第3話 今夜、酒場の片隅で

 街の隅っこにある酒場には色んな人が寄ってくる。酒を呑む以外にも理由がある「わけ有り人」もいる。人が恋しくて、人の声を聴きたくて、真剣な話しはゴメンだから、うわべだけの戯れ言で夜を越せたなら…。日付変更線を越え、うっすら明日が見えたら家路をとぼとぼ歩いて帰る。そんなやからが集まる店。マスターと呼ばれる店主も、数えきれぬを持つ元歌唄いらしい。古参の常連曰く「インディーズレ-ベルでレコードを出してる」らしい。近頃はレコードをリアルに知らない世代にも受け入れられ、専門店も増えてるらしいが…CD以前のレコードデビューなんてふた昔以上前の話だ。かく言う私も、他の客から見れば有り女なのかもしれない。


「こんばんは~」と店に入るとマスターが「おつかれっ」と声をかけてくれる。カウンター席に座るとすぐに、いつものグラスを目の前に置かれる。私も立派な常連だ。

「たまには、何を呑むってきいてよ」

「めんどくさい」と一蹴される。

「おまえさんとヤツにはきかないことにしてる」とアゴで指した先には同じく常連のあなたが座っている。

 少し離れて座っているあなたに「呑んでますか~」と声をかけると「もちのろんです」とグラスを掲げる。

「ふっる」

「お隣に座ってもよろしいですか~」

「もちのろんです」

「もう、そういうのやめたら?面白くもなんともないから」グラスを手に隣の椅子に座る。

「酒くさっ」

「何時から呑んでるの?」

「生まれた時からかな」

「中島みゆきですか」

 ここでしか会わない…会えない、あなたに会いたくて、私は夜毎通っている。

 あなたが私の有りのだった。

 なんの仕事をしているのか、どこに住んでいるのか、おしえてくれた名前も本名ではなく呼び名かもしれない。既婚者なのか…とにかく何も知らないけど、会いたい人になっていた。そんな私の気持ちを見抜いたマスターに「あいつだけはやめておけ」と釘をさされているが、どうしたって恋愛には転ばないのがわかっているから、更に会いたくなる。

「この店の常連ってさ、ほぼほぼ、中島みゆきの世界を背負しょってない?」と言うと、あなたが

「おまえもだろ」と応えた。

「私も?」

「背負ってでもいなきゃ来ないだろ、こんな店に」

「こんな店って、失礼よね」

「ね~マスター」と言ってはみたが内心は狼狽うろたえた。

 確かに今までの私には誇れるような恋愛も仕事もなければキラキラとした思い出もない。いつも誰かのせいにして、運のせいにして日々をやり過ごして来たのかもしれない。当たり前の幸せを享受する難しさも知っているつもりだ。当たり前の幸せ?素性もわからない酔っぱらいに会いに来てる時点で無理かと自嘲するしかない。

「そっか…背負ってるように見えるのかぁ」

「ここに来る暇があったら、ちゃんとした男が行く店に行った方がいいぞ」

 あなたは何気なく言ったのかもしれないけど…あなたが言ったというだけで…心に深く突き刺さる。

「やっぱそうかなぁ」と言いながら泣きそうになった。

「ちゃんと甘えられる男をつかまえろよ」

『見透かされてる…』

 マスターの言うことをきいておけば良かった。

「あなたの彼女は?」と口に出そうなのをお酒を一口呑んで押し込めた。どんな答えだろと、今は聞きたくなかった。

 やっと棒読みで「そっかぁ、そうだよねぇ」と言い終えると同時にあなたが小さく笑った。

「なんで笑うの?」

「いや、いい歳をしてする話でもないかと思ってさ」

「いい歳をして、片想い中なんですけど」と振ってみた。

「おぉ、スゲーじゃん」

「どんな男なんだ?」

「どんな男かもわからないんです」

「なんだ、それ」

「わからないから会いたくなるのかな…なんてね」

「わかりたいのか、その男を」

「わかったら…会いたくなくなったりして」

「わかってるじゃん」

「何を?」

「色々さ」

「色々って何よ?」

「色々は色々だよ」

 きっと、私の片想いの相手が自分だとわかっているんだ。居心地のいい距離を越えたらバッサリと切るつもりでいたのかもしれない。だけど私のわかった風な答えに少し安心したのかもしれない。かと言って、私の想いは伝わっているのかもしれないが当分の間は進展はしないだろう。あなたがいつバッサリと切るやもしれないし。


 いい歳をしてるから、

 過去も未来も約束もいらないから…『呑み友』でいさせてください。


 でも、うっすら明日が見える頃、中島みゆきを聴きながら歩く自分が想像できる。


 「それすらも恋のうち」と自分をなぐさめてみた。

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