22.噎せた

「………は?」

 

 シャオヤオが気付くと、目の前には見慣れぬ天井。

 見慣れていないだけで知らない訳ではない。それはシャオヤオに割り当てられた船室の天井である。何なら昨日の朝だって見た。皇太子の部屋が一番上等なのだろうが、この部屋も中々良い。

 昨日、帝都に戻る船の中で皇太子と引き続き話していたところまでは覚えている。当然、話の内容も。

 しかし、真っ直ぐにシャオヤオも見つめた皇太子から何やら言われたような、聞いたような、気のせいのような…とりあえず、その辺から記憶が曖昧になっている。自分の部屋に戻って寝支度をし、備え付けのベッドで寝入ったのは確かなのだが、曖昧なのである。

 曖昧と言う事にしておいてほしい。

 

 起き上がると、ダスティシュの屋敷でも世話をしてくれたメイドが身支度を手伝ってくれた。船室を整え、寝支度も手伝ってくれたのも彼女である。

 そのまま朝食を部屋で取る。船酔いの可能性を考慮したあっさり系だが、美味しい。船上でもこんなに美味しい物が食べられるなんて、上流階級の世界はまだまだ分からない事だらけだ。

 食後は、何となく甲板に出る。昨日は皇太子の部屋に行き話の続きを聞いたが、今日は何となく風に当たりたかったので。

 深い意味も理由もない。何となくだ。何となく。

 

 今乗っている船の甲板には船客の為に整えられている場所がある。

 のんびり休める椅子もあれば、日よけの傘も。更には小さく簡易的だが飲み物を提供する場所まであって、船員に頼めばいつでも用意してくれるようだ。

 今日初めて訪れだが、何だこの船。至れり尽くせりでシャオヤオは若干引いていた。

 飲み物は遠慮して周囲を眺める。

 船は問題なく動き帝都へ向かっていた。途中で荷物の入れ替えで港に停泊する事はあるが、それだけで留め、夜も船頭を用いて進んでいるようだ。船の速度は差ほどないが、これなら明日には帝都に着くだろう。


「ここにいたのか、シャオヤオ」

「げっ」

 

 素直に声が出た。

 手すりに寄り掛かって流れる景色をぼんやりと眺めていたら、皇太子も甲板に上がって来た。昨日の今日でシャオヤオが気まずく思っているのに、何故に来る?

 いや、あれはきっと何かの聞き間違えか、皇太子の言い方が悪くて受け取り方を間違ったのだ。きっとそうだ。


「話の続きをしようと思って。俺がシャオヤオに一目惚れしたところまでだったよな」

「グェホッゲホッ!」

 

 噎せた。何も口に含んでいないのに。

 そして昨日の言葉を聞き間違えでもなければ、受け取り方を間違った訳でもないらしい。


「大丈夫か?」

「ン゛ン゛ッ、誰のせいだと…」

「ここからの話はそれが前提になるから、留め置いてもらわないと」

 

 シャオヤオの背中を撫でていた皇太子は船員に飲み物を作らせ、それから下がるように指示した。去り際に船員が微笑ましい視線を送っていたような気がするが、気のせいにしておこう。

 渡された果物を絞ったジュースはさっぱりとしていて、噎せてイガイガになった喉を優しく潤してくれる。


「心配しなくても、少なくとも今はシャオヤオに意識してもらいたいとは思っていない」

 

 名前も呼んでもらえてないし…。そう言いながら皇太子は外に向けて設置されていた椅子の一つに腰を下ろす。

 少し悩んで、シャオヤオも小さな丸テーブルを挟んだ隣の椅子に座る。椅子は二つとも外に向けられているので、シャオヤオと皇太子が向かい合う事はない。


「君の今までの暮らしを考えると、恋愛とかの情緒を育てる余裕もなかっただろう」

「そうなんだけど、そのまま言われるのは腹立つ…。アンタだって一目惚れなんてする可愛いタマじゃないでしょうに」

「あはは。それは俺自身も思ったし、アズやセドリック、今回の事情を知る数少ない人全員からも言われたな。でも、まぁ、してしまったのだから俺の情緒は普通にあったらしい」

 

 2人の間にあるテーブルに肘を掛ける皇太子がクツクツと笑う。

 そうしている姿は年相応のただの青年だなと、シャオヤオは思う。


「で、一目惚れした君と結婚するにはどうすればいいかと計画を立てる事にした」

「おいこら。たった今、情緒は普通とか言った人間の発想じゃないのだけど?」

「その場で告白した方が良かったか?」

「速攻不審者として返り討ちだわ。じゃなくて、何ですぐ結婚? 暗殺者“黒猫”の情報は何処に行ったの?」

「だってねぇ…。俺だって健全なお付き合いから始めたいさ。デートして、美味しいスイーツのお店で1つのパフェを2人であーんしながら分け」

「きもい、もういいから、計画の話を進めて」

 

 前言撤回。ただの青年じゃなかった。


「面倒な事に俺は皇太子と言う地位にある訳で、その相手は否応なく婚約者ないし婚約者候補と据えられる。そう定めておかないと遊び相手や愛人と見なされる。実に面倒だ」

「面倒2回言ったわね」

「それにささやかだけど、いくら実力主義の皇帝が皇太子の相手は皇太子自身に決めさせると宣言し自由が与えられているとは言え、だ。それで平民の孤児、職業暗殺者を連れて行くのは何かと問題になる」

「全然ささやかじゃないわよ、大問題よ」

「俺は別に気にしないんだが」

「気にして。頼むから気にして」

「そのせいでシャオヤオが傷付くのは嫌だ」

「…、…私は」

「シャオヤオに差し向けられる分なら自分で何とかしてしまうだろうが、仮に弟のムーダンが巻き込まれた日には、血の涙を流しながら相手を血祭りにするだろう?」

「…よくご存知で」

 

 シャオヤオはジュースを飲む。

 疲れた。多分、まだ話は前提のところで始まってもいないだろうに、既に疲れていた。

 いちいち反応するのは止めようと思う。


「要は俺の、フリーデン帝国皇太子の婚約者足り得る身分をシャオヤオに用意しようと思った訳だ」

 

 そこで目を付けたのが長期の内乱状態にあるサモフォル王国。

 最初にダスティシュと共に聞かされた話では、帝国によるサモフォルの内乱への介入の決定があって、同盟の為に政略結婚が必要とされその人選に悩んでいたところ、皇太子暗殺にやってきた暗殺者“黒猫”を丁度良いとサモフォルの姫に仕立てる事になった…と言う流れだったはず。

 しかし実際の流れは、見初めた暗殺者“黒猫”に皇太子の婚約者になれる地位を与えんが為、サモフォルの内乱へ介入する事にした、と全くの逆らしい。ちょっと何言っているか分からない。


「サモフォルの高い技術は無くて困る事はないが、有れば帝国の発展に必ず寄与する。その他にも色々利点があって介入して損と言う事はない。ついでにそこへ絡めればダスティシュも簡単に片付けられて、また一つ過去を清算線出来る父上も万々歳」

 

 ダスティシュを見逃したのは皇帝の例のやらかし。今日まで見逃してきた一領地を今更潰すにはそれなりの建前が必要となる。

 皇帝は皇太子にやらかしを論うと同時に解決策も持ってくるようにと命じてある。それでサモフォル王国との同盟を提示され、皇帝がどんな顔をしていたのか見てみたかったものだ。


「父上に提示した時点でサモフォル国王の民主化への意向と、シャオヤオを行方不明である第三王女の娘とする計画への是非は確認済みだ」

 

 そしてダスティシュをサモフォル王国専任外交官に任じ、サモフォルの反乱軍を名乗る者と接触させた。このサモフォルの反乱軍も皇太子の仕込みである。

 やらかしはあれども、間者に簡単に絡み取られ国の情報を易々と流すような小物を外交官にするようなヘマを、皇帝はしない。

 つまり最初から、全て皇太子の掌の上。

 シャオヤオは椅子に身体を投げ出し預けた。ここまでくれば説明されるまでもない。暗殺者“黒猫”がダスティシュより受けた皇太子暗殺の仕事も、皇太子が仕込んだシャオヤオを誘き出す為の罠。


「一連の中で一番難しかったのは君の一撃をどう交すか、だった」

「白々しい…。余裕で防いだくせに」

「あいにくと、俺の体技は実のところ大したものではなくてね。来る時間、武器、角度、ありとあらゆるものを可能な限り調整し搾った上で、コハクさんやアズに手伝ってもらってひたすら交す訓練を繰り返した。あっちは手刀だったけど、何度昏倒されたか分からない…」

 

 ハハハ。皇太子の笑い声はとても乾いていた。

 それを耳にしながら、そう言えばあの仕事はダスティシュには珍しく侍女の服の手配や厳重に警備されている貴賓席への侵入の手筈等、準備が整っていたなと今更ながら思い出す。サモフォルの反乱軍とやらがきっちりしていてなんとも有難い…なんてその時は思っていたが違ったらしい。


「ミスして私に殺されていたらどうするのよ。別の人間を囮に使うとか、もっと安全な方法はなかったの?」

「なくはないが、建国祭の場で俺の婚約者として先に民衆へ発表し、シャオヤオとダスティシュの身柄を同時に抑えた方がその後の流れに繋げやすいと判断した。無駄な危険は避けるけれど、自分だけ安全であるつもりはない」

 

 まぁ、確かに…。暗殺を防がれただけならともかく、その暗殺対象に掴まれ観衆に向かって婚約者宣言された異常事態にシャオヤオの頭と身体は完全に動けなくなった。

 自分の立場を理解している皇太子は無駄な危険は避け、危険度も可能な限り下げる。あの時持っていたはずの短剣とトレーがいつの間にか無くなっていたのは、何処かにコハクが潜んでいたと見ていいだろう。ギリギリのギリギリまで、皇太子がシャオヤオの一撃を防げなかった場合を想定して。

 そうしてシャオヤオの暗殺は失敗し、ダスティシュ諸共あれよあれよと屋敷に連れ込まれた。狼狽する雇い主を目の前にシャオヤオは引き続き動けず、その間にシャオヤオの身分を一国の姫とし皇太子の婚約者と言う帝国内の地位も確立された。

 皇太子の計画通りである。


「同時刻、アズ率いる帝国軍の精鋭部隊がダスティシュへ進行。一族を捕縛し領地を閉鎖した」

「アズ…率いる?」

「アズの父親のガーデンベルグ侯爵は帝国軍の司令長官で、領地経営と共に軍事関連の事を跡取りであるアズに叩き込んでいる。今回の部隊には侯爵麾下の人員を多く配置してくれたから顔見知りなのであの恰好を侮られる事もなく、全軍を指揮しダスティシュ領で行動していた」

 

 あの派手な女性物の衣装を見事に着こなしていたアズ令嬢、じゃなかった、アズベルトが軍の指揮…。

 一度は剣を振るう姿はさぞカッコいいだろうと想像した事もあったが、それはまだアズベルトを長身のとびきり美女だと思っていた頃の事。女装と…いやとてつもなく似合っていたのだが、そうと知った今では逆に想像出来ない。


「ダスティシュについては事が全て終えてから公表する予定だ。幸いと言うか、閉鎖する以前から閉鎖状態の田舎だったので領民に目立った混乱はない。旧時代の意識を改革する方が大変だと、一度戻った時に報告と言うか愚痴られたけどな」

 

 一度、と言うと王宮見学の際に遠目で挨拶した時だろう。

 あの時は完全にアズベルトを女性だと誤認し、皇太子と並んで立つ姿に本来の婚約者候補なのだろうと、知った今ならば的外れと分かる事を考えていた。いや、誤認は不可抗力だ。声でも聞かない限り、あのとびきりの美人を一目で男と見抜けるはずない。


「シャオヤオと一緒に身柄を確保した当の領主であるダスティシュだけど、一族と同時に処分してもよかったが仕上げの段階で使う事にしたのでその時まで留め置いた。そうとは気付かせず王宮で軟禁し何の意味もない書類整理に埋もれさせていたが、勝手に背信行為の得点をせっせと溜めていったよ」

 

 シャオヤオ姫への身分を弁えない不敬な態度や皇太子の殺人教唆もそれに入るらしい。この上あのおっさんを何に使うか知らないが、ご愁傷様だ。元々忠誠心なんぞなく、ムーダンが別の所で保護された今、同情心も皆無である。

 どうでもいいと言うのが本音だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る