第9話 接遇には気をつけろ⑤

「で、結局誘えなかったんです」

 

 持田先輩は話を聞いて、一口お茶を飲んでから、眼鏡を押し上げた。

 今日もまた持田先輩と生徒会室に2人きり、という状況だったので、昨日の結果報告をしていたのだ。最近、少し持田先輩と仲良くなった気がする。秘密の共有をしているからだろうか。

 

「それは……なんというか……災難でしたね」

 

 持田先輩は言葉を選んで励ましてくれた。実際、災難どころの話ではない。あの憎き生活委員のせいでお誘いに失敗したと言っても過言ではない。

 だけど、なんとなく持田先輩にはあたしが落胆している姿を見せたくなかった。

 だからあたしは努めて明るく振る舞った。

 

「まぁでも、変に恥かくよりかは、これでよかったのかもしれないですよねー」

「あきらめちゃダメですよ。また挑戦すればいいじゃないですか」

「……でも、野崎先輩と二人きりになるチャンスなんてもう早々ないですよ? 昨日は運がよかったんです」


 野崎先輩を呼び出して誘うことはできるが、それはもう告白と同じだ。自然に誘うには、偶然鉢合わせる必要があった。しかも周りにたまたま人がおらず、そして野崎先輩が時間に余裕のある時でなくてはならない。かなりシビアな条件だ。


「確かに偶発的に野崎くんと2人きりになるのはなかなか難しいかもしれないですね」と持田先輩も同意した。

「でしょ? 昨日のが最初で最後のチャンスだったんですよ」

 

 そう思えば一層苛立ちが募った。くそ、生活委員め! と腹の中でなじる。

 あたしの苛立ちを知ってか知らずか、持田先輩は「でも」と言葉を続けた。

 

「でも、それならそれで、必然的に二人きりの状況をつくりだせばいいのです」

 

 持田先輩は、特別変わったことを提案しているつもりはないようで、そうなって然るべき、といった様子で平然と言う。まるで、水を熱すれば沸騰します、とでも言うかのようだった。

 

「そんなことできるんですか?」

「できます。そのためには協力者が必要ですけど」

「え」


 言葉に詰まる。協力者……というのはもちろん持田先輩以外で、ということだろう。つまり、この秘密を共有する人物が更に増えるということだ。


「だ……ッ!」

「だ?」

「ダメです! ダメダメダメ! 持田先輩にしか言ってないんですから!」


 両手をぶんぶん振って、『ダメ!』を体現するが、持田先輩の反応は薄く、困ったように眉を垂れた。


「でも一人で出来ることはどうしても限られてきますよ? しかも、単独の場合、かなり大胆に行動しなければ実を結びません。労力対効果が低いです」


 何だかビジネスの話をしているような気になってくる。実際、持田先輩にとってはビジネスも恋愛も変わらないのかもしれない。


「協力者なら、持田先輩がいるじゃないですか」

「私は大した戦力にはなりません。でも、たとえば野崎くん以外の生徒会メンバーが協力してくれるのならば、やりようはいくらでもあります」


 持田先輩の言う協力者、とはやっぱり生徒会役員のことだったか。まぁそれはそうか。あたしと野崎先輩の両方と近しいのは生徒会メンバーくらいだろうからね。

 でも……だからって——。

 

「それって…………高槻もですか」


 持田先輩は手を口に当て、クスクス笑った。


「嫌そうな顔」

「そりゃいやですよ! あのアホに借りを作るのだけは絶対に」

「でも、彼は大戦力ですよ? 是非協力してもらいましょう」

「うえぇ?! あれが戦力になりますか? ただのアホなオタクじゃないですか」


 高槻が何かの役に立ったことをあたしは未だかつて見たことがない。その逆に高槻が事態をややこしくしたことはたくさん見たことがあった。

 だけど、持田先輩の高槻への評価は何故だか異様に高いらしく、真剣な顔でかぶりを振った。

 

「そんなことありませんよ。高槻くんは絶対必要です。賢くて優しい子です。きっと快く協力してくれますよ」

「賢くて優しい……? ごめんなさい、今誰の話してます?」

「高槻くんですよ」

 

 大変だ。持田先輩が別次元パラレルワールドの高槻の話をしている。いや、仮にパラレルワールド高槻だとしても、賢くて優しい高槻は存在しないと思う。いたらキモすぎる。

 

「あたしには、とてもそうとは思えないんですが」


 ちょうどその時だった。

 ガラリと少し軋んだ音を立てながら、扉がスライドした。

 噂をすれば影。高槻と円会長が並んで入室する。


「——つまりお前は、ただ締切を過ぎた提出物を秘密裏に受理してくれ、と頼みに来た男子生徒を、自分に愛の告白をしに来た男だと勘違いを起こし、無意味に断り方の練習に励んでいたって訳だ」

「やめてぇ! 言わないでぇ! もういいから! 負けを認めるから! だからこれ以上言わないでぇ!」


 また何か黒歴史を暴かれたのか、円会長は涙目で高槻に縋っていた。割と見慣れた光景である。


「こんにちは。会長、高槻くん」

「こんにちは、持田さん……」

 ぐすん、と涙声で円会長が応じた。一方、高槻は挨拶は返さず、持田先輩に指をさして言う。

「そのバカ丁寧な挨拶はやめろ持田。そうだな……お前は『みゃっはろー』とかそんな感じで言ってみろ」


 はぁ? バカなの? 持田先輩がそんなそこはかとなく聞き覚えのある語感の挨拶する訳ないじゃない。

 著作権法とかその類の法律まで造詣が深い持田先輩がそんな危なげな挨拶なんて——


「みゃ、みゃっはろー……」


 持田先輩は頬を真っ赤に染めながら、それでも律儀に挨拶をした。羞恥心からか、持田先輩の声は尻すぼみに消え入った。

 高槻が腕組みをして大きく頷き、「ほぅ。悪くない」とほざいた。


「持田先輩、相手にしなくていいですから」


 持田先輩は未だ赤い顔をぱたぱたと手で仰ぎながら、

「と、ところで……野崎くんは今日も部活ですか?」

 と、話題の変換を図った。というよりも、あたしのために聞いてくれたっぽい。

「うん。そう聞いてるよ。試合が近いらしいからね。仕方ないよ」


 会長の答えを聞くや否や、持田先輩はあたしにアイコンタクトを送ってきた。

 目が合う。持田先輩が小さく頷いた。

 ホントに? ホントに協力を仰ぐの? 高槻もいるのに?

 気持ちが定まらず、躊躇いを抱えたまま、持田先輩に背中を押される。

 だけど、持田先輩があたしのためにこれだけ尽力してくれているのだ。びびっている場合ではない。

 

 ——ここでヘタレたら、女が廃る!

 

 あたしはぎゅっ、と目を瞑り、「よしッ!」と覚悟を決めてから、目を開いた。

 

「か、会長、ちょっと相談があるんですけど——」


 あたしが最後まで言い切る前に、円会長が腕を伸ばして、あたしの言葉を制した。

 

「皆まで言わなくていいよ。一ノ瀬さんの悩みは全部つるっとお見通しだよ」


 な……ッ?! まさか会長、あなたまでそこはかとなく聞き覚えのある語感のワードを使ってくるとは!

 て、そうじゃない! 会長、あたしの悩みを既に勘づいていたというの?!

 さすが……学力テスト学年3位の頭脳に、生徒会長選挙を勝ち抜けてきた人望を併せ持つ奇跡の新生徒会長!


「会長には最初からバレバレだったんですね……」


 恥ずかしい! 上手く恋心を隠していたつもりだったのに……ッ! そんなにあたし分かりやすかった?!

 会長は否定も肯定もせず、あたしにウインクして、微笑んだ。美しい。美しさとは見た目にあらず。もちろん会長はとっても美人ではあるけど、そうではなくて、内から溢れ出る『人生の余裕』が会長の美を形成しているように思えた。

 会長の艶かしい薄い唇が、ゆっくりと上下に動く。


「一ノ瀬さんの悩み——それは期末テストのことだね」


 ガク、と力が抜けて机に頭をぶつけた。

 ぶつけたところを労りながら顔を上げると、持田先輩もおでこを押さえていた。あたしと同時にズッコケたようだ。


「え? え?」

 キョロキョロと首を振る円先輩に、高槻が突っ込む。

「んな訳あるか。一ノ瀬は一見、頭の弱そうなギャルみたいな見た目だが、毎回テストで学年10位には入ってるぞ」

「誰が頭の弱そうなギャルよ! しばくぞ!」


 脚の届く範囲にヤツがいれば蹴っ飛ばしているところだ。ホント失礼なヤツである。むかつく。

 あたしが高槻に殺気を込めた視線を送る中、反対に高槻は予想もしない言葉を返してきた。

 

「大方、野崎センパイに恋慕してる、とかそんなとこだろ」


 高槻の言葉に身体が反射的に動き、長机に膝をぶつけた。ガタッ、と大きな音を立てて長机が少しズレる。

 持田先輩に視線を振る。持田先輩は少し見開いた目で小さく首を左右に揺さぶり、「私は言ってません」と示した。


「なん……で……ッ?!」

「えぇ?! 一ノ瀬さんが?! 野崎に?! え、そうなの?!」

 一人蚊帳の外の円会長は、交互にあたしと高槻に視線を振っていた。

「小田切 円。お前は本当にバカだな」

「テスト順位で下から数えた方が早い高槻くんに言われたくないんだけど」

 

 そのとおり。円会長、よく言ってくれました。このアホは屁理屈をこねるのは上手いが学力はゴミだ。国語の記述問題で、解答欄に短編小説を書いたという、どうしようもないバカである。


「言い直そう。小田切 円。お前は勉強のできるバカだ。普通に普段からの一ノ瀬を見ていれば分かるだろうが」


 んなっ……ッ?! と変な声が漏れる。顔がカッと熱くなった。


「普段から一ノ瀬さんを見てるとか、高槻くん、やらし〜」

「なんとでも言え。おれは誰のことも普段からよく観察することにしている。小説で使えるからな」


 こいつがあたしに好意を抱いている訳がないのは分かりきってはいたが、『小説のため』とはっきり言われると、それはそれでムカつく。


「センパイに気がありそうな一ノ瀬が、センパイが来ないと分かった途端に相談事だ。と来たら、もう分かるだろ。普段野崎センパイのことを羽虫ほども気にかけない持田が、今日に限ってセンパイの不在を確認したことから、おそらく持田も既に一ノ瀬に協力している。そうだろう?」

「羽虫ほども気にかけない、ってことはないんですけど……」


 持田先輩は目を伏せて、ごにょごにょと弁解する。だけど、高槻はそれを聞いていない。


「お前はセンパイが好きで、持田を取り込み、センパイを振り向かせようとした。だが、お前らだけではにっちもさっちも行かなくなり、生徒会メンバー全員を巻き込もうと考えた」

 

 ぐ……。まさか円会長ではなく、このアホに全部つるっとお見通しだったとは……。

 だけど、元々最初から打ち明けるつもりだったのだ。バレていたところで支障はない。ただムカつくだけだ。

 

「そ、そうだよ? そうですけど何か? 文句ある?」

「文句はない。が、協力してやる理由もないな」


 こんっのクソオタク!

 ついカッとして口が勝手に動いた。

 

「別にあんたの協力なんていらないし!」

「えっ、一ノ瀬さん! 落ち着いてください! 高槻くんの協力はマストですよ」と持田先輩が話に割って入った。

「なんでですか! こんな変態小説バカの協力いらないです」

「高槻くんは野崎くんを除けば生徒会唯一の男子ですし、それに——」


 目を逸らしながら、持田先輩が言い淀む。


「それに?」

「高槻くんを仲間に取り込まないと、野崎くんにばらされる可能性があります……」

「…………はぁ?!」

 怒りに任せて高槻に振り向き睨みつけると、高槻は全く気にした様子もなくあっけらかんと言う。

「まぁ、その方が面白いラブコメ展開なら、そうするだろうな」

「そうするだろうな、じゃねーから! ふざけんな! このオタク!」


 高槻はツーン、とそっぽを向き、オタクで何が悪い、と開き直っていた。

 

「それは流石にわたしもどうかと思うよ、高槻くん」と会長がドン引き顔をし、「高槻くん、お願いです。協力してくれませんか?」と持田先輩が頭を下げても高槻の態度は変わらない。

 

「断る。協力しておれに何のメリットがある」


 見損ないはしない。こいつは元々こういうヤツだ。賢くて優しい? 笑ってしまう。こいつに『人に優しく』なんて概念はない。常に自分のためにしか動かないヤツなのだ。

 あたしがどうやって高槻を脅すかを考えていると、不意に持田先輩が声をあげた。


「なら、こういうのはどうでしょう」と持田先輩は胸の前で両手を合わせる。

「向こう2週間、私が高槻くんのお昼のお弁当を作ってきましょう」


 …………はい?

 聞き間違いだろうか? 持田先輩が高槻にお弁当を作ってくる、と言った? なんで?

 高槻を見ると、怪訝な顔をしてはいるものの、未だ断りはしない。静かに持田先輩を観察するように見据えていた。持田先輩は少し居心地が悪そうに座り直す。

 やがて高槻が口を開く。

 

「続きを聞こう」

 

 なんでコイツこんなに偉そうなの?

 持田先輩は、律儀に「ありがとうございます」と礼を述べてから、話を続けた。礼を述べる必要など皆無なのに。

 

「私は家庭科部なので、料理は少しだけ自信があります。高槻くんとは時々昼休みに生徒会室で一緒に食事をすることがありますが、いつも白米と漬物のみですよね。あれが3食という雑な計算で恐縮ですが、それでいくと16歳の平均的な男子が必要とするエネルギー及び栄養素を補給できていません。ですが、私ならば完璧な栄養配分でそこそこ味の良い料理を高槻くんに提供できると思います。……いかがでしょうか?」


 すっげー喋る!

 まさか普段寡黙な持田先輩がこんなにもペラペラ喋れるとは思わなかった。なんかプレゼンみたいだったし。パワーポイントでグラフでも持ち出してきそうな勢いだ。

 高槻は難しい顔で腕組みをして考えていた。だけど、やっぱり断りはしない。

 高槻が貧乏生活を送っていることは、あたしも知っていた。なんでも両親がおらず、叔父からのわずかな仕送りで一人暮らししているのだとか。

 そんな慎ましい昼食をとっているとは知らなかったが、であれば、持田先輩の提案は高槻にとって願ってもない提案のはずだ。

 しかも、持田先輩が上手いのは、あくまで『栄養の偏り』を話の主軸に置き、『貧乏』については触れなかったことだ。高槻のプライドを傷つけることもない。さすが持田先輩だ。

 高槻は腕組みを解くと、3本指を立てた。

  

「3日に1回は、からあげを入れろ。それからトマトは絶対に入れるな。赤のいろどりを取るならばタコさんウィンナーだ」


 何のこだわりだよ。


「分かりました。赤の彩はタコさんウィンナーですね」と持田先輩は満面の笑みで頷いた。


「まったく世話の焼けるヤツらだ。面倒だが、約束は約束だからな。協力してやる」と高槻が高飛車に言った。

「えっらそうに! あんたは何もしなくていいから! ただ黙ってればいいのよ!」

「見くびるな。弁当分は働く。俺が動くからには、お前に幸せなハッピーウェディングをくれてやるよ」

「幸せとハッピーで意味が重複してるよ」と円会長が指摘するが、「超幸福ってことだ」と高槻は雑に返した。


 てか、誰も結婚するなんて言ってないんだけど。

 本当に大丈夫なのか。不安でしかない。あたしは頭を抱えて机に突っ伏した。

 

 

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