第4話 はじめての殺人
警報が鳴り響く内部は、研究施設らしく小綺麗にされており、見渡す限りの白だった。
この警報はおそらく、ワイバーンの突進による壁の崩落で作動したものだろう。まだ侵入には気づかれていないハズだ。
「……どう攻めようか」
心臓の鼓動を紛らわすべく、ぽつりと呟く彼女。
――今回は財団や、存在しているかもしれない財団へ不満を抱く者達へそういう者がいるということを認識してもらうのが主な目的だ。派手な破壊や殺人ではない。
だがこのまま引き下がれば、ただワイバーンが研究施設を襲った、という噂が広がるのみ。
(なんで私は考えもなしに突っ込んじゃうかな……)
普段は理性的で頭脳派な彼女。今回ばかりは情に任せて突っ込んでしまったために、この有様だ。
それもそのはず――この娘は愛しい人のためなら、命だって捨てる覚悟である。
とにかく、捕まるのだけは避けなくてはならない。
目立った行動だけして、退散する。
ノープランだったが、大まかな予定は埋めることができた。
あとは実行するのみ。
研究施設に入り浸っている身だから、彼女には何となく構造が分かる。
夜中に人が集まるのは、少数だが実験場となる部屋だけだ。そこで夜通し仕事をする人間が大勢いる。
そういう実験場はだいたい、いつ壁を突き破ってくるモンスターがいるかも知れない外側でなく、比較的安全な中心部にある。
緊急事態で逃げ惑っている可能性もあるが、今はとにかく人と出会うしかない。
中央に向かって歩み出したルア。
彼女の身に纏う黒い外套は、その施設には不釣り合いのように思えた。
ふと、人の気配を感じ足を止める。
目の前でこちらに背を向けているのは、白衣を纏った若い女の子研究者だった。脳内チップが共鳴はない。〈魔法使い〉ではないようだ。
「どうしよう……隔壁ロックされたんじゃ……あぁもう……! もう少しで帰れたのに」
非日常に困惑する彼女に、手をかけることを僅かに戸惑っていた。
殺すつもりはない。でも抵抗されたら?
戦闘のプロでもないのに、手加減なんてできない。
でも、ここまでした。今更引き下がるわけにはいかない。
音も立てず忍び寄って、近くまで迫った瞬間彼女の細い首を腕で絞めた。
か細い悲鳴を上げる女の頭に、変形させた杖――拳銃の形になった杖を突きつける。
「私の問いに答えろ」
最大限声音を低くし、彼女は尋問した。
こんな事をしなくとも、相手は怯えてしまっていたが。
「はっ……は、はい……」
「研究室には人がいるか?」
「わっ……私と、あの十人程度……いると思います……」
「研究室に案内しろ」
「かっ、隔壁が作動してっ……今、は、入れなくなってて……」
「関係ない」
頭に突きつけていた物を背中に押し付け、進めという指示を出す。
女は泣きそうになりながら、ゆっくりと歩みを始めた。
暫く歩かせると、言っていた通り安全のために作動した区画ロック用の隔壁が行く先を塞いでしまっていた。
ワイバーンの時のように代わりに壊してくれる便利な道具はどこにもない。
ルアは一度女を解放し、杖を拳銃から変形させてもとに戻す。
「動いたら、痛い目を見るぞ」
「はっ……はい……」
蹲ってしまった彼女を横目に、ルアは詠唱を済ませる。
「祖なる質。与えられた偉大なる名目。その名を騙り、星の変革を偽る」
魔法を発動させれば、隔壁の一部が一瞬にして崩落する、巨大な穴を作り出した。
瞬く間に液状と化した金属が、純白の床を汚していた。
怯える女研究者を連れ、その隔壁の先に侵入する。
彼女の言葉通り、そこは実験場であり白衣を纏った人々が何人も取り残されていた。
はじめこそ、助けが来たと勘違いし歓喜の表情を見せたが、その風貌を一瞥するや否や戦慄し怖気付いた。
「なっ、何者だ!? この騒ぎの原因は、お前なのか!?」
「下手な動きをすれば、この女を殺す」
女を道具に使い、彼女は要求をその場にいた全員に告げた。
――正直言って、殺人に手を染められるまで人を捨てられていない。
これはあくまで脅しだった。
「分かった。何が、何が目的だ?」
その場で一番年長であろう男が、焦燥を取り繕った様子で語りかけてくる。
「この研究施設に、”冒険者総合支援課”のアルバートン・ファステリアはいるか」
「ファステリア……? ファステリアは今、別室で仮眠を取っているよ。彼に用があるのか?」
「道は開く、ここに来るように告げろ」
ルアは片手を用い、魔法を作動。
研究施設に繋がる四つの道を塞いでいた隔壁全てに穴を開ける。
弾け飛ぶ液体金属が、純白を汚す。
「〈魔法使い〉……?」
年配の男は、静かに彼女を睨む。
仮面の奥でルアは短く息をした。
他の研究者たちは固唾を呑みそれを見守っている中、男はどうしてか決断を躊躇っているように見えた。
男は苦渋の決断を下したのか、通信装置に元へ歩み寄って受話器を取った。
「所長……!!」
「若い命の代わりなどあるものか!」
所長と呼ばれた男は、受話器に向かって指示を出したあと、ルアを落ち着かせるべくまた戻って来る。
「彼は今すぐ来ると言っていたよ。その子を離してやってはくれないか」
「こちらの用が済めば解放する」
「……君、〈魔法使い〉だろう? こんな事をして、一体何が目的なんだ?」
所長は彼女を諭すよう、優しく語りかけてくる。
――はっきり言って怪しい。
さっきの受話器越しでの会話も、何を言っていたのかはよく分からなかったが、こちらの様子をちらちら伺っていた。
この男、何をしたのか。
「冒険者支援課に用があると言ったね。君は〈魔法使い〉だろう? 〈冒険者〉などを支援する所には関係ないだろう」
その発言で、ルアは杖を振るう。
男の背後に群れていた研究者たち目掛けて、氷柱のように形を変えた鉄塊が墜落してくる。
悲鳴を上げて、研究者たちは散り散りになった。
「無駄話は不要だ」
「そうかい……」
男は笑みを浮かべた。
それはどちらかと言えば、窮地に追い込まれて不意に漏れる諦めの笑みに感じられたが――未だ怪しさは拭えない。
なによりこの男には話が通じない。
数十分も経たないうちに、通路の方へ人の気配が感じ取れた。
目をやれば、スーツに身を包んだ高貴な男がこの緊急事に似合わない余裕綽々な表情で歩いてきていた。
「やぁ、君かな? 私を呼んでいるという〈魔法使い〉は」
アルバートン・ファステリアは、そう気さくに話しかけてきた。
ここまで癪障る男だと思わなかった――ルアは女に銃を突きつけたまま、息を整えてから口を開く。
「冒険者総合支援課の貴方に、要求したいことがございます」
「ほう……私に?」
言葉で伝えた所で、どうせ駄目だろうが念の為にやってみる。
「”冒険者誓約法”の改正を、検討してはいただけませんか?」
何度も何度も無碍にされてきた要求を吐露した瞬間、場の空気が静まる。
そうしてそれを、アルバートンの高笑いが壊すことで話が進んだ。
「面白いことを言うね、君は。”冒険者誓約法”の改正? 君が〈冒険者〉のようなバケモノであるならともかく、財団からお墨付きの〈魔法使い〉に、何のメリットがあるのかな?」
アルバートンはこちらを嘲笑うように言う。
――やっぱり。
「あれはバケモノを上手に飼いならすための法律だ。改正するほうが馬鹿げている。君はなにか? 人の形をしたモンスターに自由を奪われてみたいタチかな」
予想はしていたが最悪な男だった。
どいつもこいつも、〈冒険者〉をバケモノ呼ばわりだ。
誰のおかげで、モンスターに怯えなくて良い生活を送れていると思っている? 誰のおかげで、困ったことがすぐに解決できると思っている?
「気に入ったよ、仮面の〈魔法使い〉クン。でもね――ワイバーンの騒ぎに便乗して重要施設に踏み入るのは立派な犯罪だよ」
彼の言葉を皮切りに、耳を劈くような銃声が鳴り響いた。
彼女の頭部めがけて一斉に発射された弾丸――息を潜めていた治安維持部隊による射撃だ。
竜巻のような鉛玉の嵐と、眩い閃光が平然としていた実験場を一気に混乱の惨禍へと叩き落とした。
だが、その弾丸は一発も当たること無く砕け散った。
仮面の女を覆っていたのは、黒き結晶によって構築された膜。
ルアも人質の女も無傷だった。
治安維持部隊が突入し、彼女を制圧せんと全勢力をもって突撃してくる。
総数二十。アサルトライフルと防護兵装を装備した戦闘のプロたち。
同じ立場ならどうってこと無い数なのだろうが、彼女にとっては命の危機がひしひしとせり上がってくるほどの数だった。
魔法陣を展開し、結晶膜を再構築する。
放たれる第二波の弾丸雨をいとも容易く防ぎ、決死の覚悟で反撃に出る。
杖を振るい、マナ粒子が床一面を覆うように散布される。
微かな震動と共に、床を構成していた金属が針山へと姿を変えていく。
想像を絶する攻撃に、治安維持部隊は次々倒れていく。
殺してはいない。転倒させたりで気絶させているだけだ。
呼吸が乱れる。
少しでも粗が出れば押し切られて負ける――。
そうか、あの子はこんなふうに戦っているんだ。
余計な念が入った彼女は、背後を取られたことに気が付かなかった。
いくら強固な結晶膜であれ、至近距離からの全射撃には耐えきれず結界してしまう。
その衝撃で彼女は床に投げ出され、女を解放してしまう。
兵士は人質の保護を優先していたが――本当に、本当に危ないところだった。
痛みを噛み殺して立ち上がり、結晶膜を展開した直後、無数の弾丸がそれらの表面で火花を散らす。
――間一髪。
残存勢力からの攻撃を防ぎ、激情に身を任せ再び反撃すれば威勢の良かった治安維持部隊は瞬く間に鎮圧された。
〈魔法使い〉が対モンスター戦の切り札と言われる所以が分かる惨場だった。
興奮した彼女は、絶句するアルバートンのもとへと駆け寄り、奴を蹴り倒した。
当然、彼女にこんな力などない。
増減魔法の応用で、一時的に脚部筋力を増強させた。詠唱を破棄したために調整が効かなかったらしく、彼はあばら骨を押さえて藻掻き苦しんでいたが。
研究者はいつの間にかおらず、この腐れ外道と二人きり。
アルバートンの胸を踏み潰し、杖の先端を奴の鼻先に向けた。
「ま、待て……! 何をする気だ……! 正気なのか!?」
ルアは荒く息をする。反論する気にもなれないほど、彼女は酷く動揺していた。筋力強化による反動が来て、頭が回らなくなってくる。
ろくな判断など下せたものではない。正気かと言われたら、絶対に正気でない。
「お、お前が〈冒険者〉の肩を持つメリットがどこにある!? なっ、謎だ!! 考え直せ!! お前たち〈魔法使い〉が戦闘に駆り出されないのは、あいつらバケモノが台頭しているからだぞ!? メリットは、メリットは承知しているはずだろう!?」
――こんな男、生かす理由があるのか?
日々命を削って仕事をする者をバケモノ呼ばわりして嘲笑うような男を、本当に生かしておいてよいのだろうか?
朦朧とする意識の中、ルアが至った思考はそれだった。
「祖なる質。与えられた偉大なる名目。その名を騙りて、ここに結ばん。星の恵み、万物の根源。それらを騙り、繰る誓約を」
「ま、待て!! 考え直せ!! 考え直せぇぇぇっ!!」
アルバートンが叫ぶと同時に、彼の頭はみるみるうちに肥大化し、風船のように破裂した。
弾丸や液体金属、マナ粒子による汚染で汚されていた純白の床が、鮮血で綺麗に彩られる。
ぶくぶくと沸騰する血液から、蒸気が漏れている。
彼女はそれを見て、今にも気絶しそうな頭を抱えながら、研究施設からの脱出を試みるのだった。
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