第34話
豪魔の女性は、今回の事件の原因となったあの絵画を描いた張本人だと主張してきた。
彼女はサングラスのような形をした色付き眼鏡をしており、これで色彩の補助を行っている。さらに、白いシャツを腕をまくって着ており、そこから露出した腕にはタトゥーのような紋様が刻まれている。
その容姿から、アーティスティックなオーラは感じさせるものの、ララクが想像する画家とはまたイメージが違う。もっと髭の生えている仙人のような老人を、彼は漠然とイメージしていた。おそらく、大昔に書かれたと聞いていたので、歳をとった人物を連想していたのだろう。
そこでまた新たな疑問が生じる。
「あの、絵の、作者……? でも、戦争が起きていた時に描かれた絵なんじゃ。それって遥か昔の話じゃ……」
画家の豪魔 エプレスと名乗った人物は、遠回りな言い回しはやめて聞きたいことをすぐに話してくれた。なのだが、逆に説明不足で、ララクの困惑具合が加速するだけだった。
「私にも詳しいことは分からないんだけど、私はもうとっくに死んでいるんだと思う。きっと今の私は、あの絵に宿った作者の思いだ。
だから、エプレス本人なようで、本人ではない。残留思念、うん、その言葉がしっくりくるかな」
自信の、いや元となった人物の死を語っているのだが、彼女はどこか間の抜けた態度をとっている。
久々に会話ができることを、大いに楽しんでいるように思えた。
「まさか、過去の人……。
っあ、てことは……つまり、あなたが怨念の正体?」
「っふ、怨念って……。まぁ、あの絵に宿っているのは間違いなく、戦争の苦しみや恨みだろうね。そう、不の感情ってやつさ」
画家エプレスが描いた絵は、【いざないの手】で作られた独特な台座の上に飾られている。その絵に触れなくとも、一目見ただけで、何か禍々しい物が宿っていることは感じる事ができる。魔力とは別の、不可思議な力が。
「……それってどういうことなんでしょうか。
あなたが、戦争の悲劇をキャンパスに描いた。なのに、あなたからは、そういった憎しみは感じません。
絵と作者は、また別ってことですか?」
絵には画家の人生が刻み込まれる。作者の思想や理念が形となって、一枚の絵を完成させる。だが、人殺しの絵を描く人物が本当に殺人をしているとは限らない。その絵に込められた思いが、別の人物の感情だとしたら。
「あの絵は確かに、戦争のおぞましさを描いている。実際、多くの友人がその命を散らした。みんな、いい奴だったんだ。
私も戦いに加わる、と言ったらさ。『お前は好きな絵を描いてろって』」
画家エプレスは、淡い表情であの絵を眺めた。戦いに奮起する豪魔たち。あの時代では悪魔とののしられていたが、その命尽きるまで種族のために尽力した。その有志が、あの絵には描かれている。
「だから、あそこに眠るのは、仲間を失った悲しみ、死というなの耐え難い苦しみ。あの時代を生きた私が、戦う人々の思いをくみ取って描いたんだ」
作者とは別の感情が絵に宿るのだとしたら、それはそこに創造された登場人物たちの意思だろう。例えば、カルガモの親子を描いたとしたら、作者はその愛情を表現する。けれどそれは、作者本人の愛とは、全く別のベクトルということもあり得るだろう。
「……ということは、あなたが込めた思いは、また別にあると?」
「そうなんだろうね。あの頃は絵に夢中だったから、きっと潜在意識の中にあったんだ。
過去の私は願ったんだよ。
あの絵が、ただの絵空事になることを」
その言葉を発した時、画家の視線は虚空のどこか、目に見えない無限の先へと向けられていた。異空間の歪んだ光が彼女の顔に薄く影を落とし、ぼんやりとした周囲の景色が彼女の輪郭を曖昧にする。
思いにふける画家エプレスを見て、ララクは何かを感じ取った。あの絵に込められた、彼女の理想を。
あの絵は、悪魔、天使、人間、獣人が入り乱れて戦争を繰り広げる場面が写し出され、激しい戦闘の情景が荒々しい筆致で描かれている。混沌とした戦場の狂気と破壊を強く伝える作品、なのは間違いがない。
けれど、あれを創作物ということを加味すれば、全く別の答えを導く事ができた。
「もしかして、平和を願って書かれたんですか?」
「きっと正解さ。あの頃は本当にひどかった。私たち豪魔は、悪魔と呼ばれて虐殺された。……けれど、豪魔だって多くの命を奪ったんだ。
血みどろな絵だ、あれは。けどさ、戦争なんて知らない誰かが、ただの絵として捉えられる日が来ればいいって、……思ったんだよ」
戦争は終結した。偉大なる戦士を筆頭に平和条約が結ばれ、やがて1つの国となった。それは現代人からすれば、昔話のような実感のない物語。
争いを忘れてはならない。だけど、人々が平和の日常を過ごせる。そんな日々を思い描いたのだ。
「……そうでしたか。でもだとしたら、こんなことになるなんて、悲しすぎます。
あの人は、豪魔の恨みに心を掌握されて、あなたの言葉に耳を傾ける事ができていない。それが、彼が暴走している原因なんですね」
自分自身を見失いながら、何かに突き動かされるように暴れまわるグベラトスの姿が、いっそう悲劇的に思えた。
「ああ。私も驚いているんだ。散っていった仲間たちの悲壮な思いを、あそこまで絵に反映させていたなんて。
もしかすると本当に、豪魔族の悲哀的感情が、あれに沁み込んでいるのかもしれない。
同族であるグベラトスが、あの絵と異常にシンクロしてしまっている、というのもあるんだろうけどね」
画家エプレスの意思を超えて、絵画の思念が爆発していることは、彼女が絵と切り離されて存在していることが証明している。
彼女でさえ、絵が飾られた場所には【いざないの手】が邪魔で行くことはできない。
「……よく、分かりました。
やっぱり、あの人はボクが止めないと。ヨツイさんたちや、天使の方々のためだけじゃありません。
あなたと、本人のためにも」
決意に満ちた眼圧で、画家エプレスと視線を合わせた。少年ララクは、グベラトスの事をほとんど知らない。けれど、彼を取り囲む人たちの思いは、受け取っているつもりだった。
「なんか嬉しいね。絵の話をして、理解してくれる人がいるっていうのは。
でもさぁ、キミはここへといざなわれてしまった。
まだ完全に手が回っていないだけで、時間の問題じゃないかな。その状態、かなりきついんじゃない?」
彼女は、ララクの肩にまで手を伸ばしてきている【いざないの手】のことを言っていた。エプレスは手の影響を受けていないが、天使族の人々が苦しんでいる姿を見てきたので、体への影響が何もないとは考え難かったのだろう。
「ふぅ……、しんどい限りです。
けど、今の状態なら、まだ何とかなると思います。ここから脱出できる、と……信じて行動するのみです」
ララクは右手がほとんど上がらなくなってきたので、逆の腕を前に出して拳を握り、気合を表す。彼がここで意思疎通可能な状態であることが例外ならば、ここから出ることが可能、という例外を作り出すことも、可能かもしれない。
「……っはは。キミは、幼いように見えて、有志の塊だね。
それじゃあさ、彼に伝えてほしいことがあるんだけれど。
聞いて貰ってもいいかな?」
画家エプレスは、細かいことは置いておいて、目の前の人間を信じることにした。異種族の彼に、同族への言葉を託すことに決めたのだ。
「もちろんです。平和な世界を、あの人の手で巻き戻させたくはありませんから」
先祖の声を届ければ、グベラトスも歩みを止めてくれるだろうと感じた。そのためにもまずは、ここから出るのが絶対であった。
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