警察
あー、まずい。
ぜんっぜん眠れない。
体はクタクタだし、早く寝たい気持ちもあるのだが、その反面、あの河童とハシビロコウの事で頭の中がいっぱいた。
目がギンギンに決まっちゃってる。
たって、そりゃあそうだろう。
冷静に考えたら、あの二人はただの不審者であり変質者でなんだから。
そして、この猛暑の中、好き好んで全身を覆う被り物をしている軽犯罪者でもある。
奴ら随分と馴れ馴れしかったが、命の危険に晒されている可能性だって否めないんだ。
しかし、あの二人、あたかもこの土地に住んでいることが当たり前のように振る舞っていた。
まさか爺ちゃんが許可を出したのか?
いやいや、だとしてもあり得ない話だ。
直ぐに警察に連絡を……とも思った。
だが現状、豪快に携帯を破壊された為、連絡を取る手段はなく、同時に駐在所までは歩いて二時間ほどかかる。
あの変人達と別れた頃には、もう既に陽も落ちていた為、俺は戸締りだけ完璧にして今晩は大人しく過ごす決断をしたのだった。
河童やハシビロコウが出たと通報しに行く途中に、暗闇でツキノワグマや猪に襲われたらたまったもんじゃないし。
……いやはや、人生とは不思議なことが起こるものである。
恐らく年を重ねていってもこの衝撃を超える出来事はそうそう起こらないだろう。
果たして母親はこのことを知っていたのだろうか。
むしろ知っていそうだから怖い。
なんせ植林と家庭菜園の区別もつかない天然気質な母親である。
都会からこれだけ離れていれば野生の河童が出ることなんて、さも当たり前だと思い込んでいるのかもしれない。
あの神経ず太そうな河童が母親に対しては警戒心を強めて姿を現さないなんてことも可能性は薄いだろう。
だったら先に言ってくれよ。
そしたらこんなことにはならなかったのに。
大人しく実家で夏休み満喫したわ。
「……はあ。取り敢えず警察より先に、母さんに連絡だな」
とまあ、なんだかんだと色々考えたが、悪い奴らでは無さそうだったし、俺の大好きだった爺ちゃんとも仲が良かったっぽいしなあ。
見た目で判断するなんて愚の骨頂だ、とか天国の爺ちゃんに怒られてしまいそうだ。
「はあ……ついてないなぁ……」
そんなことを悶々と考えていたら、俺はいつのまにか眠りに落ちていた。
その夜、俺は不思議な夢を見た。
縁側で胡座をかいた爺ちゃんが楽しそうに河童と話をしている夢だ。
歳が経つにつれ、爺ちゃんと疎遠になっていた俺は、そんな爺ちゃんの笑顔を久々に見ることができた。
きっと一人で暮らしていた爺ちゃんにとって、河童やハジビロコウの田中さんは心の許せる友達だったのかもしれない。
俺もその輪に入ろうと駆け寄った時、玄関先からチャイムが鳴り響いた。
「あのー、すいませーん」
「……夢か」
目を覚ますと外はもう明るくなっていた。
どうやら昨晩眠りにつけなかった分、だいぶ目覚めるのが遅くなってしまったようだ。
「すいませーん!」
来客は急かすように声をかけてくる。
ここが空き家だということは、すでに周知の事実だとは思うのだが……。
しかし田舎ほど噂が回るのは早いのは良く聞く話だ。
おおかた昨日の庭先での騒ぎを聞いたご近所さんが、訪ねてきた……そんなところだろう。
髪はボサボサだし、とてもじゃないが人前に出るような格好ではないのだが、この暑さの中待たせるのも悪いと思い、俺は急いで玄関へと向かった。
「はーい。今開けますね」
「ああ、よかった。えーっと、君は春原さんのご家族の方……なのかな? 僕はこういう者なんですが」
眠気まなこを擦り、目を凝らすと、目の前に警察手帳が提示されていた。
「……警察の方ですか」
「ごめんね。まだ寝てたかな?」
悪いことをした覚えがなくても、いざこんな風に目の前に警察の方が来ると少しドキッとするものである。
ていうかこの人が……警察……。
想像と違うというか、随分と可愛らしい警察だ。
なんというか……その、思わず撫でてしまいたくなるような風貌である。
「実はね、さっき田中さんと会話をしてね、それで君の事を知ったんだよ。昨日顔を合わせただろ?」
「ああ、田中さん」
ハジビロコウの田中さん……でいいんだよな。
クラッタリングが耳障りなあの田中さん。
「そうそう。春原さんのお孫さんがここに移住したって話を耳にしてね」
「はあ、そうですか。それで俺になんの用が」
どうやら拘束、即逮捕という流れでは無いようだ。
あたり前だ。
俺何てないし。
そこに関しては一安心なのだが、逆に嫌な予感が拭えなくなってきた。
「いきなりなんだけど、今日はお願いがあってね」
「俺に……お願い?」
「この自治体って高齢化が進んでててね。その中でも春原さんって歳の割にはしっかりしてたというか、責任感が強い方でね。とても助かってたんですよ」
「いやいや、ちょっと待って下さい。それって」
「ほら、駐在所もここからかなり離れているし、トラブルがあった時にリーダーシップ取れる人がいてくれると助かるんだよ」
嫌な予感とは的中するものである。
いくら爺ちゃんが頼りになったとはいえ、その孫である僕がそうであるとは限らない。
それに急に都会から越してきた子供に自治体の事を任せるなんて、ご近所さんも不審に思うのではないだろうか。
何よりとても面倒くさそうだ。
この限界集落は、どうやら俺の想像を遥かに超えている。
それはこの警官を名乗る人物を見ても一目瞭然だ。
「つまり……」
「会長って言うと大袈裟だけど、ここの自治体をまとめてくれるとありがたいなって」
「む、無理ですよ。ご近所さんだって、こんな子供だと納得しないだろうし」
「でも昔から自治体をまとめるのは人間の役割って決まってるからさ。
「人間の役割?」
「春原さんが亡くなってから久しく人間が不在だったしね。そのお孫さんともなれば僕達も安心なんだよ」
それはまるで人間がいないみたいな言い草だった。
だけど俺がここに来た時は、おばさんもいたし、お尻の割れ目を激写してきた子供達もいたはずだ。
「まあまあ、そこら辺は
「それって」
だめなやつなんじゃ……。
「あまり言わないでね。ほら、いわゆる袖の下ってやつだからさ」警官は耳元でそう呟くと、鞄をゴソゴソとまさぐりはじめた。
袖の下って……。
貰っちゃダメなやつだよな。
そもそも貰ったところで俺は自治体の会長なんてやりたくないぞ。
そんな面倒くさそうなことに巻き込まれるくらいなら、さっさと地元に帰りたいくらいだ。
「は、早く受け取ってくれ。じゃないと……とても正気を保てないっ!」
警官は声を絞り出し、あるものを渡してきた。
それは漫画に出てくる犬が喜んで咥えてそうな大きな骨だった。
「いらないです」
「ええっ!? これ……大腿骨だよ」
「取り敢えず尻尾振るのやめてもらえません?」
「そんな! これは本能だから抗えないよ!」
「へい! 颯太! 犬のお巡りさんがこんなにも懇願しているんだ。一丁頼まれてやれよ」
「……お前、なんで俺の茶碗で胡瓜山盛り食ってんだよ」
しかもなんで玄関じゃなくて家の中から出てくるんだ。
不法侵入だし、床がズルズルになるから足洗ってくれねえかな?
「ああ、陽菜ちゃん。君からもお願いしてくれないか?」
「任せといて。こいつったら俺にホの字だからさ」
「いやあ、助かるよ。それじゃあ、大腿骨は置いていくからさ。よろしくね」
「って、ちょっと! お巡りさん!?」
自らを警官と名乗る小型犬は大腿骨を床に置くと、勢いよく玄関から走り去っていった。
「……おい、河童。この村は一体どうなってんだ。これはもう呪いの類だろ」
「颯太。俺たちにとっちゃあ人間の存在こそ呪いそのものなんだ。つまりお前は呪物なんだよ」
「知らねえわ」
「取り敢えずここに住んでいる間だけ頼むよ。悪いようにはしないしないからさ。さて、俺はお巡りさんを送っていくよ」
「お巡りさんを……送る?」
河童は茶碗の胡瓜をかき込むと玄関先で振り返った。
「彼、鼻炎だからすぐ迷子になるんだ」
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