第7話 接遇には気をつけろ③
生徒会室のドアをスライドさせると、持田先輩が長机に着いて、書類に目を落としているのが見えた。
普段から物静かで、後輩にすら敬語を使う持田先輩は、口数はあまり多くないが、人当たりが良くて、後輩思いの良い先輩である。
にも関わらず、あたしは少し持田先輩に苦手意識を持っていた。皆といるときは良いのだが、二人きりだと何を話して良いのか、分からなくなる。頭の良い持田先輩に変なことを言って失望されるのが怖い、というのもあった。気軽に口をきけないのが、どうにも居心地が悪い。
持田先輩が前髪を耳にかけ、視界が開けたのか、ようやく扉前に立つあたしに気付いて、顔を上げた。
「一ノ瀬さん、こんにちは」
微笑みかけてくる持田先輩に、何故か少しどぎまぎして、目を逸らしてしまう。
てか、こんにちは、と言われてなんて返すのが正解なの?! あたしこれまで学校で先生以外に『こんにちは』なんて言われたことないんだけど?!
「……ども」と、小さく顎を突き出すように礼をした。
あたしが他のメンバーの所在を聞く前に、持田先輩が「会長は先生に呼ばれて職員室に行きました。野崎くんは部活です」と教えてくれる。なんだか心を読まれているような気がしてくる。
ちなみに高槻は来たり来なかったり、と気まぐれだ。来ても碌に仕事なんかしないで、パソコンを叩いているだけなのだから、いなくても何ら支障はない。
とりあえずあたしも席について、電卓と帳簿を出した。
特に何を話すでもなく、静かな空間に、紙をめくる音だけが時折聞こえた。
あたしが持田先輩を苦手としている理由はもう一つあった。
ちらり、と持田先輩を覗き見ると柔らかい表情で、まだ書類を読んでいる。どうやら文化祭に係る過去の報告書や提出書類のようだった。
持田先輩は、クラスでもあまり目立つ方ではないだろう。肩上で綺麗にカットしたショートヘアはいかにも優等生という感じだし、髪染めやピアスなんかもしない。その上、いつも眼鏡をかけていて、悪く言えば地味だ。だけど、顔のパーツはどれも綺麗で、バランスもよく、美人と言って差し支えない顔立ちをしている。
そして極め付けは——。
「……ん? どうかしました?」と持田先輩がふんわりと微笑む。
あたしは、持田先輩のその大きな胸から視線を外して、「い、いえ。なんでも……」と小さくかぶりを振った。
持田先輩が書類に戻ったのを確認してから、あたしは自分の胸にそっと手を当ててみた。分かってはいたけれど、改めて持田先輩との違いを思い知り、はぁ、と小さく吐息を漏らす。
「……悩み事ですか?」
「あ、いえ、大丈夫です! 大したことじゃないんで」
あは、あはははは、とぎこちない笑みで必死に誤魔化した。
持田先輩は「そうですか?」と少し心配そうにあたしを見つめて、ようやくまた書類に戻ってくれた。
悩みはない、とは言ったが、よく考えたら、もういっそのこと相談してしまうのもありではないか。胸のことではない。もう一つの悩みの方だ。あたしは躊躇いつつも、結局口を開いた。
「も、持田先輩」
持田先輩は静かに顔を上げた。そして、返事をする代わりに優しい目で先を促す。
「の、野崎先輩……と、その、ふ、2人で会ったり、とか、するんですか?」
持田先輩は虚をつかれたのか、両方の眉を上げて、「野崎くんと?」と聞き返した。
「生徒会のとき以外は会ったことないです」
「お誘いとかも、来ないんですか?」
持田先輩は瞳を左に寄せて少し考えてから、フッと頬を緩め、「野崎くんが好きなんですか?」と反問した。
カーッと顔が熱くなる。黙って目を逸らしていると、持田先輩は「私が野崎くんに女性として意識されていることはないと思いますよ」と、あたしが気にしていることをまた先回りして答えた。
だが、その言葉で安心などできるはずもなかった。
あたしだって、小中とそれなりに恋愛はしてきた。だから分かるのだが、野崎先輩は多分持田先輩に気がある。持田先輩に対する視線やリアクションなどから、女性として意識しているのは明らかだった。
だから、あたしは既に二人が恋仲——あるいはその秒読み段階にあるのかもしれない、と勘繰っていたのだけれど、持田先輩の反応を見るに、そういうわけでもなさそう。
「今度、野崎くんをデートとかにお誘いしてみてはどうですか?」
「デ、デート!? む、無理無理無理! 無理です! いきなり過ぎますって!」
「大丈夫ですよ。一ノ瀬さんは、可愛いし、お洒落だし、それにギャルだし」
「……ギャルは関係なくないですか?」
「ありますよ。世の男性は、皆ギャルが好きなんだそうですよ」
どこ情報だ、と疑っていると、持田先輩は「高槻くんが言ってました」と一気に情報の価値を0にする発言をした。
「とにかく、まず誘ってみて手応えを掴むのもありかと思います。例えば、文化祭のポスターを貼ってくれそうなお店を探しに行く、とかそういう口実なら、断られることもないでしょう」
「な、なるほど! すごい! 持田先輩、意外に経験豊富なんですね!」
言ってから、「あ、しまった」と思った。『意外に』なんて失礼だし、『経験豊富』も意味深で、最悪のワードチョイスである。
「……いえ、その……経験は……ないんですけど……」と持田先輩は俯いてごにょごにょ言っていた。
あたしは場を取り持つために慌てて声を上げた。
「と、とにかく! 早速、明日、誘ってみます!」
◆
「野崎先輩」
と、廊下を歩く大きな背中に声をかけると、先輩は身を翻して、「おぅ」と少し意外そうに声を上げた。
「なんだ、珍しいな。一ノ瀬も職員室か?」
「え? あ、あぁ、そう。そうです。奇遇ですね」
あはは、と笑って誤魔化すと、野崎先輩は少し怪訝な顔をしたが、何とか誤魔化しきれた。
「先輩はこれから職員室でお説教ですか?」
「俺がそんなヘマする訳ないだろ」と野崎先輩が悪戯っ子のように笑う。「部活のことでちょっと顧問に呼ばれてな」
野崎先輩が歩き出し、あたしも隣について歩く。
「あ、部活といえば、その後、女子マネはどうです?」
「え? あぁ。真理と理奈か? 相変わらずぶーぶー文句言ってるよ。野球部男子も軽音楽部もみんな死ね、ってな」
「あー……。なんだか荒れてますね」
「ああ」と野崎先輩はげんなりと疲れた顔を見せた。あの双子に相当手を焼かされているらしい。「でもま、軽音部には迷惑かけねぇから安心してくれ」
軽音部と合コンするのは迷惑のうちに入らないのか、と一瞬思ったが、酒を飲んでいる訳でもなし。よく考えれば誰も責められない。飲酒でもしようものなら、チーム全体に迷惑が及ぶ。それは部に所属する全員が、口酸っぱく不祥事を起こすなと言われているし、よく分かっていることだろう。彼らはそんなバカな真似はしない。ただ単に女にだらしないだけ。
「最近、練習量が日に日に増えてるからな。双子もストレス溜まってんだわ」
「暗くなってもまだやってますもんね、野球部」
「もうじき地方予選だからな。最後の夏だ。気合い入れねぇと」
不敵に笑う野崎先輩に、少し心音が速まる。小さい声で「応援してます……」と言うのが精一杯だった。
話しているうちに気付いたら、もうすぐホールに到着するところだった。ホールを横切れば、すぐ奥が職員室の出入口だ。デートに誘うなら、それまでにOKを貰わなくてはならない。距離にして、残り30メートルもなかった。
焦りから、話の流れも何もなく、とりあえず見切り発車で口を開けた。
「の、野崎先パ——」
「——あれ? なんだアレ?」
角を曲がり、ホールが見えたとき、先輩が怪訝な顔で言った。
釣られてホールに目を向けると、5人の男女と彼らに向かい合い立ちはだかる女子2人が見えた。
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