第7話 祈里の怒り
「古橋主任……着替えましたか?」
俺はワイシャツを脱ぎ、それを古橋主任に持たせてトイレに押し込めた。そうしてから一分ほど。
反応がない。もしかして寝てしまったのだろうか。
「古橋主任? 大丈夫ですか? 吐いてないですか?」
まさか俺が古橋主任の面倒を見ることになるなんて。
こんな彼女の姿を見るのは初めてだ。正直あたふたしてどうしていいかわからないけど、祈里のこともある。古橋主任のことも大切に扱わなければいけない。
「ええと、ちょっと開けますよ?」
ここは個室トイレで、男女共有の場所。最初から鍵を閉めていなかったのはわかっていたので、俺はドアノブに手をかけて中を覗いてみた。
「んにゃ〜」
「ちょ、古橋主任っ!?」
俺の指示通り、着替えようとしてくれていた。しかし、酔っているせいかうまく着替えができず、自分の濡れたシャツが捲れ上がり、ブラの上で止まっていた。……ピンクの下着が丸見えだった。
咄嗟にドアを閉めたのだが、このあとどうすれば良いだろうか。古橋主任はちゃんと着替えができるのだろうか。
「おとにゃし、くん……お着替え……させて〜」
「は、はあっ!?」
この人、本当に何を言っているのか。酔うと幼児化してしまうのだろうか。
俺なんかを相手にそんなことを頼めるはずがない。これ、他の男の人にもやっていたりしないだろうな心配になる。
「は〜や〜く〜」
「——っ。後で怒らないでくださいよ!」
お酒が抜けた時、今日のことを覚えていないことを祈るしかない。
俺は覚悟を決めてドアを開き個室トイレの中へと入った。
そこには先程と変わらない下着姿の古橋主任がいた。
可愛いピンクの下着には、今にも漏れそうな美肉があった。
ゴクリと息を呑みながらも、俺は薄く目を開けた状態で、彼女のワイシャツのボタンを外していく。
「あ……んん……」
気にするな気にするな気にするな。
古橋主任が変な声を上げても気にするな……。
そう自分に言い聞かせながらワイシャツを脱がすと、古橋主任の上半身は下着だけになってしまった。
服の上からではわからない細くくびれたお腹と腰。なのにその上にある胸だけは肉付きが良い。世の中の男性なら誰でも虜にしてしまうような体型。それを見てどこか変な気分になってくるのを感じる。
「早く着てもらわないと……」
俺は脱いだ自分のシャツを必死になって彼女に着せる。
腕を通し、彼女の綺麗なおヘソを眼下にボタンを下まで締めて、なんとかワイシャツを着せることに成功。俺の方が体が大きいのでシャツは着れはしたのだが、胸の部分にハリが気になった。俺のシャツ、伸びないだろうか……。
古橋主任のお着替え、緊張ですごく汗をかいてしまった。
俺は下はスーツのズボンなのにTシャツ一枚という変な格好になってしまうが、そこはもうしょうがない。古橋主任に恥をかかせるよりはマシだ。
「ほら、古橋主任。出ますよ」
「は〜〜い」
便座に項垂れている古橋主任は、既に目は開いておらず口だけが動いている。
俺は無理矢理に彼女の肩を持ってなんとか元の席へと戻った。
これ以上この居酒屋にいてもしょうがないので、俺は会計を済まし、そしてそのまま外へ出た。
◇ ◇ ◇
車道近くまで出ると、そこでタクシーを拾い、古橋主任の家まで一緒に向かった。
祈里の家だとわかっているので、送る先は把握済みだ。
「……いのり……わたしは……うにゃむにゃ……」
この人、なんの夢を見てるんだろう。
完全に熟睡していて、独り言を喋るようになっていた。
静かなタクシーの車内の中、古橋主任の口は勝手に動いていて、全ては聞き取れない何かを話していた。
「おと、にゃし、くん……いのりを……にゃかせるな……」
まだ祈里を泣かせるようなことをしたことがないので大丈夫です。
でも、古橋主任との交流が増えることで、泣かせるようなことはしたくないので、祈里ともちゃんとデートして会話しようとは思う。
「ふぅ……」
俺はアルコール混じりの息を吐き、疲れた体を背もたれに預ける。
眠っている古橋主任の横顔は綺麗で、でも酔っているせいか少しだらしなくて。
この人も普通の人間なんだなと感じる時間となった。
支払いを済ませてタクシーを降りると、なんとか古橋主任から鍵をもらい、それでマンション一階のオートロックを開ける。
そうして十階まで向かい、祈里と古橋主任の部屋のインターホンを押した。
「はーい!」
すると中から祈里の声がして、ガチャリとドアが開いた。
「ゆうくん、お姉ちゃん。お帰りなさい!」
元気よく出てきたのはいつもの祈里。明るくて笑顔がとても可愛い。
ただ、少し息が荒いような気がした。
「ああ、祈里。こういう状況だけど……後は頼めるか?」
「もちろん! でも——」
古橋主任のことを任せてすぐに帰ろうとしたのだが、祈里は何か言いたげで。
「ゆうくん。私、今怒ってます!」
「な、なんでえ!?」
突然祈里は眉を寄せ、頬を膨らましてそんなことを言う。
なぜ怒っているのか全くわからない。
「なんでこのお家に連れて帰ってきたの!」
「え……は!? いや、ここ古橋主任の家じゃん! そりゃ連れて帰ってくるでしょ」
「違う! そこはゆうくんのお家に連れて帰るべきっ! なんでお姉ちゃんをお持ち帰りしなかったの! だから私は怒ってるんです!」
この子、本当に何を言ってるのかな。
俺が古橋主任をお持ち帰りする? それって、どういうことになるのかわかっているのだろうか。
一人暮らしの男の人の家に酔った女性を上げるだなんて、そのことに気づかれれば古橋主任に何を言われるかわからない。そんな不誠実なことできるわけないだろう。
「いやいや……大切な祈里のお姉ちゃんだよ? そんなことできるわけ……」
「ふーーーん。三回目のデートで告白してくれた後、私を家にお持ち帰りしたのはどこの誰かなあ?」
「そ、それは……って、あれはちゃんと付き合ったあとでしょ! 付き合ったから大丈夫かなと思って……てか家に行きたいって言ったの祈里だったような!?」
そう、確かあの時。食事からの帰り際、歩道橋の上で祈里に告白をした。
祈里から素敵な返事もらい、交際することになった。
そしてその日は金曜日だったからか、本当は帰ろうとしていた祈里だったが、付き合うことが決まってから踵を返すように俺の下に来て、「このあと音無くんの家に行きたいな」なんてことを言っていたはずだ。
だから俺からは誘っていないし、どちらかと言えば祈里の方が積極的に俺の家に行こうと提案していたはず。
「気づかれたか……。でも、お姉ちゃんのこのおっきなおっぱいを揉みしだいて、抱き心地の良い体を堪能できるチャンスだったんだよ!?」
「何言ってるの!? 祈里は俺と古橋主任を…………えっちさせたいわけ!?」
「もちろん!」
「もちろんじゃなーーーいっ!!」
自信満々に少しも迷いもせず言い放った祈里。その目は綺麗で嘘偽りのない瞳をしていた。
「ふふふ。私、わかるよ? お姉ちゃんが今着てるシャツ、ゆうくんのでしょ? こんな状態のお姉ちゃんが一人で着替えられるわけないよね? ということは、お姉ちゃんの下着姿を見たんでしょ。それを見て興奮しないわけがないんだから」
「ちょ、祈里!? 確かに古橋主任にシャツを着替えさせたのは俺だけど、そんなこと……っ」
祈里は悪魔のようにニヤリと笑い、俺の表情を楽しむかのように言葉責めを続ける。
「大丈夫。私、男の子のそういう性欲については寛容だから。好きじゃない女の子の顔とか胸とか自然と見ちゃうこともわかってる。あ、ゆうくんは脇も好きだったよね」
「な、なんでそれをっ!?」
「これでも半年間ずっとゆうくんを見てたんだよ? 何のフェチかくらいはお見通し。あと、うなじも好きだよね。私が髪をまとめた時、すっごい見てきたもんね」
「〜〜〜〜っ!?」
俺は変態だと思われたくなくて、あまりそういう話は祈里にはしなかった。
しかし、言わずとも祈里には全てお見通しだったようだ。
「だから、お姉ちゃんの体を見て興奮するのはしょうがないことなんだよ。私だって、すっごい良い体してるって思うもん。一緒にお風呂入った時なんて、たまに揉ませてもらってるんだから」
「…………」
想像してしまった。
祈里と古橋主任が一緒のお風呂に入り、仲良く洗っこしたり、胸を揉み合ったりしていることを。
「まあ、今日はここまで来ちゃったし、しょうがないね。お姉ちゃんは預かるよ。今度は三人一緒にデートしようねっ」
「はあ……わかったよ。祈里、古橋主任にもあんまり変なこと言っちゃだめだぞ。できれば今日のことは言わないでくれ……」
「ん〜〜、どうしようかなあ。どんなことがあったのか全部言いたいなあ」
「……まあ、祈里はあんまり我慢しないタイプだって知ってるからわかってるけど、ほどほどにしてあげてくれ」
「ゆうくん優しいっ! 明日会社でもお姉ちゃんのこと、お願いね!」
「わかった。じゃあ、おやすみ。祈里」
「うん。ゆうくうも気をつけて帰ってね」
俺は古橋主任を祈里に預けて、家に帰った。
シャツはそのまま古橋主任に着せたまま、俺はタクシーで家まで帰ることにした。
明日の古橋主任、大丈夫だろうか。
そんなことを思いながら、俺は祈里の家から帰宅した。
〜〜〜〜〜
補足。祈里はダッシュして先にタクシーを捕まえ、二人が家に到着する前になんとか部屋に戻って待ち構えていました。
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