第4話 それぞれの想い
「祈里〜〜〜っ」
音無くんが家から出たあと、リビングに戻った私は、ソファにダイブして大きめのクッションをむぎゅっと抱きしめていた。
「あ、そういう姿も見せたら、ゆうくんはもっとお姉ちゃんのこと好きになるかもよっ」
「もう、何言ってるのよ……私はもう頭の中がいっぱいいっぱいよ……」
「おっぱいおっぱいなのは知ってるけどね」
「そういうおじさんっぽいこと言わない」
音無くんが帰ったことにより、張っていた気持ちが解放され、少しだらけた姿を妹に見せた。
「祈里……本当に私たちが付き合うこと、望んでいるの?」
「うん。本当だよ」
「二股なんだよ?」
「うん。でも世間のことなんか気にしなくて良いよ。わざわざ他の人に言うことでもないんだから」
「あ、当たり前じゃない! こんなこと人に言えるわけがないよ」
「ふふ。なら大丈夫だね」
祈里はお茶を片付けながら、後ろで騒いでいる私に微笑む。
「でも、まず友達になったってことは、一緒にお出かけしないとね!」
「は?」
祈里の提案に、私は体を起こし目を丸くさせる。
「デート!」
「デデデデデ、デート!? この私が!?」
デートと言う言葉に動揺し、顔が熱くなる。
私は生まれてこの方、デートをした回数は指で数えられるほどだ。
学生の頃は今と同じく仕事人間だった。生徒会に入り、次第に生徒会長になり、その仕事ぶりは勢いを増していった。だからか、強い女性は求められなかったのか、告白というものはされなかった。しようと思う相手もいなかったというのも事実ではあるが。
最後に男性とデートしたのは、大学生の頃。その時初めて恋人ができたのだが、結局すぐに別れてしまった。一度だけキスは交わしはしたが、それ以上は何も……。そして、その時の記憶は私にとっては少し苦い記憶だ。
「あ、でも友達なら、デートじゃないのかなあ? こういうのなんて言うんだろ」
「普通に"遊ぶ"だろう。男女が二人で出かける全てがデートなわけないでしょ?」
「うーん。でも、もし誘ったらゆうくんはデートだって思うかもよ?」
「祈里……私をどこまで困らせるの……」
「大丈夫。ゆうくんはとっても優しんだから」
「いや、音無くんの性格の問題じゃないでしょ……」
仲の良い姉妹でも私と祈里は対極に位置するような性格だ。
仕事では誰も私に強く当たらない。なのにプライベートではいつも祈里に振り回されっぱなしだ。
「これから楽しみだね、お姉ちゃんっ」
「私はこれからのことで頭が痛いよ……」
明日からどう彼と接していけば良いのかわからないというのに……。可愛い妹のお願いを聞き入れてしまったが、今の私はソファでクッションを抱きながら唸ることしかできなかった。
◇ ◇ ◇
翌日。いつも通りに電車に乗って会社へ向かう。
何もしていない時間ができると、どうしても昨日の出来事を思い出してしまう。
まさか、古橋主任が祈里の姉だったなんて、今でもまだ信じられない。
昨日はあまり眠ることができなかった。
この会社に勤めて三年目、古橋主任のことはずっとストレスの大元だと思っていたはずなのに。
家で話す古橋主任は会社で見るような怖い印象はあまりなく、祈里の姉というだけで、どこか親近感が湧いた。
しかも祈里からは突拍子もないお願いをされて、それが俺と古橋主任が付き合うだなんて内容。
そんなことすぐにOKと言えるわけがなかった。だから、友達からということで手を打ったが、祈里の目は真剣だった。
「はあ……今日どんな顔して古橋主任に顔を合わせれば……」
昨日の帰り際、『明日会社で』なんて自分で言っておきながら、顔を合わせる心の準備ができていない。会社に近づく度、心臓の鼓動が早くなっている気がする。
「ん?」
そんなことを考えていた時だった。
俺のすぐ隣にいる女性が、何やら変な顔をしていた。変な、というのは表現が悪いが、どこか体調が悪そうな、何かを我慢しているかのような表情で——、
「あ……」
彼女と目が合った。そして、何かを訴えているように瞳が移動し、その瞳を追って俺は視線を動かした。
痴漢だった。良い歳をしたおっさんが直接ではないが、自分のカバンを彼女のお尻に押し付けていたのだ。ぎゅうぎゅうの満員電車を利用した痴漢かどうか、微妙なラインの痴漢だった。
しかしよく見ると、普通は動かさないはずのカバンを上下させており、明らかに不自然な動きだった。ただ、ここで「痴漢をやめろ!」なんて声に出したとしても直接触れてもいないので反論される可能性があった。
だから俺は自分のカバンをおっさんに押し付けることにした。
「ちょっ……あ」
そのせいでおっさんのカバンは彼女のお尻から外れ、解放される。
嫌な顔をされたが、おっさん自身も自分がしていたことを見られ、何も言えなかった。
そうして、次の駅へ到着すると、おっさんが足早に降りていった。本来降りる駅ではなかったかもしれないが、痴漢だと叫ばれるよりはマシだと思ったのか、そのような行動を取ったように見えた。
「あ、あの……ありがとうございます」
「いえ。俺の行動合ってましたかね」
少し涙目になっていた彼女が俺を見上げてお礼を言ってくれた。
「はい。合ってました。私、声に出せなくて、動けもしなかったので、本当に助かりました」
「そうでしたか。なら、良かったです」
安心したからか、軽く微笑みをくれた彼女。
俺も彼女を安心させるように微笑みを返した。
「あの——営業部の音無さん……ですよね?」
「え……俺のこと、知って……?」
まさかの発言に俺は目を丸くする。部署名を言ったということは、彼女は同じ会社ということだ。
「なんというか、入社してから毎日主任に絞られ続けてるけど、一向に辞めない強靭なメンタルの持ち主だと聞いてます」
「なにそれ!?」
俺のことが他部署にまで広がっていたとは……しかも不名誉っぽい気もする表現だ。
別にメンタルが強いという自覚はないし、怒られていつもストレスを受けているのは確か。
でも、一度も会社をやめようと思ったことはなかったのも事実だ。
「ふふ。やっぱりそうなんですね。そのメンタルの強さの理由、お伺いしてみたいです」
「あ、いや……なんというか、彼女がいるからでしょうか」
「あっ、彼女さん……こんなに男らしい人ですもん、彼女の一人くらいいますよね」
その彼女が二人になるかも知れない可能性があるだなんて、誰にも言えない。
「それは褒めすぎです。というか、失礼ながらどちらの部署の何さんなんですか?」
俺は彼女が誰か知らなかったので、聞いてみることにした。
「私は商品開発部の
「あ、え……? すいません。なんだか俺、つい……」
本堂さんは年下に見えた。落ち着いた雰囲気ではあるが、体型が小柄というか、
顔も童顔だし、かなり若く見えたから。
「よく言われます。だから痴漢も私みたいな人を狙いやすいんでしょうね」
「そんなこと……」
痴漢は大人しそうな人が狙われると聞いたことがある。確かに本堂さんは、そういった印象はあるが——、
「私、痴漢されるのは初めてじゃないですから」
「えっ」
「音無さんみたいな優しそうな人なら——あ、いえ……なんでもないです」
今この人何を言おうとした? 俺みたいな人なら、何?
本堂さんの意味深な発言が気になった俺だが、それ以上何も聞かないことにした。
そうして会社の最寄り駅に到着して、本堂さんと会社まで向かうとエレベーター前で別れ、俺は自分のフロアへと向かった。
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