第2話 冒険者は道具


 社会を変えるにはどうすべきだろう?



 中学の時の同級生が、学校推薦のための小論文を書くために、そんなニュアンスの題材について頭を抱えていたのを覚えている。


 はっきり言って、どんなに難しいプログラムよりも解決困難な問題。

 明確な一手があるのは間違いないが、プログラムと違って、道は一つでもないし、決して易しい道ではない。

 


 ルアはロナに膝枕してもらいながら、そんな事を考えていた。

 いい匂いのふにふにした太ももに頭を乗せると、至高の感触が頭を包んでくれる。


「うぅん……ロナ枕最高……」

「飽きないね」

「飽きるわけがないわ」



 そもそもの議題が抽象的すぎる。

 もっと具体的にしないと考えようにも考えられない。


 

 〈リバース財団〉によって制定された”〈冒険者〉誓約法”。

 かつては誰もが夢見た憧れの〈冒険者〉という職業を、単なるに成り下げた法律だ。


 稼ぎも良く自由度の高い〈冒険者〉という職業に一度就いたら、辞めることも長期間休むことも許されない。

 それだけではない。”〈冒険者〉誓約法”は悉く〈冒険者〉に対して風当たりが強い。


 今の〈冒険者〉は基本、毎日のように財団に出された依頼が、それぞれに分配されることで仕事が自動的に舞い降りてくる。

 その依頼は、市民の困ったことを解決することを重視しているためか、地味な物も多い反面、モンスター退治のような危険な物も同じくらい多い。

 財団はその配分をしっかり考えている。〈冒険者〉一人一人のデータと照合し、過去の実績に応じて依頼を出すのだ。


 今の〈冒険者〉はその父親や祖父、または本や雑誌で憧れた一昔前のものとはかけ離れた職業になっている。

  

 だがロナはそもそも、なりたくて〈冒険者〉になったわけではない。

 というやつだ。



「耳汚れてるよ。また、してあげようか?」

「えっ、ウソ。じゃあお願い」


 ロナが横着して、棚上の綿棒を座ったまま取ろうとした。

 いい匂いがふんわり漂ってきて、殺伐としていた脳内を浄化してくれる。



 ――気を取り直して。


 

 やはり改善すべきは〈リバース財団〉の作った法律なのだろうか。


 ……とはいえどう変えるべきか。

 完全なる支配政治の前に、一市民である自分が声を上げたところで何も変わらない。



 耳に感じる異物感と、それをかき消す心地よさに悶えて、身体が微かに強張る。

 ロナの耳かきの力加減は絶妙で、どんな快楽よりも気持ちがいい。



 やっぱり、言葉では分かってもらえないのだろうか?



 先日のエージェントの言葉が脳裏に浮かんだ。話しても受け入れられない者に、根気強く説得を続けるのは、決して得策とは言えない。


 〈冒険者〉が言葉の通じないモンスターを狩るように、財団に対しても同じことをせねばならない――そんな可能性を、ルアは口の中で封じ込める。



 けれど、それには躊躇いがあった。

 対話が通じぬ相手に取る手段など、暴力以外に何も無い。財団に雇われているような立場である〈魔法使い〉が財団に歯向かったら、どんな結末になるか想像はつく。



(何か他のこと、他のこと……)



 つい、険しい表情になっていたのだろうか。

 ロナが悲しそうに呟いてくる。


「ねぇ、ルア。。仕事が忙しいのも分かるけど。辛かったら、ちゃんと休まないと」


 その言葉を聞き、ルアは肩に力が入った。

 


 ――無理してるのはそっちでしょ。



 ルアはそう言いたくなるも、口を繕う。

 どうやったってこの子に想いは伝わらない。二年間同じ屋根の下で暮らしてはっきりした。

 ロナという女の子は、他人行儀が度を超えたその性格ゆえに、心を籠もらせた殻はすこぶる厚いのだ。


「ルアの悲しい顔は見たくない」


 悲哀の表情を目の当たりにして、ルアの中で何かが砕けた。

 

 本当は、本当はこの子の方が何倍も苦しいはずなのに。 

 心配をかけまいと、自分でどうにかしようと、どうにか悲哀と絶望を押し殺している。



 仄かな気持ちよさでぼんやりする意識の中、彼女はふと昔のことを思い出す。




 ――




 振り下ろされる鋼の大剣。

 それは虚しく空を薙いで、大地に亀裂を走らせた。


 同時に飛翔し、大地に影を落とすモンスターがいた。

 つやつやとした毛並みを持ちながら、大きな翼を広げるコウモリ――レイドブラッド。


 

 落とされた影に怯える女学生は、気を動転させたまま叫んだ。


「早くっ!! 早く殺してよぉぉっ!!」


 肩周りを包んだ制服を、赤々と染めている。

 ルアは少女を介抱していたが、この年頃の狂乱した少女を止めるには、小柄な彼女では力不足が過ぎる。



「あんた、〈冒険者〉なんでしょ!? バケモノならバケモノらしく、もっと戦いなさいよぉっ!!」


 

 まだルアとロナが出会ってから数週間経った頃だろうか。

 自分が休みの日に「仕事がある」といって出かけようとするから、何の仕事かとと思って着いてきてみれば――〈冒険者〉だったなんて。


 細い身体と可憐な顔に見合わない巨大な大剣。それは、数ある〈冒険者〉の役職の中でも才ある者にしか与えられない〈勇者ブレイバー〉である証明。


 でも、その大剣の刃をどういう訳かロナは

 モンスター側に構えているのは、切れ味も何も無い、打撲武器とも言えるような方だ。


 血を蹴り飛び上がる。

 回転をかけながら敵の頭部を殴りつけ、地面に落とす。


 途中反撃を喰らいそうになるも、足蹴によって奴の動きを制し、標的の墜落と同時に着地する。


 その腕前は、素人のルアが見ても息を呑むほど見事だった。

 


(でも――)



 どうして、そんな悲しそうなの?


 

 何度も頭を殴られたレイドフライアは、小さなうめき声を漏らしつつ痙攣していた。

 脳震盪だろう。暫く動けないはずだ。


 このうちに少女を逃がすことができる。

 だが、怪我を負った少女――当の被害者は、そんな状況を納得できずにいた。


「何してるの!? 早く殺してって言ってるの!! そいつはまた人を襲うでしょ!? 早くっ!! 殺せよっ!!」


 鬼のような形相で叫ぶ少女。肩に走る痛みがそうさせるのか、はたまた、彼女は元来そうであるのか。

 いずれにせよ、それは彼女を突き動かすには十分な声であった。


 

 ルアは矛先を動けなくなったレイドフライアに突き立てようとする、ロナの背中しか見えなかった。

 

 数秒の後、短い鳴き声と共に標的の絶命が確認された。

 つー、と流れていく鮮血を見てルアは肩の力が抜ける。

 

 少女は辟易したような感じで、駆けつけた医療班によって運ばれていった。


 その場に取り残されたのはルアとロナ、無残に頭を切り落とされたレイドフライア。


 

 もう帰ろう。



 恋人らしく、可愛げに声をかけようとした時。ロナの異変に気づいてしまった。


 膝から崩れ落ち、苦しそうにえずく。

 聞くに堪えない声と水音で、ルアは顔色を変えて駆け寄った。


「大丈夫ですかっ!? どこか、どこか痛みますか!?」


 モンスターについて詳しくないが、何か毒のような物を受けたのかも。そんな心配が頭の中をぐるぐる巡る。



「ごめんなさい、ごめんなさい……! ごめん、ごめんなさい……!」



 胃液に混じる清い水滴。

 ルアはそれを見て、心配が払拭されると同時に疑問で埋め尽くされる。



 なんで、泣くの?


 



「……あの」


 なんとか彼女を連れてきた、人気のない公園のベンチの上で、ルアは尋ねる。

 発作のような物は収まったものの、酷く衰弱したように見える彼女は、見るに耐えなかった。


「昔、悲しいことでもありました? つい、あの拍子に思い出しちゃった事とか。血を見るのが苦手だったり?」


 心的外傷後ストレス障害PTSD。頭の回るルアが思いついた要因はそれだったが、真相は違うらしい。

 微かに頬を朱色を散らしたロナはただ、ぼうっと虚空を見つめるのみ。


「辛いことは言わないと駄目ですよ。私にくらいなら、教えてもいいんじゃないですか?」

「――僕」


 不意に、唇を動かすロナ。

 

「ほんとは、学者になりたかった。モンスターの事を自由に研究できるような。小さい頃からの、夢……だった」


 ルアの瞳が丸くなる。

 予想外、と思うと同時に次の答えが察せた。


 色々な事柄が結びつく。

 これまで自分が〈冒険者〉に対して思っていたこと、〈魔法使い〉を志した理由、そして目の前の彼女と接した体験。


 そうなると――あぁ、この子はなんて可哀想なんだ、と即座に哀れみの情が湧いてくる。


「……大好き、なんですか。あの子たちモンスターのこと」


 つい言いたくなり、口走る。

 ロナは目を潤わせながら頷いた。


 そして、雫が水面に落ちるかのようなか細く、儚い声で吐露する。



「もう……殺したくない」





 ――




「ルア。ここで寝たら風邪ひくよ」


 彼女の呼びかけで、ルアは目を覚ます。

 呆れたようにこちらを見下ろすロナの顔を見ると、なんだか、時の旅行でもした気分だった。


「終わったぁ?」

「とっくの前に。お風呂入って、もう寝たほうがいいよ」

「うぅん、そうする」


 寝転がったまま背伸びするルアを見て、ロナが微笑む。

 そのささやかな笑顔は、待ち望んでいたものかのように輝いて見えた。


 自然と手が伸び、そのふにふにな頬に触れたくなってしまった。

 お花のような触り心地。手の甲に当たる髪の毛がくすぐったくて、掌に感じる仄かな温もりは子犬のよう。



「僕ならここにいるから」



 ――そうだよ。


 何を今まで躊躇っていたんだろう。


 こんなにも可愛らしくって優しい笑顔が、何の罪も無くぐちゃぐちゃに歪むような世界は。あってはならないのだ。


 

 迷っちゃいけない。


 そうでなければ、この子が壊れてしまう。



 世界で一番、綺麗なお花が枯れてしまう。

 

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