02.婚約してもらいたい
古来より、国同士のやり取りにおいて用いられてきた手段。
「サモフォル王国の血を引く姫を皇太子である俺の婚約者として、未来の帝国皇妃として迎え入れる。縁戚関係になるとなるんだ、助け合っても不思議ではないだろ? 民主化するとは言えサモフォルの王族と国民の歴史は長く、その意識は根深いからな」
帝国からは反乱軍に抵抗する為の資金と人員、そして国が安定するまでの支援を。サモフォルからは王国最後の姫を…持参金代わりに一部技術の提供と提携を添えて。それらを差し出し合う事で両国の同盟は結ばれる。
姫は場合によっては人質となる訳だが、途絶える事が決まっている国の姫とわざわざ婚姻を結ぼうと言うのだ、帝国はこれ以上にない誠意を見せた事になる。王族の血筋が完全に消えず、国外とは言え確固たる場所で続く事への安心感も加わってサモフォル王国はフリーデン帝国を信用するしかなくなるだろう。
わざとらしいが、確かに分かり易い。
だけど…とシャオヤオは思う。
「ここまではダスティシュ卿も承知の事だな?」
「は、はっ。同盟国となるサモフォルで我が帝国が行動出来るように環境を整えよと、この件の専任外交官として皇帝陛下よりお役目を賜りました。殿下からの推挙があったとの事で」
「卿が己の領地で難民救済事業に力を入れている事は耳にしていたからなぁ。その経験から他国の者とでも交流は可能と踏んでの事だ。適材適所、既に卿は俺の期待通りに動いてくれているぞ」
「有難き幸せで、そのご期待に応えようと微力ながら尽力してまいりました!」
ハハハ。
シャオヤオ以外の男3人で笑い合っているのを、シャオヤオは非常に白ける思いで見ていた。ここまで一言も言葉を発せずに来たが、ついフンッと鼻で笑ってしまう。
そんなシャオヤオの態度に気付いていただろうに、皇太子に気にする様子はなかった。
「しかし殿下。肝心のサモフォルの姫に関して、殿下は専任官であるはずの私にすら秘匿にしてこられた。私が聞かされたのは本日の建国祭に合わせて姫が帝国に入ると言う事だけです。それが何故。いえ、そもそもあの国には年頃の王族はもう…」
そう、そこだ。シャオヤオは思わず頷いてしまうのを堪えて、目を眇める。
政略結婚は結構だが、そもそもサモフォルの王侯貴族の中で年若い者は全て処刑され適齢の女性なんて残っていないはず。居たとしても、それは利益独占の為に軍と手を組んで反乱を起こした一部貴族の系譜。そんな者を帝国に迎え入れてサモフォルの国民が納得するはずがないし、帝国の国民だって嫌だろう…普通に。
一体何処にサモフォルの姫が居たと言うのか、シャオヤオがお茶に手を伸ばしつつ皇太子を伺い見るのと同時に、その皇太子の唇が弧を描いた。
ゾッ。また背筋が寒くなる。
「1人だけ、遺体が確認されておらず密かに生存を噂されている王女がおります」
答えたのはセドリックだった。
「サモフォル国王夫妻の第三王女。生きていれば、皇太子の婚約者になっても問題はない年頃の子供が1人2人いてもいいご年齢です」
「で、では! 姫と言うのは第三王女の娘と言う事で!? 本当に、第三王女が本当に生きていたのですか!?」
「さぁ、それは分かりません」
「はい!?」
セドリックの言葉に腰を上げる勢いで身を乗り出していたダスティシュだったが、自身の疑問に対して予期していなかった回答をサラリと、しかし皇太子とは違う爽やかな笑顔で返され素っ頓狂な声を出す。間違っても貴族が皇太子の前で出していい声ではない。
ずっこけて顎でも打てばいいのに。シャオヤオがそんな事を密かに思っていたのは秘密だ。
「必要なのは生存の可能性のみ。第三王女が密かに生き延び、更に娘を儲けていたと言う架空の設定を作りました。後はその架空の人物である第三王女の娘を秘密裏に用意し、サモフォル王国の血を引く姫としてラウレンティウス殿下の婚約者として迎え入れるだけです」
「だけって…」
つまりその人物は、本物のサモフォル王国の血を引いた姫ではないと言う事。
でっち上げもいいところだ。
「そんな事が許される訳がっ」
「この案については、サモフォル国王夫妻から承諾を頂いております。人選についても帝国に一任すると。後日にはなりますが、同盟の調印の為に国王夫妻を帝国に迎える予定で、その際に簡易的にはなりますが国王夫妻の孫として認知されます」
「この計画を知っているのはサモフォル国王夫妻と、帝国でも我が父たる皇帝陛下を含めた極一部の者のみ。これに今日、卿も加わる訳だが、ダスティシュ卿。誰が許さないと言うのだ?」
「え、それは…」
「サモフォル国王がその名と責任において認知するのだ。ならその人物は間違いなくサモフォルの姫だ。そして皇帝陛下の許しの下に、皇太子である俺の婚約者となる。これに言い掛かりを付けるのは同盟を結ばれては困るサモフォルの反乱軍か、せいぜい俺の妃の座を狙っていた有象無象くらいだ。それらに許されなくて、我が帝国に困る事があるか?」
ゴクリとダスティシュが生唾を飲み込む音がやたら大きく響く。
例え姫が偽物だと追及されたとしても、でっち上げや言い掛かりとして白を切り通すと言う事か。何と言う傲慢。シャオヤオはいっそ感心すらした。
ダスティシュに問うのは、先程までニヤニヤと自分を見ていたのが嘘のような、自信と余裕に満ち溢れた絶対的強者。これが過信ではないのなら……成程、これが超大国の二代目皇帝な訳か。
赤銅色の少し癖がある髪と青緑の瞳、端正な顔立ち。ただの一般人であったならそこそこ目を引く好青年だっただろうが、為政者として必ず記憶に残る程の特徴がある見た目ではない。なんだったら後ろに控えている白銀色の髪のセドリックの方がより美系で目立つと、シャオヤオは思える。
なのに一度そう振舞えば、目線一つ、指先の動き一つだけでダスティシュを尻込みさせるだけの迫力を皇太子は持っていた。
常人では持ちえない、真の支配者の素質。暗殺者としての経験が、こう言う奴を相手にするのは面倒だと警鐘を鳴らす。シャオヤオの依頼主はとんでもない者の命を狙ったものだ。
コホン。凍った場の空気をセドリックが咳払いで変える。
「で、問題となったのは姫の人選です。父親似と言う事にすれば顔付きの方は祖父母となる国王夫妻とあまり似ていなくても何とかなるとは言え、あまりかけ離れても印象が良くありません。機密性から適当な者に任せるわけにはいかず、何より一番の懸念は安全性です。同盟を阻止したいサモフォルの反乱軍からは勿論、皇太子の妃の座を狙っていた有象無象が不満を漏らすだけで済むとは限りません。暗殺に何らかの裏工作や嫌がらせを仕掛けられる可能性は十分にある」
出来れば東大陸よりの顔立ち。
秘密の厳守。口には出さなかったが、簡単に偽物だとバレない素性が望ましいだろう。
そして、どんな状況下でも対応可能な自衛能力。
まるで潜入捜査を行う特殊工作員の募集要項のようだ。それで任務は皇太子の婚約者なのだから、何の冗談か。
「人選はいつまで経っても進みませんでした。なのに同盟の準備は着々と進んで行く。そんなクソ忙し…失礼、多忙な時に皇太子の暗殺計画の知らせが舞い込んで来たのです」
「犯人の特定は出来なかったが、まぁ十中八九反乱軍の手の者だろう」
「目的は同盟締結の阻害。建国祭の会場で皇太子を襲い、多くの観衆に目撃させる事でサモフォルとの同盟への不信感を植え付けるのが狙いだと思われます。帝国内に反乱軍に懐柔された者がいるようですね。少なくとも実行犯…暗殺者を用意したのは帝国の者です」
「どんな見返りを提示されたかは知らないが、帝国に鼠はいらない。いずれまとめて片付ける」
ヒュッとダスティシュが息を呑んだ。
「だがそれよりも、だ。セドリック」
「はいはい。こちらは我々が独自に入手した暗殺者の絵姿です。貴女ですね、暗殺者“黒猫”殿」
セドリックが取り出した紙を、そこに描かれているモノがシャオヤオに見えるようにテーブルに置いた。
それには間違い無く、シャオヤオが描かれていた。
思わず舌を打つ。一体いつ、何処で、誰に描かれたのか。思い当たる節は無い。こんな物が出回っているなんて…不覚だ。暗殺者としての通り名を把握されるくらいならともかく、顔が割れてしまっては、もうまともに暗殺家業が出来るはずがない。
今後の事を思って気持ちが焦るシャオヤオの耳に、フフッと皇太子の笑う声が入ってくる。
耳触りだし、癇に障る。
感情のままに睨み付けるが目が合った皇太子は笑顔を崩さず、おもむろにシャオヤオを指差した。
「蛇の道は蛇、暗殺の事は暗殺者が一番分かる。暗殺に比べれば嫌がらせなんて子供の悪戯のようなものだろう? 実力は確かなようだし、場数を踏んでいて根性も座っている。暗殺者故に口が固く、簡単に割れる素性でもない。そして東よりの顔立ち。この絵姿を見た瞬間、これだと叫んだ」
「で、殿下、まさか…」
ダスティシュの声が上ずる。
「そんな訳でシャオヤオ嬢、君にはサモフォルの姫として俺と婚約してもらいたい」
「……は?」
シャオヤオ、本日2度目の「は?」である。
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