京都所司代
京都所司代の軍勢の手で、祠の村は、三日間掛けて、徹底的に破却された。村の建物は灰燼に帰し、丘は焦土と死体を埋め立てる覆土となった。不眠不休の突貫工事で、そこに村も、祠のあった丘も無かった如く、枯れ草と土塊ばかりの更地が出来上がった。
今回の襲撃も、村の存在も、周到に周到を重ね、隠蔽された。大規模調練という布令を京には出してあるし、祠の村の存在自体、一握りの幕閣と杵築大社の宮司以外、知らないのだ。
武士達は、彫刻のように無表情で、冷徹に騒擾の後始末をした。僅かに斃された味方の者も、焼け爛れたり肉塊同然になったりした村人達と同様に、大穴に投げ込んで埋めた。
この武士達の子女と、同年代くらいの子供の死骸もあったが、彼らは、所司代の峻烈な命令の所為だと自分達に言い聞かせた。慴伏しただけだと言い聞かせることで、憐愍を自己の心の奥底に沈殿させ、忘却することにした。
それから五日後、所司代屋敷では、京都所司代
京都所司代は、皇室や公家の監察役として設けられた役所であり、西国大名、特に反幕府の気運が強い、薩摩藩と長州藩への牽制役の面も兼ねていた。
だが、幕府の要職とはいっても、既に、江戸から下される措辞を、忠実に遂行するだけの、権限無しの役職になっていた。殊、天保十一年 (1841年)にもなっては、老中に任じられる前の、通過点に過ぎなかった。
牧野雅正も、寺社奉行、奏者番を歴任し、一年前から京に赴任している。今回の鏖殺と焼燬も、水野忠邦の密命を、他の命令と同じように遂行しただけである。そこに、所司代の責任も裁量も存在しない。
そういうことなので、忠雅は、殺戮の完了報告自体には、無関心であった。だが、捕縛するよう厳命されている白髪の少年について、恐らく取り逃がしたというのを聞くと、須臾にして、彼の浅黒の面は蒼白になった。
脇息に凭れていた小肥りの身体を起こして、平左衛門に向かって身を乗り出し、
「そ、それは真かっ。それらしき小童はいなかったと申すのか」
「はっ。死体を一つ一つ検分させ、最後に捨てる際も拙者が確認致しましたが、一向に、そのようなものはありませんでした」
「ありませんでしたでは済まぬぞっ。水野様の御命令を果たせなかったとあっては、失態も失態。儂の老中就任も、危うくなる。いや、そればかりではない。此度は非常に厳しい態度なのじゃ」
「方々に手勢を差し向け、街道至る所、網の目のように張り巡らしております。いま暫くご辛抱を」
そう恭しく言われても、神経質な忠雅の憂虞は、少しも晴れなかった。
現老中首座の水野忠邦は、極めて出世欲の強い男で、柳営で栄達することを渇望し、長崎警備が障害となる唐津から、石高の低い浜松への転封を願い出たことがある。その際、反対派の一人である家老を、自害に追いやった。
二年前に老中首座に昇るや否、鳥居耀蔵などの配下を使って、寄席の閉鎖や歌舞伎への苛烈な弾圧に始まる、峻厳な法を次々に布告し、法令雨下とも人々は揶揄した。
稀代の怜悧と噂されている忠邦が、失態を許容してくれる筈がない。ただでさえ忠雅は、将来の老中、つまり政敵候補として睨まれていた。僅かにでも落ち度があれば、彼が罷免され、二度と日の目を見ることが無いのは明瞭である。
泰平の世の殿様は、自身と御家の安泰を何よりも重要視した。忠雅も、例外ではない。
牧野平左衛門は、ひどく動顛したり、機嫌が悪くなったりする主君との会話を切り上げたくなり、
「平左衛門、草の根分けてでも捜し出しまする。御心を安んじてくださいますよう」
「申し上げます。水野越前守様ご配下、
と、障子を隔てて声がした。小姓のものである。「通せ」と平左衛門は短く答えた。
少しして、源三郎が入って来た。一見、痩せ
この男、武芸の腕こそ立たぬが、水野忠邦の懐刀として耳目として、異常な才覚を発揮していた。主の、政敵達の落ち度や過去の失態を次々に暴き、減封や左遷の口実にした。
そして今、伊織を捕える密命を帯びて、配下の伊賀忍者達を率い上洛してきた。もっとも、隠密の習わし通り、それぞれが単独或いは小集団で動いている。源三郎もまた、供を連れていない。
「諸岡源三郎でござる。名君と誉れ高き牧野備前守様の、お目に掛かれて光栄でございます」
如何にも芝居じみた台詞に、 平左衛門は不快感を覚えた。源三郎の薄く光る双眸が、この場にいる二人を、心の底から侮蔑しているように見えたのだ。
挨拶もそこそこに、源三郎は本題に入った。
「例の童は、姉らしき二名と共に村を脱し、若狭国に入りました。それがしの配下が、似通った特徴を持つ三名を見掛けたそうです」
「成る程。人目に付く山陽道ではなく、山陰道を通るつもりか。だが、何処に行くつもりだろうか?」
「詳しくはお話し出来ませぬが、出雲に向かっているものと思われます。平左衛門殿、早速お手配を」
「出雲? 何故」
「それは、貴殿らの知るところではございませぬ。貴殿らの職責はただ、白髪の童を捕えることにござる。分を弁えた方が良いと存じます」
―何だこの男は。
江戸小野派道場にて武芸百般を修め、四天王とも評された生来の武骨者である平左衛門は、得体の知れぬ青年へ、言葉に表わせない嫌悪感を覚えつつ頷いた。
源三郎は、あるかなきかの微笑を浮かべ、
「ご心配めさるな。それがしも敵ではござらん。きっと、捕えてみせます故、貴殿らは大船に乗ったおつもりでいればよろしい」
「……」
「ははは。そうそう、若くて見目麗しい女が二人ついているそうです。童以外は殺せ、との厳命ですが、その前に童を人質にして、女どもを皆で手籠めにするというのも良いですな。それがしの配下も喜ぶ」
「その所業、拙者は御免被る。だが、主の命令は遂行致す」
「左様ですか。では、御免」
言うだけ言って、一揖為すと、源三郎は辞去した。平左衛門は舌打ちし、忠雅に向き直った。肝心の主は、安堵した様子である。「心強いのう」などと、胸を撫で下ろしてすらいた。
暢気な主君を見、平左衛門は溜息を吐きたくなった。老中首座の配下の手で、童が捕えられれば、それこそ忠雅の災いとなる。簡単な命も果たせない魯鈍。そういう烙印を押されるに違いない。
源三郎よりも先に、童を捕える。累卵の危うきにある主君のため、平左衛門は、鉄石のように固く誓った。
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