万引き美女
あべせい
万引き美女
「先生、ぼくはパカでした。お店の商品を手にとり、すぐに戻すつもりでいたのですが、つい何か考え事をしていたようで。みなさんにたいへんなご迷惑をおかけしてしまいました。誠に申し訳なく思っています」
「わかればいいンです。だれでも、失敗はあります。これから二度と罪を犯さない。そう誓ってくだされば、私にはこれ以上の喜びはありません」
「それで先生、ぼくは無実になるンでしょうね?」
「罪を認めないのですか」
「ぼくは何も悪いことはしていません」
「万引きしたでしょう。テレビでも言っているように、万引きは立派な犯罪です」
「先生、ぼくは確かにお店の品物を手に取りましたが、万引きはしていません」
「しかし、現に、コンビニの店長があなたの手を掴んで事務所に引き連れ、警察に通報しています」
「だから、困っているのです。ぼくは、そのとき『何をするンですか!』と強く抗議しましたが、聞き入れられませんでした」
「それで……」
「それで、って?」
「警察官が来て、あなたはどうしたのですか」
「ぼくはわけがわからなくて、『帰ります』と言いました。すると、店長が、『この男が店の陳列棚からおにぎりを1個、盗みました』と言い、私が腰かけている前のテーブルに、『これが証拠のおにぎりです』といって、シャケおにぎりを1つ置いたのです」
「それで」
「それで、って?」
「あなたは、自分の立場がわかっていないわね。あなたは被疑者、わたしは弁護士。ここにくるまでの経緯をすべて話さないと、何もできないンです」
「それで?」
「あなたッ、弁護士をなんだと思っているの!」
「おえらい方だと聞いています。難しい国家試験に合格した優秀な方だとうかがっています」
「そうよ。弁護士は並みの人間にはなれないンよ。だから、さっさと話すンよ!」
「それで?」
「わたし、アッタマに来たわ! あんたみたいな被疑者、初めてよ。もっとも弁護士になって、まだ1ヶ月だけれど」
「なりたて、ですか。それはイイ」
「何がいいの!」
「蕎麦の打ちたて、ごはんの炊きたて、コーヒーの淹れたて、てんぷらの揚げたて、秋刀魚の焼きたて。出来タテはなんでもすばらしい」
「どうしてよ。あなた、警官に引っタテられてここまで来たンよ。この先、どれだけ異議申しタテできるンか、わからンわ。原告にタテつくことはできンかもよ」
「待ってください。ぼく、コンビニの事務所で、駆けつけた警察官にも言いましたが、犯人はあのときぼくの横にいた女性なンです」
「女性?」
「コンビニの防犯カメラ、ご覧になったでしょう?」
「見たわ。犯行現場は映っていなかったけれど」
「あの映像の左隅に、ぼくと並んで映っている女性が、そうです」
「女性? あなたと並んで、映っている人の肩があったけれど、あれじゃ、男か女かも、わからない」
「あのとき、ぼくはお昼の弁当を選んでいたンです。焼肉弁当にするか、シャケ弁当にするか、って。そうしたら、ぼくの隣に、24、5の美女がやってきて、独り言をいうンです」
「独り言? どんな?」
「『グリシン、ベニコウジ色素、アミノ酸、亜硝酸ナトリウム、グリシン、ph調整剤、トレハロース……』」
「待って。それ、って、食品添加物じゃない?」
「そうです。ぼくもしばらくしてから気がつきました。それで彼女に話しかけたンです。『添加物が気になるンですか?』って」
「そうしたら?」
「彼女、手に持っているおにぎりを見つめながら『このおにぎり、とてもおいしそうでしょう。食べたいンです。でも、ここに書いてある化学物質は体によくありません。亡くなった父の遺言なンです』って、言うのです」
「それで?」
「ぼくは言いました。『そんなことを気にしていると、いまの時代、何も食べることができないですよ』って」
「そうしたら?」
「彼女は、突然険しい表情をして、『あなたは私の父を侮辱するのですか!』って。ぼくは怖くなって『すいません。そんなつもりで言ったのではありません』そう応えて、その場を離れたンです」
「それで?」
「それだけです。ぼくがお店の外に出ると、店長らしき男の人がぼくのそばに寄って来て、いきなりぼくの手提げカバンに手を入れ、中からおにぎりを取りだすと、『事務所に行きましょう』と言って、ぼくを店の奥に連れていったンです。それだけです」
「その女性が、手に持っていたおにぎりを、あなたの手提げカバンに入れた、ってこと?」
「そうだと思います。ほかに考えられますか?」
「あなた、そのことを警察官に言わなかったの?」
「言いました。しかし、とりあってもらえませんでした」
「どうして?」
「その警察官がぼくを覚えていたからです。2度目だろう、って」
「あなた、常習犯なの?」
弁護士、手元の資料を見て、
「前科はないわよね」
「聞いてください。1ヶ月ほど前、同じようなことがあったンです」
「同じようなこと?」
「図書館で本を探していたら、隣に若い女性が並んで……! いま思い出しました! コンビニでぼくを陥れたのは、あのときの図書館の女性です」
「……」
「そのとき、ぼくは借りている賃貸アパートの敷金のことで大家さんと揉めていたので、その関係の手引き書がないかと探していました。すると、女性がぼくの横に来て、『この図書館、役に立たないわ。この《賃貸、100倍楽しく住む方法》。ウソっぱちもいいところだわ』って言うンです。見ると、彼女はそのタイトルが付いた本をペラペラ繰っていて、チラッとぼくと目が合うと、『あなたには、わからないか』勝手なことをいって、立ち去りました。ところが、ぼくは、貸し出し手続きをすませて図書館を出ると、後ろから若い男性に呼びとめられました。弁護士さん、どうしてって、ここで聞かないのですか」
「いいから、続けて」
「その男性は、『手続きをすませていない図書があるでしょう』と言って、ぼくの下げていたショルダーバッグに手を入れました。ぼくが『何をするンですか』と言いましたが、それより早く、男性がぼくのバッグから取り出した本を見てびっくりしました。女性がぼくに示した《賃貸、100倍楽しく住む方法》という本だったからです」
「……」
「ぼくは、知らない、知りませんと言いましたが、男性は『きょうは大目に見ておくけれど、次はダメですよ』と言って、図書館のほうに帰っていきました。その男性がコンビニに駆けつけた警察官だったのです。彼はその日、非番で、図書館に来て、たまたまぼくの不正に気がついたと言いましたが、そんなことはありえない。あの女性がぼくのバッグにこっそり、忍び込ませたに違いありません」
「女性の顔は覚えている?」
「覚えています。ぼく好みの美人でしたから。ツンと高い鼻が唯一の欠点ですが、薄茶色のサングラスをかけ、印象を消そうとしているのでしょうが、整った目と眉、口は、吸いつきたくなるような美形でした。でも、コンビニのときは、色の濃いサングラスをかけ、口には大きめのマスクをしていましたから。ついさっきまで、図書館の女性と結びつきませんでした」
「コンビニと図書館が、同じ女性だったと断言できるの?」
「できます」
「どうして?」
「魅惑的な唇です。どちらの女性にも、下唇の左下に、小さなホクロが……! 弁護士さんの、下唇の左下にも、ホクロ!」
「シィッ! 声が大きいわ」
「弁護士さんのお名前は……これ、さきほどいただいた名刺」
テーブルの名刺を見て、
「面貫静姫(つらぬきしずき)……きょうは黒縁のメガネ。女性って、髪型と服装で、こんなに印象が変わるものですか」
「あなた、東都大4年生の今西雄太さんだったわね。もうすぐ社会人になるのでしょうけれど、大人の社会にはいろいろ秘密があるの」
「秘密?」
「あなたを、この赤塚署に連行したのは、わたしの弟の聖紀。わたしは、聖紀から連絡を受け、ここに飛んできた」
「コンビニの近くにいたのだから、すぐに来られるわけですね。万引き程度の窃盗で、頼んでもいない弁護士さんがすぐに来てくださるので、おかしいと思いました」
「おかしいということはないわ。あなたが、誤解して、余計なことをくっちゃべると困ると思ったから、飛んで来たのよ」
「面貫さん、それでしたら、ぼくの冤罪は晴れたのですね」
「そうはうまくいかないわ」
「どうして?」
「例えあなたを起訴しなくても、あなたをここに連れてきた弟の立場がある。しばらく、あなたを被疑者として扱うことになる」
「待ってください。そんなことになったら、面貫さん、あなたの本当の秘密をバラしますよ」
「秘密?」
「あなたの盗癖、いえ、人を罪に陥れる困った性癖です。弁護士は罪人を弁護するのがお仕事でしょうが、あなたの場合は、その前に罪人を作っている。これは、弁護士の欠格事由にあたるのではないですか」
「あなた、東都大で何を勉強しているの」
「法学部で国際法を学んでいます」
「どうするか」
「面貫さん、早く決めてください。そうでないと、ぼくはあなたのもう1つの秘密を明らかにしなければなりません」
「もう1つの秘密? 穏やかじゃないわね。知っているのなら、おっしゃい。聞いてあげる」
「そんなに落ち着いていて、いいンですか」
「どうぞ。これでも、東大在学中に弁護士資格をとった、東大史上最高の才媛よ」
「言います。ぼくをひっ捕まえたコンビニの店長ですが……」
「待って! あなた、なぜ知っているの」
「どうして、って? あの東京大仏前店のコンビニでは、ぼくと同じゼミで国際法を勉強しているテッちゃんこと、夢野定恵がバイトをしているンです」
「あのおしゃべり女! あなた、あの女とデキてンじゃないでしょうね」
「面貫さん、そんな端たないことばは、優秀な弁護士さんには似合いませんよ。あの店長はあなたが、もちろんあの時点ではぼくの隣にきた美女があなたとは知りませんでしたが、あなたが店にくる度に脅えていたそうです。店長は、以前、赤塚署であなたが防犯について講演したときの聴衆の一人でしたが、質問をしたことがいけなかったのか、それ以来弁護士の先生が、しつこくストーカーまがいのことをしに来る、って。テッちゃんにこぼしています」
「なにがストーカーよ。そんな薄汚いことはしてないわ。あの日はたまたま、東京大仏にお参りしての帰り、おなかがすいたから何か食べる物がないかと思って、目に付いたコンビニに入っただけ」
「店長は、あなたの姿を見て冷静さを失い、ぼくが万引きしたと勘違いしてしまった。店長のことばが本当だとすると、あなたは3日をおかず、あのコンビニに現れています。ここ1ヶ月のお店の防犯カメラの映像をみれば、数日おきに、あなたがどこかに映っているはずだ」
「あなた、何が言いたいの!」
「店長は、あなたがお店に来る度に品物がなくなることから、あなたを疑いましたが、法律家であるあなたを警察に突き出すことはできなかった。それは、店長の優しさです」
「わたしは、彼に家庭があるなんて、知らなかった。だから、好きになってはいけないと自分を戒めた。でも、それが逆に自分を苦しめ、機会があるごとに彼の近くにいたくなって、もう……」
ドアが開く。
面貫弁護士、振り返る。
「だれ?」
ドアから顔を覗かせる。
「姉さん、ちょっと」
「聖紀、どうしたの?」
面貫、立ちあがり、ドアへ。
「姉さん、彼が来ているよ」
「彼、って?……エッ、堅山さん!」
「どうする?」
「ここに、こっそり連れてきて」
「いいの、その学生、大丈夫かい?」
「平気。ものわかりのいい学生さんみたいだから。そうでしょう、今西さん」
「エエ、ぼくは、慎み深い学生ですから」
「堅山さん、どうぞ、こちらに。姉さん、おれはこのドアの外で立ち番しているから、何かあったら、声をかけて」
「ありがとう、聖紀」
面貫、堅山を見て、
「弁護士の面貫です」
「弁護士の先生ですか」
背後に雄太を見つけ、
「今西さんでしたね。うちのテッちゃん、いえ夢野から聞いて、大急ぎで来ました。ごめんなさい。私の間違いでした。いまも、こちらの警察官にお話ししたところです」
「わざわざ、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、とんでもない間違いをして。どうお詫びしていいのか……。あなたが連れていかれてから、別の角度の防犯カメラを確認したのですが、犯人はあなたの隣にいた、大きなマスクと色の濃いサングラスで顔を覆っていた女性であることがはっきりしました。その女性は……やめましょう。こんな話は不愉快でしょうから」
「面貫弁護士、ぼくは、これで帰っていいでしょうか」
「待って。こちらの刑事課の手続きがどうなっているのか、聞いてくるから」
面貫、ドアの外へ。
「今西さん、いまの方、弁護士さんですね」
「ぼくの弁護を引きうけてくださることになった弁護士の先生ですが」
「どこかで、お会いしたような気がしているのですが。よく思い出せない」
「他人の空似ですよ。美女はみんなよく似ているから」
「美女ね……あッ、そうだ! 前に赤塚署で防犯の極意について、彼女の講演を聞いたことを思い出しました。マスクとサングラスで顔を隠した、見知らぬ女性が、うちの店をうろつくようになったのは、その直後から」
「堅山さん、それは偶然です。ぼくも彼女によく似た女性から、図書館で声をかけられましたが、その女性はエキセントリックな性格らしく、わけもなく怒っていました」
「その女性が私のストーカーなンですか。私は、わけもなく彼女を怒らせてしまった?」
「人間はどこで恨みをかうかわからない。そういうじゃないですか。ぼくもあと少しのところで、店長を恨むところでした」
「そうですね。申し訳ないことです。これを機会に、今西さんには、うちの店を利用していただくときは、全ての商品を1割引きにさせていただきます」
「本当ですか! うれしい」
「お安いことです。私は、お店がありますので、これで失礼します」
堅山、ドアの外へ。
「お気をつけて。これでぼくは、コンビニ、キラーかな。いや、コンビニ、キラーは面貫弁護士だった……」
面貫、現れる。
「ぼくは……」
「ごめんなさい。お待たせして。オッケーよ。今回は、学生のあなたにすっかり助けられた。いろんなことを秘密にしてもらった。わたし、あなたのおかげですっかり目が覚めたわ」
「ぼくは自分にできることしかしていません」
「弟の聖紀も、あなたにお詫びしておいて、って。これを機会に、あなたがこの先、赤塚署に来たときは、精一杯サービスする、って」
「コンビニ店長のように、割引きしていただけるンでしょう?」
「割引き?」
「駐車違反でもスピード違反でも、こっそり1割引きにしてもらえたら、助かるな」
「1割引きはできないから、万引きにしておくか」
(了)
万引き美女 あべせい @abesei
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