08.好きに呼んでくれ

 ムーダンや仕事の事を思えば気は急くが、学べる事が多くあるなりすまし生活はシャオヤオにとってそう悪いモノでは無い。

 面倒くささは勿論あるが、知識や出来る事が増えていくのは嫌いじゃない。

 一番の不満を上げるとしたら、皇太子が毎日会いに来る事だろうか。


「我が愛しのシャオヤオ、君の可愛らしさを引き立たせるのには足らないがこの花を君へ」

「あり、ガト…ごザいま、す」

「姫様、顔が引き攣っておられます。それとお言葉は滑らかに」

 

 しかも花やら何やら、必ず贈物を持ってくる。今日は色とりどりの花束。

 別にシャオヤオは花が嫌いなわけではない。この皇太子から貰う事が薄ら寒くて仕方が無いだけだ。姫教育は、エリム夫人や使用人達によれば、概ね順調に進んでいるのに皇太子を前にするとどうしても取り繕えないと言うか、素が出そうになって抑えるのに顔が引き攣ってしまう。

 でも、そうしているとすぐにエリム夫人からの指摘が飛んでくる。

 エリム夫人はシャオヤオが皇太子を煙たがっている事を把握している。その上で婚約者として、また帝国との同盟を目指すサモフォル王国の姫として、本音を表情に出さずに皇太子を出迎え対応するようにと課題を言い渡されていた。


「ラウレンティウス殿下は姫様の素性と事情を誰よりも把握なされているので、姫様の粗相に目くじらを立てる事もありません。これほどまでに良い練習相手はおりませんわ」

 

 社交界では腹の探り合いばかり。

 貴族社会とは得てしてそう言うモノではあるが、今のフリーデン帝国は現皇帝が血筋に拘らず優秀な者を重用している事で様々な分野で我こそもと成り上がろうとする者が多くおり、それに対しこれまでの地位を守ろうと貴族達は躍起になっているのだとか。

 純粋に実力を示すのなら良いが、他人の足を引っ張り蹴落とそうとする者はそれこそ貴族に限らず散見され、情報戦も舌戦も激しくなっている。

 何が起ころうと言われようと、痛くも痒くもないとすましていなければならない。

 何らかの悪評が立つような隙を作ってはならない。

 らしい…。国の成長にはそう言ったモノの活発化は寧ろ歓迎するべきなのだろうが、叶うならそんな場所に出される前におさらばしたい。皇太子が飲むお茶に毒でも仕込みたい気分だ。


「それではごゆるりと」

 

 シャオヤオではなく、メイド達が淹れたお茶が用意されたところでエリム夫人他、シャオヤオと皇太子を除く全員が部屋から出ていく。

 婚約者としての交流の場であるが、現状秘匿する事が多いサモフォル王国との同盟についての情報を伝える為に人払いがなされる。

 姫教育に奮闘するシャオヤオの息抜きも兼ねていたが、息抜きなら、この皇太子こそをどっかにやって欲しいと心底思う…。


「数日の内に見違えたな。もう立派なお姫様じゃないか」

「毎日見ていて違えるもないでしょ。気のせいよ」

「謙遜する事はない、自信を持って。エリム夫人も姫様は素質の塊だと褒めている。一度の指摘ですぐ様修正してくるのはそう出来る事じゃない。後は俺に対して可愛く微笑んでくれたら完璧だ」

「拒否反応が抑えられないもので、ごめんあそばせ」

「あはは。取り繕った君の笑顔も素敵だが、俺としては淡々とだがちゃんとやり取りしてくれる君の方が好きだな」

 

 脳天にナイフを突き刺してやりたい。しかし残念ながら、手元にはティースプーンしかなかった。せめてフォークでもあれば…。

 これでも必死に表情筋を駆使して笑顔を作っているのだが、そんなシャオヤオを皇太子は楽しんでいる様子で、余計に腹が立つ。


「セドリックやアズと違って、シャオヤオは可愛げがあって楽しい」

「バカなの? …アズって?」

「幼馴染だ。俺とセドリックとアズの3人は同じ年の生まれでね。一応2人とも俺の側近って事になっているが、それぞれで好きに動いている。シャオヤオも、いずれは君の好きなように動けばいいさ」

「それはアンタの命が終わる時になるけど?」

「楽しみだ。その様子だと雇い主とはまだ連絡を取れていないらしいな。王宮内の探索は進んでいるのか?」

 

 思わず舌打ちが出る。

 皇太子の言う通り、皇太子は毎日のように来るが肝心のシャオヤオの雇い主であるダスティシュは一度も顔を見せていない。方針を決めてもらうまでは大人しく姫をやっているしかないと言うのに。こうしてシャオヤオが皇太子の暗殺を行わない時点で、新しい指示を得られていない事が皇太子にバレている。あのおっさん、いつまで待たせる気だ。

 因みに昼間に散歩と称して行ける範囲に加え、夜な夜な忍び込める箇所は探索済みだったりする。

 教育中につき人前に出る事が出来ないお供付きの姫として行ける範囲はたかが知れているが、見える個所を指しながら「あそこは何?」と聞けば概要を知る事は出来る。後は夜に部屋からこっそり抜け出して調べればいいだけ。不確定要素はあるものの、もしもの時の逃走ルートの候補は既に立ててある。

 とは言え、流石は帝国皇帝の居城。警備は厳重なんてものではない。これ以上は進めないと諦めた個所がどれだけあったか。把握できたのはほんの上澄み程度だ。

 話題を変えよう。


「確かにセドリックって最初に会ってから一度も見掛けてないわね。てっきり、ダラダラとお茶飲んで無駄に時間を過ごしているどっかの皇太子から仕事を押し付けられているものだと思っていたけど、好きに動いているって事なら違うのかしら?」

「分かっていないなシャオヤオ、あいつはそんな可愛らしい性格ではない。押し付けられる前に、相手が押し付けられないような状況を作り出して追い込むような奴だ。因みに今の時間帯なら大体バイトしているな」

「は?バイト?」

「それこそ初めて君に会った建国祭のような、前もって予定が決まっていない限りはそっちを優先している。登城しない日の方が多いくらいだ」

 

 フッと遠い目をする皇太子だが、出てきた単語によりシャオヤオの頭上には疑問符が浮かんでいた。

 バイト…。普通なら、飲食店で皿を洗ったり商店で品出ししたり、店主に雇われて賃金と引き換えに行う労働の事だ。

 一度会っただけだがセドリックは綺麗な顔立ちの如何にも貴族子息然とした青年だ。それがバイト? 帝国皇太子の側近がバイト? 何かの隠語だろうか。いや、きっとそうに違いない。これは通常の意味で捉えてしまったシャオヤオに落ち度がある。反省。

 貴族間や王宮内でのみ使われる言葉なら、その意味を知っていても損にはならないだろう。聞けば教えてもらえるかは分からないが、まずは聞いてみるよう。

 シャオヤオが一旦考えるのを止めて視線を上げると、何やら物言いたげな顔の皇太子と目が合った。シャオヤオが自分の方を見るのを待っていたらしい。


「な、なに?」

「たった一度しか会っていないセドリックの事は名前で呼んで、どうして何度も会っている俺は「皇太子」なんだ?」

「…は?」

「君はすぐ、は? と言う」

 

 皇太子が顔を逸らしてシャオヤオから視線を外す。その際、プイッと音が聞こえたような気がしたのはシャオヤオの気のせいか。気のせいだな。

 その素振りはすごく子供っぽい。初めて会った時、ダスティシュ相手に見せた支配者の素質、その迫力は何処へ行ってしまったのやら…。


「俺の事だって名前を呼んでくれてもいいじゃないか」

「…」

「まさか俺の名前を覚えていないなんて言わないよな? 仮にも婚約者の名前だぞ?」

「…うっざ」

 

 おっと、つい本音がそのまま零れた。

 シャオヤオは誤魔化すようにお茶を一口飲む。


「ラウレンティウス・アレク・ミューラー」

「フルネームじゃなくて、普段の会話の中で名前を呼んでほしいと言ってるのだが?」

「地味に発音し辛い。何と言うか、古風な名前よね」

「そこは名付けた父上のセンスのせいだ。ローレンス、ロラン、ラース、ラーシュ、皆、愛称で呼んでいるからシャオヤオも好きに呼んでくれ」

「好きに呼んでいいなら皇太子のままで」

「それ名前じゃない」

 

 如何にも不満ですと言う表情を隠しもしない皇太子に、シャオヤオも深い溜め息を隠さず吐く。

 呼び方なんて皇太子で十分だろう、エリム夫人からも指摘された事はないのだから。

 と言う訳で要求は無視だ。話題を変えよう。いや、これは本題か。


「専任官の、ダスティシュって言ったっけ? あのおっさんも見掛けないけど、ご機嫌伺いに来るって話はどうしたのさ」

「すまない、ダスティシュ卿はサモフォル王国との連絡調整と情報精査に忙しくてな。密かに噂されていたサモフォルの姫が本当に、そして無事に入城して事態が大きく動いた事で情報があっちこっち飛び交っているんだ。もう少ししたら分かり易くまとめて持って来られるはずなんだが」

「ふーん…」

 

 名前の呼び方についての時と同様、シャオヤオはどうでもいいと言う素振りでまたお茶に口を付ける。

 内心では盛大に舌打ちしたい気持だった。つまりもう暫くは、ダスティシュが顔を見せる事はないと言う訳だ。ムーダンが無事に過ごしているのかを確認したいと言うのに。

 いっそ、夜にでもこちらから忍んで会いに行くか。あのおっさんの事だから、勝手にそう期待していつまでも来ないシャオヤオに悪態を付いている可能性の方が高い。帝都での奴の屋敷の位置は把握している。いや、忙しいのなら城に泊まり込みと言う事もあり得る。距離的にはそちらの方が助かるのだが。

 ダスティシュが仕事をしているのは何処だろう。思い切って聞いてみるかとシャオヤオが視線を上げると、また皇太子と目が合った。先程の物言いたげな顔ではなく、笑みは浮かべているが何処か真剣味を感じられる表情で。


「気になる事があるのなら、俺が聞くが?」

「え?」

「知りたいと思っている事、不安に思っている事、言ってくれたなら確認するし解決もしよう。君の尤も望ましい形や方法で。一言でも、君が望んでくれたなら」

 

 シャオヤオは僅かにたじろぐ。まるで全てを見透かされているかのようで…。

 聞けば、ムーダンがどうしているのか確認してくれるのだろうか。言えば、ムーダンに関する悩みを解決してくれるのだろうか。

 本当に望みを叶えてくれると言うのなら、シャオヤオは我が身を差し出す事も厭わない。

 でも、だからこそ口にする事は出来ない。

 それはシャオヤオにとっての弱点を晒す行為。弱点であるムーダンを今より更に危険に晒す行為なのだ。

 誰か助けてもらう希望を当の昔に捨てたシャオヤオには、無理な事だった。


「別に、何も無いわ。さっさとこんな所からおさらばする事以外はね」

「そうか。早く雇い主と連絡が取れるといいな」

 

 皇太子がお茶に手を伸ばすのを見遣って、シャオヤオはお茶をテーブルに戻した。

 そんなやり取りをしながら、シャオヤオのなりすまし生活は続く。

 

 事件が起きたのはそれから僅か数日後の事。

 

 俗に言う、シカウマ事件である。

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