03.バカなの?

「バカなの?」

 

 ここまで沈黙を貫いてきたシャオヤオだったが、スルッとその言葉が口から出てきた。


「何処の世界に自分の命を狙って来た暗殺者を一国の姫に仕立て上げた挙句、自分の、それも次期皇帝の婚約者にまでするバカがいるのよ」

「ここにいるが?」

「バカなの!?」

 

 いや、言葉にすると尚酷いなとシャオヤオは頭を抱えた。

 取り繕う気も失せた。それこそバカみたいだ。


「待って待って、いくら人選に困っていたからってそれはないでしょうよ」

「まさしく天から恵み。全ての計画に見通しが立った時、皇帝の秘蔵酒をこっそり持ち出して祝杯を上げた。たぶんまだ気付かれていないな」

「持ち出すな、さっさと謝れ」

「あぁ、すまない、君の婚約でもある訳だ。後日改めて一緒に祝おう」

 

 バカだった。なってこったい。

 大陸全土を支配する超大国フリーデン帝国の次期皇帝はバカだった。ついさっきその身に秘めていた支配者としての素質や迫力に感心したばかりだと言うのに…。あの感心を返せとシャオヤオは思わずにはいられなかった。

 いくら事情があるとは言え、大丈夫か? この国。


「私が狙っているのはアンタの命であって、婚約者の座じゃない!」

「勿論、仕事の邪魔をするつもりはない。引き続き狙えばいいさ」

「は?」

「君はすぐ、は? と言うな」

 

 誰のせいだ!? 

 シャオヤオはカップを皇太子に向かって投げ飛ばしたくなった。お高そうだし、まだ飲みきっていなかったので踏みとどまったが。


「淑女教育と王妃教育は受けてもらうが、それ以外の時間は自由に過ごせばいい。その間に俺を狙うのも良しだ」

「…正気?」

「いつでもどうぞ。仮にも婚約するんだ、夜這いも歓迎しよう」

「言葉の意味分かってる? 絶対分かってないでしょ」

「ただし俺以外の、例えば侍女やサモフォルの姫としての君に付ける教育係等この場合の無関係な者を傷付けるのは無しだ」

 

 ウィンク付きの皇太子の台詞にシャオヤオは普通に引く。鳥肌が立った腕をさすると、今度は至って真面目な話をされる。落差が激しい…。

 シャオヤオは別に会話が苦手と言う訳ではない。話術も時として暗殺には必要となるのだから。

 だがここまでペースを乱されるのは初めてだ。

 

 皇太子の忠告は言われるまでもない事である。

 暗殺を生業にしてきたが、シャオヤオは殺しが好きな訳ではない。もっと言えば生きる為にそうせざるを得なかっただけで、誰が好き好んで殺しなんてやるものか。

 必要に駆られて対象以外を傷付けた事はあるが、それは暗殺対象の護衛等、排除しなければ暗殺に支障が出る場合なだけだ。不必要に誰かを傷付けた事は一度も無い。


「サモフォルの姫の居住区として王宮の一角が一時的に与えられる。先に言ったが君の正体を知る者は極僅か、普段の生活内ではいないと言っていい。堂々と…は無理だが、見付からずに潜められれば王宮内を自由に探索してくれて構わない。君の雇い主は現状不明だが、王宮内を把握している暗殺者なんて貴重なのではないかな?」

「…さあね、そんなの聞いてみなくちゃ分からないわ」

「なら連絡してみると良い。連絡方法をわざわざ問いただしたりしないさ。まぁ雇い主…反乱軍に懐柔された鼠が誰かと分かればすぐにでも捕らえるつもりなので、こちらも見付からず、密やかにな」

 

 フイッとシャオヤオは視線を逸らす。

 確かにここまで想定外の事が起こってしまっていては、皇太子暗殺を続行するか撤退するか、どちらにせよ一度雇い主の意向を確認したのが本音だ。


「こちらは君にサモフォルの姫を演じてほしい。ただその一点のみだ。聞き入れてくれるのなら可能な限り礼は弾もう」

「自分で言うのもなんだけど、お姫様になれるような育ちじゃないし」

「その辺は抜かりない。セドリック」

「はいはい。サモフォル国王第三王女は平民に身をやつし国外である当大陸へと逃れた後、平民として暮らしその地の男性と結婚、やがて子供を儲けた。当然子供も平民育ち。子供は最近まで母親が一国の王女だと知らなかった…と言う設定でどうでしょう」

「これなら姫が礼儀作法の一つも知らなくても自然だろう?」

「尚、第三王女は我が国の戦後の混乱期に病にかかり、既に故人と言う事にしています」

「平民育ちの身から亡き母の祖国の為、帝国皇妃への険しい茨の道を選んだ健気な姫の物語。民衆はそう言うのが好きなんだ」

 

 身分が低い少女が実はお姫様の生まれで、数々の困難を乗り越えて王子様と結婚。幸せに暮らしました、とさ。

 確かに、その手の物語は巷に溢れている。主人公と同世代の少女達は、自分を主人公に投影して夢を見るのだ。まぁシャオヤオは単純に読み物として楽しむだけで、物語の主人公を自分に置き換えた事はなかったが。


「この設定であれば、同情にはなりますが、出だしにおいて一定の支持は得られるでしょう。後は努力の姿勢を見せ余程態度が悪くさえなければ、反感は買わないはずです。表面上は、ですが」

「言動に問題はなく好感を持ってくれる味方をどれだけ増やそうとも、否定する奴は否定する。サモフォルの反乱軍や皇妃の座を狙っていた奴、身分思考の選民意識が強い奴…とかな」

「人選の話で言った通り、そう言う者達の妨害や嫌がらせがあると考えられます」

「当然、可能な限り守ると誓うが不測の事態とはどれだけ想定していても起きる時は起きる。だが暗殺者の君なら妨害工作もその他嫌がらせも子供騙しのようなもの、対処出来るだろ?」

「いや普通に嫌なんだけど」

 

 出来る出来ないではない、気分の問題だ。どう考えても面倒くさい。完全に畑違いな姫としての振る舞いを覚えなければならないだけでも、絶対に面倒だ。

 再び頭を抱えたシャオヤオは考える。

 断る方法…いや、この場から逃げ出す方法を。

 そうしていると。


「お考え直し下さい、殿下! こんな卑しい育ちの娘を殿下の婚約者になど、て、て帝国皇室の栄光に傷を入れるおつもりですか!」

 

 ダスティシュが叫んだ。

 さっきまで口から魂を飛び出ていたような状態だったのに、何とか復活したらしい。酷い言われようだが、その発言はシャオヤオにとっては至極真っ当なモノなので是非この皇太子の愚行を思い留まらせてくれと、今だけは心から応援する。


「ハッ、知らぬ卿でもあるまいに。今でこそ玉座に就いているが、父上は前王朝の時代において貴族とは名ばかりな薬一つ満足に買えない貧乏人だったのだぞ? 卑しい生まれや育ちなんて言葉も、飽きるほど聞いたと言う。家柄血筋で言えば皇帝麾下のガーデンベルグ侯爵家や、それこそセドリックの方が余程良いな」

「まぁ一応、そうなりますかね。母方の家は前王朝と共に消え失せましたけど」

「何処も似たようなモノだ。いくつもの栄光とやらが地に堕ちた。そこから成り上がっただけのたかが15年程度の皇室に付く傷なんぞあるものか」

「そ、そのように言われずとも…!」

「そも、その長たる父上が血筋や家柄だけで物を語るのが心底お嫌いな実力主義者だ。正当な理由と価値を示せば、何処の馬の骨であろうとも評価し取り立てる。例えばそれが元暗殺者でも…な」

 

 皇太子がそう言って意味あり気に微笑するのと同時に、不意にシャオヤオは視線を上げた。

 そこにあるのは何の変哲もない…上品な装飾があしらわれていてお高そうと言う以外、ただの天井。それを眺めたところで特に何もない。

 しかしほんの一瞬だが、シャオヤオはそこに誰かが居るような気がした。正確には天井裏だが。

 暗殺者やスパイ等が何かしらの理由があって天井裏に潜む事は相応にしてある。シャオヤオにも経験があった。この屋敷の構造は把握していないので天井裏だろうが壁の向こう側だろうが、何者かが潜んで聞き耳を立てていても驚きはいない。

 だからこそ気配は慎重に、敏感に探っていた。

 その結果は“誰もいない”はずだった。

 皇太子との会話でペースが乱されはしていたが、そこを読み間違えるヘマはしないとシャオヤオは自信を持って言える。現に見上げた天井の向こう側を探り直しても、何者かの気配は感じられない。

 気のせい?それ以外にはなく、シャオヤオは自分の感覚に首を傾げる。

 

 シャオヤオがそんな事をしている間に皇太子とダスティシュの会話には終わりが見えてきた。どうやらダスティシュの説得は空しく、けんもほろろな様子。

 なんて役に立たないおっさんだ。


「で、では、殿下は本気でこの娘を未来の帝国皇妃になさると言うのですか!?」

「彼女にその気があり、その価値と実力を示してくれたなら。まぁ落ち着けダスティシュ卿。とりあえず、2年だ」

「2年?」

「それだけあればサモフォルの民主化と帝国への技術供与はある程度の形に収まっている。当人が嫌がる事を無理矢理やらせる趣味はないし、実力主義の父上も本意ではない。適正と言うモノもある。努力はしたものの姫には荷が重かった、と言う事にして婚約は破棄しよう。その為に、予め婚約期間は2年を設けている」

「……あ。はは、殿下もお人が悪い。それを先に仰って下されていれば、このダスティシュ、ここまでの差出口を挟みませんでしたのに」

 

 右手の人差指と中指を立てて見せた皇太子に少しの間呆けていたダスティシュだったが、何を考え付いたのか、急に肩の力を抜いた。

 そんなダスティシュに肩を竦めた皇太子は、シャオヤオを見遣る。


「婚約破棄の場合、姫には帝国内に領地か又はそれに相応する額の年金のどちらかが与えられる。少なくとも、暗殺を生業にしなくても食うに困らない生活が生涯保障されると思ってくれていい。足を洗うつもりがあるのなら、帝国の権力を持って協力しよう」

 

 礼は弾むと言っただろ? そう言って皇太子はニコリと笑う。

 ダスティシュではないが、2年と言う婚約期間を聞いてシャオヤオも少しだけ力が抜けた。この話は婚約破棄が前提。本気で結婚する訳でも無ければ、暗殺者の自分を帝国皇妃にするつもりもない…そう受け取れた。

 それはそうだ。それなら納得出来る。流石にそこまでバカじゃなかったらしい。

 そこを先に言えと言いたいが、それこそ皇太子の人の悪さなのだろう。怒る方がバカを見る。

 その後の事は、一旦皇太子の言葉を信じれば悪い条件ではない。わざわざ殺しなんてしなくてもいいのなら、それに越した事はない。国が相手なら、雇い主とて引いてくれるはず。

 年金とやらがどれくらいの額なのか知らないが、自分はともかく“あの子”が不自由なく生きていけるのなら…。


「これが運命だとただ流されるか、幸運だと自分の為に活かすか。君次第だ」

 

 世の中そう上手くいく訳がない。

 暗殺者にならざるを得なかった時から、不確定な希望を持つ事は止めた。2年が過ぎたら礼なんて無く、用済みとして消される恐れだってある。寧ろその可能性の方が高い。使い捨ての暗殺者の扱いなんてそんなモノだ。ダスティシュが考え付いたのもそんなところではないだろうか。

 しかし、ここからは逃げられない…。目に見える範囲、気配を探れる範囲に誰もいないのに、何故だがそう思えて仕方が無かった。これは暗殺者として培ってきた経験からくる知らせ。

 逃げ出そうとしようものなら、この場で消される。断っても同じ。忘れてはならない、シャオヤオは帝国の皇太子を暗殺しようとした犯罪者なのだ。

 今か、2年後かの違い。

 選択肢は初めから無かった。


「分かったわ」

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