第20話 学校での居場所の喪失
私にとって、学校は常にどこか窮屈で、居心地の悪い場所でした。小学校から高校、専門学校に至るまで、どの場面でも「自分の居場所がない」という感覚が強く、自分が周りと違うと感じることが多かったのです。クラスメイトたちが自然に楽しそうに交流する中で、私は一人その輪の外にいるような気がして、孤独と疎外感が心を覆っていました。
教室での何気ない会話やグループ活動の中で、他の子たちはどんどん親しくなり、笑い合っていましたが、私はその流れにうまく乗ることができませんでした。話を合わせようとしても、どこかぎこちなくなり、自分が浮いているのではないかと感じる瞬間が多かったのです。特に思春期になると、「普通」であることや「仲間といること」が何より重要視される風潮があり、私は自分がそこに属せないことへの劣等感を募らせていきました。
そんな日々の中で、私は「自分が悪いのだろうか」と考えるようになり、自分を責める癖がついてしまいました。「どうして自分はうまくやれないのか」「なぜ人と違うのか」と、自分の性格や言動が原因なのだと思い込み、他の人たちと同じように過ごせない自分に失望するようになったのです。周りに合わせるために無理に自分を変えようとしましたが、それが逆に心の中での孤独感を深める結果となりました。
学校では、常に「ここではないどこか」に憧れる気持ちがありました。自分を受け入れてくれる場所が別にあるのではないかと心のどこかで信じていましたが、その場所がどこにあるのかもわからず、漠然とした空虚感だけが残りました。周りの人たちがそれぞれの役割や居場所を見つけていく中で、私だけが取り残されているように感じ、そのことがさらなる孤独を生み出しました。
この「居場所がない」という感覚は、学校生活に限らず、後の人生にも影響を及ぼしました。新しい環境に身を置くたびに、過去の経験がよみがえり、「また居場所が見つからないのではないか」という不安に駆られることが多かったのです。心のどこかで「自分には居場所がない」と決めつけてしまっている自分がいて、それが私の心の負担になっていました。
しかし、後になって気づいたのは、「居場所」というのは必ずしも周りに合わせることで得られるものではないということです。他人の期待に応えようと無理をせず、自分自身を大切にすることが、真の居場所を見つける第一歩だと理解するようになりました。自分を偽らずにいられる場所が、どれだけ心を軽くしてくれるかを、少しずつ実感できるようになったのです。
学校での「居場所の喪失」という経験は苦しいものでしたが、それを経て「本当の自分でいられる場所」を探すことの大切さに気づくきっかけにもなりました。今では、自分が無理をせず自然体でいられる人たちと過ごす時間を大切にし、その人たちとの関係の中で自分の居場所を感じられることに感謝しています。学校時代に見つけられなかった居場所を、今は少しずつ築き上げているのだと思います。
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