04.シャオヤオの雇い主
シャオヤオは重い息をゆっくりと吐いた。
ふっかふかの凄まじく座り心地の良い椅子に身体が沈む。
どうしてこんな事になってしまったのか。
サモフォルの姫として皇太子の婚約者の振りをする話は受け入れた。受け入れざるを得なかった。非常に不本意だが。
後は雇い主次第。
逃げろと指示されたなら、この場では絶対に無理だが、後から幾らでも逃げ出す機会は作れるはず。それに賭けるしかない。
「さて、ダスティシュ卿。サモフォルの姫の立場は、サモフォル王国専任外交官である卿の協力があってこそ守られる。理解してくれるか?」
「わ、私は何を…」
「難しく捉える必要はない、そう身構えるな。セドリック」
「当面、姫は王宮内にて教育を受け表にこそ出る事はありませんが、代わって専任官であるダスティシュ卿にサモフォル王国、姫、そして帝国の橋渡し役として動いてもらう事になります」
「この三者の間の連絡は卿に掛かっている」
「つきましては時折で構いませんので、サモフォル王国の情報を姫に伝えていただきたい。事情を知る専任官であるダスティシュ卿だからこそ、彼女をよりサモフォルの姫に近付けるよう助言が出来ると思っております」
「サモフォル王国での働きかけ、姫のご機嫌伺い、帝国において各機関との連絡調整。暫くは忙しくて、領地には帰れないだろう。卿の領民には悪い事をする」
「ご心配痛み入りますが、領地には私以外にも一族や部下がおります。殿下のご期待に応え帝国のお役に立つ為と知れば、私の不在中でも皆が領民と共に頑張ってくれるでしょう」
「そうか。持つべきは優秀な統治者。ダスティシュが帝国の麾下にいる事を天に感謝するべきだろうな。セドリックもそう思わないか?」
「本当に。大いに学ばせていただきます」
「なんと恐れ多いお言葉…。全ては陛下や殿下のお引き立てあっての事でございます」
ハハハ。
また男3人で笑い合う光景にシャオヤオは白ける。なんて下らないやり取り、早く終われとしか思えない。
果たしてその願いが届いたのか、皇太子が立ち上がった。
「さて、有難い事に話は無事に済んだ。早速姫を王宮に迎えるよう知らせを出さなくては」
「ダスティシュ卿、殿下はこの後建国祭での予定が詰まっておりまして、申し訳ありませんが王宮からの迎えが来るまでの間、姫のお相手を願えますか? 簡易的で良いのでサモフォルについてお話しいただければと」
「やれやれ、婚約者をエスコートする時間すらないなんて、帝国皇太子とは何と不便なモノか。そう言う訳なので、また後ほど王宮で会おう、シャオヤオ」
不意に近付いてきたかと思ったら、皇太子はシャオヤオの手を取ってその甲に口付ける。
その姿はまさしく王子様。
一応ではあるが、婚約者役を引き受けた以上はその行為も受け入れるしかないのだろうと、シャオヤオは押し黙る。手を振り払ったり、ましてその顔面に拳を見舞ったりしなかった自分を心の中で褒めた。
「はは、殿下は紳士でいらっしゃる。このダスティシュにお任せ下さい」
頭を下げるダスティシュに見送られ、皇太子はセドリックを連れて部屋から出ていった。
足音が、間違いなく2人が遠退いて行くのを知らせる。
「で? どうすんです? 逃げた方がいいなら、今すぐにでもここから逃げますけど?」
完全に居なくなったのを確信してから、シャオヤオはここに来て初めてダスティシュに話し掛けた。
「馬鹿者が、それではワシの落ち度になるではないか」
そんなことも分からんのか。そう悪態を付きながらダスティシュがドカッと音を立てながら椅子に座る。それは先程まで皇太子相手にヘコヘコと気弱に頭を下げていた小心者の態度ではなかった。
ダスティシュの変わり様にシャオヤオが驚く事はない。
「指示を貰わないと勝手に動けないんで。このまま一国のお姫様に成り済まして超大国の皇太子の婚約者を演じるか、逃げるか、それとも再度皇太子の暗殺に挑むか。決めるのは私じゃないんで」
「偉そうに口を開くな。もう姫気取りか、卑しい異民如きが。まったく…貴様と共に連れられた時はワシの事までバレたのかと肝を冷やしたぞ。それもこれも貴様が失敗したから…」
この無能が。ダスティシュの蔑む言葉と態度に、シャオヤオは視線を逸らして応える。今更この程度の事で怒りはしないし、ましてや傷付きもしない。
シャオヤオとしては逆に、皇太子がシャオヤオの一撃を防げるほどに体術を習得しているなんて情報は何処にも無かったぞと言ってやりたかった。
民衆に流布する皇太子の話では文武両道と確かにあり、それがどの程度のモノなのかシャオヤオは事前に知りたかった。たが、所詮は戦争で陣頭に立つ事もなくぬくぬくと守られてきた皇子、大した腕であるはずがない、建国祭の大舞台で葬ってやれとこの男が言ったのだ。
その結果が今である。
あれは相当の訓練を受けている。前もってそれを知っていたならシャオヤオだって別の方法を考えていた。いつも偉そうに命じるくせに、こう言うところがいつもいつも雑だから困るのだ。
そう、このダスティシュこそがシャオヤオの雇い主、その人だ。
「貴様、その足りない頭でも分かっていると思うが、ワシの事を皇太子に吹き込めると思うなよ。殿下のワシへの信頼は見た通り、身代り以外に何の価値も無い貴様如きが何を訴えたところでまともに相手にされるはずがない。それでも問いただされる事もあるかもしれないから、面倒事にワシ巻き込むな」
「はいはい、足りない頭ですが分かっていますよ」
「努々忘れるなよ。あぁぁ…これからどうしたものか…くそ」
苛立たしげに自分の親指の爪を噛みながらダスティシュはブツブツと不満を零す。皇太子の側近であるセドリックに言われていたのに、サモフォルについてシャオヤオに教えるつもりはないらしい。
平民育ちの姫は阿呆で教え聞かせても覚えてくれなかった。そんな感じで済ます気だろう。
ダスティシュが何故自国の皇太子の命を狙っているのかなんて、シャオヤオは知らない。興味も無い。
皇太子の話ではサモフォルの反乱軍に通じる鼠らしいが、そんな奴が専任外交官とは笑わせてくれる。皇太子も気付かずに信頼の言葉を口にしていて、節穴もいいところだ。彼等が笑い合っているのを見て、シャオヤオが白けるのも無理もないだろう。
だからと言って、ダスティシュの事をわざわざ王太子に教えてやる義理はシャオヤオには無かった。不服でも不満でも、シャオヤオにはダスティシュに従う理由があるのだから。
「急な事でしたからね、方針が決まるまでは大人しくお姫様やっていますよ」
「…そうだな、仕方あるまい。追って指示する」
「分かりました。ただ、1日2日で済む話じゃなさそうですからその間のムーダンの世話は頼みますよ」
「あ? 誰だ?」
「弟ですよ! 私の!」
いつまでも経ってもこれらかどうするかと1人で勝手に悩んでいるダスティシュに、シャオヤオの方からこの場での結論を提示してやる。
皇太子暗殺がダスティシュ1人の判断ではなくサモフォルの反乱軍と通じての事なら、この異常事態を反乱軍に伝えるべきだろう。少なくとも、この事態を1人で乗り切れるだけの判断力も決断力も無い事をシャオヤオは知っている。大変無駄な事に、付き合いは短くはないのだから。
だからさっさと反乱軍に連絡を取ればいいのだ。
決めてもらわなければシャオヤオだって動けない。
仕事が終わらない事には帰れない。
シャオヤオにとって唯一の宝物、弟ムーダンの元に…。
「あぁあぁ、あの役立たずの極潰しか」
「…弟についてはいくら旦那様でも口出し無用でお願いしていたはずですが?」
「満足に働く事も出来ず、目も見えないから売る事も出来ない。あんなお荷物をよく捨てもせずにいられるなと、感心してやっているのだ」
首から上をふっ飛ばしてやろうか…。溢れ出る殺気をシャオヤオは必死に抑える。
シャオヤオは自分がどれだけ蔑まれてもどこ吹く風と流せるが、弟の事となると別だ。絶対に許せない。
そんなシャオヤオの様子を分かっているのかいないのか、ダスティシュは鼻で笑う。堪えろ堪えろとシャオヤオは手で自分の腕を握り締めた。
「弟なんだから当たり前でしょ。弟の分まで私が働いているんだから極潰しとは言わせませんよ。それに目だって…ムーダンは病気なんです。それさえ治れば…。この仕事が終わったらまともな医者に診てもらうって約束は」
「あー分かった分かった。全て終わったら考えてやる」
「…その言葉、忘れませんからね。繰り返しますがくれぐれも、ムーダンを頼みましたかね。賢い子ですから、火なんかは危なくて使えないけど、食事さえ差し入れてくれたら後は自分で出来るので」
「くどい! 貴様は自分の事に集中しろ。ただでさえ卑しい貴様が姫などと分不相応な役をやるのだ。もう一度言うがワシを裏切ったりしてみろ、それこそ弟がどうなるか」
「皆まで言ってもらわなくても分かってますってば」
「忘れるでないぞ。ふふんっ、冷静になって見れば何と言う笑い話か。皇太子も、何も知らないで滑稽の事よ。聡明だ何だともてはやされていても所詮はあんなモノだ、愚かよな」
シャオヤオの上の立場を誇示する事で、少しは冷静さを取り戻したらしいダスティシュはクツクツと笑い出す。1人で慌てたり笑ったり、忙しいおっさんである。
まともに取り合わず話まで変えようとするダスティシュに、シャオヤオは苦虫を噛み潰したような顔になるしかない。
溢れ出るのは弟を思う不安。
しかし他にどうしようもない。
シャオヤオは天を仰いだ。視界に入るのは天井の豪華な装飾。
やはりその向こう側には何の気配も感じられない。
さっさと終わらせて急いで帰るよ…。シャオヤオは今朝自分を見送ってくれた弟の姿を思い出して、その姿に心の中で声を掛けた。
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