第2話 生徒会
カタカタ、カタカタカタカタ、ターン! カタカタカタ——。
各学級教室の半分程度の広さである生徒会室に、タイピングの音がリズムよく鳴り響いた。それを奏でる
最初に音をあげる者にはなるまい、とまるでサウナの耐久勝負をしているかのように、各々じっと耐えた。
カタカタカタ、ターン! カタ、ターン、カタ、ターン! カタカタ、ターン!
「だァァァアアアア! うるせえええええ! イラつくんだよ! なんだよ、そのエンターキーの押し方! リズムに乗ってんじゃねーよ! てか、なんで俺らが手書きで書類書いてんのに、遊んでるお前がノーパソなんだよ!」
最初に堪忍袋の緒が切れたのは、副会長の野崎だった。ちなみに、前副会長の不正者佐藤くんは生徒会長選で破れたので、今年度は生徒会入りを果たせなかった。どこかの役職で敗れた者は、「じゃあ別の役職で」と都合の良いことはできない仕組みになっているのだ。
「失礼な。おれは遊んでなどいない。崇高な執筆作業の真っ只中だ。少し静かにしてくれないか」
「お前が言うな! 一番カタカタうるせーくせに!」
高槻くんは正規の生徒会ではないため、通常業務を割り振られることはなく、言ってしまえば暇なのだろうが、生徒会業務と関係のない『執筆作業』をしているなどと堂々と宣われても、生徒会長という立場上少し困る。
「まぁまぁ、野田先輩落ち着いて」と会計の
「おれの家にパソコンなんて高価な物があると思うのか?」
「それ備品かよ」
野崎が呆れ果てて閉口する。
学校の備品をプライベートなことに使わないで欲しいのだが、わたしは彼を黙認せざるを得なかった。生徒会長なのに。いや、生徒会長だから、と言った方がいいのかもしれない。
「文句ないだろ? なぁ会長」
わたしは曖昧な笑みで答えを濁した。
彼、高槻 楓くんは、生徒会執行部の一員だ。だが、彼は正規役員ではない。生徒会執行部付 生徒会臨時接遇係——通称『接遇』である。
接遇は今年度から新設した係で、主に特殊なお客様が来た時のおもてなしが仕事だ。例えば、日本語が話せない人に対応する通訳などを想定して創設したのだが、それは表向きの建前である。本当は高槻くんを生徒会に加えたくて無理くり作り出した役職だった。
彼は演説会のときに、わたしを助けてくれた恩人であるのだが、恩人だから生徒会に招き入れた訳ではない。むしろ彼は嫌がったのに、無理を言って入ってもらったくらいだ。
演説会のとき、わたしと彼は間違いなく赤の他人だった。そして応援演説者が現れないなんて事態は、それを仕掛けた佐藤くん以外には誰も予期できなかったことだろう。つまり誰にも代理演説の準備をする時間なんてなかった。
にもかかわらず、彼はまるでわたしのことを調べ上げて知り尽くしているかのように、マイクの前で語った。そのときまで興味のかけらもなかったであろうわたしのことを。
——事実なんてどうでもいい。俺は想像したことを話しただけだ。
わたしが彼を見つけ、何故わたしのことを知っているのか問いただしたときに彼はそう言った。曰く、わたしの制服やローファーについた花壇の土や、応援演説者が現れなかったときのわたしと佐藤の表情、仕草から一番あり得そうな『ストーリー』を想像して話したそうだ。
『小田切は良い奴だ』『佐藤は不正をした』、その2つのキャラ設定を群衆に刷り込んだ。
仮に間違っていたとしても、誰にも分かりはしない、と彼は言った。
そして、事実、全校生徒はまんまと彼の誘導に従い、動かされたのだ。
高槻 楓は非常に危うい。人の心を掌握し、動かす力がある。暗く淀んだ海底のような瞳に、沈んだダイヤモンドのような輝きが瞬く。それは心を貫き、
高槻くんはその力を無意識に発揮する。正しいことに使われるならば良い。だけど、一歩間違えば、とんでもないことになる。
一度貼り付けられたレッテルは、貼り付けた本人ですらそう簡単には剥がせないのだ。学校内という閉ざされた空間でなら、尚のことだ。
だから、わたしは彼をこの生徒会執行部に置いて管理することにしたのだ。
「会長、ちょっと高槻に甘すぎません?」と一ノ瀬さんが口を尖らせた。
「なに言ってんだ。生徒会室を好きに使っていいって言うから、おれはこのめんどくさい役職についてやったんだぞ」
後先考えず妙な約束したことを少し後悔した。高槻くんは遠慮がなさすぎる。今だって、生徒会予算で買ったせんべいを躊躇いもなく口に運んでいる。
「そ、そのパソコンは生徒会室の備品ではないと思うんですけどぉ……」
書記の持田さんが胸の前で控えめに手を上げた。胸のサイズは控えめでないだけに、挙げた手は余計に目立たない。彼女が言いたいのは、別室の備品を勝手に移動させるな、ということだろう。
「細かいことを言うな、持田」
高槻くんは先輩である持田さんに割れたせべいを、ビシッと向ける。せんべいのカスが持田さんの方に飛んだ。
持田さんのメガネの奥の伏目が一層深く沈む。彼女は挙げた手を静かに下ろした。負けないで持田さん。
「てか、そんな誰の目にも止まらない駄作を生み出す暇があったら、会計の仕事手伝ってほしいんだけど」と一ノ瀬さんが言う。
「ふん、何が駄作だ。お前に文学的な目がないだけだろ。見る者が見れば、谷崎潤一郎の再来だと、ひっくり返るはずだ」
「誰よそれ」一ノ瀬さんが目を細めると、「明治から昭和にかけて活躍した大作家です」と持田さんが答えた。
「お前は文学的な目が養われているようだな持田」
高槻くんがまたせんべいを振り回す。今度のカスは持田さんのスカートに落ちた。彼女は文句の一つもなく、丁寧にカスを拾ってティッシュに包む。
「そういえば高槻くん、だいぶ前に締切って言ってた公募の結果どうだったの?」
何気なく思い出して聞いただけだったのだが、副会長野崎の目が「ばか、お前」と責め立てるようにこちらに向けられた。わたしもようやく「しまった」と思い至った。持田さんは口を固く結んで目を逸らし続け、一ノ瀬さんは「あーあ」と苦笑していた。
「…………一次落ちだが?」
「……あ、えっと……それは、その、ど、ドンマイ!」
胸の前でギュッと両手を握り、ガッツを示したが、高槻くんにそのガッツは伝わらなかった。
「そもそも、だ! ××新人小説大賞の下読み共の感性が、おれの文学のレベルに達していないんだ! おれの記す魂を震わす文章が、ストーリーが、メッセージが、たかが下読み如きに——」
とうとうと続く高槻くんの文学論は、おそらく誰の耳にも入っておらず、誰もがただのノイズとして認識しているようだった。まださっきまでのタイピング音の方がマシだ。
スイッチが入ってしまった高槻くんは時に怒りに目を血走らせ、時に恍惚に天を仰ぎ、普段からは想像もつかない程、表情豊かに語っていた。
一ノ瀬さんが高槻くんを無視して自分の仕事に戻ると、野崎、持田さんもそれに倣い、各自黙々と作業を再開した。わたしも。
高槻くんは誰も聞いていないのに、まだ講釈を続けている。もはやBGMと化していた。
「あ電卓忘れたわ」
「先輩、使ってください」
「——そう。ここで最初の文章が生きて来るわけだ」
「お、気が利くな。さんきゅ」
「野崎、忘れ物多すぎだよ。気をつけて」
「——お察しの通りだ。先の章が丸ごと伏線になっているのは、おれがわざわざ言うまでもないと思うが——」
「わーってるよ。明日は持って来るっつの」
「あの……高槻くん、このままでいいんでしょうか……」
「——つまり、この一文をミクロ的な視点から離れて、より対局的に見るとだな——」
カーテンがそよ風に揺れ、暖かい春の匂いが流れてきた。
ふと窓に目を向ける。窓の外から部活動に勤しむ生徒の気合の入った掛け声が聞こえてくる。
いつもと変わらぬ『日常』が今日も今日とて続いている。
生徒会執行部は今日も平和です。
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