第8話 接遇には気をつけろ④

 男女5人グループは、オーバーサイズのTシャツや、ダボっとしたズボンなど、緩めの服装でホールの床に座っていた。ダンス部だ。

 スクールバックと脱ぎ捨てられたワイシャツや制服ズボンが壁際に寄せられ、ホール唯一の電源コンセントにはCDプレイヤーが繋がっている。放課後のいつもの光景だった。

 座ってだべっていたところを絡まれたのか、5人は立ちはだかる邪魔者2人を見上げていた。

 反対にダンス部を見下ろす女子——生活委員会委員長の紀野きの先輩だ。その後ろにいるのは多分副委員長だと思う。

 紀野先輩は、親しみも憤りも感じられない無機質な顔でダンス部の前に立ちはだかった。剣呑な雰囲気から察するに、ダンス部と生活委員が何か揉めているようだ。

 

「はぁ? 意味わかんね」

 と、茶髪にスパイラルパーマをかけたダンス部男子が半笑いで言った。

「もう一回いいましょうか?」と委員長の紀野先輩が挑発的に片方の口角を上げた。「校内でいかがわしい真似はよしなさい、と言ったのよ」

「い、いかがわしいことなんてしてないでしょ!」

 ダンス部の女子が声を上げた。どうやら生活委員の追及を受けているのはこの女子と、そして隣の男子のようだ。

「俺らは何も悪いことしてないだろーが」

「そうかしら? 私にはそうは見えなかったのだけれど」

「別に、ジュンくんにちょっと寄りかかっただけじゃん!」

 ダンス部女子が口をとがらせた。ダンス部女子と『ジュンくん』がイチャイチャして、生活委員に注意を受けた、といったところだろうか。うちの学校ではよくある光景だ。

「それがダメだって言ってるのが分からない訳?」生活委員長、紀野先輩は嘲笑うように息を吐く。

「寄っかかるくらい別にいいだろ!」

「ダメに決まってるでしょ。校内での性的な接触は一切禁止。そんなものを見せられた側の気持ちも考えなさい。ここは風俗街じゃないのよ」


 風俗街、という言葉でダンス部女子の眉間がぐしゃっと歪んだ。恫喝するような目で、紀野先輩を睨みつけた。

 確かに今のは言葉が過ぎる。いくら生活委員会だからといって、言っていいことと悪いことがある。今にも殴りかかりそうなダンス部女子を見て、野崎先輩はすかさず2人の間に割り込んだ。


「ま、まぁ待てよ。何をそんなに白熱してんだよ。別にこいつらがここでアレをおっぱじめようって訳じゃないんだろ?」


 野崎先輩は生活委員とダンス部を取り持とうとしてるようだが、いささかデリカシーがない。野崎先輩らしいといえばらしいが。


「おっぱじめる訳ないでしょ!」

 ダンス部女子が唾を飛ばす勢いで吠えると、「そうだ! 段階ってものがあるだろ! まずは手をつなぐところからだ」とジュンくんが同調した。

「意外にピュアなのな」


 意外、というのもまた失礼な気がする。ダンス部だから肉食系とは限らないし。

 あたしも軽音楽部だから派手好き、とか偏見を受ける方だからダンス部の気持ちは手に取るように分かる。


「関係ないわ。おっぱじめるのも、手をつなぐのも同じこと。私たち生活委員は同じように取り締まる」

「お前の目にはダンス部がおっぱじめてるのと同等の事態に映ってるのかよ」


 野崎先輩は非難を含んだ流し目を紀野先輩に向けるが、彼女はまったく動じず、冷たい目をダンス部に向けていた。

 トラブルの匂いを感じ取ったのか、野次馬どもが少しずつ周りに集まって来る。よっぽど暇なのか、彼らはその場を動こうとしない。スマホで撮影しはじめる輩までいた。ホント失礼なヤツらね。

 彼らはただ周りを囲むだけではない。がやがやとそれぞれに隣の野次馬と意見を交わし合う。


「おい、また生活委員だってよ」

「俺もこの前一年女子に声かけただけで指導されたぜ」

「俺は服装の乱れとか言ってワイシャツの第一ボタンまでとめさせられた」

「おれは『魔法少女オッパイロワイヤル5』を読んでたら没収された」

「あいつらのせいで、俺らの甘酸っぱい青春がいくつ潰されたことか」

「ふざけんなよな、生活委員」


 野次馬も、何故か勝手にボルテージを上げ、興奮を高めていた。なんかすごく聞き覚えのある声が聞こえた気がしたが、気にしないように努めた。

 紀野先輩にも野次馬の声は当然聞こえているだろうに、彼女は全く意に介さず、落ち着き払っている。野次馬どもを無視して能面のような顔を野崎先輩に向けた。


「学校は勉学に励むところよ。色恋を楽しむところじゃないの。発情したサルみたいに騒がれたら、落ち着いて過ごしたい真っ当な生徒たちが困るでしょ」

「誰が発情したサルよ!」

 

 野崎先輩の脇をすり抜けようとするダンス部女子の進路に、野崎先輩は背中を向けたまま再び器用に滑り込み阻止した。なんという視野の広さと俊敏さ。さすが運動部だ。


「だとしても、ちょっとやりすぎなんじゃないのか」

「落ち着いた環境を維持するために必要なことよ」

 紀野先輩は、一歩も引かない。

「どうだかな」と野崎先輩は少し切り込む角度を変えた。「聞いたぜ? サッカー部の部室を勝手に漁ったんだって? 奴ら怒ってたぞ。あれも落ち着いた環境づくりの一環なのか?」

「ただの抜き打ち部室検査よ。健全な学校生活を脅かすのは何も恋愛だけじゃないの。あらゆる面で警戒する必要があるわ」


 紀野先輩が何を想定して言っているのかは分かりかねるが、生活委員に持ち物を没収された、というのはよく聞く話だった。うちの学校の生活委員はすこぶる評判が悪い。


「魔法少女オッパイロワイヤルは健全な学校生活を脅かすものではない。返せ」


 それは没収していい。


「持ち物を勝手に漁るのは、法に触れるんじゃないのか」野崎先輩が追及する。

「魔法少女オッパイロワイヤルを没収することも法に触れる」


 野次馬がうるさい。いや、野次馬たちは最初からがやがやと騒がしいのだが、約1名うるさいの方向性が違う。というか、うざい。


「法に触れる? それは何法の第何条のことを言ってるのかしら?」

「それは……」

 言いよどむ野崎先輩に、紀野先輩がさらに言葉を重ねて追撃する。

「私たちは、個人の持ち物には一切触れていない。部室内の設備を点検したに過ぎないわ。ましてや勝手に持ち去った訳でもない。何の法にも触れていないはずよ」


 ああ言えばこう言う。生活委員の勝手な言い分に、あたしもいい加減、我慢の限界だった。気がついたら、あたしは「モラルの問題よ! あんた達、生活委員は常識ってものがないわけ?!」と苛立ちに任せて、声を上げていた。

 紀野先輩はあたしに、その冷え切った目を向けて、ふん、と鼻を鳴らした。

 

「髪の毛をチンパンジーみたいな色にしているあなたに言われたくはないわ」

「はぁ?! ケンカ売ってんの?!」


 野崎先輩より前に出て、紀野先輩を睨みつける。後ろから「落ち着け一ノ瀬」と野崎先輩の声が聞こえたが、頭の中は怒りで沸々としていた。


「けんか? そんなもの売る訳ないでしょ。あなたと一緒にしないでくれるかしら。あなたみたいなのを相手にするのが一番時間の無駄なの」


 ぎりぎりで保たれていた理性の糸が、ぷちん、と切れた。


「っざけんな!」とあたしが紀野に掴みかかろうとすると、能面のように無表情だった紀野の顔が恐怖に引き攣った。

「ひぃ」と彼女は1歩後ずさる。

 その開いた1歩分の隙間に、ぎりぎりで割り込む者がいた。野崎先輩ではない。先輩は後ろにいる。

 睨みつけるように乱入者に視線を振ると、やっぱりそれは見慣れた男だった。高槻だ。

 高槻は、あたしと紀野の間を隔てるように両手を前に突き出し、真剣な表情であたしと紀野を交互に見やった。

 それから、勢いよく1歩後ろに退いて、


「ファイッ!」


 と、叫んだ。


「ファイッ、じゃねぇよ!」と野崎先輩が高槻の頭を叩く。

「てかお前さっきから何やってんだ高槻」

 高槻は叩かれた頭を押さえながら「ただの野次馬だ。気にするな」と迷惑そうな顔で野崎先輩に言った。

「気になるわ。ただの野次馬がレフリーやってんじゃねぇよ」


 アホの乱入で少し荒だった気が削がれた。

 もう紀野をどうこうしようなんて気は起きなかったが、野崎先輩は高槻に突っ込みながらもすかさず、あたしと紀野の間に割って入った。


「や、野蛮なサル女! なんでも暴力で解決できると思ってんじゃないわよ!」とまだ少し引き攣っている紀野が、野崎先輩の向こう側から威勢よく叫ぶ。

「うるさい! 生活委員なんて皆から嫌われてんだから! そもそも生活委員なんて委員会いらないのよ!」

 あたしも怒りのままに言い返す。

 すると、まったく意図していなかったことだが、野次馬たちが口々に同調しはじめた。


「そうだ! お前ら何の権限があって俺らを縛る!」

「生活委員なんか怖かねぇ!」

「皆の言う通り、魔法少女オッパイロワイヤルを返せ!」

「ただの委員会が出しゃばるな!」


 騒ぎ立てる野次馬たちはもはや収拾がつかない程であった。あたしのケンカは群衆に主導権を奪われ、彼らが好き勝手に生活委員会をなじった。

 だけど、紀野が相手取っているのは群衆ではなく、あたしのようだった。野次馬を無視してあたしを睨んでいた。


「生活委員会がいらないですって?」紀野の少し見開いた目は憎悪を映しているように思えた。「あなた、言ってはならないことを言ったわね」

「な、何よ!」

 彼女はしばらく無言であたしを睨みつけてから、「覚えてなさい」と静かに告げ、踵を返して歩き出した。

 一言も発さなかった生活委員副委員長が金魚のふんのように慌ててその後ろに追従していく。

 彼女たちが去った後には、じんわりと嫌な余韻だけが残った。もはやデートのお誘いなどという空気ではない。

 ダンス部たちが仲間内で生活委員の陰口をたたきはじめ、野次馬たちは「ショーは終わり」とばかりに解散する中、小さくなった生活委員の背中に、高槻が一人儚げにつぶやいた。


「魔法少女オッパイロワイヤル……」


 

 

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