第2話 惚れてしまいそう

「・・・はい、問題ありません。どうぞ」

「どうも、ありがとさん」

 門番とニコラスとのやり取りは数回で終わり、マリアライゼたちはあっさりとフィレツィアへと足を踏み入れた。もっとも、荷台に乗ったままでの来訪を『踏み入れた』と表現して良ければ、だが。

「あ、案外と、その・・・簡単に入れるんです、ね?」

「ん?ああ、そうだな。一応、御者の俺がファーストチェックしている形になるし・・・」

「それに、入って来る旅人を一々詳しく調べてなんていられないから、でしょう?」

 ね、とウィンクを飛ばしてくるマリアライゼに、ニコラスは「まあな」と曖昧に微笑んで、是と返答とした。実際、徒歩や個人用の馬車などで街を訪れる者なら兎も角として、大勢の乗客を乗せた馬車の人間を全て確認していては、幾ら人員がいても足りはしない。

 従って、どの街においても法規上はさておき、実務上においては『一人一人を丹念にチェックする』などという理想は捨て去られて久しくなっていた。これも1つの世情というやつだ。

「い、良いんですか、それ?」

「良くないから、ああいうのが要るんですわ」

 そう言ってマリアライゼが目線を向けた先にいて、門を通る人たちを見張っているのは、真っ赤な外套を着て剣を佩いた2人組の官吏たち。

 そう、所謂『警邏官ポリスメン』だ。

「そ。万一、不審な人間や事件に遭遇したら叫び声でも上げると良い。直ぐにアイツらがすっ飛んで来てくれるだろうさ。それに・・・自然英雄ネイチャーヒーローもいるしな」

「ね、ねいちゃ?」

「自然英雄、ですわ。・・・もっとも、ただの伝説ですけれど」

 曰く、それはここ数年前より王国内で語られる噂話だ。

 夜盗や盗賊団といった悪党連中がある日、ポツンと死体で見つかるらしい。それも装備が滅茶苦茶にされていたり内臓や肉が失われたりと、一目で自然死ではないと分かる死に方で。

「まあ、大方仲間や同業者同士での仲間割れで、遺骸の欠損については野生動物の仕業と言われてますけど」

 ただ、その死骸の発生場所が数ヵ月ごとに変化し、それがあたかも誰かが移動しているように見えることから、何時からか『自然英雄』と言われ始めたのだとか。

「確かにそういう見方も出来なくはありませんけれど。ま、この手の話に尾びれ背びれは付きもので・・・どうされて?」

 キョドキョドと目を泳がせるサタリャーシャへ、マリアライゼが心配そうに声をかけるも彼女は「い、いえ・・・」と言葉を濁らせる。

「若しかして、貴女もそういった根拠のない噂を信じるタイプでして?」

「い、いや・・・。あ!そ、それより御者さん。こ、こ、この馬車はどこまで?」

 明らかに話を逸らす為の質問だったが、だとしてもニコラスとしては客の問いに答えないわけにはいかない。

「ん?もうちょっとだ。マーケットを抜けた先にある駅舎まではどうかそのまま、大人しく乗っていてくれよ」

 そのニコラスの台詞を証明するかのように、幌の外からはガヤガヤとした喧騒が聞こえてくる。

「さあ、もう店仕舞いだよ!明日は安息日だから店は出ない、寄った寄った!」

「おお、コイツは良さそうだ。元気そうだし、形もいい」

「お!そいつを選ぶとは、お客さん通だねえ!」

 その喧騒に興味をそそられたサタリャーシャは、つい顔を覗かせて、

「・・・え?」

 そこにあった光景に、固まってしまった。

「ええ・・・」

 困惑の吐息を漏らすサタリャーシャの揺れる視線の先には様々な商品を売るマーケットが開かれていたが、彼女の目を捉えて離さないのはその中央部だ。そこに広がる広場の石畳、その上に敷かれた莚の更に上。

 そこに置かれていた商品は人、人、人の列。

「ひ、人・・・が?」

 そう、そこでは人が人を売り、人が人を買っていたのだ。所謂奴隷市である。

「あら、奴隷売買を見るのは初めて?」

 困惑するサタリャーシャとは対照的に、マリアライゼは当然のものを扱うような口振りで、彼女へとそう尋ねる。

「え?は、はあ・・・」

 知っているとも知らないとも言わずに。しかしサタリャーシャは信じられないようなものを見たような目で、マリアライゼへと問いかける。

「で、でも。え、ええと・・・その・・・こんな、これは・・・」

「そこまでに。でも、仰りたいことは分かりますわ。こんなこと、こんな奴隷市が許されて良いのか、でしょう?」

 その見透かすかのようなターコイズブルーの瞳に、サタリャーシャは「うっ」と気圧される。

「ですが・・・飽く迄、彼らは領主の動産として売買されているのです。少なくとも、その収集が王国の法に触れていない以上は」

「・・・合法、ですか?」

「そう、なりますわね」

 淡々と、マリアライゼは一片の情の色さえ見せずにして、事実を事実として告げる。

 王国軍が東方に住まう亜人たちの領土を占領して、早5年。その土地を新たに与えられた領主たちが、そこに生息する亜人種を捕え労働力として売りさばくことは、既に1つのビジネスモデルとして定着していた。

 勿論、王国としても非人道的な国家と思われたい訳では決して無いから、彼ら亜人種奴隷の権利保護や生存権については議論の俎上に上がっており、実際の権利保障もされてはいる。

 しかし、実際の扱いはどうであれ。動産として売り買いされる知的生命体を、人は『奴隷』と呼称するのである。

「さあて、お買い物がお済の皆さんも、まだの皆さんもお立合い、お立合い!」

 赤ら顔の奴隷商が、更に顔を紅く染めて声を張り上げる。

 彼ら亜人種奴隷にもランク付けが存在し、当然、純粋種の方が高値が付く。そして、例えばドワーフ種は鉱山奴隷、レーア種は機織り奴隷、オーク種は農奴としてそれぞれ高値で取引されている。

「これなるは、閉店間際の大セール!エルフ種が3人セットで500ゴルド、1人3セットまでのお買い得商品だよ!」

 そして、それら亜人奴隷の中でも最も人気のある商品は、深き森に住まうとされる麗人、エルフ種であった。パンパンと手を叩きながら商人が連れだしたそのエルフ種たちは纏め売りに相応しく貧相な体つきだったが、それでも飛ぶように売れていったことからも、それが分かる。

 だが、それも当然のこと。

 エルフ種というのは魔石を造り出す魔石奴隷に良し、手先が器用なので工場奴隷に良し、そして整った容姿から使用人として良しと、文字通り何にでも使える人材である。その扱いの便利さから、今や巷では『エルフに捨てる者無し』との放言すら飛び出すほどなのだ。

「え・・・で、でも」

「そう、怖い顔をしないの。それに、ああやって高い値で買った人材ですもの、手酷く扱う事業者はそうそういませんわよ」

「そ、それは・・・でも」

 それでも。サタリャーシャの目に映る売約済みのエルフ奴隷の顔には諦観と絶望が綯い交ぜになったような表情が誰にも貼り付いており、マリアライゼの言う通りの扱いだとはとても思えなかった。

 ただ、その口舌が詰問するにまでに至らなかったのは、そう語る彼女の目には何の色も浮かんでおらず、心からそう思って語っているように見えなかったからだ。

 ただ淡々と、この世の理を説くような語り口と合わせて、マリアライゼ個人としての想いがどこにあるのか。それが十分に推察出来たからだ。

「悪いがお客さん、外を伺うのはその辺りにしておいてくれ」

 尚も何か言い募ろうとしたサタリャーシャの言葉を遮るようにニコラスがそう、声を潜めて彼女たちへ注意した。

「奴隷商人なんてのは気性の荒い人間が多いからな。物見遊山してたなんてのがバレたら、殺されて臓器を売られちまうぞ」

 その脅し文句に、サタリャーシャは「ひ!」と短い悲鳴を上げてへたり込む。

「そんなこと仰らないで。怯えてしまったじゃないの」

「だが、間違いじゃないからなあ。俺だって、このルートを担当するようになって半年も経ってないのに、睨みつけられたのは2度3度じゃないぞ」

「大変ですわね」

 紋切型の追従を述べると、マリアライゼはやおら腰を持ち上げて床に膝をつき、へたり込むサタリャーシャと視線を合わせて向き合う。

「さて・・・サティさん?」

「へ?」

「貴女があの市を覗いてしまったせいで私たち、奴隷商たちに顔を覚えられてしまったかもしれませんわ」

「は・・・はあ」

「つまり、私は貴女のせいで面倒ごとに巻き込まれる可能性がある、と。そういうことになりますわね」

「はあ・・・」

 反射的にコクンと頷いたサタリャーシャだったが、ドックンドックンと大騒ぎする鼓動のせいで頭が上手く働かない。なにかとんでもないことを言われた気がするが、それを問い質す前にマリアライゼの話は先へ先へと進んでいく。

「ところで御者さん、この街に宿は在りますわね?」

「ん?あ、ああ。そうだな・・・駅舎からちょっと行った所にあるにはあるが」

「良いお宿で?」

「良いかどうかはお客さん次第だが、小奇麗な宿とは聞いてるぜ」

「それは結構」

 そう言うと、マリアライゼはサタリャーシャの両脇に手を滑り込ませて持ち上げる。そしてそのまま座椅子へと座らせると、いまだポヤンとした表情の彼女に問いかけた。

「ところでサティさん、今日のお宿は決まっていて?」


「んぐ・・・んぐ・・・ぷはあ。ああ、ウェイターさんお替りを!」

「はい、少々お待ちを」

 パタパタと足早にウェイターが運んで来たグラスを半ば奪うように引っ掴むと、今度はグラスの半ばまでを一気に流し込む。

「・・・ふう、ひと心地つきましたわ」

「もう1杯、お替りをお持ちしましょうか?」

「いえ、もうお酒は結構。レモン水をお願いしたいのと・・・あと、この馬鈴薯とリーキのグリルを」

「かしこまりました。そちらの方は?」

「ふえ!?い、いえ・・・私は」

「駄目ですわ。貴女、さっきから水しか飲んでいないではありませんこと?」

 ジロリ、とアルコール混じりにしては澄んだ目に睨まれては、サタリャーシャに逃げ場はない。

「な、なら・・・ええと・・・あ、トート・オーマがある。じゃあ、これを」

「ブラッドソーセージとは・・・通ですわね」

 ちなみに、トート・オーマとはブラッドソーセージの崩し炒めを馬鈴薯に添えた料理であり、一般人好みの味でないのはマリアライゼの言う通りだ。

「なら・・・それと、あとは健康の為、ラプンツェルのサラダでも貰おうかしら。良くて?」

「承知しました。では・・・」

「分かっていますわ」

 そう言ってマリアライゼが無造作に取り出した硬貨を、ウェイターは碌に確かめもせず受け取って胸元の売上金入れに放り込んだ。いくらチップ込みとは言え雑な仕事ぶりだと咎められそうなものだが、客である彼女たちは勿論、同僚や店主も咎めるどころか声すらかけない。

 どうやら、高等遊民などという金持ち相手に商売をしていれば自然とこのように、性善説に則った商法になるらしい。

 そして数分後、サラダを手始めにして彼女たちが頼んだ料理がテーブルへと並べられる。それはいいのだが、

「あ、あの・・・」

「何か?」

「こ、これ・・・多くない、ですか?」

 そう、サタリャーシャの前へと置かれたトート・オーマの皿には山盛りのブラッドソーセージ炒めと、それと同じだけの量の茹でた馬鈴薯がこんもりと盛りつけられていたのだ。

「サービスです」

「さ、サービス?」

「ええ。滅多にない注文でしたので、料理長も腕を大いに振るわせて頂きました」

 その言葉通りなのか、それとも偶の注文を幸いに押し付けようとしているのかは定かでは無いが。事実なのは、彼女の胃袋のキャパを余裕で満たすほどの料理が、眼前に悠然と聳え立っていることである。

「あ、あの・・・マリアライゼさんは」

「結構ですわ」

 そんなことは知らぬとばかりに、マリアライゼは自分の頼んだ料理をヒョイヒョイと口に運んでは舌鼓を打つっていた。もっとも、流石に可哀そうと感じたのか馬鈴薯の方を少しへずったけれど。

「・・・・・・で」

 そんな彼女に、サタリャーシャはトート・オーマをフォークで切り崩しながら、おずおずと切り出した。

「で?」

「で、マリアライゼさん。ど、どうして私なんかと、その・・・一緒に?」

 マリィで構いませんのに、と何処か不満そうに呟いた後、彼女はレモン水で口腔内を洗い流して、その問いに答える。

「訳は言ったはずですけれど・・・それではご不満?」

「い、い、い、いえいえ!そ、そ、そんなこここことは、その」

「慌てなくとも良いですわ。ほら」

 憐れむような、愛おしむような目でサタリャーシャを眺めつつ、マリアライゼは水の入ったグラスを手渡す。それをコクコクと喉に流し込み、ようやく彼女が落ち着いたことを確認して、マリアライゼは口を開いた。

「まあ、大した理由では無いのですけれど。私、貴女のことが気になってしまいまして」

「へ?わ、私が?」

「ええ。とても魅力的だと思いまして」

「い、いやいや!わ、私なんて、そんな!」

「ご謙遜を仰いますのね。そこも気に入りましたわ」

 そう、どこか揶揄うような口振りで言うと、マリアライゼはサタリャーシャの前髪をそっと掻き上げた。

「それに・・・ほら。何よりこんな綺麗な目をしていますもの。惚れてしまいそう」

「え!?ちょ、ちょっと、えええ!?そ、そ、そ、そういうのは私、その、困りま、す!」

 面喰ったのも無理は無い。

 ことこの国において同性愛は禁止されてこそいないものの、だからと言ってポピュラーとも言い難い。熱心な信者や宗教関係者なら「同性愛はいけません」と断じるだろうし、そうでなくとも市民権を得ているとは言い難い性癖なのだ。

「あ、あの・・・若しかして、酔ってます?」

「ええ。貴女の瞳に・・・ちょっと、腰を浮かせないで下さいまし。冗談ですわ」

「で、でも・・・」

「安心なさい。今のところは、あの時に言った通りの理由しかありませんわ。さ、説明も済んだ訳ですし・・・冷めない内に頂いてしまいましょう」

 そう言うと、まるで何事も無かったかのようにマリアライゼは残りの料理をフォークを口に運んでいった。それに倣って、ではないが、サタリャーシャも空腹には勝てないと見える。コチョコチョとフォークとスプーンを割かし器用に使って、トート・オーマの山を解体するように食べ進めていった。

 そして、まるでマリアライゼの前の食器が殆ど空になったタイミングを見計らったように、

「・・・お客様」

 1人のウェイトレスが近づいて来た。

「あら、何ですの?追加の注文は・・・」

「お勧めのメニューをお知らせするのを忘れていましたので。こちらをご覧ください」

「あらあら。でも、もう入りませんわよ」

「いえいえ、そう仰る方もペロリといかれますよ?」

 お上手ね、と軽く呟いてその差し出されたメニューを見てみたマリアライゼだったが、

「え?」

 恐らく、正面にいたサタリャーシャだけが気付いただろう。ホンの少し、その柳眉が顰められたのを。

「・・・お客様?」

「ええ、確かに結構なお料理ですわね。でも・・・すみませんこと、もう入りませんわ」

「それは申し訳ありません。初めにお伝え出来ていれば」

「気になさらないで。これは、そんな貴女への心づけですわ」

 そう言って、ウェイトレスの彼女にチップを握らせると、マリアライゼは「さて」とおもむろに立ち上がると、目をパチクリさせるサタリャーシャへと告げた。

「すみませんこと、サティ。私、少々食べ過ぎてしまいまして」

「は、はあ」

「ですので私。軽く歩いて腹ごなししてから宿に戻りますわ。貴女も、食べ終わったら戻っていてくれて構いませんことよ」

「え!じゃ、じゃあ、私も一緒に!」

「でもサティ。貴女、まだ半分くらいしか食べていないじゃありません?」

「そ、それは・・・でも」

 事実、サタリャーシャの前の皿には、黒い塊と馬鈴薯がまだ半分くらい鎮座している。半分と言っても、一般的な量で言えば2人分以上はあるが。

「でも・・・」

「そんな顔をなさらないで・・・安心なさい。ここでお別れ、という訳ではないですから。では・・・宿に戻ったら、またお話し致しましょうね」

 言うだけ言ってマリアライゼは、サタリャーシャからの返答が来る前に踵を返すと、そのまま店を出て雑踏の中に消えていった。

「あ・・・い、行っちゃった」

 残されたサタリャーシャは、カチャンとカラトリーを取り落とし、ガックリと肩を落とす。

「嫌われ・・・ちゃった、かな?」

 勿論、あんな風に言われるのは初めてだったから、テンパってしまったのもしょうがない。でも、あそこでもっと上手く話せていたら。そんな考えが、彼女の頭の中から離れないでいた。

「・・・ん。でも、宿に戻れば」

 そうだ。宿は同じなのだから、戻ればきっといてくれるはずだ。お話をしようと言ってくれたのだから、きっとまだ、嫌われて見捨てられた訳じゃ無いはずだ。

「だったら・・・よし、食べよう」

 言われた通り、食べ切って宿に戻ろう。そう、新たに気を入れ直したサタリャーシャは目の前のトート・オーマをパクパクと口に運んでいく。


 でも、何故だろうか。さっきと同じ料理のはずなのに、こうも苦く感じるのは。

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