第4話 忘忘ボックス②
皆が帰った後も、わたしは生徒会室に残った。残務はほとんどなかったが、先の先の先くらい遠い先の仕事まで着手しはじめ、目の前で『男女比1:20の異世界。意外に馴染めてると思っていたら、この生徒会がヤバすぎる!2』を読んでいる後輩が帰るのを待った。
私の視線は、自然と隣に置かれた忘忘ボックスに流れていく。それから高槻くんの横顔を覗き見た。
「……あのぉ……高槻くん?」
高槻くんは無言で文庫本から顔を上げた。眉を顰めて、なんだ、と言外に尋ねてくる。
「きみ、いつ帰るのかなぁ、って思って」
既に外は暗くなり始めているが、彼が腰を上げる素振りは見られない。
「まだ次の巻もあるから、もうしばらくイケるぞ」
「イケるぞ、じゃないから! やることないなら帰りなよ!」
それまでじっと真剣な顔でラノベを読んでいた高槻くんが、静かに本を置いてわたしを見据えた。
「やることならあるぞ」
…………はい?
すると、唐突に高槻くんが距離を詰めてきた。
少し幼さを残した綺麗な顔が少しずつ近づいて来る。わたしの心臓がひっくり返ったように大きく跳ねた。
近い近い近い近い! え、『やること』ってそういうこと?! やるの?! やることやるの?! 待って待って待って! わたしそんな意味で言った訳じゃ——てか『やること』ってどこまでやること?!
ぎゅっ、と目を瞑り備える。いったい何に備えているのかは不明だが、とりあえず唇をきゅっと固く結んで少し仰け反るように身を引いた。
——が、
……あれ。来ない?
不意打ちを警戒しておそるおそる片目を開けると、高槻くんは例の薄桃色のパンティを手に持っていた。
わたしに迫ってきたように見えたのは単に私の奥にある忘忘ボックスに手を伸ばしただけのようだった。
軽蔑と疑問が混在する目を向けるが、彼は全く意に介さず、不敵に笑った。
「ここからがミステリー小説でお馴染み、『解決編』だ」
はぁ? と声が漏れた。
やること、ってその『解決編』のこと?
「このパンティはこのままでは、生徒会から教師に引き継がれ、そして廃棄される。事の真相と共にな。だから、その前に真相を伝えようと——いや、違うな。真相をおれも知っている、と伝えようと思ったんだ」
「意味が分からないなぁ。このショーツは——」
「パンティだ」
「……このパンティは、誰かが落として、誰かが拾った。晒し者にするのは可哀想だから生徒会室に届けられた。これ以上の真相なんてあるはずないじゃない」
「あるはずがない、というのは思い込みだ。事実は小説よりも奇なり、と言うだろ」
「いやいや、現実はそんなに小説みたくいかないものなんだよ」
わたしの言葉が届いているのか、いないのか、高槻くんはにんまり笑う。得体の知れない悪寒が走った。
全てを見透かされているような錯覚にとらわれる。だけど、これは錯覚だ。あれだけの情報で、パンティの持ち主が誰かなんて特定しようもない。高槻くんお得意の人心掌握術だろう。
「なら、これは空想——おれの妄想の話だと思ってくれてもいい。だが、まずはおれのシナリオを聞け」
高槻くんは再び薄桃色のパンティを掲げ上げた。
「誰かが落として誰かが拾った、というのは確かにその通りだ。だが、拾った者——仮にロドリゲスと呼ぶが——ロドリゲスは忘忘ボックスにパンティを入れるために生徒会室にやってきたわけじゃない。結果的にそうなっただけだ」
「待って。仮の名前が気になって全然頭に入って来ない。どういうこと?」
「いいか?」と高槻くんが指1本立てた。「ロドリゲスはパンティを拾った。と、同時にその瞬間に誰のパンティかも分かってしまったんだ。だが、ロドリゲスと持ち主は直接パンティを届けに行く程の仲ではない。かと言って正規の忘れ物ボックスに入れる訳にもいかない。ロドリゲスは途方に暮れた」
「待って待って待って。おかしいって。この時点でおかしい。あのパンティの持ち主が瞬時に分かるはずないじゃない。生徒会執行部ですら、誰のパンティか特定できなかったのに、ロドリゲスにはできるって言うのは変だよ」
この理屈を覆すのは、いくら高槻くんでも不可能だ。
あのパンティに残されたヒントは、
1 生徒会室に直接届けられたこと
2 使用済みであること
3 0円と書かれていること
このくらいだ。これで持ち主を特定できるのならば、それはもうエスパーだろう。
しかし、高槻くんは静かにかぶりを振った。
「何もおかしくはない。あのパンティーには決定的なヒントが残されていたんだ。ロドリゲスはそれをもって、持ち主を特定した」
「役に立つヒントなんて何もなかったじゃない」
責め立てるようなわたしの指摘に、高槻くんは少しだけ口端を上げ、
「それはまた後で説明しよう」
と、後回しにした。
「とにかくロドリゲスは持ち主が分かったが、直接手渡すことも忘れ物ボックスに入れることもできなかった。そこで、ロドリゲスは持ち主の机にパンティを忍ばせることにしたんだ。だが、教室は放課後も残っている生徒が多く、チャンスがない。だから、ロドリゲスは生徒会室にやってきた」
心臓が沈み込むような鈍い煩悶の予兆を感じた。顔に表れないように、微笑して取り繕う。
「それで忘忘ボックスにいれたのね」
「いや、そうじゃない」
高槻くんは言下に否定した。
「そもそも、忘忘ボックスは生徒会執行部くらいしか、その存在を知らないはずだ。別に極秘情報、という訳でもないから、たまたまロドリゲスが忘忘ボックスを知っていたという線もなくはないが、それよりももっと簡単に説明がつく」
わたしは黙って高槻くんの声を聞いていた。嫌な予感は少しずつ予感から現実になりつつある。自分の鼓動が耳の奥で絶え間なく騒ぎ続けていた。まるで危険を知らせる警鐘のように。
高槻くんは静かに口を開いた。
「ロドリゲスは、忘忘ボックスではなく、生徒会室にある持ち主の机にパンティを入れに来たのさ」
そう言ってから、高槻くんはゆっくりと片腕を持ち上げ、指をさした。
「生徒会長 小田切 円の机にな」
ここまで耐えていた羞恥心が堰を切ったように溢れ出した。涙まで溢れ出しそうになり、グッと我慢する。
だが、高槻くんの手に握られているのは紛れもなくわたしの使用済みのパンティだ。その光景が視界に入るたび、顔が発火しそうなほど熱を発し、身体が震えた。
ここまで我慢できていたのは、『それはわたしのパンティではない』という設定が皆に信じられていたからだ。わたしはただ知らんぷりしておけばよかった。しかし、その設定も今崩されようとしている。
わたしが無言でいると、高槻くんは頼んでもいないのに一から流れを説明し出した。
「まずロドリゲスはパンティを拾ったときに、パンティに名前が書かれていることに気付いたんだ。『円』とな。お前は妹がいるんだったな。おそらく、妹の衣類と見分けがつくように名前を書いてたんだろ?」
当たりだ。妹とのファッションセンスはほぼ一緒で、その上サイズも同じなので、よくどちらがどちらの衣類だか分からなくなることがあった。だから、わたしのほとんどの衣類には『円』と書いていた。
「円、という名前は存外珍しい。加えて、『生徒会長 小田切 円』は学園一の有名人と言っても過言ではない。ロドリゲスはパンティが生徒会長の物だと察し、生徒会室に直接届けに来たのだろう。だが、どの席が生徒会長の席かロドリゲスには分からなかった。ラノベでは当たり前のようにある『生徒会長席』がこの生徒会にはないからな」
「普通ないよ」
「普通あるだろ。少なくともラノベではほぼ確定的に存在する」
現実とラノベを一緒にするな、と言おうとして本筋から話が逸れると気付き、やめておいた。
「困り果てたロドリゲスは、そこで忘忘ボックスを見つける。忘れ物の集合体ともいえる規則性のない品々を見て、ロドリゲスはそれが第二の忘れ物ボックスであると理解した。そして、苦肉の策で、パンティを忘忘ボックスに放り込み、生徒会室を退室したんだ」
まるで見てきたかのように高槻くんは語る。
どうにかして流れを変えなくては、このままでは社会的な死に至る。というか恥ずか死ぬ。
「だけど、やっぱりおかしいよ」とわたしは難癖をつけた。「そのパンティに書いてあるのは『0円』でしょ? 確かにわたしの名前の字が書かれてはいるけど、『0円』を見てわたしと結びつけて考える人なんているわけないよ」
わたしの指摘に意外にも高槻くんは、
「それは確かにその通りだ」
と、大きく頷いた。それから「だから」と続ける。
「だから、拾われたときは『円』だったのだろうよ。問題はいつ『0』が書き足されたのか、だ。おそらくはこういうことだろう——」
そう言って高槻くんはパンティを忘忘ボックスに再び放り投げた。もっと丁寧に扱って欲しい。乙女のパンティを何だと思っているのか。
「ロドリゲスが去った後、会長が生徒会室にやって来た。そして、ふと忘忘ボックスに何気なく目を向けて、戦々恐々とする」
高槻くんは忘忘ボックスに視線を振って、ガタガタ、と机を揺らして後ずさる小芝居をし始める。自分の股に手を当てて『履いている』か確認するなど、芸が細かい。少し大げさに動いて全体的に小馬鹿にした感じがするが、大まかな動作は実際と変わらないだけに、非難しづらかった。
「会長は当然、パンティを回収しようと手を伸ばす。が、すんでのところで動きを止めて考え直した。『コレが忘忘ボックスにあるという事は既に忘れ物として登録されている。となれば、コレを無断で回収すればそれは横領だ』とな」
なんでわたしの一挙手一投足を把握しているのか。若干の恐怖を感じる。いや、だが、これはただの高槻くんの妄想だ。別に確信があって言っている訳ではないはず。それなのに、何故こんなにも断定的に、堂々たる態度で語ることができるのか。
「生徒会長として横領など許されない、とクソ真面目な会長は考えた。真面目で融通がきかないキャラ設定であることが仇となったわけだ」
「人の性格をキャラ設定呼ばわりしないでもらえる?!」
高槻くんはわたしの突っ込みは無視して話を続けた。
「パンティを返してもらう正式手続きを踏めば、生徒会執行部の誰かに使用済みパンティの確認を受けねばならない。それは避けたかったお前は、パンティを見限った」
「パンティを見限るって何?!」
「お前は『このパンティはわたしのじゃありません』という態度を貫き、そのまま廃棄されるのを待つことにしたんだ。だが、そのためには書かれた名前がネックだった。『円』と書かれていれば、当然自分への疑いがかかるからな。まぁその判断は正しい。おれなら全校生徒の名前を調べて、お前以外に『円』がいないことを突きつけていただろう」
「ナチュラルに最低! どんだけ意地悪なの?!」
「だからお前は『円』の隣に『0』を書き加えた。こうすれば、それが名前だと思う奴はいない。謎の落書きパンティとして、廃棄することが可能となった」
そうだ。そのはずだった。誰にもバレないで、わたしのパンティを他人のパンティとして廃棄できるはずだった。
それを、この男。
いったいどうやって真実に辿りついたというのか。
「いつから……分かっていたの?」
なんで、わたしがこんなミステリー小説の犯人みたいなセリフを吐いているのか。自分でも疑問でしかない。
「そのセリフを言われちゃ、こう返すしかないな」
高槻くんは、嬉しそうに——どこか自分に酔っている感じで——答える。
「最初からさ」
「そ、そんなわけ——」
「まず先程述べたロドリゲスの一連の動きを前提とすれば、月半ばに忘忘ボックスにパンティが追加された時点で、持ち主は生徒会執行部の誰か——すなわち会長か持田か一ノ瀬の3人に絞られる」
「なんで断定できるのよ! さっき自分で、たまたまロドリゲスが忘忘ボックスを知っていた可能性もあるって言ってたじゃん!」
「もちろんその線もなくはない。だが、忘忘ボックスの存在は別に生徒間で噂になっている訳でもないし、人に話して楽しい話題でもない。『忘忘ボックスってのがあってね』と話したとて、『だから何?』と言われるのがオチだ。つまり忘忘ボックスの存在を知るにあたって、又聞きはない。あるとすれば生徒会執行部本人から、些細な雑談の成り行き上でたまたま聞いたってぐらいしか考えられん。もしそうならば、そんな些細な雑談をする程仲の良い生徒会執行部の友人にパンティを渡せばよかろう。それをしなかった、ということはロドリゲスには生徒会執行部に仲の良い者はおらず、したがって忘忘ボックスの存在も生徒会室に足を運ぶまで知らなかった、ということだ」
減らず口が止まらない。何か言い返したい気持ちが口を開けさせるが、結局言葉は出てこなかった。ぐぅの音も出ない。高槻くんの『妄想』は一応筋が通っている。
「話を戻すぞ。忘忘ボックスにパンティがある時点で持ち主は生徒会女子の3人に限定された。そこにきて、会長は突如パンティを教師に渡そう、と言い出す。当然、それはパンティを廃棄する行為だと分かるはずだが、何故か会長はすっとぼけて、過失によるパンティ廃棄の体を取ろうとする」
くっ……ッ! あのときはあれが最善策だと思ったのだ。できることならば、『持ち主の気持ちも考えずに忘れ物を捨て去る冷酷な女』という印象を与えたくないと思ってしまった。わたしの甘さだ。テキトーに持ち主特定に付き合ってやって、「やっぱ無理だね。仕方ない。廃棄しよう」というルートに持ち込むべきだった。
「そして決定的だったのは、ニンヒドリン反応を見せたときの会長の顔。演劇部部長の仮面が外れてたぜ? 火照った頬と泳ぐ視線はまさにラブコメを成していた」
「そ、そんなわけ——」
ない、と言おうとしたところで、高槻くんはおもむろにパンティを持つ手を持ち上げ、理科の実験でもしてるかのように、反対の手で仰いで、すんすん、と臭いを嗅いだ。
「なぎゃァォアアア?! ちょ! な、何して——や、やめて! お願い! わたしが悪かったから! お願いやめて!」
パンティを取り返そうとしたが、ひょい、と躱された。変態オタクのくせになんて身のこなしなの!
高槻くんはポケットから1枚の書類を出して机に叩きつけた。
「ははは、冗談だ。さて、おれはもうじゅうぶん探偵気分を楽しんだ。このパンティはお前に返しても良い。既に忘れ物返却許可書も、このとおり、おれの名前で作成してある。これを教師に出せば正式にお前のもとにパンティは戻る」
「なら早く返してよ!」
羞恥で涙目になっているのに気がついて、絶対に涙はこぼすまいと歯を噛み締めた。
「ああ。そうしたいのはやまやまなんだが、しかし、まだ一つだけやり残したことがある」
顔が熱で発火しそうな程熱くなり、もはや冷静に頭が回らない。てか、早く返してよ! 乙女のパンティ鷲掴んで、ニヒルに笑ってんじゃないわよ!
「やり残したこと——それは、犯人の自供と、動機語りだ」
………………は?
「ミステリーといえばお馴染み、もはや言い逃れできなくなった犯人の動機語りだろ。おれはそれを体験したい。さ、早くしてくれ」
「早くしてくれ、じゃないから! パンティ落とすのに動機とかないし!」
唾を飛ばす勢いで言い放つと、高槻くんは心底がっかり、という顔で肩を落とした。
「え……ないの? いつ買ったパンティで、どんなに愛着があったか、とかでもいいんだが……」
「そんなシュールな動機語りあるか!」
高槻くんはしばらく苦悶の表情で考え込んでいたが、やがて、
「この際、致し方ない」
と呟いた。そして、さらに言葉を重ねる。
「なら、動機語りは諦めよう。だが、自白だけはきっちりやってもらう」
「…………はぃ?」
「察しの悪い奴だな。だから、こう言うんだ——」
と高槻くんは、少し切なげで、どこか達観した『犯人の表情』を作った。
——それは、わたしのパンティです。
「と、こう宣言するんだ。それをもって完璧な『自白』と認めよう」
「ふざっけんな! なんでわたしがそんな——」
高槻くんはパンティを指に引っ掛けクルクルと回す。
く……ッ! この男……!
「自白がなければ終われない。終われないなら、このパンティはおれの物だ」
「……は?」
「おれは知り合いの女子に恥を忍んで、このパンティの受け取りを依頼した。そうして、書いてもらったのが、この忘れ物返却許可書だ」
そう言って高槻くんはポケットからもう一枚書類を出した。
「恥を忍び過ぎじゃない? 高槻くんも、その女子も」
「とにかく、お前が自白しないのならば、このパンティはおれの知り合い女子に返され、そしておれの手に渡る。さぁ、どうする。決めるんだ、会長」
ぐぎ。ぐぎぎぎぎぎぎ。
奥歯を噛み締めて、嫌な音がした。
なんで、そんなセリフ、わたしが——。
「そ」
掠れた声が出た。
「そ、そそ、それは——」
「それは?」と高槻くんが繰り返す。
「そ、そ、そ、それは!」
このとき、わたしの中で何かが弾けて、なんかもうどうでもよくなった。もしかしたら弾けたのはわたしの中の生徒会長としてのプライドだったのかもしれない。
わたしは大声で叫んだ。
「それは! わたしのパンティですぅ!」
——————パンティですぅ!
————パンティですぅ!
——パンティですぅ!
この日、わたしはお気に入りのパンティを取り戻し、そして大切な物を失った。
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