21.この人だって思った

 皇太子は父親に対し、皇帝としては尊敬もしているが、父親としては反感を持っていた。

 詰めが甘い、あえてそう言おう。皇太子は皇帝たる父親の詰めの甘さが嫌いだった。

 ある程度の実務能力を付けた反抗期真っ盛りの年頃から皇太子は父親の詰めの甘さを探っては突き付けていたらしい。粗捜しの始まり。趣味の情報集めはその為に定着したモノだとか。


「あんまりにも反抗するものだから、書類にして持って来いと言われたよ」

 

 書類とは早い話、告発状である。確固たる証拠と解決案も付けるようにとも。

 粗捜しと皇太子は言うが、つまり国の監査を皇帝は仕事として息子に課した訳だ。己の詰めの甘さを論われるのは気分が良いモノではないだろうに、しっかり国の益として活用しているところが皇帝の有能さなのだろう。

 一方の皇太子も楽しいだけの仕事なはずがない。皇帝の視界に入らず歯牙にもかけず見落としてしまっていた小物、小悪党を洗い出しては適切に片付ける。平和な一日のちょっとした出来事として。

 やりがいはともかくとして、功績としては強くは残らない。

 しかし見逃していては皇帝と同じ轍を踏むのと同じ、反抗する資格を失う。

 これでも結構忙しいのだと以前言っていたが、確かに聞くより忙しいだろう。暇人と言った事をシャオヤオは心の中で詫びた。あくまでも、心の中で。


「とは言え俺も父上の事をとやかくは言えない。ダスティシュに辿り着くのに結構な時間を要したのだから」

 

 ようやくシャオヤオにも聞き馴染みのある名前が現れた頃、船での帰宅は2日目を迎えていた。

 話はまだ終わっていなかったが、夕食を食べ終わり時間も遅いと言う事で初日は一旦解散となった。案内された別の部屋で睡眠を取り、改めて皇太子の部屋を訪ねて話の続きをシャオヤオは聞いていた。


「ダスティシュ自身は小物だ。例に洩れず父上が歯牙にもかけない小物。かく言う俺も、小物過ぎてすぐに調べようとは思わなかった」

 

 ああ…うん。シャオヤオはそんな風にしか言えなかった。あのおっさんの小物感は誰よりも知っている。

 先々代…今のダスティシュの伯父にあたるらしいが、その代まではそれなりに使える者が領主を担っていたそうだ。それはそうだろう。ダスティシュ領は国境、それも前王朝から不和が続いていた隣国に面した領地だ。無能が治めるには危険過ぎる。

 常に攻める守るの油断できない駆け引きを、ダスティシュは自前の諜報員や暗殺者を育て上げそれ等を上手く使う事で乗り切ってきた。そこへ皇帝…当時は若き士官が国境警備の駐屯兵団の隊長として配属された事で流れが変わった。

 若き士官は小競り合いから戦域を拡大させ、一気に隣国を落としてみせたのだ。

 皇帝最初の国崩しである。

 当時のダスティシュ領主は後に皇帝となる若き士官の才気と手腕を正しく理解し、領地の平和の為に早期に膝を折った。ダスティシュ領の優秀な諜報員と暗殺者が若き士官に捧げられ、彼の覇道を支える事となる。その引き換えにダスティシュには長閑な平和が与えられ、緊張を強いられる駆け引きからは解放された。

 そうして諜報員や暗殺者を育てるノウハウだけがダスティシュには残される。その搾りかすが自分かとシャオヤオは思ったが、お茶と共に飲み込んで言葉にはしないでおいた。

 ダスティシュ領には平和が齎されたが、跡を引き継いだ領主一族の帝国民以外を異民と蔑む思想、それでいて皇帝傘下である事への増長した態度はその辺りの背景から培われたものだろう。

 傘下、配下と言っても相応の実力を示さない者は相手にしないのが実力主義の皇帝である。

 信頼は相続されない、庇護は永遠ではない事は伯爵家の相続騒動でよく分かった。優秀な諜報員と暗殺者を提供したとは言え、平和に堕落し小物に成り下がった今のダスティシュに皇帝は既に興味を失っている。


「しかし小物だからと言って、やる事まで小物とは限らない」

 

 皇太子が視線を落とす。その表情は冷えたままではあるが、何処か暗くもあった。

 増長していた分、小物のやる事はえげつない。


「最初のきっかけは“黒猫”と名前が付いた暗殺者について耳にした事」

 

 暗殺者“黒猫”…つまりシャオヤオである。

 新王朝の皇帝により統一されたフリーデン帝国。表向きこそ平和で帝国民として生きる人々の顔は明るいが、暗い部分はあちこちに点在している。でなければシャオヤオが暗殺者としての名を得る程に仕事をする事はなかった。

 暗殺者は何も帝国にシャオヤオ1人ではない。特に情報戦の主力となる諜報員は皇帝も今もなお引き続き活用しており、皇太子も然りだ。場合においては秘密裏に処理する事も表向きの平和の為にある。国とは綺麗事だけでは治められないのだから。

 だからそう言った存在を否定するわけではない。

 使えるのなら、寧ろ引き込む。


「探ったところ“黒猫”はダスティシュ産でダスティシュが飼っていると言う事が分かった。それでダスティシュについても改めて調べてみたのだけど……誰が調べたか知りたい?」

「…いいから話を進めて」

 

 どうせあの何でも屋だろう。皇帝が使っていない事がちょっと疑問に思える実力者。皇太子が使う者は他にもいるだろうが、一番の使い手はどう考えても彼だ。

 彼に調べられたのなら、洗いざらい知られていると思ってさっさと諦めた方が心も楽と言うものだ。


「俺が気になったのは新王朝2年の頃の事。同盟国として据え置かれていた隣国がダスティシュ領に侵攻、それを機に帝国は同盟を破棄し隣国を滅ぼし完全併合した」

「ん?」

 

 何故そこを気にするのだろうと、シャオヤオは首を傾げる。


「帝国側の記録は、攻撃を受けたダスティシュ領からの救援要請から始まっている。だが父上始めとする上層部は飛び地となる不安要素が強い隣国をさっさと片付けたいと考えていた、と俺は思う」

「まぁ統一を目指していたのなら、自治区にするにしても近過ぎるわよね」

 

 事実、帝国には支配下にこそあるが政治体制は統治以前のままに残されている自治区がいくつか存在する。皇帝は何でもかんでも統合したわけではない。

 とは言え元々の領地であるダスティシュ領に面し昔から小競り合いをしていた土地では、そのままにしておくのはかなり不安だ。一度綺麗にしてしまいたいと思うのはシャオヤオにも分かる。


「だからきっかけを求めていた。帝国側が大義名分を得られるきっかけを」

 

 同盟の条約を破るのは帝国であってはならない。

 攻めるのではなく、攻め込まれ反撃したのは帝国でなければならない。

 拡大する帝国の力で隣国に圧力をかけるのは容易い。だが下手な不平等条約では、帝国に統合された国や自治区とした国が、次は我が身かと恐れそれが反乱の種を育てる土壌となりかねない。

 表向き、帝国は清廉でなくてはならないのだ。

 では裏側は…?

 

 お茶と共に用意されたおやつのケーキをつついていたシャオヤオのフォークが止まる。

 

 古い…とした記憶。

 幼いムーダンを、同じくまだ幼いと言えるシャオヤオに託して開拓に出て行った両親の…最後の姿。

 難民救済事業に力を入れていると聞き付けやっとの思いで辿り着いた帝国領地ダスティシュ。しかしそこに期待した待遇はなく、自分達が住む所は自分達で切り開けと、大人だけを集め国境付近を開拓させられた。

 そして隣国に攻め込まれ全滅。

 ダスティシュは難民を奴隷として扱っていた。しかし書類上では元難民の開拓民ではなく、国境警備の予備兵にされている。

 そこへ皇太子に聞かされた当時の皇帝と上層部の思惑を足せば、導き出される答えは…。


「皇帝が全て仕組んで……」

 

 いや、違う。


「小物は目に入らない皇帝が直接ダスティシュに指示するはずはない。ダスティシュを唆し期待させたのは別の、上層部とか言う誰か。皇帝はダスティシュがどうやって隣国を挑発、暴発させたかを詳しくは知らない。知っていたとしても欲しかった大義名分を手にし、望み通り隣国を手にし、終わってしまえば振り返る事はない」

「御明察。そう言った奸計に長けた参謀が配下にいる。必要とあれば誇り高き皇帝すら欺くような抜け目のない人。犠牲になった民がいると察しながら小物に対して節穴の皇帝は是非もないと必要悪を気取り、書類上の国境警備兵のささやかな被害を流した」

 

 それは必要な犠牲だったのだろう。

 隣国を同盟国のまま残しておけなかったのは分かると、シャオヤオだって思った。

 清濁併せ呑む事も国を治める者には求められる。

 実際、それで帝国はどうなった?

 使われたのは難民で、帝国民に被害はない。隣国を完全掌握し、一領地に組み込んで統治する事でいつ反乱を起こすかと言う不安要素を完全に消し去った。

 そして隣国の民だった者達を冷遇したりせず、帝国の民として帝国の庇護の下にその自由と権利を保障した。10年以上経ったが、元隣国民による独立の動きはないはず。それが全てだ。

 国境に面する事が無くなったダスティシュと言う田舎の小領地が放置されたままだとして、何の不都合があると言うのか。領地の経営は領主に一任されている。シャオヤオが知る限りではあるが、納税と言う点ではダスティシュに問題はなかった。

 大陸全土となった広大な帝国の敷地、孤児なんて探せば何処にでもいる。

 孤児の行末を憂える人はいるだろうが、帝国の平和を揺るがす程の特別なモノではない。

 導き出した答えにシャオヤオは一つ、小さな溜め息を吐く。


「世の中そんなものでしょう」

「…帝国を、皇帝を恨まないのか?」

「…逆に聞くけど、恨むと答えたらどうするの? 手を貸して私に皇帝でも暗殺させる気? そうなれば皇太子であるアンタはまんまと皇帝になれるものね」

「いいや。俺は必ず父上を退かせ皇帝になるが、血生臭い足の引っ張り合いをするつもりはない。父上のやらかしを論うのは簡単だが、それは俺が何かを成している訳ではないんだ。今、父上に退かれたら帝国はすぐに瓦解するだろう。それは困るから、シャオヤオが父上を恨んで殺したいと思っても俺は全力で阻止する」

 

 どれだけ凄まじい勢いと力で大陸全土を支配したとしても、フリーデン帝国の新王朝の歴史は僅か15年。

 どれだけ優秀で素質があったとしても、皇太子の年齢はたかだが19歳。

 新王朝の下に広大な土地をまとめ抑えているのは間違いなく現皇帝の存在だ。若輩の皇太子が代わったところで皇帝のようにはいかず、舐められ、統一した各地はあっと言う間に分裂するだろう。

 そうなれば、戦乱に逆戻りだ。

 父に反感を持っていても、皇帝の力を皇太子は侮ってはいない。

 父は殺されても仕方がない事をしてきたと知っていても、皇帝は殺されてはならないと知っている。

 個々の感情に流されない。それもまた統治者と言うものだろう。


「なら聞くんじゃないっつぅの。ムーダンが安全に暮らすには平和が必要なんだから。私はそれがあれば、それでいい」

 

 シャオヤオは止まっていたフォークを動かしてケーキを口にした。

 甘いけれど、甘いだけでなく感じるほろ苦さ。それがまたしつこくない甘さを引き立たせる。一言で言えば、美味しい。

 美味しいケーキをよく食んで、シャオヤオは飲み込んだ。


「やはり俺の目に狂いはなかったな」

「ん?」

「暗殺者“黒猫”と父上のやらかしを知った時点で、一度こっそりダスティシュを見に行った」

「…皇太子が? 自分で?」

「全てではないにしろ自分の目で確かめる主義だって言っただろう? 当然だけどちゃんとコハクさんって言う護衛件案内も付けていたよ」

「でしょうね」

「そこで君を見掛けた」

「私?」

「小さな川のほとりで、孤児達を洗ってあげていた。そうしている内に皆で遊び出して、君は弟を背負って一緒にずぶ濡れになっていた」

「あぁ…」

 

 それは、ムーダンを最優先する生活の中での、ほんのささやかな余裕。

 ムーダンと自分の分をしっかり確保した上で余った食料を、服を、時間を、ダスティシュの屋敷で放置されていた孤児達に分けていた。

 ささやか過ぎて偽善にすらならない量。足りなくて命を落とした子なんて数える気にもなれない。あとほんの少し、姉弟の分から取り分けていたら助かる子はもっといただろう。しかしシャオヤオは、それはしなかった。あくまでも、優先するのはムーダンだったのだから。

 ただの自己満足。だから偽善にすらない。

 なのに、時々ふらっと現れて足りない世話を焼くシャオヤオに孤児達は妙に懐くのだ。身体を洗いに連れ出したのだって、ムーダンを洗ってやるついででしかなかったのに。楽しい、楽しいと。

 今だって、ムーダンの姿はちゃんと確認しないと落ち着かないのと違って、彼等に対してそこまでは思う事はない。

 屋敷から出る時にシャオヤオに向かっていて手を振っていた孤児達の姿を思い出す。あんな風に思いを向けられる資格なんて、シャオヤオには…。


「その姿を見て、この人だって思った」

 

 思考に沈みそうになっていたシャオヤオを皇太子の声が引き戻す。

 その言葉の意図が分からなくて首を傾げると、皇太子は真っ直ぐにシャオヤオを見た。


「この人とだったら俺は俺の目指す国を作れる。この人しかいないって」

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