第3話 その魔法使いはテロリスト



 買い物でこんなにもドキドキした事は無い。



 フライパン、ワイバーンの革製のバッグ、スニーカー、プラスチックのペットボトル……共通性の欠片も見出せないものが、ルアの目の前にはずらりと並んでいた。


 今、彼女が成そうとしていることは本来絶対にやってはならぬこと。

 〈魔法使い〉にとって、禁忌タブーとされるのは『魔法の悪用』に他ならない。


 魔法というのは、この世界に普遍的に存在する特異物質”マナ粒子”をプログラムによって操作する技術のこと。


 魔法の三原則に”変換”・”転移”・”増減”がある。マナ粒子を使い、ある物質を別の物質へ変換する、マナ粒子によって物質の状態を変える、マナ粒子によってエネルギーを増減させる――易しく言い換えるとこうなる。


 『魔法の悪用』とは主に『他人の財産権を侵害する行為』の事を指す。

 つまるところ、”変換魔法”を使えばなのだ。


 材料さえあれば、”変換魔法”の応用でモノの構築ができる。

 

 ルアは〈魔法使い〉の必需品である杖を取り出す。先生から貰った、大切な杖。


「……ごめんなさい。先生」


 杖に埋め込まれた、三色の球体型デバイスを優しく撫でればプログラムが起動され、魔法陣と呼ばれるホログラムが足元に展開される。

 

 翡翠の瞳がぼんやりと、機械的に輝く。

 

 〈魔法使い〉は皆、脳波でプログラム入力が可能となる特殊手術を施されている。瞳にはその情報が一目でわかるレンズも埋め込まれる。


 ――〈魔法使い〉は人間じゃない。

 そういう誹謗中傷を受けたこともあった。



「祖なる質。与えられた偉大な名目。その名を騙りて、万物の創造主を偽る」



 魔法陣が輝き、明度を変化させた。

 球体型デバイスのうち一つをぐい、と捻れば入力したプログラムが実行。


 魔法プログラム実行のトリガーは、〈魔法使い〉本人による”詠唱”。無くても発動できるものの、精密さが下がるためこういう場面では必須だ。

 初めのうちは小っ恥ずかしいが、年を重ねれば羞恥は消え去る。



 眩い閃光が走った。

 これだけ強力な”変換魔法”を使うのは初めてである。

 あらかじめ、窓の材質が偏光の効果を持つように変えておいて正解だ。分かる者には、この光だけで悪事が認知されてしまうだろうから。


 

 光が消える頃、予測していた通りの物が目の前に現れた。



 ワイバーンの革を用いた耐熱と耐寒、耐久性に優れた黒いロングコート。

 鉄と同じ耐久力を有しながら、プラスチック並みの軽量さを誇る、顔を覆うための仮面。


「成功……? 触れたら崩れたりしない?」


 双方を少し強めの力で突いてみたが、材質も性能も、彼女の望んだ通りのものだった。

 安心して一息つくが、同時に激しく罪悪感が湧いてくる。


「……先生は絶対許してくれないだろうな」


 ルアはぽつりと呟く。


 ――何を今更。


 誰が許そうが許さまいが、関係ない。

 



 引き返せない所まで来ている。

 は、その証明なのだ。




 ◇




 普段はもっと寒い筈の夜。

 身に纏うコートと、顔を覆った可愛さの欠片もない黒の仮面のおかげか、むしろ暑く感じるくらいだった。


 ロナが眠る頃、ルアは家を密かに出て人気のないところで変装をした。


 使われていないビルの屋上で、彼女が見ていたものは、街の中央部に佇む〈リバース財団〉のオフィスだった。


「はじめからチェックをかけるのは……論外ね」


 常に目的を忘れてはならない。

 彼女の目当ては財団の壊滅――なんてものではなく、”どれだけ説得しても変わらないルールの改正”だ。


 そうするために手っ取り早いのは、相手がを作ることだろう。


「……どうせ、一人じゃ行き詰まる時が来るんだし。派手にやってみるのも手かな」


 単独であのような巨大組織に挑むのは無謀過ぎる。

 そして、そう思っている者はきっと少なくはないはずだ。


 テレビで飽きるほど商品の宣伝を行うように、も知ってもらわないといけないのだ。


 敵にも味方にも。




 ◇




 〈リバース財団〉は高い技術力を有している。その最たる証明が、機能的な都市やそこへ散りばめられた近代的な文明である。


 

 ルアが足を運んだのは、郊外の森林地帯にぽつりと点在する財団所有の研究施設だ。

 この研究施設には、以前一度仕事で訪れたことがあった。


 記憶が正しければ、この施設では〈冒険者〉関連の業務を一任する部署――”冒険者総合支援課”所属の人間が勤務していたはず。

 

 こんな真夜中まで残っているような人間かは怪しいが、とにかく今回は”冒険者総合支援課”に自身の噂を広めることができるならクリアだ。


 まだ明かりは灯っていて、人がいるのが一目で分かる。



「……〈魔法使い〉も、多分居るよね」


 

 ここまで来て、彼女の中には躊躇いの念があった。

 彼女がやろうとしていることは、優しさを捨て切れないままやる行為ではない。


 それが彼女の抱く躊躇いを加速させる要因になっていた。


 仮面の中で瞳を閉じる。


 目蓋に映った、愛しい人の笑みがどろりと苦痛に歪む姿を思い浮かべた。

 耐えられない。見ていられない。同情と同時に湧き上がってくるのは、それを生み出す要因となっている社会制度への激しい憎悪。



 激情に身を委ねたまま、彼女はついに歩き出してしまった。



 鬱蒼とした森を歩いていた彼女を、ふと、激しい風が襲う。

 何事かと足を止めたくなるほど荒れ狂う風を巻き起こす元凶を目にし、ルアは歯噛みをした。


 闇夜の空。月光を背にして飛翔するは、一対の巨大な翼を有するモンスター――ワイバーン。

 月光に照らされ煌々と輝く紅い鱗は、火を操るワイバーンである証明であった。



 ワイバーンは幸い、闇夜に紛れる格好の彼女の姿には気づいておらず、ぼんやりと明かりが灯っている研究施設を虎視眈々と見つめていた。



「せっかく覚悟を決めたっていうのに……!」



 ルアは苛立ちと共に、これまで背負うだけだった杖を回転させながら手に取った。

 金属製の変形機構を有した〈魔法使い〉専用の杖。

 プログラムの高速演算に使われ、これが無ければ人間が魔法を使うことなど不可能である。



「祖なる質。与えられた偉大な名目。その名を騙りて、星の変革を偽る!!」



 私情の混じった強めな詠唱を行い、杖をぐるりと回転させれば、魔法陣が展開されて、活性化したマナ粒子が鮮やかな煌めきを見せた。


 すると、彼女の周りに無数の黒い石が形成される。


 杖を振るい、魔法陣の輝きが強まると、その石を暴風雨のように発射。

 漆黒の残像を闇夜に彩って放たれた結晶たちは、ワイバーンの甲殻をいとも容易く貫いた。


 意表を突かれたワイバーンは、これまで見えていなかった敵性生物の存在に気づき、咆哮を轟かせた。


 それにより、研究施設の方にも動きが見られた。


(丁度いい……使わせてもらおう)


 ルアは一度攻撃の手を止め、ワイバーンの視界に自らが入ったのを確認すると、慣れない全力疾走を始めた。


 生きるか死ぬかの瀬戸際。普段運動不足であれど、そんな状況に置かれれば自然と足も速くなる。


 降り注ぐ火球。ワイバーンの操る魔法によって繰り出された一撃を、背中でひりひりと感じながら、研究施設の前まで辿り着く。


 怒り狂うワイバーンは、大地に降り立ち、理不尽に奇襲を仕掛けた者を喰らわんとばかりに唸る。


 後ろ脚で大地を蹴り上げ、大口を開けながら飛びかかった瞬間、ルアはその場で緊急回避を行った。

 ワイバーンはそのまま止まれる筈もなく、研究施設の壁に激突。


 その巨体に耐えられる壁では無かったらしく、安々と崩落し中が露出する。


 どう壊そうか悩んでいたところだ。

 ルアはワイバーンに感謝しながら、杖を振るう。


「あの子の仕事が増えるから、お役御免ね」


 先程よりも巨大な結晶体を構築し、優雅に歩き出すと同時に、軽い脳震盪を起こすワイバーンの胴体に突き刺した。


 血を吹き出しながら倒れるワイバーンを踏みしめ、ルアはついに研究施設へと侵入していった。

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