第10話 姉妹とデート

 土曜日。

 会社も休みの日であり、今日は久しぶりに祈里とのデートの日となっていた。


 待ち合わせ場所は俺が一人暮らしをしているマンションの前。

 なぜ俺の家の前で待ち合わせかというと——、


「ゆうくーん!」


 目の前に四人乗りの乗用車が一台が停車し、窓がスライドしていくと、そこから顔を出したのは彼女の祈里だった。


「祈里、わざわざ車でありがとう」

「ううん。じゃあ乗って乗って」


 祈里は自分の車を持っているわけではないため、今日はレンタカーを借りての運転。

 免許は持っているためにこうしてたまにドライブデートをしているのだ。俺も同じく免許を持っているので、ペーパードライバーにならないためにも祈里とは交代交代で運転したりしている。


 そうして助手席に乗ろうとドアに手をかけたようとしたのだが——、


「あ、ゆうくんはそっちじゃなくて、後部座席!」

「え?」

「良いから早くー!」

「う、うん……」


 いつもなら助手席に乗っているはずなのに、なぜか今日に限っては後部座席へと誘導された。俺は不思議に思いながらも後部座席のドアに手をかけて開けてみると、


「ふ、古橋主任〜〜っ!?」

「や、やあ……音無くん」


 後部座席にはなんと古橋主任が既に座っていたのだ。


 驚いた俺が乗りあぐねていると、祈里が「早く乗って!」と急かす。

 躊躇ったのだが、結局俺は祈里に言われるまま後部座席に乗り込んだ。


 つまり、古橋主任とは隣同士で座ることになったというわけだった。




 ◇ ◇ ◇



「——な、なあ。今日は祈里と二人きりのデートじゃなかったのか?」


 車に乗り込んで出発すると、祈里へ疑問をぶつけてみた。


「それって、お姉ちゃんと一緒じゃ嫌ってこと〜?」


 そうは言っていないのにズルい返しである。

 俺は確定された返事をする。


「嫌じゃないよ……ただ、今日は二人だと思ってたってだけ」


 そう、俺は純粋に二人きりでデートを楽しみたかった。

 古橋主任がいると、気を遣ってしまい祈里とくっつくことさえできない。


「音無くん……すまない。祈里がどうしてもというから、来てしまったんだけど……やっぱり私は邪魔……だよね?」


 そんな時、隣の古橋主任が申し訳無さそうに呟く。

 その言葉を聞いて、逆に俺が申し訳ない気持ちになってしまった。


「い、いえ……そんなことはないです! ええと……なんというか、古橋主任はいていいんです!」


 そう言うしかなかった。

 でも、古橋主任の声音とちらりと見た表情が少し苦しそうで、俺は心に何かが突き刺さったように感じた。


 そして俺は遅れて気づく。古橋主任の服装が今までに見たことのないものだということに。いつも会社ではオフィスカジュアルなコーデだったのに、今日は女の子らしいというか、印象がまるで違っていたのだ。


 白のタートルネックにネイビーのロングスカート。足下はショートブーツで膝の上には小さめの茶色の鞄を乗せていた。耳には大きめのピアスが垂れ下がっており、彼女の特徴的な黒髪は耳にかけてあった。

 今は秋に突入し始めでまだ少し温かいため、このようなアウターなしの服装になっている。


「そ、それと! 今日の古橋主任の服装……似合ってて素敵ですね」

「——っ! お、音無くん! 冗談はよしてくれ……っ」


 申し訳無さそうにしている様子を変えたくて、褒めたみてのだが、思った以上に反応が返ってきて、古橋主任の顔が赤くなる。


「今日のお姉ちゃん可愛いでしょ。午前中から何を着ていくか一緒に悩んで決めたんだよー?」

「そうだったんだ……これ、古橋主任の私物ですか?」

「ん、ああ。一応な。こういう系統は久しぶりに着たけどな。なんだか着慣れないよ」


 つまり本来の私服はもっと別な印象のものを好んで着ているということになる。

 そちらの服装も気になるが、今日の服装も悪くはない。


 ちなみに祈里は女の子らしい服装が多く、今日は胸に大きめのリボンがついているランタンスリーブのクリーム色ブラウスに短めのこげ茶色のバルーンスカート。足下は古橋主任と同じくショートブーツを履いている。


 いつも祈里の服装が可愛すぎて毎回のようにうっとりしてしまう。さすがは有名ファッション誌で働いているだけあって、とってもお洒落なのだ。


 俺はと言えば、祈里に全ての服装を変えられた。

 ファッション知識がなかったので、当然のように適当な服を着ていたのだが、付き合うようになってからは、俺に似合う形でお洒落になるようにコーディネートしてくれた。そのお陰もあって前よりはなかなかにお洒落になれている気がする。


 髪型や眉毛なども指示された通りに整えたので、祈里と付き合って以降は、会社でも色々と褒められたものだ。


「でも、似合ってるから良いと思います。さすがは姉妹ですね。こういった服装も似合うなんて」

「でしょー! 本当はもっと可愛い私のやつを貸そうと思ったんだけど、胸が合わなくてダメだったんだ。姉妹なのにねー!」

「ちょっと祈里! 音無くんの前でそういうことは——」


 俺は咄嗟に目を背けて窓の方を向いた。

 そんな話をされると自然と古橋主任の胸のほうに目がいってしまうから。




 ◇ ◇ ◇



 そんなこんなで到着したのはなんと水族館だった。

 デートの定番スポットではあるが、三人で来るということに少しだけ違和感がある。大丈夫だろうか。


 でも、デートのためだけに来るという場所ではないだろうし、気にすることはないか。


「ゆうくーん! 早くー!」

「あ、あぁ!」


 チケット売り場でチケットを買ってくれた祈里たちが入口の方に向かっており、俺は二人の背中を追いかけて一緒に入場した。


 中に入ると早速たくさんの水槽が目の前に広がり、様々な種類のお魚が泳いでいるのが見えた。

 視界が青に包まれ、少し幻想的な雰囲気を感じる。


「あ! ゆうくん! お姉ちゃん!」


 すると祈里が俺と古橋主任を手招きする。

 祈里はとある水槽に顔をくっつけるようにして覗き込んでおり、一緒になってその水槽を覗き込んだ。


「カクレクマノミ〜! すっごい可愛い!」

「ほんとだ。これ、映画とかで見たことあるやつだね」

「ふむ。確かに……」


 古橋主任からは、あまり『可愛い』という言葉を聞いたことはない。女子は少しでも可愛いものを見たら即座に可愛いと言ってしまう傾向が男子よりも強い。

 現に祈里からも何度もその言葉を聞いている。


 カクレクマノミの水槽の前にあった看板の説明を読んでみた。すると、性格は比較的穏やかだけど、縄張り意識も強いといった説明があった。さらに驚きの情報が書かれていた。まさかの成長過程でオスからメスへと性転換するんだとか。


 漫画の中に存在するような可愛い魚が、さらに漫画の設定のような特性を持っているなんて、このカクレクマノミ。とんでもない魚のようだ。


「あ、カクレクマノミって性転換するんだ。すごーい」


 するとちょうど祈里が俺が見ていた内容が気になったようで声に出した。


「そういえば、ゆうくんのお家で私と服の交換っこしたのは面白かったね〜。ゆうくんすっごい女の子服に合わなかったもんね」

「お、おい……っ! それは誰にも言わない約束……っ」


 あれは付き合ってから三ヶ月が経った頃だろうか。

 突然祈里が俺の服を着てみたいと言い出しその場で着替えたのだが、なぜか俺にも服を着てと言ってきたのだ。

 正直体格だけでも服が破れるか心配だったが、ギリギリ着ることができた。ただ、鏡に映った自分があまりにも気持ち悪すぎてすぐに脱いだ記憶がある。


 なぜ女の子は男の服を着ると可愛く見えるのに、その逆はないのだろう。体格差などがあるからだとは思うが理不尽である。


「音無くん……」


 すると横で聞いていた古橋主任が引いた目で俺を見ていた。


「あ、あれは祈里が……!」

「ゆうくんって化粧品会社で働いているからか、はじめから女の子のものに抵抗なかったから、楽しかったな〜」


 抵抗あるなしとか関係なく、祈里が着てって言ったから着ただけなんだが!?


「ま、まあ……今の時代メンズメイクも広がっているし、男性もそういったことに興味は持ち始める人が多くはなっているけど……でも、さすがに祈里の服は……」

「古橋主任! 一度しかしてません! 俺が望んでやったわけじゃないですからね! そこのところ勘違いしてないでくださいっ!」


 必死になって弁明する。先日は古橋主任の色々を見てしまったが、今日は俺の番なのだろうか。祈里……余計なことはあまり言わないでくれ〜っ。


「ぷっ……はははっ」

「え?」


 すると古橋主任が突然笑い出した。


「ふふふ。ごめんごめん。大丈夫だ。わかっているよ。祈里の強引さは私の方が知っているからな。音無くんが無理やり着せられたであろうことは察しがつく。だから君を変態だとは思わないよ」

「も、もう……古橋主任……驚かさないでくださいよ……」


 俺は古橋主任におちょくられたようだ。

 そして、思いっきり笑う古橋主任の顔。職場では一度も見たことのない笑顔で。水族館のライトの影響も相まって、その笑顔はどこか幻想的に見えた。


「ふふーん」

「祈里? どうした?」


 今度は祈里が、鼻を膨らましてニヤけていた。


「ゆうくんとお姉ちゃんが仲良しで嬉しいなって」

「祈里……」

「じゃあ次にいこっ! 水族館は始まったばかりだよ!」


 屈託のない笑顔で祈里は俺と古橋主任が楽しそうに話していたことを嬉しがる。

 祈里の笑顔が可愛い。彼女の笑顔を見られるなら、俺はなんだってしてあげたい。



 ◇ ◇ ◇



 途中、トイレ休憩を挟んだ。


「ゆうくん。今日はごめんね。本当は二人でのデートだったのに」

「ああ……うん」


 近くにあったソファのような椅子に座っていると先に祈里が戻ってきて今日の件について謝罪をもらった。

 すると、古橋主任がまだこの場にいないからか、祈里はソファに座るなり肩を軽くぴとっとつけてきた。


 肩越しに感じる祈里の体温。

 その温もりと行動が嬉しくて、俺は彼女の手に軽く触れた。


「今日のお姉ちゃんはどう?」

「どうって、言われてもなあ……まあ、最初は三人でデートになって正直がっかりしたんだけど、こうやって一緒に水族館を回ってみてると、意外と楽しくて……ってのは思った」


 互いの太ももの間、その場所で指先を絡め、小さく動かしながら話を続ける。


「ふふ。良かった。多分会社とは全然違うお姉ちゃんでしょ。お姉ちゃんだって普通の女の子なんだからね」

「それは今すごく感じてるよ。さっきだって水槽の中をじっと眺めてて、感動してるような目で見ていてさ。あんなの会社じゃ見れないよ」

「でしょ〜」


 指先を絡めたあとは、指を交差させてそのまま恋人繋ぎに移る。

 祈里の小さい手のひらの柔らかい感触が伝わる。


「たださ。二股とか恋人とかっていうのは、俺にはまだ……」

「そうだよね。ゆうくんは真面目で優しいから、すぐには受け入れられないのもわかってた。でも、お姉ちゃんのこと私と同じように優しくしてあげてほしい」

「同じ……っていうのは難しいかもしれないけど、多少なら……ね」

「ありがとうっ……ゆうくんは本当に素敵な人……」


 そう言いながら俺の方へと体を寄せると、ふわりと祈里の香水の匂いが鼻腔をくすぐる。彼女の肩と手以外の体温も徐々に俺に伝わっていく。

 こういうところも少しズルい。俺がくっつかれることが嬉しいとわかってこうしている。だから、古橋主任に対する祈里からのお願いも受け入れやすくなってしまう。


 祈里は天真爛漫で行動力の鬼。ただその中にあざとさも持っていて、実は打算的な人物。それは彼女と付き合ううちにわかってきたのだが、今ではそれも含めて彼女のことが好きだ。


 少しだけ祈里との触れ合いを堪能したあと、古橋主任が戻ってきたので、ぱっと離れ、また一緒に水族館を見て回った。





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