01.まずはおさらい

 フリーデン帝国は大陸全土をその支配下に置く超大国である。

 前身となる前王朝の国土はその半分程だったが、それでも500年の治世を誇っていた大国だった。しかし王朝の末期、500年の末に王侯貴族の堕落、政治の腐敗、周辺諸国との不和、血で血を洗う後継者争いによる血脈断絶、などいくつも致命的な要素が重なる事となり、軍部から台頭した1人の将校に取って代わられる形で滅亡した。

 現皇帝は元叩き上げの軍人だが、前王朝の権力中枢に上り詰める過程で極端に偏った貴族特権を廃止し専制政治にあっても公平な制度体勢を敷く等、卓越した政治性を見せた事で民衆から信頼を得ていた。長く絶えなかった周辺諸国との争いにも終止符を打つだけでなく平定しきった時、超大国へと生まれ変わった帝国の玉座に彼が就いたのは結果としては簒奪であったのだが、民衆はそれを歓喜でもって迎え入れた。

 それから15年、民衆の信頼は新たに加えられた国土の住民も含めて損なわれていない。

 

 シャオヤオは目の前に座る人物を見た。

 ラウレンティウス・アレク・ミューラー。フリーデン帝国ミューラー王朝の皇太子にして二代目皇帝と目されている青年である。年は19歳。

 民衆に流れている噂によれば、明朗快活で頭脳明晰、地位に驕る事無く皇帝夫妻の思想を正しく引き継いでおり臣下からの期待値も高い理想的な皇太子だとか。

 噂とは背びれ尾びれが付いているもの。特に国の未来を、引いては国民の命を背負う次期皇帝が無能とは思いたくはないはず。そんな願望から、事実より盛った評価を民衆は信じているのだとシャオヤオは思っている。

 とは言え、皇帝夫妻の子供は皇太子とその妹である皇女の2人だけ。皇太子と違って皇女の話は何故かとんと聞かないが、皇帝夫妻の血縁には他に子供はなく、皇帝に側室もいない。

 新興国なだけにただでさえ数少ない皇族の、それも跡取りたる皇太子の命を奪ったとなればそれが未遂だとしても、さてその罪は如何ほどになるか…。

 暗殺に失敗し、よく分からない状況だがとりあえず拘束された事だけは理解した時点で、シャオヤオは自分の命を一旦諦めた。生きる理由があるので自害する気はないが、暗殺者の宿命である。

 しかしよく分からない状況は現在も続いていた。

 罪人として捕らえられ良くて投獄、悪ければその場で斬り捨てられるかと思えば会場近くの屋敷の一室に連れて来られ、床に転がされる事も立たされる事もなくふっかふかの凄まじく座り心地の良い椅子に座らされ、更には見るからにお高そうな茶器に注がれたお茶を用意されている。お茶は香りが良く、これもお高い一級品なのだと言う事が窺える。尚、毒は入っていないようだ。

 ここに来るまですれ違うなど僅かながらにも接触する人達は皆、シャオヤオへの態度は恭しく丁寧かつ丁重、とても暗殺者に対するそれではない。

 本当に、現状で起きている全ての事が意味不明である。

 逃げるにしてもまずは説明を聞いてからでも良いのではないかと、シャオヤオは薦められるままに出されたお茶を啜りながら思ってしまう。尚、流石お高いお茶…すごく美味しかった。

 

「さて、では話を始めようか」

 

 お茶を用意していたメイドを初め殆どの者が部屋から出ていったところで、それまでシャオヤオをニコニコと眺めていただけの皇太子がようやく口を開く。

 部屋に残ったのは皇太子とシャオヤオ、皇太子の後ろに控える恐らくは側近と思われる皇太子と同じ年の頃の青年、そして…。


「ご説明願います、ラウレンティウス殿下。サモフォル王家の血を引く姫が秘密裏に帝国へ入国してくるとはお聞きしておりましたが、それが、その、本当にこの…いえ、こちらの」

「あぁ、卿は見たのだな。彼女が私の命を狙っていたのが」

「え…えぇ。はい」

「他の者に知られる訳にはいかぬ故、見えるだろうあの位置に卿を置くよう手を回していた。今から話す計画には卿の協力と理解が不可欠。サモフォル王国専任外交官として私に力を貸してほしいのだ、ダスティシュ卿」

 

 ダスティシュと呼ばれた男はシャオヤオが皇太子を暗殺しようとした貴賓席のすぐ近くにいて、姿をシャオヤオも確認していた。そして暗殺を防がれてからの、皇太子のあの意味不明発言の後に皇太子から名指しでここまでの同行を命じられた。

 年齢は五十路半ば。祭典の、それも貴賓席近くに参列していたせいか身に纏う物は上等な品で整えており如何にも貴族か高官かと言った身なりだが、太い眉と口髭だけが目印のような、あまり威厳を感じられない風貌をしている。額から隠せない程に滲み出る汗が気弱さを物語っているようだ。


「殿下に頼られるなんて我が身に余る光栄ではありますし、これまで安全の為にと専任官であるはずの私にも素性が一切明かされていなかったサモフォルの姫について知れるのは有難い事ですが…その」

「うむ、順を追って説明しよう。セドリック」

 

 皇太子に呼ばれ、背後の青年が皇太子に一礼、そしてシャオヤオにも一礼する。


「まずはおさらいとして、サモフォル王国の内情から話を始めましょう」

 

 セドリックと言う名前らしい青年は穏やかな笑顔が似合う優しい顔付きをしており、その声もそんな彼に良く似合う自然と耳に入る穏やかなモノだった。

 おさらいとは言うが、シャオヤオが分かるように一から説明してくれている事は明らかであった。

 

 サモフォル王国はフリーデン帝国より遠く、東の大陸付近に浮かぶ小さな島の小国だ。

 長く平和だったが30年程前にクーデターが起こり、内乱は今も続いている。王族はほぼ壊滅。年若い者は全て処刑され、残っているのは国王夫妻はじめ年老いた僅かな者のみと言うありさまだとか。

 遠い異国の、それも生まれる前の事であるがここまでならシャオヤオでも知っている。

 

「国王の人格やその治世に問題があった訳ではありません。サモフォルは小国ながら紙、陶磁器、印刷等の技術が高く、王家はそれらを作り出す職人達と良好な関係を維持し続ける事で繁栄を築いてきました。ところが利益独占を狙った一部貴族と軍部によって反乱を起こされてしまったのです。職人達を使い潰そうとする王家から彼等を救い出し平等で開かれた政治体制を目指す、民主化運動を一応の建前として」

 

 利益目的の奴が平等を謳うとは何の笑い話か…。だがそれによって命を断たれた王侯貴族の総数は、とてもではないが笑えたものではない。

 サモフォルのクーデターは最初から破綻していた。当初は諸外国初め国内でも長期化は予想されていなかった。

 生き残った僅かな王族を守り匿ったのは他でもない職人達であったと言う。彼等は自分達が造り出す質の高い技術商品をタダ当然で反乱軍に渡す代わりに、工房等への立ち入りを技術漏洩や道具破損の危惧を理由に防ぎ、王族達をその工房に隠した。

 それは職人達の善意であり、そうでもしなければ国王も命を落としていただろう。

 しかしそうやって渡された技術商品が輸出される事で反乱軍が望み通りの利益を得る一方、商品が変わらず供給され続けた事に諸外国はサモフォルの内乱を、反乱軍の破綻ぶりもあって重視するには至らなかったと言う側面も生み出していた。丁度その頃、別大陸とは言えフリーデン帝国の前王朝が末期に差し掛かっており、その動向に注目を集めていた事も僅かながら影響している。

 そうした結果として、30年と言う長期化を呼んでしまったのである。


「サモフォル国王は事態を重く受け止め、復権は最早望んではいません。しかしだからと言って、職人達を尊重せず利益を独占するような連中に国を明け渡す気には流石になれないようで」

 

 国を渡すならば、命の恩人である職人…平民達へ。

 正しい民主政治への移行を。

 それがサモフォル国王の、王としての最後の責務だと言う。

 

 だが事がここまで来てしまっては国内だけでの解決は不可能だと、国王が判断するには十分過ぎる時間が経っていた。国王自身も既に老いており勢力を率いられるだけの体力も気力も無く、何より技術商品が生み出す利益によって肥大化した反乱軍と対抗できるだけの勢力が国内に残ってはいなかった。

 残された手は国外に助力を求める事のみ。

 30年は長いが、その間に滅亡の混乱を乗り越え超大国と生まれ変わった新たなフリーデン帝国が一定の落ち着きを得るのにもまた十分な時間ともなった。


「結論を言いますと、皇帝陛下はサモフォルの内乱への介入を決められました。これはサモフォル国国王から正式の要請を受けての救済措置であり、軍事行動始め如何なる干渉行為もけしてサモフォルの支配を目的とする為のモノではありません」

「とは言え事実上武力によって国を支配した現皇帝が動くとあっては支配が目的と疑われるのは明白、ここは少々わざとらしくても誰の目にも分かり易く両国が同盟関係にあると示す必要がある」

 

 耳触りの良いセドリックの説明を聴き入っていたところで、皇太子の声がシャオヤオの意識を攫う。ニコニコ…いや、シャオヤオにはニヤニヤにしか見えない皇太子の笑顔に背筋が寒くなった。


「つまり政略結婚」

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