20.話をしようか
アズベルトの要件とは帰りの支度が終えたと言う報告だった。
ダスティシュの屋敷から船が停泊している河港まで移動すれば、後は船に乗って3日と掛からず帝都に辿り着く。流れが逆になるので、帝都からなら2日ほど。それを利用して皇太子はシャオヤオが辿り着く1日前にはダスティシュ領に着いていたそうだ。
正直ムカつく……だが。
「コハクさんはシャオヤオに気付かれないように並走と先回りをして、シャオヤオの行く先の安全と使う馬の確保をしてくれていたんだ」
と言われてしまえば、怒りなんぞ何処かへ飛んでいく。
道理で丁度良く馬を奪…拾え続けられたわけだ。ほぼ休み無しの強行軍だったとは言え、そんな見えない補助がなければシャオヤオが着いていたのは3日目の夜ではなく4日目の昼になっていたはず。
しかしムーダンの元へ帰る事だけで頭がいっぱいだったとは言え、シャオヤオとて追っ手を気にしていなかったわけではないし、何より並走している馬がいれば流石に気付く。断言してもいいが、周囲にそれらしいものはなかった。一体どうやって並走やら先回りやらをしていたのかと考えて、無駄だと思ったので考えるのを止めた。聞いたところで人間離れした回答が返ってくるだけだろう。そう言うモノだと受け入れて、諦めた方がいい。
アズベルトの報告を受け、皇太子はシャオヤオを連れてダスティシュの屋敷を出た。帝都まで、ムーダンの所まで連れて行ってくれるらしい。
因みにアズベルトとあの出来る執事は同行しないようだ。
「アズベルトは?」
「俺以外の名前を呼ぶ…。ここでの仕事の後片付けが残っているから、それを終え次第、帝都に戻る予定だ」
あの美しい女装男子の仕事とは何だろうと、その格好の意図も含めて気になるところではあるが、人の目があったのでここは口を閉ざしておく。
シャオヤオも大概だが、皇太子も船を使ったとは言え行きは早さ重視の強行軍だったとか。本来の航程なら、先に言った日数より1~2日増えるらしい。
なので、帰りは帝国皇太子の移動として少しばかり体裁を整えると先に断りを入れられた。
例えば屋敷から出立する際は整列した兵士達の送迎を受け、馬ではなくそこそこ見栄えがする馬車に乗り込む。自分の立場が良く分からなかったのでシャオヤオは黙って着き従っていが、見送りの兵士達に紛れて孤児達が手を振っていたので、それだけはシャオヤオも小さく手を振って応えた。
河港までも護衛を連れて隊列を組んで進む。歩きの者もいるので、そちらに合わせた速度である。正直走った方が早いが、これが皇太子の言うところの体裁なのだろう。
話は船の上でと言っていた皇太子は、これだけは先に片付けさせてくれと馬車の中でも紙に何かを書き付けていた。その辺の馬車よりはマシとは言え、それなりに揺れるのに気持ち悪くならないのだろうか? なんて横目で思いながらシャオヤオは馬車の窓から外を眺める。
暗殺者として潜んで生きていたシャオヤオを知る人間は、ダスティシュ領でも少ない。領民等はシャオヤオの正体も知らずに、高貴な方と思って通り過ぎる馬車に向かって頭を下げている。
何とも奇妙だ。詳しくはこれから聞く事になるだろうが、恐らくダスティシュ領は終わる。領主によって情報が遮断され古い時代を生きていた彼等の今後はどうなるのだろうと、ぼんやりと思った。
延々と掛かって河港に着いてからも、そこのお偉いさんだとかどこそこの責任者だとかと長々と言葉を交わし、やっと船に乗り込んだ頃には半日が過ぎ日は陰っていた。
船は運河で使える物では一番大きいらしく、馬車と同じくこちらも見栄えがする物だった。皇太子が早さ重視で来る際に使った船は一回りも二回りも小さかったそうで、つまり速度はあまり出ない。溜め息が出る。体裁、面倒くさい。
「では話をしようか」
皇太子に着いて船室に入る。帝国皇太子が使うだけあって、船の中とは思えない広さと豪華さだ。人生において一度たりとも足を踏み入れる事はないと思う類の場所だけに、ついあちこち眺めてしまう。
そうしている間に、部屋に備え付けられたテーブルに船上とは思えない豪華な夕食が用意されていた。もうそんな時間か。地位ある者の食事には大抵給仕が付き、料理は順に出される物だがスープもメインもデザートも、全ての料理がテーブルに隙間なく並べられている。そして用意した船員らしき使用人達は揃って外へ。込み入った話をするのに、配慮した形なのだろう。
部屋にはシャオヤオと皇太子の2人…なのだが。
「コハク、さんはまた何処かにいるの?」
「いや、先に帝都に帰っている」
「あぁ…そう」
あの白い何でも屋がまた何処かに潜んでいるのではないかと思ったのだが、いないらしい。どうやって先に帰るのかは聞くまい。
シャオヤオは大人しく皇太子の対面の席に座る。
「順を追って話をするのだけど…さて、何処から話そうかな」
少しだけ考える素振りを見せてから、皇太子は口を開いた。
「俺の仕事を簡単に言うと、粗捜しだ」
「粗?」
「国の、そして我が父フリーデン帝国皇帝の、粗捜し。父上は何と言うか、軍の指揮や戦略戦術、人心掌握に国の運用なんかの大きな規模の事に関しての能力はずば抜けているし、目的に向かってひた進む推進力も高い。だがそれ以下の単位の事になると途端に節穴で視野が狭く狭量で興味も持てず、しかも自分の足元を見たり振り返ったりもしないと、支配者としては理想的だが個人としてはまぁ欠陥だらけなお人でね」
民衆にも公平な政治体制を敷く、良き統治者と名高い現皇帝に向かって何とも酷い感想である。実の息子故に他人には分からないところが見えているのだろう。
「一つ例を上げると、以前話した伯爵家の相続騒動。後継者を幼い娘としその母を後見人に皇帝の名において許しはしたけど、その後は事実上の放置だった」
以前の伯爵家…と言うとあの縦ロール令嬢の事である。
あの時に聞いた話をシャオヤオは記憶から取り出して並べる。確か伯爵家を乗っ取ろうとする縦ロール令嬢の親が、そろそろ成人の年頃になった本来の後継者である娘を男爵に嫁がせようと画策していた…とか言う話。
皇太子の口ぶりは現在進行形だったと記憶している。つまり、つい最近と言う事だ。
皇太子の婚約者を目指す縦ロール令嬢の派手な動きから、伯爵家の問題は帝国の貴族社会でも筒抜け状態だと思っていたが……あぁ。
「興味も持たず、振り返りもしないってそう言う事?」
「そう」
許可を与えてそれで終わり。
伯爵家の騒動は、縦ロール令嬢が伯爵令嬢を自称し皇太子に積極的に絡むようになった頃から知られるようになっていた。
だが、皇帝は静観した。
「自分が自分の才気と努力で成り上がったから、他者に対してもそうであるべきと思っているんだ」
後ろ盾もなく貧乏貴族から上り詰めた実力主義の皇帝。財産の相続こそ故人の意思を尊重するとしても、地位の継承は実力でもって行うべきと考えている。
一つの家に地位ある者であろうとも他人が介入し過ぎるのは他家への影響もあってよくないとしつつ、皇帝がその名で許したのはあくまでも家督と財産の相続。伯爵には、縦ロール令嬢の父が実力を示すのであればそちらを据えても構わない…と言うのが本音らしい。
それが嫌なら、後継者たる娘は実力でそれを阻止または奪い返せばいいだけ、と。なまじ成り上がったが為に、皇帝の爵位等への価値基準は一般より低い。更に本心を言えば、当時は新王朝による大陸統一と平定でとても楽し…忙しく、皇帝が一つの家に拘ってはいられなかった。
「自称伯爵令嬢がウザいなら、俺が自分で何とかすればよいと返された」
道理で後継者の娘が成人するのを待っていたとは言え、シャオヤオとの婚約まで皇太子も手を出さなかった訳だ。
皇帝の言わんとしている事は分かる。シャオヤオだって自分の力で生き抜いてきた。
それでも眉が顰めるのを止められない。
自分の問題は自分で片付ける。そうではあるが、いくら改革しているとは言え前王朝から男性優位の意識が根強く残る国で、離れに追いやられた未亡人と未成年の娘に無茶を言う。
皇帝としては静観のつもりだろうが、事実上の放置は縦ロール令嬢の親の行いを黙認していたのに等しい。縦ロール令嬢の親が増長していくに決まっている。
しかしそんな皇帝が、激怒したとか。
急展開に着いていけない。
「理由は?」
「件の男爵との縁談さ。男爵に問題がない…訳ではないが、男爵そのものでは無くて。父上はある事情から、女性が意に沿わない婚姻を強いられ男に権力で弄ばれるのを毛嫌いしている。それはもう、仇のように」
件の男爵とは、愛人の数が両の手では足りない程いる好色家で皇帝直属の臣下だったはず。
愛人を多く抱えていても男爵の人柄そのものは問題ない。皇帝はそれを知っている。
だが縦ロール令嬢の親はその人柄を知らずただ好色家としての噂から、後継者の娘が酷い目に合う事を期待して縁談を持ち掛けた節があるそうだ。
綺麗に見事に皇帝の逆鱗に触れたのである。流石だ…。
しかし皇帝の意識は、女としては有難いがそこで怒るくらいならもっと早くに何かしらの手を貸してやればよかったのに、とも思う。シャオヤオからすれば嫁として追い出そうとするだけ縦ロール令嬢の親はまだ平和な人だ。母親の未亡人諸共、病気なり事故なりで殺す手段がなかった訳ではなく、そうなっていたらどうするつもりだったのか。
そんな考えたが表情に出ていたのだろう、皇太子が苦笑する。
「旧帝国の腐り果てた貴族達を反面教師に誇り高く生きてきたから、小物の思考が分からないんだ」
時に視界にも入らないと。視野が狭いとはそう言う事らしい。
そしてそれまで放置しておいて、自分の逆鱗に触れた途端に容赦が無くなるから狭量と。
「あくまでも一例。シャオヤオが分かる最近のモノから上げたに過ぎない。内容は様々だが、似たような事を父上はこれまでに幾度もやらかしてきている」
自分が正しいと思う道を突き進む。大筋としては確かに正しく、為政者として理想的な強さ。
皇帝はなるべくして皇帝となった。
しかし突き進む中で、大多数の人間が幸せとなる中で、皇帝がそうと知らずに踏み付け壊し置いて行ったモノがどれだけあるか。ひたすら進む皇帝はふと振り返る事はない。取り返しがつかない結果となって眼前に降って堕ちて来た時に初めて、そうと思い知る。
国として致命的な失敗を犯した訳ではない。多くの人を苦しめた訳ではない。寧ろ、人々を救った側なのだ。大多数の為に少数を切り捨てる、そんな無情にも日常茶飯事な決断で皇帝が間違えた事はなく、人としての心を痛めても皇帝として悔いたりはしない。
皇太子とてそこに否はない。
あくまでも、広大な帝国領地の端でたった1人が泣いている…大多数には何の影響もない。そんな何て事もない、ちょっとした出来事。
なのに、それで傷付いた顔をする父親が皇太子は嫌いだった。
「傷付いたのは父上ではない。父上は傷付けた側の人間だ」
そう零す皇太子の表情は冷え切っていた。
シャオヤオはまだ温かさが残るスープを黙って口に含む。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます