抵抗も何も出来なくて。強く目を閉じることしか出来ない。すると体がふわりと浮いて、足が地面から離れる。あぁ、次にはきっとバイクに乗せられるんだ。それで知らない場所へ連れて行かれるんだ。そして、その後は……
「……~っ、うぅっ」
震える体から絞り出された声はか弱くて、今にも消えてしまいそう。でも、もう私の人生が終わったと思ったら……泣くことしか出来ない。
「じょ、うがさき……先輩……っ」
こんな事になるくらいなら、家に帰っておけばよかった。先輩と女の人が何をしてようと、耳栓して部屋にいれば良かった。それに……同居初日。あのまま先輩と、一夜を過ごしておけばよかった。こんな形で終わるくらいなら――
と後悔ばかりしていた、
その時だった。
「へぇ。アンタって、意外によく泣くんだね」
「……え?」
聞き覚えのある声に、そろりと目を開ける。すると暗闇だというのに。街灯を受けキラキラ輝く薄茶色の髪が、私の視界に飛び込んできた。
いきなり現れた先輩は、まるで待ち合わせに来たみたいに、自然と私と男たちの間に割り込む。
「この人もらっていくから」
それだけ言って、男たちの中にいる私をかっさらった。先輩の突然の登場に、男たちはなすすべなく固まっている。先輩を知っている私でも驚くくらいだから、男たちが呆気にとられるのも無理ないよ……。だけど先輩は、限りなく「いつも通り」だった。
「さっき」と呟いた後。私と向き合い、顔を歪める。
「俺の名前を呼ぶくらいなら、大人しく家に帰ってきなよ。今何時だと思ってるの? 本当に時計が読めないんだね」
「う……、すみません。でも、そんな事より今は、」
すると、遠くの方で何かが聞こえる。あれは……パトカーのサイレン?
「やべ! サツだ」
「ずらかるぞ!」
サイレンを聞いた男たちは、バイクに乗って去っていった。恐怖もあって、さっきまで大きく見えた男たち。だけど今や米粒ほどの大きさ。その小ささに安心を覚えて、やっと肩の力が抜けた。私、助かったんだ……っ。
「よ、かったぁ……」
体の力が抜けていく。まるで骨がないみたいに、へにゃへにゃだ。もし先輩が来てくれなかったらって。想像するだけで恐ろしい……。
「こんな小細工で逃げるなんて。大したことないね」
言いながら、先輩はポケットからスマホを取り出す。すると、サイレンの音が大きくなった。え、まさか……。サイレンの音って、先輩のスマホから流れてたの?
「アンタさ、自分がお嬢様なら護身術くらい身に着けなよ。あんな奴らに負けてるようじゃ、この先が思いやられるんだけど」
「す、すみません……」
そっか、そんな撃退方法もあるんだ……。思わず感心してしまって、流れる罵倒にも素直に頷く。
「というか先輩は、どうしてここに? 女の人は?」
「……立って」
「え?」
「外でする話じゃないでしょ。だから立ちなよ」
「外でする話じゃない」って……自分で言っちゃったよ。自分が「いけない事してる」って認識は、一応あるんだね。
先輩に言われた通り、立つため足に力を入れる。だけど……。
「あ、あれ? 腰が抜けて立てない……」
「……はぁ~~~」
すっごい大きなため息!
で、でもでも仕方ないじゃないですか。
こっちは九死に一生を得たんですよ!
「先輩は、先に帰っててください。少し落ち着いたら歩けますから」
「……」
「先輩?」
立ったまま、無言で私を見降ろす先輩。まさか私、また怒らすようなこと言っちゃった⁉
「……むかつく」
「え、わぁ!?」
グイッと手を引かれ、先輩の隣に立たされる。腰が抜けても気合いで歩けって事!?――と思ったけど。どうやら違うみたい。だって先輩が、
「ん」
私の前で、背中をむけてしゃがんでくれたから。
「先輩、これは……?」
「こんな状況で、婚約者を置いて帰る男がどこにいるの」
「え……っ」
ドクンと、心臓がうれしがった。先輩にしては珍しい言葉。さっきの事件で私が傷ついてると思って、甘い言葉をかけてくれてるのかな?
「優しいですね、せんぱ、」
「アンタを置いて帰った所を、もし誰かに見られたらどうすんの。俺の信頼ガタ落ちでしょ。婚約者の俺を立てろって言ってんの」
「あ、はい……」
そうですよね。
先輩は、そういう人ですよね。
どんな状況であれ自分第一ですもんね。
はぁ。
少しでもトキめいた私がバカだった……。
しょんぼりと、先輩の背中に近づく。「早くしなよ」とせっかちな声を聞きながら、その肩に両手を乗せた。
わぁ……。私とは全然ちがう、広い肩。ゴツゴツして硬い。それと……「聞き間違いかな?」って思うほど、とっても小さい先輩の声も。
「なにが〝先に帰って〟だよ。俺がいるんだから頼ればいいのに、ムカつく」
「え、先輩。なにか言いました?」
「……何でもない。動くよ」
「ひゃうっ」
ひょい、と。私を背中に乗せ、立ちあがる先輩。滑らかな動きに、先輩の力強さを感じた。
「……」
「……」
なんか、変な感じ。学校で「時山先輩とお幸せに」的な事を言った私が、こうして先輩におんぶされてるなんて。
「ねぇ、先輩」
私、お昼に啖呵切っちゃったけどさ。時山先輩とお似合いですよって言っちゃったけどさ。でも本当は、城ケ崎先輩には私を好きになってほしいんだよ。それが本音。
「私、先輩のことが好き」
「ふぅん。それで?」
「私じゃ、時山先輩の代わりになりませんか?」
「……」
先輩の背中に、耳を当てる。
トクン、トクンと規則的な音。
ドッドッド、な私とは正反対。
それが答えだよね。私に「好き」と言われても心臓の音一つ変えない。それが先輩の気持ち。
「アンタってさ」
「はい」
「よく〝バカ〟って言われない?」
……はい?
なんの話?と背中から耳を離す。そして「聞き間違いですか?」と、先輩の顔を横から覗き込んだ。すると、
ちゅっ
「んっ!」
なんと、先輩からキス。
「え、あ……え?」
「その顔。ほら、やっぱりバカ」
「っ!」
そのとき目に写ったのは、先輩の笑顔。
「今の、何のキスですか……?」
「それが分からないのもバカ」
「そ、んなの……」
分かるわけないじゃないですか……っ。
複雑に感情が交差して、ボヤッと視界が霞んでいく。先輩の肩に乗る私の手。そこにはまる婚約指輪が、霞んだ世界の中でキラキラ光った。
「……来てないから」
「え?」
「朝の電話の人。断ったって言ってんの」
「そう、だったんですね……」
私の左手にある婚約指輪。本来なら、先輩にも同じ物がついてるはずなのに。
学校が終われば、先輩はさっさと外す。だから今も、先輩の婚約指輪はお留守番。先輩にとって「婚約」は、表向きだけ。私のことを「バカ」呼ばわりするし。すぐ怒ってため息をつく、最低のクズ男。
だけど……私が困った時は助けてくれて。私が嫌がる事は、しないでくれる。それって、なんだか。先輩の頭の片隅、ほんの一ミリくらいには私がいるって……己惚れてもいいのかな?
「先輩、どうしましょう」
「なに」
「私〝バカ〟なので……。さっきのキス、忘れてしまいました」
だからもう一回――なんて。とぼける私に、先輩はため息で返す。
「朝は〝キスしないで〟とか言っておいて」
――二度と、私にキスしようと思わないでください
「アンタ勝手すぎ」
「す、すみません……」
でも朝の先輩は、私を何とも思ってなかったでしょ? 気持ちのないキスはしたくなかったの。
だけど今ってさ。
きっと朝とは違うと思うから。
「先輩、少しは私のこと好きになりました?」
「全然。むしろ…………」
それきり先輩は黙る。すると夜風が通り過ぎ、先輩の薄茶色の髪がひらりと舞った。その姿が、先輩の心の揺れを表わしてるようで……「先輩、私になびいて?」と。思わず期待を込める。
「むしろ……、なんですか?」
「俺の日常が、アンタのせいで崩れてる。だから嫌い。今日だって、女性と会うつもりだったのに」
「つもりだったのに?」
「アンタが…………って、言わないからね」
私に誘導されてると気づいたのか、先輩は口を閉じる。ちぇ。もう少しで、先輩の気持ちを聞けると思ったのに。……でも、いいや。先輩が〝家に女性を呼ばない〟って約束を守ってくれた。それだけで、とっても嬉しいから。
「先輩、降ろしてください。もう大丈夫です」
本当は、まだ先輩を近くに感じていたい。でも、すみません。自分の衝動を抑えきれなかったの――
「先輩、キスしてもいいですか?」
「……」
いま先輩の心に、少しでも私がいるなら。この瞬間を私は逃さない。
「……キス、したいの?」
「し、したい……です」
「ここ外だけど?」
「家に帰ったら、先輩の思考が正常化するじゃないですか。またドライな先輩に戻っちゃうでしょ?そうなったら、先輩の心から私はいなくなっちゃう。だから今、キスしたいです」
すると、城ケ崎先輩は「ふはッ」と笑った。
「じゃあ今の俺って、狂ってるって事?」
「~っ。そういう、事です」
屈託のない笑み。
はじける笑顔。
こんな顔をするなんて……。
本当に先輩、いま狂ってるかもしれない。
そんな先輩にキスをせがむのはイケない事な気がして。なぞの背徳感に、ドキドキする。
もちろん。
これから起こることにも――
「……いいよ。長いキスをしてあげる」
「え、」
「ただし、キスで俺を楽しませること。できなかったら即やめる」
「~っが、がんばります……!」
先輩の前に立ち、一歩ずつ近寄る。そして両頬を、私の手で覆った。すると背伸びしても届かない身長差に気付いてくれたのか、先輩が背中を丸める。
「……っ」
先輩の顔は、もう目の前。カッコよくて、直視できない。今から先輩に、好きなだけキスしていいと思ったら……っ!心臓がドクドク言い過ぎて、体がフラッと揺れる。
すると――
ぎゅっ
「遅い、時間切れ」
「え、――んっ!」
抱きしめて私を固定した後、先輩が口を塞いだ。角度を変え、私の唇にいくつものキスを落としていく。
「ん、ぁ……、先輩、はげし……っ」
「上手くできなかった罰だよ」
「ば、んん……っっ!」
時間切れになったのに。先輩を楽しませることが出来なかったのに。それでも止まることない、キスの嵐。
これのどこか罰ゲームなの?
だって、こんなの――
「ふ、ぅ……っ」
嬉しすぎるからか、生理現象か分からない涙が、ぽろりと零れた。
「本当、アンタって変」
「へ、ん……っ?」
「気が強いくせに、泣き虫なんだから」
頬に置かれた先輩の手が涙をぬぐう。唇も頬も、先輩の体温が移ってクラクラ。この幸せな時間、夢じゃないよね――?
「――……っ、はぁ。はい終わり。分かってたけどアンタ、キス下手すぎ。もう少し練習……って、ねぇちょっと。意識ある?」
「ふ、ふえぇぇ……」
罰ゲームという名の幸せなキス。それは私の知らない大人のキスで……。のぼせてしまうには、充分な刺激だった。
「しぇ、先輩~……っ」
「はぁ。本当、気が強いんだか弱いんだか」
言いながら再び、先輩は私を持ち上げる。だけど、さっきみたいなおんぶではなくて……女の子なら誰もが憧れる、お姫様抱っこ。
「勘違いしないでよ。こっちの方が安全ってだけで、アンタのことを好きでやってるわけじゃないから」
「ふ、ふへへぇ……」
ふわふわした感覚の中、好きな先輩の声が聞こえる。やっぱり夢を見てるみたい。だけど私の背中や膝裏に回る先輩の手の温かさは本物で……
「先輩、好きです~」
「……あっそ」
内側にこもった熱は冷えることなく。
ずっと私はのぼせたまま。
その結果。
部屋に着くまで何度も何度も。
先輩に愛の告白をしちゃうのでした。
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