小松屋

 突如として現れた人語を操る小型犬。

 それは世にも奇妙で奇天烈な珍妙極まりない犬のお巡りさんであった。

 お巡りさんは国家権力という一般市民には到底抗えない絶大な権力(大腿骨)を振りかざし、なんと春原颯太を自治体の長に任命したのだった。


 これをきっかけに、鈍臭さにおいて右に出るものはいないと有名な颯太も流石に気付き始める。

 見て見ぬふりをしていた、この村の危うさに。

 この禍々しい妖気が漂う歪な土地の異変に。


 河童の陽菜ちゃん。

 無口でニヒルな田中さん(ハジビロコウ)。

 慢性鼻炎の犬のお巡りさん。


 一日の内にこれだけの怪異に巡りあうことなど、平凡で何の特技もなく、一般人と呼ぶにも烏滸がましい、一学期の間ずっと消しゴムのカスを集めて丸めてニヤニヤしていた颯太にとっては正に蒼天の霹靂なのであった!



「……何をブツブツ言ってんだよ。俺にはそんな趣味はないぞ」

「なんだって? てっきりそんな青春を送ってきたタイプかと」

「あってたまるかそんな青春」


 よくよく思い返せば、一度は消しカスから消しゴムを作り出すという永久機関を完成させようとした事もあるにはあったかもしれないが、それに青春捧げる馬鹿はいないだろ。


「それで? お巡りさんは無事に帰ったの?」

「ああ。でも……」


 な、なんだ?

 こいつ急に真面目な顔して。


「ま、まさか!」


 袖の下を俺に渡したことが上司にバレて罰則を与えられたのでは!?


 た、大変じゃないか。

 そんなの懲戒免職まであり得るぞ。

 たかだか大腿骨の一本を渡しただけで退職金を失ってしまうなんて。

 今のご時世でそれは痛恨の極みだ。

 この先あんなに可愛い犬のお巡りさんに、○ュール一本買うことすら憚られる未来が待ち受けているなんて!


「その骨……森の教会に住んでるシスターの大腿骨なんだ。出来れば返却しておいて欲しいって頼まれちまったよ」

「……シスターの骨?」

「ああ、ブラザーの骨じゃないぜ」

「そういう意味で聞いてんじゃねぇよ。本当に口が回るな」

「褒めてもヌメリしか出ないぜ?」

「嫌味って知ってる?」

「なんだが不味そうだな」

「味じゃねえよ」

「それにしても颯太、お巡りさんが褒めてたぜ。まだ若いのに一人暮らしなんて立派だって」

「光栄ですよ」

「ん? それは何味?」

「光栄味ってなんだよ。俺が知りたいわ」

「栄光の味なら噛み締められるかもしれないな」

「……話し進めてくんない?」

「終わりだよ」

「終わりかよ」


 なんなんだよ。


「いや、まだだ。テンポで終わりだよって言ったけど、実はまだ終わってない。なんなら始まってすらいない」

「……終わってくれよ」


 この後「終わって欲しければオイキムチ、もしくは叩き胡瓜を献上せよ」と何やら妖怪っぽいことをほざき始めたのでシカトを決め込んでいたら、玄関に寝っ転がってガチ泣きしながら駄々をこね始め「川にホルスタインを引きずり込んでやる!」と脅迫してきたので、俺は仕方なく唯一この村にある雑貨店へと足を運ぶことになった。


 実際のところ、ホルスタインが川に引きずり込まれようと俺の知った所では無いのだが、オイキムチ如きで農家の人に迷惑をかけるわけにはいかないので脅し文句としては最適解だったのかもしれない。


「ったく。じゃあ行ってくるよ」


 雑貨店の名は小松屋だ。

 少し小高い丘の上にあるが、爺ちゃんの家からはさほど遠くない。

 ママチャリでダンシングとシッティングを効率よく併用すれば三十分ほどで辿り着く。


「俺はパーティーの準備をしておくよ」

「オイキムチでパーティーはしたくないんだわ」

「そんなこと言うならメロン買ってきてもいいんだぜ?」

「却下に決まってんだろ。大人しくしてろよ、じゃあな」


 何がメロンだ。

 メロンみたいな色の着ぐるみの癖に生意気だぞ。


 さてと。

 気を取り直して。


 このクソ暑い中、ママチャリを漕いでまで小松屋に行く理由——それはホルスタインの尊い命を守るだけが目的ではなかった。


 お巡りさんが言った台詞がどうも頭から離れなかったのだ。


『自治体の管理は人間の役割』

『しばらく人間がいなかった』


 これが本当ならば大問題だ。

 自治体の管理はまだしも、この村に人間がいなかったってどういうことだ?


 疎遠になっていたものの、俺は小さい頃この村で夏休みを過ごすことが多かった。

 その時は決まって近所の子供達と公園やプールで遊んだ後、今から向かう小松屋でアイスを買うムーブをかましていたものだ。


 照りつける真夏の太陽が肌を焼く一方、背筋に冷たいものを感じた。

 熱気と湿気に包まれながらも、寒気を覚えてしまう。


「どうなってんだ。一体」


 何かを振り払うように、無我夢中で畦道をダンシングで走行していると、視界の先に小松屋が入ってきた。

 幼い頃から古い造りだと感じていた小松屋は、相変わらず当時と変わらない雰囲気を醸し出していた。

 外に出ているアイスのストッカーの周りには子供達が群がり、店内からは人の声が聞こえてくる。


 人……ではないのだろうか。

 ここの人達だけでは無い。

 昨日蔑んだ視線を送ってきたおばちゃんも、俺の尻の割れ目を激写した子供達も、昔の記憶に残る近所の友達も——人ではない?


 ……はっ。

 はは、はははは。

 んなアホな。


 そんなわけないよな。

 だってあの河童、着ぐるみだったじゃん。

 しかも陽菜とか思いっきり普通の名前だし。

 田中さんだって着ぐるみだし、お巡りさんは……○イボなんだろうな、きっと。


 手の込んだドッキリ……を、この村の人達が俺に仕掛ける意味なんて無いけれど、そうとしか考えられない。

 あとはまあ……やることが無くて、皆んな変な感じに張り切っちゃったのかもしれないな。

 村おこしの一環だったなんて可能性だってある。

 だとしたら嫌な村おこしだ。

 ふるさと納税には到底期待は出来ないだろう。


「お金置いとくねー」

「帰り道気をつけるんだよ」

つばめ、帰ろ」

「うん。すずめ


 ほら見ろ。

 やっぱり考えすぎだ。

 あの頃と変わらない微笑ましい光景じゃないか。

 双子の姉妹かな?

 仲が良さそうで何よりだ。


 小松のおばちゃんも変わらない……って、あれ?

 あんな若かったっけ?

 そっか、さすがに代替わりしたのだろうな。

 あの人は娘さん……違うな、お孫さんか?


 こういう光景を目の当たりにすると案外寂しくなるもんだな。

 まるで心に穴が空いたようだ。

 考えてみればおばちゃん結構な歳だったし……。

 まさか小松屋を眺めながらノスタルジックを感じることになるとは夢にも思わなんだ。

 

 ああ、今でも鮮明に思い出せる。

 目を瞑れば色鮮やかに蘇るのだ。


 お代を受け取る際に、虚空に心を描くという伝説の大力士・武蔵濃すぎ丸のルーティーンをリスペクトした、小松のおばちゃんの流れるような一連の所作を。

 あの洗練された美しい動きを目の当たりにすると、一瞬自分が土俵上にいると錯覚させられたものだ。


 しかし当時、逆張りの権化と化していた俺は『NEO・SUMOU』の六芒星を形どる土俵が気に食わねぇと斜に構えた態度を一貫していた為、遂にはあの所作の教えを乞うことが叶わなかった。

 忸怩たる思いである。


 まあ、この村に売店が残っている事自体奇跡のようなものなのかもしれないし、ご家族には感謝しなくちゃいけないな。


「すいませーん」


 小松屋には当時なかったエアコンが設置されており、店内に足を踏み入れると同時にひんやりとした空気が流れていた。

 カウンターにはご近所さんと思われるおばさまと、店主と思われる女性が談話していた。

 店主に見覚えはなかった。

 残念だが、やはり代替わりしたようだ。


 俺より少し歳上であろうかと思われる女性がにこやかに会計を済ませながらテキパキと手を動かしている。

 レジを打つ姿は小慣れた様子であり、小松のおばちゃんの姿が当時の光景と共にフラッシュバックした。


「いらっしゃい——あら、もしかして春原さんのところの颯太君」


 その言葉に正直驚きを隠さなかった。

 どうやら俺のことを認知しているようだ。

 

「あ、はい。どうも」

「あらあら。大きくなったわね」

「はあ、おかげさまで」


 なんて少しそっけない返事をしてしまったのは、相手が俺を知っているのに、こちらには相手の記憶が脳内の片隅にも無いという気まずさからだ。


 こんなに綺麗な人、小松屋にいたっけな?

 あの頃はまだ幼かったとはいえ、ここまで整った容姿をしている人ならば記憶に残りそうなものなのだが……。


 軽く会釈をしてから店内でオイキムチを探し出し、それをレジへと持っていくと、お姉さんはニコニコしてそれを受け取った。


「ありがとうね。しばらくここに居るの?」

「はい。昨日来たばかりなのでしばらくは」

「あらあら、そう」


 どうやら口癖は同じようだ。

 小松のおばちゃんも同じように「あらあら」の枕言葉が印象的だった。


「気をつけて帰ってね」

「はい、ありがとうございました」


 客の表情の機微を読み取り、数ある選択肢の内から最適な対応を選ぶのは、接客業を営む上で大事な要素の一つだろう。

 お姉さんはこちらの様子を察して早々に話を切り上げてくれたようだ。


「……最後におばちゃんに挨拶したかったな」


 帰り道におばちゃんのことを聞けばよかったかなと少し後悔した。

 年がら年中全身銀色のタイツを身に纏い、踵の高いガラスの靴を履き、背中からは朱色の羽根が生えていた小松のおばちゃんは果たしてご存命なのだろうか。


 帰ったら河童に聞いてみることにしよう。

 たまたま今日は店先にいなかっただけかもしれないし、何よりしばらくこの村に滞在するのだ。


 しかし俺は河童の口から衝撃の事実を言い渡されることとなる。

 慣れ親しんだ全身銀色タイツの電波系おばちゃんは、やはり人間ではなかったという衝撃の事実を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る