第5話 接遇には気をつけろ①


 あたしが生徒会室に戻ったときには、扉は紙で埋め尽くされていた。

 どこからくすねてきたのかA4のコピー用紙に油性ペンで文字が書かれた紙だ。セロテープで雑に貼り付けてある。よく見れば、何かのプリントの裏に書かれている物すらあった。


 ——飲酒喫煙不良副会長

 ——部費を着服するな

 ——不祥事生徒会

 ——生徒会長は責任を取れ


 いくつもの苦情を書きなぐった紙が重なって張り付けられ、生徒会室の扉はミノムシのように覆われている。その中の1枚を剥がして手に取った。


 ——早く辞任しろ、一ノ瀬莉子


 あたしに宛てた苦情だ。

 破り捨てる気力すら湧かず、震える手から紙が抜け、木の葉のように揺られて落ちた。

 貼り付けられた苦情の中に真実は一つもない。

 野崎先輩が飲酒喫煙をした?

 あたしが部費を着服した?

 根も葉もないガセだ。あたし達は嵌められたのだ。


 紙に覆われた扉を強引にスライドさせて開ける。何枚かが剥がれてまた床に落ちた。

 薄暗い生徒会室に入ると、いつもの匂いがあたしを迎えた。何かの薬品のような、外国のお菓子のような、老舗の古着屋のような、色々なものがない交ぜになった不思議な匂い。

 失われてしまった穏やかで楽しかった頃の生徒会の残り香のように思えて、思わず顔を伏せた。

 生徒会室には誰もいなかった。会長と持田先輩はクレームの対応に追われ、生徒会室に腰を落ち着ける余裕すらないようだ。

 野崎先輩は冤罪を掛けられ、今は停学中である。生徒会室どころか、学校に来ることすら禁じられている。

 そして、おそらくあたしも……同じ運命を辿る。


 娘が停学になったと知らされたママの顔が頭に浮かんだ。

 顔を両手で覆ってすすり泣くママは、今はまだあたしの想像でしかないのに嫌にリアルだった。

 身体が震える。血が凍ってしまったかのように冷たくなった気がして、それなのに額には汗がにじむ。

 唐突に吐き気を催して口を手で押さえた。だが、何も吐き出すこともできず、ただ涙だけが鼻筋を伝った。

 床に崩れるようにしゃがみ込み、歯を食いしばって、泣き叫びたい衝動を必死にかみ殺す。


 頼りになる野崎先輩はいない。いつ停学が解除されるのかも分からない。

 憧れの生徒会長、円先輩もいない。博学で何でも知っている持田先輩もいない。


 独り。


 あたし独りの力で、生徒会の無実を証明し、あたし達を嵌めた真犯人を見つけ出すことができるだろうか。

 

 ——無理だ。

 

 あたしには円先輩ほどの人望も、野崎先輩ほどの精神力も、持田先輩ほどの知識も、何もない。

 もうこの生徒会は終わりだ。誰かの悪意によって、既に流れができてしまった。なだれ込む雄牛の群れのように、一度走り出した群衆による『粛清』は止まらない。

 生徒会は潰される。正義の名のもとに。


 どうして。


 どうしてこうなっちゃったんだろう。


 誰か。


 お願い。

 


「助けて」

 


 ◆


 

「助けてくださいよぉ。一ノ瀬先輩」


 軽音楽部の1年、長谷川は2つくっついた長テーブルに両手をついて、ぴょんこと1度跳ねた。黒いショートボブが浮き上がり、黒髪の内側に一束の淡いピンクの髪がのぞいた。

 軽音楽部らしいロックな髪型と言えば聞こえはいいが、普通に校則違反だ。その髪で生徒会室に乗り込んできた図太さに、呆れを通り越して感心してしまう。

 あたしは、生徒会長——円先輩に目でお伺いを立てた。あたしが追い払っても良いですか、と。

 円先輩は端から同じ軽音楽部であるあたしに任せるつもりだったのか、ほとんどノータイムで小さく頷いた。


「長谷川、中田、南!」とあたしが声を上げると、テーブルに乗り上げる勢いだった長谷川は「はい!」と直立で敬礼して、その後ろで成り行きを見守る中田、南も若干姿勢を正した。

「あんたらいい加減にしなさい。何が『助けてください』よ。ただの金の無心じゃない」

「金の無心とか言わないでくださいよぉ。軽音楽部の部費が増えたら、一ノ瀬先輩だって嬉しいでしょう?」

 

 長谷川はにやにやしながら、手を揉みだす。胡散臭い商人みたい。

 

「あのねぇ……」と睨みつけるが、長谷川は不思議そうに、こてんと首を傾げた。

「嬉しいとか嬉しくないとか、そんな個人的な感情で学校のお金が動くわけないでしょ!」

 

 こいつら、生徒会執行部会計係をなんだと思っているのか。身内だから来年からの部費を上げてもらえる、とそんな甘い考えで乗り込んできたのかと思うと、ため息しか出なかった。

 

「来年は私たちも2年になるじゃないですかぁ。そしたらもっと良い音でライブしたいんですよ! 今あるオーディオ機器ってクソじゃないですか? そう思いませんか、一ノ瀬先輩」


 一理ある、と言葉に詰まる。ボロっちいアンプに、安物のスピーカーを騙し騙し使っているのが我が軽音楽部の現状だ。

 でも、だからって、それで押し切られるあたしではない。


「……思うよ? 思うけど、それとこれとは話が別。たった20人弱の軽音楽部に今以上のお金振れないから」

「えぇ〜、先輩のけちィ。うち知ってるんですからね! サッカー部も野球部も吹奏楽部も今年は部費が増えたって聞きましたよ」

 

 長谷川の勝ち誇った顔にイラッとしたが、彼女の言うことは事実だった。

 

「それは大会で勝ち上がったり、コンクールで入賞したりしてるからね」と見かねた円先輩が加勢してくれた。

「サッカー部はインターハイ埼玉予選準優勝、野球部は選抜大会第3位、吹奏楽部も西関東大会で金賞を受賞しています」と持田先輩が補足した。

「へぇ、うちの学校もなかなかやるわね」とあたしが言うや否や、若干食い気味に、

「軽音楽部だって頑張ってますよぉ!」

と、長谷川が息巻いた。


 するとそのとき、それまで黙っていた高槻が唐突に声を上げた。

 

「どこがだ」

 

 鼻で嗤うようなその態度に、あたしはムッとして、つい立場を忘れ、「頑張ってるのは本当だから!」と長谷川たちに加勢した。

「頑張ってる? 新歓ライブのあれはなんだ。無難にまとめやがって。軽音楽部ってのはもっとハチャメチャじゃないとダメだ。でなきゃキャラが立たん」

 

 キャラ? と長谷川は眉を顰める。

 

「てか、お兄さん誰です?」

「よくぞ聞いてくれた。おれは天才小説家にして——」

「こいつの言うことは気にしなくていいから」と隣で威勢よく名乗ろうとしている高槻を押しのけると、ことのほか抵抗力がなく、高槻は椅子から転げ落ちた。

 

「とにかく、いくら抗議したところで、軽音楽部の部費は上がらないよ」

 

 むぅ、と長谷川が膨れっ面を見せた。隣で高槻が椅子に這い上がりながら「良い膨れっ面だ。ラブコメ力が高い。もっとよく見せてくれ」とか言っていたが無視されていた。

 

「いいですよーっだ。来年の初っ端で部費全額ぶっこんで高級アンプ新調しますから」

「そんなことしたら、消耗品買えなくなるでしょ」

 

 長谷川は分かっているのか、いないのか、「よっこらせ」と脇に置いてあった大きなギターケースを背負って扉に向かう。

 そして扉をくぐる直前、

「私たち『ハートフルコード』はこの学校を——いえ、世界を変える!」

 と、訳の分からない捨て台詞を残して退出していった。

 ちなみに、『ハートフルコード』とは長谷川、中田、南のバンド名である。ぶっちゃけ演奏も歌もあまり上手くないが、まだ一年生だ。これからだろう。

 

「大言壮語もいいところだな。ああいう輩に限って、努力を惜しむんだ」

 

 高槻が辛辣な物言いをするが、あながち的外れという訳でもないので返答に困った。あの子たちに足りないものは部費でも新しいアンプでもなく、技術力——つまり努力だ。練習量が圧倒的に足りていない。

 

「時々いるんだよね。部費増やせって乗り込んでくる人」と円先輩が苦笑する。

「だが、まだ夏前だぜ? もう来年度の話かよって俺なんかは思うがな」

 

 野球部の部長である野崎先輩は、部費が増額された部の人間だからか、長谷川たちがいる前では発言を控えていたようだった。

「まだ一年生は地味な基礎練ばかりやらされてる時期だからね。自分たちが上の代になったときのことを今から考えちゃうんじゃない?」

「自分たちの代のときに万全な状態で活動したい、ってことなんでしょうか」と持田先輩が言う。

「多分ね」


 円先輩は困ったように笑みを浮かべていた。

 昨年度までの生徒会会計は円先輩だったから、乗り込んでくる生徒の対応はこれまで嫌というほどやってきたのだろう。もしかしたら何か嫌な思い出でもあるのかもしれない。

 でも、今年度からは、それは会計係であるあたしの仕事だ。あたしももっと頑張らなきゃ。


「自分たちの代も何も、全員で一つのチームだろうに」

 

 野崎先輩らしい考え方に、思わず頬が緩む。あたしもそういう考え方は好きだ。

 でも、軽音楽部は野球やサッカーのような『部全体がチーム』という認識は正直薄い。自分らのバンドグループがチームであり、他のグループはライバルであり、競合相手だ。新入生歓迎ライブでも、文化祭ライブでも限られた時間の中で1つのステージを取り合うのだ。

 

「センパイは豊富な部費がもらえるから高みの見物という訳だな」

 

 あたしは嫌なことを言う高槻を睨んで無言の圧力をかけたが、彼はそんなことは気にも留めず、文庫本を開いた。背表紙には『魔法少女おっぱいロワイヤル3』とある。生徒会室でそんないかがわしい本を読んでいるのにも驚きだが、そのふざけたタイトルを1巻2巻と読み進めてきている高槻に何より驚きである。あんたは二度と文学を語るな。


「別にそういう訳じゃねぇよ」と野崎先輩が高槻に笑い掛ける。

「センパイには、いやしくも金の無心に訪れる弱小軽音楽部の気持ちなど分かるまい」

「弱小言うな」と一応あたしは抗議したが、案の定無視された。

「いや、まぁ、確かに野球部は恵まれてる。こんなに恵まれていて生徒会室に乗り込もうなんて奴がいたら逆に驚きだぜ」


 ははははは、と野崎先輩は快活に笑った。

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