第3話
凛は高校二年生の夏休み、祖父母の車で海に行く途中で交通事故に遭った。追突してきた相手の酒気帯び運転だった。「もう一生歩けない。」と医師に言われた時、不思議と涙は出なかった。「あの道を通らなければ。」と自分を責める祖父母を見ている方が、よっぽど泣きそうだった。
だから、とにかく元気な姿を見せようと思った。自分で出来る事はなるだけ自力でやった。「もう私は大丈夫」と、行動で示すのだ。けれど、
「凛、車いす押すよ。」
「え。ああ、ありがとう……。」
いざ学校に戻ると、とにかく周りが何でも手伝いたがった。いや、何もやらせたがらなかった。段差が無ければ移動は一人でも問題ないのに、トイレに行くのにすら四、五人に取り囲まれる。それまで自分がまとめていた文化祭実行委員会の仕事も、「こっちでやっとくから大丈夫。」とほとんど仕事が回って来なくなった。何気ないおしゃべりの時すら、相手が慎重に自分と接しているのがよく分かった。
これを言って、凛を傷つけないか?
これは障がい者差別なんじゃないか?
これを言ったら、凛は交通事故の事を思い出すんじゃないか?
そういった恐れが、会話の節々に現れる。自分と接する時は、皆が心の底から馬鹿みたいに笑ったり、騒いだりしない。
「んもー、みんな私の事ガラス細工かなんかと思ってる?ついこないだまでもっとガサツだったじゃん私の扱い!」
そう笑い飛ばしてみるが、クラスメートとの間に感じた溝は埋められなかった。だからせめて、部活では今まで通りに扱って欲しかった。試合には出られなくとも、自分は部長だ。部員の為に動いて、皆のリーダーとして認識されたかった。練習メニューを考えたり、部員募集のビラやポスターを作って配ったり、とにかく何でもやった。
だが、やはり部員たちもクラスメートと同じだとすぐ分かった。自分が来ると、部内の空気が変わる。気の置けない仲だったはずの部員から、どこか自分への遠慮を感じる。自分が練習を見ていると、どこか皆、申し訳なさそうな、痛々しいものを見る目をする。
「皆は私をどう見ているの?もう空手が出来ない私を哀れんでる?それとも、部活にしがみついてる私に呆れてる?」
ひとりになると、そんな醜い考えが浮かび、自己嫌悪になった。けれど、もう歩けていた頃の様に、皆と同じ視線には立てないと思った。だから、集団と距離を置いた。部活は受験を建前に辞め、連絡も取らなくなった。クラスでも一人で、休み時間は図書館で勉強。がむしゃらに勉強していれば、余計な事を考えずに済むと思った。けれど、スマホを壊してしまうぐらいには、自分のメンタルは限界だった。足がこうなる前なら、打ち明けたり笑い飛ばしたり、時には激突してくれる人がいた。だが、今仮に誰かに相談したとて、返ってくるのは当たり障りのない哀れみの言葉だろう。虚しいだけだ。そう思って、打ち明けるのをぐっとこらえた。そんな時、翔太から呼び出された。
「行ったら絶対皆と顔合わせるじゃん。きっと緊張するじゃん皆。それが嫌で部活辞めたくせにさ。」
翔太に車いすを押されながら凛は言った。翔太から返事はない。凛も、別に反応を求めているわけではなかった。
「寂しくなって、皆の顔見たくて。」
「……。」
「でも、もうすっかり、私抜きの空手部が出来上がってるなあって。仲が良いのがうちの部の良さだけどさ、そこに当然私はいないわけで。」
話すうちに、涙だけでなく鼻水まで出始めた。涙声を堪えようとするほど、ますます涙が出て来る。
「そう考えたらさ、なんか、あの場所にいるの辛くなっちゃった。……自分勝手だよね。皆の自分への態度が嫌で退部したくせに、いざ構ってもらえないと寂しいって怒る。面倒くさい奴だよ。」
「……。」
「逆の立場だったら、私張り倒してるよ。全部自業自得じゃんって。勝手に辞めて、勝手に音信不通になって、先輩久しぶりって言ってもらえるだけありがたく思えって!」
怒りと情けなさが入り混じって、最後の方はほぼ泣きながら叫んでいた。その間ずっと、翔太は何も言わなかった。しばらく、凛の泣く声と、車いすのタイヤがフローリングにこすれる音だけが響いた。
「……ホント、自分で自分が嫌になるよ。」
泣き疲れた凛がそう呟いたところで、玄関に到着した。翔太は黙って凛の上履きを脱がせ、代わりにスニーカーを履かせる。
「おばさん達、迎えに来てる?」ようやっと翔太が口にしたのはそれだった。凛が黙って頷くと、校門まで車いすを押してくれた。凛が車に乗り込んだところで、翔太は「じゃあ、また。」と一言告げ、校内に帰って行った。
何か言って欲しかった気もするが、何も言わず聞いてくれたのがありがたい気もした。凛自身、もう自分が何を望んでいるのか分からない。
「受験生のメンタル、不安定だなー。」
夜、机に向かって宿題をやっているうちに、やっとそう冗談を口に出来るぐらいになった。でも、また明日クラスに登校したら、孤独感にさいなまれるだろう。そのように、自分は皆に心を閉ざした。向こうが遠慮して来ないなら、こちらからずかずかと行けば良かったのだ。ただ待ってるだけだった自分が悪い。だから、この結果は甘んじて受け止めないと。
ピコン
「へ。」
聞きなれない通知音に驚いてから、ミルフィーユスマホの事を思い出した。鞄から取り出すと、ホーム画面ではない葉っぱが一番上に来ていた。
「……『このスマホは、吹き出し一つが葉っぱ一枚になって相手に直接届きます。』?」
そういえば、この葉っぱは吹き出しの形にカットされている。しかも、色は緑。吹き出しの横には窓絵と「翔太」の文字。
「……あ、これラインだ!ラインの吹き出しが、葉っぱになって届くんだ!?」
凛がそう驚いた瞬間、どこからともなくもう一枚葉っぱがふわりふわりと落ちてきた。やはり吹き出し型だ。文章が長いのだろうか、凛のスマホより大きな葉っぱだった。ゆっくり落ちてきたそれを凛は両手で受け止めた。ラインというより便せんみたいだなと思いながら、文章に目を落とす。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます