東宮さまは、決して妃を選ばない。~巻き込まれ宮廷恋愛絵巻~

すなさと

御妻《みめ》合わせ

第1話 織衣《おりえ》、東宮御所に上がる

 雲一つない空には、一匹のトンビが悠々と飛んでいた。

 平城護国の都、玄武京──。東宮御所の広間から見える庭には、春の穏やかな陽射しを浴びて梅の花が咲き乱れていた。

 ピーヒョロロという鳴き声に誘われ、織衣おりえは青空を舞うトンビの姿を追う。しかし、すぐにコホンと不機嫌な咳払いが別の場所から降って来て、彼女は慌てて視線を前に向けた。


 菱紋様が施された純白の絹布の几帳で仕切られた広間には、織衣以外にも姫君が四人いた。全員が五衣小袿いつつぎぬこうちぎの準正装、紅や山吹、若紫など色とりどりの姿で横一列に並んで座っている。

 上座に立つ色鮮やかな唐衣裳からぎぬもを着こんだ女房が、偉そうに桧扇ひおうぎで平手を打つ。そして彼女は、不快げな視線を織衣に向けた。


「織姫さまは何やら外が気になる様子。私の話をお聞きになっておりますか」

「もちろんです、典侍ないしのすけさま」


 織衣は目の前の女房──典侍にニコリと笑い返す。織衣が注意されたことに対して、周囲に侍る女房からクスクスと笑い声が漏れ聞こえてくるが、そこは気にしない。

 典侍が「なるほど、」と片眉を上げた。


「では、あなたさまのお部屋はどちらになるかお分かりで?」

「部屋、ですか?」


 笑い声がいっそう大きくなった。上の空で話を聞いていた者に答えられるものかといったところだろうか。

 織衣は背筋を伸ばし萌黄の小袿の衿を正すと、まっすぐ典侍を見返した。

 

典侍ないしのすけさま、そのように確かめずとも分かります。私は五乃舎いつつのやでございましょう?」


 織衣の答えに、典侍が苦虫を噛み潰したような顔をする。もっと慌てると思ったらしい。


(おあいにくさま。そこまで気を緩めてはいないわ)


 それに、今ここに集められている姫君を見れば、自分が最も格下の部屋であろうことは容易に想像がつく。それが分からないほど、世間知らずでもない。

 典侍ないしのすけの質問をそつなくかわし、織衣は再び青空を見上げた。




 そもそもの始まりは、三日前。父親である近衛大将大伴時国おおともときくにが難しい顔で帰ってきて、彼女はすぐさま父親の部屋に呼ばれた。

 織衣が部屋に行くと、母親と並んで直衣のうし烏帽子えぼし姿の父親が待っていた。


「おお、織衣。そこに座れ」

「なんでございましょう?」


 時国が指さす場所に座りつつ織衣は怪訝な顔を両親に向ける。母親が気まずそうに目をそらすので、あまり良い話ではないことはすぐに分かった。

 武官上がりの父親の部屋は質素で飾り気がない。壁際に置かれてある帝から下賜かしされた大刀が唯一の装飾品だ。

 織衣が目顔で時国に先を促すと、彼は小さくうなずいた。


「それなんだがな。突然だが、東宮御所に上がることが決まった」

「は、」


 一瞬、父親の話かと思った。が、近衛大将の時国が今さら東宮御所に上がるもくそもない。だからすぐ、織衣はそれが自分の話であると思い至った。


「ええと、私の話ですね」

「それ以外に誰がおる」

「おりませんね」


 念のために確認したのだが、父親に即答されて彼女は苦笑した。すると時国は、やおら足を崩して膝を立てると、そこに腕をどかりと乗せた。


主上おかみの勅命よ。悪いが、断れなんだ」

「一応、悪いと思ってくださっているので?」

「当然だ。男の側に大人しくはべるなど、おまえの柄じゃないだろうが」


 仮にも愛娘に対し、大概な言い様である。

 ただ父親の指摘はもっともなことだ。それで織衣が大きくうなずいてみせると、時国はぐいっと前のめりになって顔を織衣に近づけた。


「確かに柄ではない。ただまあ、内裏だいりを知る良い機会でもある。行って、お役御免になって来い」


 最初から「お役御免」の前提かい。織衣はじろっと父親を睨んだ。


「もう少し説明をいただきたく存じます。これは、なんの冗談でございますか」

「冗談ならもっと笑える。笑えんだろ、これは。繰り返すが、主上おかみの勅命だ」

「と言いますと?」

「東宮の惟人これひと親王は御年おんとし二十一。にも関わらず、まだ独り身で側妻そばめの一人もおらぬ。それを心配された主上おかみが、東宮御所に候補となりえる姫君を住まわせ、『御妻みめ合わせ』をすると仰せになられた」

「それはまた……」


 親の心配、ここに極まれり。そんなことをして、本人はどう思っているのだろう?

 いや、そもそも──。織衣は鼻白みつつ時国に尋ねた。


「どうして私なのです。姫君であれば、他にもふさわしい方がおりましょう」

「東宮の噂を知らんのか」


 時国が呆れ顔を返すので、織衣は首をかしげる。彼はため息混じりに言葉を続けた。


「無類の女嫌いでな。側仕えさえ近寄らせん。それでもと、無理やり女房の一人を仕向けたところ──」

「ところ?」

「刃をお向けなされた」


 親が親なら子も子だな、とは不敬となるので口に出さない。織衣の前で時国は困った様子で頭を掻いた。


「以来、女房たちが怖がって誰も近寄らん。有名な話だぞ」

「私は宮内に興味がございませんので知りませんでした」

「まあいい。とにもかくにも、普通の姫君では東宮の側仕えは務まらん。その点、おまえは刃を向けられようと怯まない」


 なるほど、女に刃を向ける傍若無人な東宮を前にして怯まない姫ということで指名されたらしい。織衣は時国にさらに尋ねた。


「それで、私以外にも候補となる姫君はいらっしゃるので?」

「お前を含め全部で五人。皆、事情を知っての上での了承だ。仮に、この中から妃が選ばれるのであれば、人となりを知っておいて損はあるまい。これから先、おまえもまつりごとに関わる時が来るかもしれぬ。誰が何を考え、どう動くのか。自分の目で見てこい」


 父親が武人らしい挑むような顔をする。

 東宮の気性を知ってなお了承した他の姫君を見てこいと、つまりはそういう意味だ。

 確かに、話としては悪くない。織衣は両手をついて父親に笑い返した。


「この話、お受けいたします。父上の言うとおり、このような機会がなければ内裏だいりを見ることもありませぬゆえ」


 こうして、織衣の東宮御所入りが決まったのである。

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