座椅子、こたつ、天井




 実家から座椅子とこたつを譲ってもらった。



 座るためのものが一つあるだけで生活水準は爆上がった。


 暖冬とはいえ夜は冷える。スイッチを入れれば暖かく、また大きな天板でパソコン作業もしやすくなって一石二鳥。


 少しずつ便利になっていく社宅の環境に、なんだか秘密基地を作っているような楽しさを覚え始めてきた。

 あとは風呂の排水が終わってることを解決すれば、どうに暮らせそうである。

 パイブユニッシュPROを何回か使ったら明らかに水の抜け方が良くなってきたので、もうしばらくの辛抱だと、自らに言い聞かせている。



 仕事を終えて、ふと座椅子に座り天井を眺めていると、大学一年の春を思い出す。


 二〇〇七年三月下旬、大学に合格した私は相模原市に引っ越した。

 引っ越した初日、夜を迎えた薄暗い部屋の中で、これから始まる一人暮らしや大学生活へと思いを巡らせた私は、同じようにこたつに足を入れ、座椅子に横たわり、静かな天井を見上げていたのである。



 淵野辺ふちのべという聞いたこともない街で一人暮らしを始めることになった私は、南福島の東京インテリアで買いそろえた家具家面を搬入し、両親の車を見送ったあと、その後四年間続く神奈川県での生活を始めた。


 ちなみに当時の相模原市はまだ政令指定都市ではなかった。


 淵野辺も今よりずっとずっと田舎っぽい街で、「大学ができる前は何もなかった」という地元の方の言葉も実にさもありなんと感じたものであった。

(二〇二二年に出張で再訪したときは、だいぶ小綺麗な街になっていた)


 神奈川県というと大さん橋や横浜中華街、江ノ島、箱根といったリア充スポットや風光明

婚な景観を想像するかと思うが、私が経験した神奈川県での生活は実に地味なものだった。



 とはいえ、高校出たての福島県民からすれば、神奈川と聞けばまごうことなき首都圏。

 なんといってもテレ東が映るのだ。おはスタも学級王ヤマザキも見られなかった悔しさを味わうこともない。

 tvkとかいうよくわかんない局をつけたら、saku sakuが毎日放送していた。え、これって週一の深夜番組なんじゃないの!? すげぇ、神奈川すげぇ。


 いまだに思うが、地方と東京で感じる格差のひとつは、ラジオも含めた放送局のバリエーション豊かさだと思う。

 radikoとかネット放送とかの救済策はあるはあるけれども、このへんの差も埋まってほしいと、あれから十七年が経った今も考え続けている。

 入ったサークルのメンバーの中で「おっはー!」をテレビで見たことなかったの、私だけだったもの。「おはスタ観たことないの!?」と驚かれるたび、私は尋ねたかった。

「じゃぁ君らは『イケノダイ Hi4』観たことありますか?」

 ……たぶん、県民でももはや覚えている人は皆無であろう。毎月(※週、ではない)最終土曜日、深夜のわずかな時間で放送していた。調べてみたら、YouTubeに映像が残っているようである。気になる方はぜひご覧になっていただきたい。全く気になる必要はないけれど。



 さて、話を戻す。人生初めての一人暮らし。私はまず歩くことにした。

 手にはガラゲー、まだスマホが一般に普及していない時代である。

 地図アプリを手軽に使える環境もなく、どこに何があるのかを確かめるには、とにかく歩くしかなかった。

 が、意外と、それは苦ではなかった。見知らぬ土地を一人歩くという体験は高校出たての田舎者にはなかなかに新鮮だったのだ。


 想像していた神奈川といえば、それはもう大都会、端から端までビルディングが立ち並んでいると思っていたので、「民家があって、スーパーがあって、コンビニがあって細がある」という事実に率直に驚いた。


 けれど、ある日の夕方、GEOにゲームを買いに行こうと大学近くの大通りを北へと歩いたときのことだ。


 ――東京都。

 境川を渡る橋の手前、


 唐突に東京への入口が現れたことに、私は足が止まった。


 ここから東京なんだ。

 そう思うと、無性に遠いところに来た気がした。


 高まっていた好奇心よりも、一瞬だけ、寂寞が勝って。

 日暮れが物哀しく映ったことを、今でもよく覚えている。



 当時の私は、Uターン就職することは全く考えていなかった。


 どこかで会社員になって、そのうちプロ野球関連のライターとかになって、好きなもの書いて生活する。


 なんて、ぼんやりながらに思っていた。いかにも高校生レベルの展望である。実際一ヶ月前まで高校生だった人間の考えてたことなので許してほしいのだが……。


 上京直前、実家で飯を食っていたときに、弟から「いつ帰ってくんの?」と聞かれたとき、私が口を開こうとした刹那、かぶせ気味に母が「もう帰ってこないのよ」と口にしたことがあった。高校の卒業式から引っ越しまでの三週間は県外に出られる高揚感に日々浮かれていたのだけれども、親は親で考えるところがあったのだと思う。しかし当時の私は、就職で福島に帰ってくることはみじんも考えていなかった。


 だから境川にかかる橋の前で、このとき初めて脳裏をよぎった。


 ――この先何年、ここにいるんだろう。


 その後GEOでPS2のソフトを買い、アパートへと戻った。何を買ったのかは覚えていない。けれど、失うことを知らずに生きてきた時代を終えたことへの感情の重みは、忘れることなく心の中に残っている。


 そして今、こたつの熱に当たりながら座椅子に寝そべりぼんやり天井を見つめていると、


 ふと現在の自分を、二〇〇七年に淵野辺にいた自分と重ねて、「あと何年ここにいんのかなぁ……」なんて思ったりするのである。



 しかし、福島市に来てよかったこともあった。

 なんといっても遠距離通勤をしなくてもよくなった。むしろ今度は昼食を自宅で食べられるほど。


 そして帰宅後、カクヨムに向けての作業に集中できる。 


 今までは帰宅しても、息子(6)を寝かさなければならないので、基本すぐに消灯し、自分も休まなければならなかった。

 転居はあくまで業務に集中するためだが、副次的に、書くための環境が整ったのは大きいことだった。


 もちろん週末帰った時は、思い切り子どもと遊ぶ。

 生活にメリハリがついたのは、それはそれで歓迎してもいいと思った。毎日息子の顔を見れないのは寂しくもあるが……思う存分書けるというのは楽しい。


 なので、せめてちゃんと上手くなって、読んでくれる方々に面白い何かを日々お届けできるよう努力したいと思うのである。



 余談だが、妻は漫画を描いている。

 子育ての合間にイラストを描き始めたところ、漫画を描くことへの情熱に火がついて現在に至っている。


 息子を寝かせた後、深夜怒涛の勢いで液タブを書き殴っているのはかなり鬼気迫るものがある。


 言い換えれば、そのくらいやらなければ「売れる」(お金を取れる)作品をつくることはできないのかもしれない。

 文章力の素地のためにも、しばらくはこのエッセイも継続して書いてみようと思う。



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